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今回は「紅葉=京都」という呪縛から逃れ、趣向を変えて大阪府にある紅葉の名所を巡ってみました。北摂では「箕面大滝」も有名ですが、もうひとつの名所「久安寺」を訪ねてみました。関西花の寺25霊場第12番「花の寺」でもあり、境内は四季を通じて見事な花模様を披露する極楽浄土となっています。紅葉の季節に参道が真紅に燃え立つ回廊となる様は、筆舌に尽くし難いほどです。パンフレットには、「この庭に身をおくことで御身に仏法の花が咲きます」と謳われています。<br />北摂 池田市に伽藍を構える久安寺は、高野山真言宗の寺にして大澤山との山号を称し、悠久の昔から歴史を称えた古刹です。『伽藍開基記』によると、725年に聖武天皇の勅願により、光明を放ちながら沢から出現した千手観音菩薩を本尊として行基が開創。その後、天長年間に空海が真言密教の道場として中興。1145年(久安元年)には近衛天皇の勅願により賢実上人が楼門、堂塔伽藍、49院などを再興し、真言密教道場として栄えた安養院を前身に久安寺と改称しました。安土桃山時代には、豊臣秀吉が参拝の折に月見茶会を開いて三光神を祀ったと伝えられ、江戸時代中期には歌人 平間長雅が移り住んで観音信仰を広めるなど衰退を繰り返す中で法灯を護持してきました。昭和興隆事業により、梵字をイメージした「ア字山」と「バン字池」からなる広く美しい庭園「虚空園=曼陀羅の庭」が配されています。今では、北摂の名所として定着し、四季を通じて草花木が楽しめる「花の寺」として人気を博しています。 <br />

情緒纏綿 晩秋北摂紀行<前編>久安寺編

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2013/11/24 - 2013/11/24

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

今回は「紅葉=京都」という呪縛から逃れ、趣向を変えて大阪府にある紅葉の名所を巡ってみました。北摂では「箕面大滝」も有名ですが、もうひとつの名所「久安寺」を訪ねてみました。関西花の寺25霊場第12番「花の寺」でもあり、境内は四季を通じて見事な花模様を披露する極楽浄土となっています。紅葉の季節に参道が真紅に燃え立つ回廊となる様は、筆舌に尽くし難いほどです。パンフレットには、「この庭に身をおくことで御身に仏法の花が咲きます」と謳われています。
北摂 池田市に伽藍を構える久安寺は、高野山真言宗の寺にして大澤山との山号を称し、悠久の昔から歴史を称えた古刹です。『伽藍開基記』によると、725年に聖武天皇の勅願により、光明を放ちながら沢から出現した千手観音菩薩を本尊として行基が開創。その後、天長年間に空海が真言密教の道場として中興。1145年(久安元年)には近衛天皇の勅願により賢実上人が楼門、堂塔伽藍、49院などを再興し、真言密教道場として栄えた安養院を前身に久安寺と改称しました。安土桃山時代には、豊臣秀吉が参拝の折に月見茶会を開いて三光神を祀ったと伝えられ、江戸時代中期には歌人 平間長雅が移り住んで観音信仰を広めるなど衰退を繰り返す中で法灯を護持してきました。昭和興隆事業により、梵字をイメージした「ア字山」と「バン字池」からなる広く美しい庭園「虚空園=曼陀羅の庭」が配されています。今では、北摂の名所として定着し、四季を通じて草花木が楽しめる「花の寺」として人気を博しています。

旅行の満足度
5.0

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  • 阪急電車「池田」駅の阪急バス「西ターミナル」③番乗場から久安寺行(136系統)あるいは希望が丘4丁目行(26系統)に乗車して15分程で久安寺に到着します。<br />駐車場には境内マップが掲げられています。一見山寺風ですが、境内の奥行が600mもある大寺院で、絢爛豪華な錦絵巻空間が創られています。駐車場の脇から本坊へ抜ける道があるのですが、「最も美しい楼門」と称される楼門を表から見ない手はありません。と言うことで、まず楼門へ向かうことにします。<br /><br />阪急バスの時刻表です。<br />http://bus.hankyu.co.jp/rosen/0039.html<br />  <br />

    阪急電車「池田」駅の阪急バス「西ターミナル」③番乗場から久安寺行(136系統)あるいは希望が丘4丁目行(26系統)に乗車して15分程で久安寺に到着します。
    駐車場には境内マップが掲げられています。一見山寺風ですが、境内の奥行が600mもある大寺院で、絢爛豪華な錦絵巻空間が創られています。駐車場の脇から本坊へ抜ける道があるのですが、「最も美しい楼門」と称される楼門を表から見ない手はありません。と言うことで、まず楼門へ向かうことにします。

    阪急バスの時刻表です。
    http://bus.hankyu.co.jp/rosen/0039.html
     

  • 伏尾会館<br />坂を下リはじめてすぐ右側に見える伏尾会館の庭園です。見事に手入れされ、盆栽を彷彿とさせる一本の紅葉の樹が目を惹きつけます。<br />

    伏尾会館
    坂を下リはじめてすぐ右側に見える伏尾会館の庭園です。見事に手入れされ、盆栽を彷彿とさせる一本の紅葉の樹が目を惹きつけます。

  • 伏尾会館<br />威風堂々として異彩を放ち、存在感を顕にする紅葉のズームアップです。

    伏尾会館
    威風堂々として異彩を放ち、存在感を顕にする紅葉のズームアップです。

  • 楼門(重要文化財) <br />三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺き。金剛力士像を安置し、寺内最古の1145年(奈良時代)の建立で、室町時代初期に大修理され、その後江戸・明治時代に数回修復されています。「最も美しい楼門」と称され、羽根を広げ、今にも飛び立とうとする鳥の翼を彷彿とさせる軽やかな印象の楼門です。優雅な屋根の曲線は「水平のない軒反り」という独特の技が造り上げた優雅さと讃えられています。屋根の長辺、短辺ともに同じ曲線にする工夫は類を見ません。

    楼門(重要文化財)
    三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺き。金剛力士像を安置し、寺内最古の1145年(奈良時代)の建立で、室町時代初期に大修理され、その後江戸・明治時代に数回修復されています。「最も美しい楼門」と称され、羽根を広げ、今にも飛び立とうとする鳥の翼を彷彿とさせる軽やかな印象の楼門です。優雅な屋根の曲線は「水平のない軒反り」という独特の技が造り上げた優雅さと讃えられています。屋根の長辺、短辺ともに同じ曲線にする工夫は類を見ません。

  • 楼門<br />大阪府の北摂 池田市に伽藍を据える久安寺は、高野山真言宗の寺にして大澤山との山号を称し、秘仏 千手観世音菩薩を本尊に拝し、悠遠の代から歴史を称えた古刹です。安土桃山時代には豊臣秀吉も参拝し、月見茶会を開いたというエピソードも伝わります。今では北摂の名所として定着し、四季を通じて草花が愛でられる「花の寺」として多くの人々が訪れます。 <br />『伽藍開基記』によると、725年、聖武天皇の勅願により、行基が光明を放ちながら沢から出現した千手観音像を本尊として開創したと伝えられます。その後堂宇が整えられ、阿弥陀仏を安置する安養寺、地蔵菩薩を安置する菩薩寺、山中には慈恩寺が建立されました。「安養院」は天長年間に弘法大師によって真言密教の道場として栄えました。1140年に本堂以下諸堂が焼失しましたが、1154年(久安元年)に近衛天皇の勅願で賢実が再興し、年号により久安寺と称したそうです。以後勅願寺に列し、支院は49院を擁する大寺として隆盛しましたが、幕末の大嵐で一山の多くが崩壊し、明治初頭には坊中の「小坂院」だけが残り、1875年に久安寺と改名して跡を継ぎ、現在に至っています。<br />

    楼門
    大阪府の北摂 池田市に伽藍を据える久安寺は、高野山真言宗の寺にして大澤山との山号を称し、秘仏 千手観世音菩薩を本尊に拝し、悠遠の代から歴史を称えた古刹です。安土桃山時代には豊臣秀吉も参拝し、月見茶会を開いたというエピソードも伝わります。今では北摂の名所として定着し、四季を通じて草花が愛でられる「花の寺」として多くの人々が訪れます。
    『伽藍開基記』によると、725年、聖武天皇の勅願により、行基が光明を放ちながら沢から出現した千手観音像を本尊として開創したと伝えられます。その後堂宇が整えられ、阿弥陀仏を安置する安養寺、地蔵菩薩を安置する菩薩寺、山中には慈恩寺が建立されました。「安養院」は天長年間に弘法大師によって真言密教の道場として栄えました。1140年に本堂以下諸堂が焼失しましたが、1154年(久安元年)に近衛天皇の勅願で賢実が再興し、年号により久安寺と称したそうです。以後勅願寺に列し、支院は49院を擁する大寺として隆盛しましたが、幕末の大嵐で一山の多くが崩壊し、明治初頭には坊中の「小坂院」だけが残り、1875年に久安寺と改名して跡を継ぎ、現在に至っています。

  • 楼門<br />近衛帝の勅願額を掲げ、意匠を異にする三種の蛙股、先端が平らで先細りしない尾垂木などの和様に、頭貫の木鼻や正面の紅梁などの唐様建築の特徴を取り入れた優れた技も窺えます。奈良 西の京の喜光寺に再建された楼門は、この久安寺がモデルだそうです。<br />楼門に寄り添うかのような銀杏の大木も楼門に負けず劣らず立派な枝ぶりを披露しています。黄葉して樹形を朧ろに耀わせています。<br />

    楼門
    近衛帝の勅願額を掲げ、意匠を異にする三種の蛙股、先端が平らで先細りしない尾垂木などの和様に、頭貫の木鼻や正面の紅梁などの唐様建築の特徴を取り入れた優れた技も窺えます。奈良 西の京の喜光寺に再建された楼門は、この久安寺がモデルだそうです。
    楼門に寄り添うかのような銀杏の大木も楼門に負けず劣らず立派な枝ぶりを披露しています。黄葉して樹形を朧ろに耀わせています。

  • 楼門<br />参道を挟んで互いに絡み合う色鮮やかな紅葉のトンネルを楼門越しに眺めると、額縁効果も手伝ってまるで絵画を観ているような不思議な気分に陥ります。<br />

    楼門
    参道を挟んで互いに絡み合う色鮮やかな紅葉のトンネルを楼門越しに眺めると、額縁効果も手伝ってまるで絵画を観ているような不思議な気分に陥ります。

  • 楼門<br />紅色に彩られた紅葉のトンネルのズームアップです。脇に植えられた紅葉が参道に覆い被さる様は圧巻です。<br />

    楼門
    紅色に彩られた紅葉のトンネルのズームアップです。脇に植えられた紅葉が参道に覆い被さる様は圧巻です。

  • 楼門 阿形像(280cm)鎌倉時代の作品<br />自己主張の塊と思しき金剛力士像を親柱より後へ控えて安置した珍しい佛堂形式となっており、前面を広く、その親柱を高くして三間一戸の楼門をより壮大に見せる仕掛けになっています。<br /><br />

    楼門 阿形像(280cm)鎌倉時代の作品
    自己主張の塊と思しき金剛力士像を親柱より後へ控えて安置した珍しい佛堂形式となっており、前面を広く、その親柱を高くして三間一戸の楼門をより壮大に見せる仕掛けになっています。

  • 楼門 吽形像(254cm)室町時代初期の作品<br />風雨に曝されながらも佇んでおられる姿に雄々しさを感じずにはいられません。金剛力士像には表情が豊かな作品が多く、どれも深く印象に残ります。<br />金剛の名は、古代インドの武器「ヴァジュラ(vajra)」に由来し、金剛杵が諸物を砕破するように金剛の智慧が煩悩を打ち砕くようにとの願いが込められてるそうです。

    楼門 吽形像(254cm)室町時代初期の作品
    風雨に曝されながらも佇んでおられる姿に雄々しさを感じずにはいられません。金剛力士像には表情が豊かな作品が多く、どれも深く印象に残ります。
    金剛の名は、古代インドの武器「ヴァジュラ(vajra)」に由来し、金剛杵が諸物を砕破するように金剛の智慧が煩悩を打ち砕くようにとの願いが込められてるそうです。

  • 国道を挟んで楼門の反対側に聳える紅葉の古木を狙ったショットです。様々な樹木の紅葉加減がひとつの空間に折り重なり、自然が造形したグラデーションの妙に息を呑みます。旅行の楽しみのひとつは、普段なら見逃してしまうような光景をとらえることができることです。心にゆとりが持てるからでしょうか?<br />

    国道を挟んで楼門の反対側に聳える紅葉の古木を狙ったショットです。様々な樹木の紅葉加減がひとつの空間に折り重なり、自然が造形したグラデーションの妙に息を呑みます。旅行の楽しみのひとつは、普段なら見逃してしまうような光景をとらえることができることです。心にゆとりが持てるからでしょうか?

  • 境内への入口<br />楼門は鉄柵に囲われていて通り抜けることは叶いません。というのも、楼門のすぐ前にある国道423号線の交通量が多く、見通しも悪いため、交通事故を避けるために楼門を閉鎖したそうです。<br />楼門の右横にある勝手口の扉を手前に引いて境内へ入るのですが、そこには「猪・鹿・犬は通行禁止」と書かれています。開けっ放しにしておくと猪や鹿が入って来るため、バネ力で扉が閉まるようになっています。故に、動物が扉を押しても開きません。確か、パリのノートルダム大聖堂の敷地にも同じような仕掛けがなされていました。犬避けと言うことでしたが、万国共通の知恵のようです。<br />

    境内への入口
    楼門は鉄柵に囲われていて通り抜けることは叶いません。というのも、楼門のすぐ前にある国道423号線の交通量が多く、見通しも悪いため、交通事故を避けるために楼門を閉鎖したそうです。
    楼門の右横にある勝手口の扉を手前に引いて境内へ入るのですが、そこには「猪・鹿・犬は通行禁止」と書かれています。開けっ放しにしておくと猪や鹿が入って来るため、バネ力で扉が閉まるようになっています。故に、動物が扉を押しても開きません。確か、パリのノートルダム大聖堂の敷地にも同じような仕掛けがなされていました。犬避けと言うことでしたが、万国共通の知恵のようです。

  • 参道<br />楼門の右脇の勝手口を入れば、しっとりと苔むした風情ある石垣を背景に、秋色に染め上げた楓の老木が古刹の佇まいを華麗に演出します。<br />

    参道
    楼門の右脇の勝手口を入れば、しっとりと苔むした風情ある石垣を背景に、秋色に染め上げた楓の老木が古刹の佇まいを華麗に演出します。

  • 参道<br />楼門から続く参道脇にある紅葉の古木です。寄り添う樹木の梢の陰影が、光に透けて放たれる紅葉の彩をより一層高めてくれています。

    参道
    楼門から続く参道脇にある紅葉の古木です。寄り添う樹木の梢の陰影が、光に透けて放たれる紅葉の彩をより一層高めてくれています。

  • 参道<br />参道を少し進んで振り返ると、楼門が朱に染まっていました。<br />

    参道
    参道を少し進んで振り返ると、楼門が朱に染まっていました。

  • http://www.nihonnotoba3.sakura.ne.jp/2006to//kyuanji12.jpg<br />久安寺絵図(久安寺伽藍図):江戸期:仁王門・薬師堂・阿弥陀堂・金堂・釈迦堂・護摩堂・開山堂・その他小祠などの伽藍と55ほどの坊舎が描かれています。<br />

    http://www.nihonnotoba3.sakura.ne.jp/2006to//kyuanji12.jpg
    久安寺絵図(久安寺伽藍図):江戸期:仁王門・薬師堂・阿弥陀堂・金堂・釈迦堂・護摩堂・開山堂・その他小祠などの伽藍と55ほどの坊舎が描かれています。

  • http://www.nihonnotoba3.sakura.ne.jp/2006to//kyuanji11.jpg<br />摂州久安寺諸堂之図:五重塔が描かれていますが、この塔だけ絵から浮いている雰囲気があり、現実味がないため、言い伝えに基づいて描かれたものと思われます。<br />

    http://www.nihonnotoba3.sakura.ne.jp/2006to//kyuanji11.jpg
    摂州久安寺諸堂之図:五重塔が描かれていますが、この塔だけ絵から浮いている雰囲気があり、現実味がないため、言い伝えに基づいて描かれたものと思われます。

  • 本坊<br />薬医門の手前では高野山のイメージキャラクター「こうやくん」が出迎えてくれます。2015年の高野山開創1200年に向け、平成の高野聖としてイメージキャラクターを公募したものです。修行僧をモチーフに、明るく賢くしっかり者という人間的な暖かみが伝わってきます。デザインされたのは、東京都在住の立志哲洋さんです。

    本坊
    薬医門の手前では高野山のイメージキャラクター「こうやくん」が出迎えてくれます。2015年の高野山開創1200年に向け、平成の高野聖としてイメージキャラクターを公募したものです。修行僧をモチーフに、明るく賢くしっかり者という人間的な暖かみが伝わってきます。デザインされたのは、東京都在住の立志哲洋さんです。

  • 本坊<br />薬医門の奥には小坂院があり、長尾山を背景にどっしりと落ち着いた広がりは往時を偲ばせます。一時は勅願寺に列し、支院は49院を擁する大寺として隆盛しましたが、幕末に襲った大嵐によって一山の多くが崩壊の憂き目に合い、明治初頭に小坂院だけが残ったそうです。<br />手前にあるのは丸い具足池。立て札には次のように記されています。<br />『吾、唯、足るを知る心』。不足感を捨て、不満を口にしないで、と真ん丸い池からあふれる水が言う。岩上の修行大師に迎えられ、送られて、参拝者は、「合掌」自分を拝む。その向うに本堂。「ありがとうございます」とみんなに。お寺の中では、会った人に挨拶を。<br />禅における「吾唯足知」は、龍安寺の庭にある蹲踞(つくばい=手水鉢)に口へんを真ん中にし、他の四文字が彫られていたと記憶があります。人間の欲は深く、無くならないものだそうです。中でも「知りたい」という知識欲は、人の根源的な欲のひとつとされます。<br /><br /><br /><br />

    本坊
    薬医門の奥には小坂院があり、長尾山を背景にどっしりと落ち着いた広がりは往時を偲ばせます。一時は勅願寺に列し、支院は49院を擁する大寺として隆盛しましたが、幕末に襲った大嵐によって一山の多くが崩壊の憂き目に合い、明治初頭に小坂院だけが残ったそうです。
    手前にあるのは丸い具足池。立て札には次のように記されています。
    『吾、唯、足るを知る心』。不足感を捨て、不満を口にしないで、と真ん丸い池からあふれる水が言う。岩上の修行大師に迎えられ、送られて、参拝者は、「合掌」自分を拝む。その向うに本堂。「ありがとうございます」とみんなに。お寺の中では、会った人に挨拶を。
    禅における「吾唯足知」は、龍安寺の庭にある蹲踞(つくばい=手水鉢)に口へんを真ん中にし、他の四文字が彫られていたと記憶があります。人間の欲は深く、無くならないものだそうです。中でも「知りたい」という知識欲は、人の根源的な欲のひとつとされます。



  • 具足池<br />池の真ん中には小さな弘法大師像が佇んでおられます。険しい岩山を踏破している様子を表しているのでしょうか?その時、キラリと光るものが…。後光かと思いきや、クモの巣ではありませんか。掃除するすべもないのでしょう。<br />池の中にはクロモと思しき姿がありました。アジサイの季節には白い可憐な花を咲かせることでしょう。

    具足池
    池の真ん中には小さな弘法大師像が佇んでおられます。険しい岩山を踏破している様子を表しているのでしょうか?その時、キラリと光るものが…。後光かと思いきや、クモの巣ではありませんか。掃除するすべもないのでしょう。
    池の中にはクロモと思しき姿がありました。アジサイの季節には白い可憐な花を咲かせることでしょう。

  • 本坊<br />薬医門も楼門に劣らず均整の取れた美しいフォルムを誇らしげに披露しています。<br />屋根に視線を移すと、頂点にはシャチ、下がり棟の先には鬼、棟先には獅子の瓦が組まれています。薬師寺とほぼ同様の瓦が添えられており、ほぼ同年代に建てられたお寺だということが実感できます。間口一間ほどの狭い門には荷が重い瓦意匠にも感じますが、スッキリとバランスよく造られています。

    本坊
    薬医門も楼門に劣らず均整の取れた美しいフォルムを誇らしげに披露しています。
    屋根に視線を移すと、頂点にはシャチ、下がり棟の先には鬼、棟先には獅子の瓦が組まれています。薬師寺とほぼ同様の瓦が添えられており、ほぼ同年代に建てられたお寺だということが実感できます。間口一間ほどの狭い門には荷が重い瓦意匠にも感じますが、スッキリとバランスよく造られています。

  • 本坊<br />薬医門から本坊を覗いた景色です。このお寺は池田炭でも有名で、1145〜1870年まで700年の長きにわたり、久安寺から朝廷へ池田炭を献上していたそうです。しかも1595年には、秀吉が久安寺で観月の茶会を催し、その時にも池田炭が重宝されたそうです。 <br />

    本坊
    薬医門から本坊を覗いた景色です。このお寺は池田炭でも有名で、1145〜1870年まで700年の長きにわたり、久安寺から朝廷へ池田炭を献上していたそうです。しかも1595年には、秀吉が久安寺で観月の茶会を催し、その時にも池田炭が重宝されたそうです。

  • 参道と楼門<br />薬医門の前から振り返って見た楼門です。紅葉シーズン真っ盛りですので、人が途絶えることはめったにないのですが、千載一遇の光栄に与ることができました。<br />

    参道と楼門
    薬医門の前から振り返って見た楼門です。紅葉シーズン真っ盛りですので、人が途絶えることはめったにないのですが、千載一遇の光栄に与ることができました。

  • 榧(カヤ)の老木<br />豊臣秀吉お手植えの榧の木。参拝の折、境内ア字山にて月見茶会を催した記念に植えられたと伝えます。立札には、『天正の末、豊臣秀吉、共をひき連れ参拝した 四方の借景色豊かと讃え 三光神を祀り月見の宴を催した時 記念に手植えしたと伝える』とあります。<br />榧は将棋盤の材料として使われる樹木で、神社仏閣に植えられることも少なくないそうです。この老木も400年余りの歳月を経、人々の暮らしを見つめてきた歴史の生き証人です。徳川時代、秀吉ゆかりのものはことごとく壊されたそうですが、この樹木は難を逃れたのでしょう。時が経った明治初期、今度は徳川を讃える記念碑はことごとく壊されるか、隅に追いやられました。「時代は繰り返す」と言われますが、案外隅に追いやられたものほど確かな歴史の趣を遺しているのかもしれません。異様な形に伸びて苔むす老木は、現代社会に何を語りかけているのでしょうか?どことなく心惹かれる古木です。 <br /><br />榧の老木の左にあるのが、参拝受付です。ここから先は、拝観料300円が必要になります。

    榧(カヤ)の老木
    豊臣秀吉お手植えの榧の木。参拝の折、境内ア字山にて月見茶会を催した記念に植えられたと伝えます。立札には、『天正の末、豊臣秀吉、共をひき連れ参拝した 四方の借景色豊かと讃え 三光神を祀り月見の宴を催した時 記念に手植えしたと伝える』とあります。
    榧は将棋盤の材料として使われる樹木で、神社仏閣に植えられることも少なくないそうです。この老木も400年余りの歳月を経、人々の暮らしを見つめてきた歴史の生き証人です。徳川時代、秀吉ゆかりのものはことごとく壊されたそうですが、この樹木は難を逃れたのでしょう。時が経った明治初期、今度は徳川を讃える記念碑はことごとく壊されるか、隅に追いやられました。「時代は繰り返す」と言われますが、案外隅に追いやられたものほど確かな歴史の趣を遺しているのかもしれません。異様な形に伸びて苔むす老木は、現代社会に何を語りかけているのでしょうか?どことなく心惹かれる古木です。

    榧の老木の左にあるのが、参拝受付です。ここから先は、拝観料300円が必要になります。

  • 御影堂(遍照殿)<br />参道を左に折れると灯篭に見守られ苔むした石段が手招きします。<br />御厨子の中の弘法大師像を本尊とし、開祖の行基菩薩、中興の賢実上人の三祖師像を安置しています。このお堂自体は、明治末年まで現在霊園がある伽藍に建てられていたものを、弘法大師が留錫(僧侶が行脚中に他の寺で休むこと)した草庵の場所に移したものだそうです。 <br />

    御影堂(遍照殿)
    参道を左に折れると灯篭に見守られ苔むした石段が手招きします。
    御厨子の中の弘法大師像を本尊とし、開祖の行基菩薩、中興の賢実上人の三祖師像を安置しています。このお堂自体は、明治末年まで現在霊園がある伽藍に建てられていたものを、弘法大師が留錫(僧侶が行脚中に他の寺で休むこと)した草庵の場所に移したものだそうです。

  • 御影堂<br />ふと御影堂の屋根を仰ぎ見ると、澄み切った青空をキャンバスに、紅葉が思い思いに秋の彩を無造作に落としているのでした。色づき始めた楓の彩と光の織り成すハーモニーが日本人の琴線をおもいきり揺さぶります。<br />こうした風景を見るたびに日本に生まれてよかったと思います。何かインスピレーションを授けてもらったような気がします。 <br /><br />

    御影堂
    ふと御影堂の屋根を仰ぎ見ると、澄み切った青空をキャンバスに、紅葉が思い思いに秋の彩を無造作に落としているのでした。色づき始めた楓の彩と光の織り成すハーモニーが日本人の琴線をおもいきり揺さぶります。
    こうした風景を見るたびに日本に生まれてよかったと思います。何かインスピレーションを授けてもらったような気がします。

  • 御影堂<br />屋根に組まれた獅子の瓦。<br />

    御影堂
    屋根に組まれた獅子の瓦。

  • 御影堂<br />御影堂から俯瞰した本坊方面の紅葉です。<br />

    御影堂
    御影堂から俯瞰した本坊方面の紅葉です。

  • 御影堂<br />お堂の右横には、四国八十八ヶ所お砂ふみ巡拝霊場『弥勒山巡拝コ−ス』の入口があります。1時間かけて標高約1000mの森林浴が楽しめ、山頂からは海を眺めることもできるそうです。<br />

    御影堂
    お堂の右横には、四国八十八ヶ所お砂ふみ巡拝霊場『弥勒山巡拝コ−ス』の入口があります。1時間かけて標高約1000mの森林浴が楽しめ、山頂からは海を眺めることもできるそうです。

  • 御影堂<br />急峻な石段の脇には、万両がひっそりと赤い実をつけていました。この季節は燃え立つ紅葉の蔭に隠れ、衆目が留められることも少ないのでしょうね!<br />

    御影堂
    急峻な石段の脇には、万両がひっそりと赤い実をつけていました。この季節は燃え立つ紅葉の蔭に隠れ、衆目が留められることも少ないのでしょうね!

  • 本坊の紅葉を塀越しに撮影。

    本坊の紅葉を塀越しに撮影。

  • 本堂前<br />本堂前には、美しい黄葉を煌かせて聳える銀杏の樹があります。34年前に住職さんが植えられたものだそうです。その時は、幹も細く、背丈2m程しかなかったそうですが、このようにすくすくと立派な巨木に育ちました。<br />燈籠の前にある囲みは護摩壇です。花の時期には、本堂の石段の左右に一面五月が咲き乱れるそうです。<br />

    本堂前
    本堂前には、美しい黄葉を煌かせて聳える銀杏の樹があります。34年前に住職さんが植えられたものだそうです。その時は、幹も細く、背丈2m程しかなかったそうですが、このようにすくすくと立派な巨木に育ちました。
    燈籠の前にある囲みは護摩壇です。花の時期には、本堂の石段の左右に一面五月が咲き乱れるそうです。

  • 鐘楼堂<br />元禄年間の改修時、旧本堂の欅柱や寛文年間改修時の楼門の柱石を流用して建てられたそうです。資源循環型社会のお手本となるようなお堂です。反り返った大きな瓦屋根が斬新です。<br />

    鐘楼堂
    元禄年間の改修時、旧本堂の欅柱や寛文年間改修時の楼門の柱石を流用して建てられたそうです。資源循環型社会のお手本となるようなお堂です。反り返った大きな瓦屋根が斬新です。

  • 鐘楼堂<br />鐘を撞く手順が示されています。「はじめに真実あり、梵音となりて虚空に遍じ、心の耳を驚かせて仏性をさます。歓喜の声常に新たなり」。100円で2回ワンセットで撞くことができます。「大きな梵鐘は、黄色調の音色。作法に従って撞き、響く間、自分を拝む。その瞬間に運が開ける」と記されています。作法通りに撞きます。余韻がなくなるまで手を合わて瞑想します。それをもう1回繰り返します。鐘の響く中で瞑想すると心が洗われたような気がします。「開運の鐘」と名付られています。<br />

    鐘楼堂
    鐘を撞く手順が示されています。「はじめに真実あり、梵音となりて虚空に遍じ、心の耳を驚かせて仏性をさます。歓喜の声常に新たなり」。100円で2回ワンセットで撞くことができます。「大きな梵鐘は、黄色調の音色。作法に従って撞き、響く間、自分を拝む。その瞬間に運が開ける」と記されています。作法通りに撞きます。余韻がなくなるまで手を合わて瞑想します。それをもう1回繰り返します。鐘の響く中で瞑想すると心が洗われたような気がします。「開運の鐘」と名付られています。

  • 鐘楼堂<br />お堂の4隅にはそれぞれ異なる意匠の雲中供養菩薩が安置されています。鐘の残響の中で瞑想している間、ずっと誰かに見守られているような視線を感じたのは、この方々のなせる業だったのでしょう。<br />

    鐘楼堂
    お堂の4隅にはそれぞれ異なる意匠の雲中供養菩薩が安置されています。鐘の残響の中で瞑想している間、ずっと誰かに見守られているような視線を感じたのは、この方々のなせる業だったのでしょう。

  • 腰掛石 <br />現在、鐘楼堂の脇に移された「腰掛石」は、元は境内にある小山「ア字山」の山頂に鎮座していたもので、秀吉が観月の際に腰掛けた石だそうです。山内を一望するため、秀吉だけでなく、歴代の高僧もここに座って境内や諸堂を眺めながら憩いのひとときを過ごしただろうことが偲ばれます。<br /><br />

    腰掛石
    現在、鐘楼堂の脇に移された「腰掛石」は、元は境内にある小山「ア字山」の山頂に鎮座していたもので、秀吉が観月の際に腰掛けた石だそうです。山内を一望するため、秀吉だけでなく、歴代の高僧もここに座って境内や諸堂を眺めながら憩いのひとときを過ごしただろうことが偲ばれます。

  • 腰掛石に座って仰ぎ見た佳景です。往時、秀吉が「ア字山」で腰掛けて眺めた風景とは全く異なりますが、それに勝るとも劣らない景色を眺められる場所を選りすぐられたのでしょう。

    腰掛石に座って仰ぎ見た佳景です。往時、秀吉が「ア字山」で腰掛けて眺めた風景とは全く異なりますが、それに勝るとも劣らない景色を眺められる場所を選りすぐられたのでしょう。

  • 紫式部の実<br />鐘楼堂の傍らに密やかに実っていました。<br />クマツヅラ科ムラサキシキブ属の落葉低木。葉が鋸葉になっているのがコムラサキとの区別の仕方です。<br />深みのある紫色の実は日本的な典雅さを秘め、なんともいえない優美さです。昔は、鑑賞だけでなく実を染料に用いたそうです。<br />花言葉は、愛され上手・上品・聡明 。 <br /><br /><br /><br /><br />

    紫式部の実
    鐘楼堂の傍らに密やかに実っていました。
    クマツヅラ科ムラサキシキブ属の落葉低木。葉が鋸葉になっているのがコムラサキとの区別の仕方です。
    深みのある紫色の実は日本的な典雅さを秘め、なんともいえない優美さです。昔は、鑑賞だけでなく実を染料に用いたそうです。
    花言葉は、愛され上手・上品・聡明 。




  • 本堂  <br />沢から出現した本尊 千手観音像(秘仏)が祀られている観音堂です。本堂は大悲殿とも呼ばれ、1023年に一条天皇の勅願により定朝が千手観音像を刻し、安産を祈願して沢から出現したと伝えられる千手観音像を胎内に納めたそうです。今年250年ぶりに御開帳された京都 勝林寺の秘仏 毘沙門天の胎内像と同類のものです。因みに、定朝の千手観音像の手の数は42本(一般的)だそうです。<br />1140年、前身の安養院は灰塵に帰しましたが、薬師如来像、阿弥陀菩薩像は損傷を免れ、本尊 千手観音像は岩の上に飛翔し、光明を放ったと伝えられています。<br />本尊 千手観音像の他、定朝作 千手観音像、南北朝期の不動明王、多聞天の両脇侍、四天王、両界曼荼羅、八祖図像尊を祀っています。結縁、安産、学業、繁盛の祈願所で、摂津国33箇所霊場第19番札所でもあります。<br />

    本堂
    沢から出現した本尊 千手観音像(秘仏)が祀られている観音堂です。本堂は大悲殿とも呼ばれ、1023年に一条天皇の勅願により定朝が千手観音像を刻し、安産を祈願して沢から出現したと伝えられる千手観音像を胎内に納めたそうです。今年250年ぶりに御開帳された京都 勝林寺の秘仏 毘沙門天の胎内像と同類のものです。因みに、定朝の千手観音像の手の数は42本(一般的)だそうです。
    1140年、前身の安養院は灰塵に帰しましたが、薬師如来像、阿弥陀菩薩像は損傷を免れ、本尊 千手観音像は岩の上に飛翔し、光明を放ったと伝えられています。
    本尊 千手観音像の他、定朝作 千手観音像、南北朝期の不動明王、多聞天の両脇侍、四天王、両界曼荼羅、八祖図像尊を祀っています。結縁、安産、学業、繁盛の祈願所で、摂津国33箇所霊場第19番札所でもあります。

  • 本堂の右側にある薬師堂の瓦葺屋根に映える朱に染まった紅葉です。

    本堂の右側にある薬師堂の瓦葺屋根に映える朱に染まった紅葉です。

  • 普供養の庭<br />本堂〜三十三所堂の空間に造られているのが、阿弥陀堂(無量寿殿)の前庭と称される普供養の庭。このお庭は、散策できるように細い小路が通されています。<br />供養菩薩遊化の庭とも称され、金剛界曼荼羅供養教学の実践を勧め、供養の功徳が得られる哲学的な空間が創られています。<br /><br />

    普供養の庭
    本堂〜三十三所堂の空間に造られているのが、阿弥陀堂(無量寿殿)の前庭と称される普供養の庭。このお庭は、散策できるように細い小路が通されています。
    供養菩薩遊化の庭とも称され、金剛界曼荼羅供養教学の実践を勧め、供養の功徳が得られる哲学的な空間が創られています。

  • 普供養の庭<br />生かし生かされる業を讃える石舞台に、風に揺れる色艶やかな楓の老木が無量寿経を歌い上げ、弘法大師ゆかりの光明泉が妙適の水を供養しています。折り重なる樹木の陰影には供養天女の姿が偲ばれ、庭石の上には朧げな供養菩薩の姿が浮遊するような錯覚に陥ります。<br />ここに佇んでいると、己も供養菩薩になったようなそんな錯覚を覚えます。<br /><br />

    普供養の庭
    生かし生かされる業を讃える石舞台に、風に揺れる色艶やかな楓の老木が無量寿経を歌い上げ、弘法大師ゆかりの光明泉が妙適の水を供養しています。折り重なる樹木の陰影には供養天女の姿が偲ばれ、庭石の上には朧げな供養菩薩の姿が浮遊するような錯覚に陥ります。
    ここに佇んでいると、己も供養菩薩になったようなそんな錯覚を覚えます。

  • 今夏は少雨かつ炎暑が連日続き、また秋口には数多の台風が来襲し、秋を彩ることが叶わなずにちぢれて枯れてしまった楓の葉も多かったようです。そんな楓の葉の一生に思いを馳せながら心静かに境内を巡ると、より一層感じ入るものがあります。<br />

    今夏は少雨かつ炎暑が連日続き、また秋口には数多の台風が来襲し、秋を彩ることが叶わなずにちぢれて枯れてしまった楓の葉も多かったようです。そんな楓の葉の一生に思いを馳せながら心静かに境内を巡ると、より一層感じ入るものがあります。

  • 本堂前に佇む銀杏の黄葉が、眼に鮮やかです。<br />

    本堂前に佇む銀杏の黄葉が、眼に鮮やかです。

  • 本堂<br />本堂正面から薬師堂方面を撮った風景です。突然、静寂を打ち破るかのような和太鼓の音が境内に鳴り響きました。とても山寺とは思えない雰囲気です。

    本堂
    本堂正面から薬師堂方面を撮った風景です。突然、静寂を打ち破るかのような和太鼓の音が境内に鳴り響きました。とても山寺とは思えない雰囲気です。

  • 混雑を気にしてわざわざ前日の「もみじ茶会」を外して訪れたのですが、当てが外れて薬師堂前の広場には人が溢れていました。池田くれはロータリークラブ主催「ふれあい広場」が開催され、和太鼓、落語、模擬店、茶店等の趣向で深まる秋の一日を皆さん思い思いに過ごされていました。お祭りが始まる前に鐘が撞けてよかったです。<br /><br />

    混雑を気にしてわざわざ前日の「もみじ茶会」を外して訪れたのですが、当てが外れて薬師堂前の広場には人が溢れていました。池田くれはロータリークラブ主催「ふれあい広場」が開催され、和太鼓、落語、模擬店、茶店等の趣向で深まる秋の一日を皆さん思い思いに過ごされていました。お祭りが始まる前に鐘が撞けてよかったです。

  • 薬師堂<br />背景にあるのは比較的大きな建造物の薬師堂なのですが、紅葉に隠れてしまって、かろうじて屋根瓦が一部拝める状態です。

    薬師堂
    背景にあるのは比較的大きな建造物の薬師堂なのですが、紅葉に隠れてしまって、かろうじて屋根瓦が一部拝める状態です。

  • 本堂 回廊<br />金色に煌く黄葉の銀杏を借景に、吊られた宝鐸がよく映えます。<br />

    本堂 回廊
    金色に煌く黄葉の銀杏を借景に、吊られた宝鐸がよく映えます。

  • 本堂 回廊<br />回廊の左脇に、ひときわ目を惹く鮮やかな紫紅色の紅葉が顔を覗かせています。この樹は「野村楓」と呼ばれ、春と秋に紅葉する珍しい種類だそうです。野村楓は別名イロハモミジと呼ばれ、江戸時代から伝わる春に紅葉する珍しい樹木です。オオモミジ系カエデの園芸品種で、葉は大きく、春は暗紫色、夏は深緑色、秋は紫紅色に彩を変えます。<br />

    本堂 回廊
    回廊の左脇に、ひときわ目を惹く鮮やかな紫紅色の紅葉が顔を覗かせています。この樹は「野村楓」と呼ばれ、春と秋に紅葉する珍しい種類だそうです。野村楓は別名イロハモミジと呼ばれ、江戸時代から伝わる春に紅葉する珍しい樹木です。オオモミジ系カエデの園芸品種で、葉は大きく、春は暗紫色、夏は深緑色、秋は紫紅色に彩を変えます。

  • 三十三所堂<br />西の弥勒山を背景に、西国三十三観音を祀っています。<br /><br />阿弥陀堂(無量寿殿)<br />三十三所堂のさらに奥にあり、屋根だけを覗かせているのは床式の阿弥陀堂。久安寺の前身、塔頭安養寺の旧本尊と推定され、平安時代後期のものとされる阿弥陀如来坐像(重文)が納められています。折角の重文なのですが、ここは入堂できないそうです。<br />

    三十三所堂
    西の弥勒山を背景に、西国三十三観音を祀っています。

    阿弥陀堂(無量寿殿)
    三十三所堂のさらに奥にあり、屋根だけを覗かせているのは床式の阿弥陀堂。久安寺の前身、塔頭安養寺の旧本尊と推定され、平安時代後期のものとされる阿弥陀如来坐像(重文)が納められています。折角の重文なのですが、ここは入堂できないそうです。

  • 本堂 回廊<br />野村楓のズームアップです。秋口に襲来した台風の影響でしょうか、葉が傷んでいるのが目立ちます。

    本堂 回廊
    野村楓のズームアップです。秋口に襲来した台風の影響でしょうか、葉が傷んでいるのが目立ちます。

  • 本堂 回廊<br />本堂の周囲にある水路に浮かぶ散紅葉。今年は紅葉が遅かったのか、まだほとんど散っていません。貴重な散紅葉と言えます。

    本堂 回廊
    本堂の周囲にある水路に浮かぶ散紅葉。今年は紅葉が遅かったのか、まだほとんど散っていません。貴重な散紅葉と言えます。

  • 本堂 回廊<br />渡し回廊の白壁と紅葉のコントラストが絶妙です。

    本堂 回廊
    渡し回廊の白壁と紅葉のコントラストが絶妙です。

  • 渡し回廊<br />本堂と三十三所堂を結ぶ渡し回廊から普供養の庭方面を眺めた景色です。<br />

    渡し回廊
    本堂と三十三所堂を結ぶ渡し回廊から普供養の庭方面を眺めた景色です。

  • 渡し回廊<br />普供養の庭の緑と思い思いに紅葉した樹木が見事に調和し、錦絵のような艶やかな雰囲気を醸しています。

    渡し回廊
    普供養の庭の緑と思い思いに紅葉した樹木が見事に調和し、錦絵のような艶やかな雰囲気を醸しています。

  • 渡し回廊<br />様々に彩られた樹木が入り乱れて折り重なることで、一種独特の控えめで上品な和の世界を創生しています。平安朝を彷彿とさせる雅な気分に浸れる思いがします。

    渡し回廊
    様々に彩られた樹木が入り乱れて折り重なることで、一種独特の控えめで上品な和の世界を創生しています。平安朝を彷彿とさせる雅な気分に浸れる思いがします。

  • 渡し回廊<br />「紅葉狩り」の文化はいつ頃からあったのでしょうか?<br />日本最古の歌集「万葉集」にはすでに紅葉の美しさを愛でる多くの歌が詠まれています。そのため、少なくとも1200年前に紅葉狩りが行われていたことは確実です。「源氏物語」では、貴族の雅な遊びのひとつとして紅葉狩りをするシーンが登場します。そんな貴族の習慣を真似し、江戸時代には庶民も紅葉狩りへ出かけるようになったそうです。春の梅、桜とともに日本人のDNAをくすぐるものがあるのでしょう。

    渡し回廊
    「紅葉狩り」の文化はいつ頃からあったのでしょうか?
    日本最古の歌集「万葉集」にはすでに紅葉の美しさを愛でる多くの歌が詠まれています。そのため、少なくとも1200年前に紅葉狩りが行われていたことは確実です。「源氏物語」では、貴族の雅な遊びのひとつとして紅葉狩りをするシーンが登場します。そんな貴族の習慣を真似し、江戸時代には庶民も紅葉狩りへ出かけるようになったそうです。春の梅、桜とともに日本人のDNAをくすぐるものがあるのでしょう。

  • 渡し回廊<br />渡し回廊から虚空園(コクウエン)を眺めた景色です。<br />本堂脇から真っ直ぐに延びる「両果の道」を挟み、右に梵字をイメージした「ア(生命)字山」、左に「バン(心)字池」を瞑想させる仏の世界を具現化した壮大な美しい庭園が広がっています。造園家 荒木芳邦氏が手がけた1万平方mにもおよぶ自然空間は「虚空園=曼陀羅の庭」と呼ばれ、四季を通じて色とりどりの草花木を愛でられ、あたかも自然界を凝縮した絵図を見ているようです。ここでは、瞑想、静寂、自然への思慮、忙しない日常への反省などをじっくりと味わうことができ、氏の真骨頂が余す所なく発揮された秀逸な庭園と言えます。<br /><br />

    渡し回廊
    渡し回廊から虚空園(コクウエン)を眺めた景色です。
    本堂脇から真っ直ぐに延びる「両果の道」を挟み、右に梵字をイメージした「ア(生命)字山」、左に「バン(心)字池」を瞑想させる仏の世界を具現化した壮大な美しい庭園が広がっています。造園家 荒木芳邦氏が手がけた1万平方mにもおよぶ自然空間は「虚空園=曼陀羅の庭」と呼ばれ、四季を通じて色とりどりの草花木を愛でられ、あたかも自然界を凝縮した絵図を見ているようです。ここでは、瞑想、静寂、自然への思慮、忙しない日常への反省などをじっくりと味わうことができ、氏の真骨頂が余す所なく発揮された秀逸な庭園と言えます。

  • 虚空園<br />荒木芳邦氏(1921〜1997年)は、池田出身の昭和を代表する造園家。京都の庭師「植治」氏(七代目小川治兵衞氏)の孫弟子に当たります。因みに、植治氏は円山公園や平安神宮神苑の日本庭園を手がけ、「手を加えた自然にこそ自然がある」が信条の厳格な庭師。荒木芳邦氏は、関西とドイツに多くの日本庭園を残しています。作風は、大胆かつ直截的な景観造りが特徴。ダイナミックな階段状の滝、自然風造園に突如挿入される正円の園地、外来種を積極的に用いたカラフルな植栽、荒木積みとも言われる韓国式石積み等が挙げられます。代表作には、リーガロイヤルホテル大阪庭園、北山山荘庭園など。ドイツ ハンブルクのコンベンション・センターとメッセ間にある日本庭園は、氏が造園したヨーロッパ最大の日本庭園です。<br /><br />

    虚空園
    荒木芳邦氏(1921〜1997年)は、池田出身の昭和を代表する造園家。京都の庭師「植治」氏(七代目小川治兵衞氏)の孫弟子に当たります。因みに、植治氏は円山公園や平安神宮神苑の日本庭園を手がけ、「手を加えた自然にこそ自然がある」が信条の厳格な庭師。荒木芳邦氏は、関西とドイツに多くの日本庭園を残しています。作風は、大胆かつ直截的な景観造りが特徴。ダイナミックな階段状の滝、自然風造園に突如挿入される正円の園地、外来種を積極的に用いたカラフルな植栽、荒木積みとも言われる韓国式石積み等が挙げられます。代表作には、リーガロイヤルホテル大阪庭園、北山山荘庭園など。ドイツ ハンブルクのコンベンション・センターとメッセ間にある日本庭園は、氏が造園したヨーロッパ最大の日本庭園です。

  • 虚空園 枝垂れ槐(えんじゅ)<br />先の写真の左手前の白い立看板のところをズームインしてみましょう。「枝垂れ槐」と書かれています。<br />マメ科マメ亜科クララ属。花期は7〜8月で、可憐な黄白色の蝶形花が咲きます。 槐は、中国北部原産で日本には古代に渡来したと言われています。記念樹に使われることが多いのは、「エンジュ」と「延寿」をかけて縁起を担いだものですが、元々中国では出世の樹として庭に植える風習があるそうです。<br />槐の言われは、昔、中国の『槐位』という位を象徴する銘木と言われ、周の時代の朝廷に三公があり、それぞれの庭の三本の槐の木に面して座った事から三公の位を示す木になったと言われます。文字の言われは、昔、お面などを槐の木で彫刻し、家の鬼門に置いた事から、木辺に鬼で槐と書きます。また、地方によっては、延寿と書き、長寿や安産のお守りに使われることもあるそうです。難産の時、この木の枝を握らせると苦しまずに赤ちゃんが産めると言う事です。これらの故事から槐の木は魔除け・長寿・安産・幸せの木として尊ばれています。 <br />

    虚空園 枝垂れ槐(えんじゅ)
    先の写真の左手前の白い立看板のところをズームインしてみましょう。「枝垂れ槐」と書かれています。
    マメ科マメ亜科クララ属。花期は7〜8月で、可憐な黄白色の蝶形花が咲きます。 槐は、中国北部原産で日本には古代に渡来したと言われています。記念樹に使われることが多いのは、「エンジュ」と「延寿」をかけて縁起を担いだものですが、元々中国では出世の樹として庭に植える風習があるそうです。
    槐の言われは、昔、中国の『槐位』という位を象徴する銘木と言われ、周の時代の朝廷に三公があり、それぞれの庭の三本の槐の木に面して座った事から三公の位を示す木になったと言われます。文字の言われは、昔、お面などを槐の木で彫刻し、家の鬼門に置いた事から、木辺に鬼で槐と書きます。また、地方によっては、延寿と書き、長寿や安産のお守りに使われることもあるそうです。難産の時、この木の枝を握らせると苦しまずに赤ちゃんが産めると言う事です。これらの故事から槐の木は魔除け・長寿・安産・幸せの木として尊ばれています。 

  • 虚空園<br />頭を垂れたススキと鏡のように滑らかな池の水面、そして艶やかな紅葉のコラボレーションです。どれが主役で、どれが脇役なのか?それは貴方次第です。<br />

    虚空園
    頭を垂れたススキと鏡のように滑らかな池の水面、そして艶やかな紅葉のコラボレーションです。どれが主役で、どれが脇役なのか?それは貴方次第です。

  • 虚空園<br />荒木芳邦氏お得意のダイナミックな小滝の演出です。供養菩薩が水しぶきを浴びながら涼しげに佇んでおられます。

    虚空園
    荒木芳邦氏お得意のダイナミックな小滝の演出です。供養菩薩が水しぶきを浴びながら涼しげに佇んでおられます。

  • 虚空園 ジュラシックツリー<br />ジュラ紀から生きているといわれるジュラシックツリー。世界最古の種子植物とされるナンヨウスギ科の針葉樹です。これまで最古とされてきた第三紀のメタセコイアより更に古く、現存する最古の種子植物で希少種だそうです。名前は日本でつけられた愛称で、世界共通名では、Wollemi Pineと呼ばれます。1994年にオーストラリアのウォレマイ国立公園内の渓谷で発見された1億5千万年前の生き残りです。深緑色をした葉を持つ針葉樹で、幹は複数に分かれ、高さ35〜40mに育つそうです。和の象徴でもあるお寺には、不釣合いなような気がしないでも…。<br />

    虚空園 ジュラシックツリー
    ジュラ紀から生きているといわれるジュラシックツリー。世界最古の種子植物とされるナンヨウスギ科の針葉樹です。これまで最古とされてきた第三紀のメタセコイアより更に古く、現存する最古の種子植物で希少種だそうです。名前は日本でつけられた愛称で、世界共通名では、Wollemi Pineと呼ばれます。1994年にオーストラリアのウォレマイ国立公園内の渓谷で発見された1億5千万年前の生き残りです。深緑色をした葉を持つ針葉樹で、幹は複数に分かれ、高さ35〜40mに育つそうです。和の象徴でもあるお寺には、不釣合いなような気がしないでも…。

  • 虚空園<br />本殿の瓦葺屋根に映える紅色の紅葉。

    虚空園
    本殿の瓦葺屋根に映える紅色の紅葉。

  • 虚空園<br />バン字池方面を俯瞰した光景です。

    虚空園
    バン字池方面を俯瞰した光景です。

  • 虚空園<br />小高い丘のような所に登ると一段と森が深くなります。木立の隙間から木漏れ日がこぼれ、紅葉がスポットライトを浴びて煌く様は、「照紅葉(てりもみじ)」と形容してもよいでしょう。森の暗さを背景に一際目を惹く一時の光景です。

    虚空園
    小高い丘のような所に登ると一段と森が深くなります。木立の隙間から木漏れ日がこぼれ、紅葉がスポットライトを浴びて煌く様は、「照紅葉(てりもみじ)」と形容してもよいでしょう。森の暗さを背景に一際目を惹く一時の光景です。

  • 虚空園<br />逆光はナイーブな色合いを演出してくれます。<br />

    虚空園
    逆光はナイーブな色合いを演出してくれます。

  • 地蔵堂<br />両界曼荼羅の地蔵菩薩を安置しています。右脇には、沙羅の木(ナツツバキ)が佇んでいます。<br /><br />葉が緑色なのは、クロロフィル(葉緑素)が緑色の色素だからで、これが太陽光を受けると光合成を行って澱粉を作ります。秋になって気温が下がると樹木は越冬のために葉を落す準備を始め、葉の付け根に離層を形成します。離層が形成されると、葉は根から充分な水を供給されない反面、日光を浴び続けるので光合成が行われます。しかし、生成された澱粉は離層のために枝に移動できず、分解されて糖になります。このため葉の中の酸度が増加して葉緑素は破壊され、アミノ酸になります。葉は、糖とアミノ酸から赤色の色素アントシアニンを合成して紅葉となります。葉には、カロティノイドという黄色の色素もあり、葉緑素と同様に光合成をしています。銀杏などは、アントシアニンを合成する力がなく、葉緑素が壊れる速さに比べてカロティノイドの壊れる速度がゆっくりなので黄葉が目立つようになります。<br />紅葉の色合いには、気温の変化が多大に影響します。急に寒くなり、昼夜の寒暖の差が大きくなると、葉緑素の老化が速く進み、糖とアミノ酸がより多く蓄積され、そこに葉緑素が残っていると、緑・赤・黄の美しいグラデーションを彩ります。<br />紅葉の色を観察してみると、同じ種類の木あるいはそれぞれの葉毎に色が微妙に違います。これは同じ種類の木でも遺伝的な潜在性の差があるのと、同じ木でも日射量の差などで部位別に澱粉の量に差があるためだそうです。 <br />

    地蔵堂
    両界曼荼羅の地蔵菩薩を安置しています。右脇には、沙羅の木(ナツツバキ)が佇んでいます。

    葉が緑色なのは、クロロフィル(葉緑素)が緑色の色素だからで、これが太陽光を受けると光合成を行って澱粉を作ります。秋になって気温が下がると樹木は越冬のために葉を落す準備を始め、葉の付け根に離層を形成します。離層が形成されると、葉は根から充分な水を供給されない反面、日光を浴び続けるので光合成が行われます。しかし、生成された澱粉は離層のために枝に移動できず、分解されて糖になります。このため葉の中の酸度が増加して葉緑素は破壊され、アミノ酸になります。葉は、糖とアミノ酸から赤色の色素アントシアニンを合成して紅葉となります。葉には、カロティノイドという黄色の色素もあり、葉緑素と同様に光合成をしています。銀杏などは、アントシアニンを合成する力がなく、葉緑素が壊れる速さに比べてカロティノイドの壊れる速度がゆっくりなので黄葉が目立つようになります。
    紅葉の色合いには、気温の変化が多大に影響します。急に寒くなり、昼夜の寒暖の差が大きくなると、葉緑素の老化が速く進み、糖とアミノ酸がより多く蓄積され、そこに葉緑素が残っていると、緑・赤・黄の美しいグラデーションを彩ります。
    紅葉の色を観察してみると、同じ種類の木あるいはそれぞれの葉毎に色が微妙に違います。これは同じ種類の木でも遺伝的な潜在性の差があるのと、同じ木でも日射量の差などで部位別に澱粉の量に差があるためだそうです。

  • 真紅に染め上げた楓が、地蔵堂の瓦屋根に覆い被さるかのように迫り来る様相に映ります。

    真紅に染め上げた楓が、地蔵堂の瓦屋根に覆い被さるかのように迫り来る様相に映ります。

  • 晩秋の柔らかな陽射しに透かして見ると、徐々に紅色へと移ろいで行く楓の葉のグラデーションが穏やかに映ります。<br />

    晩秋の柔らかな陽射しに透かして見ると、徐々に紅色へと移ろいで行く楓の葉のグラデーションが穏やかに映ります。

  • 何故落葉する前に紅葉するのかと言えば、土中に含まれるバクテリアによって分解されて樹木の養分になり易いように、光合成で蓄えた澱粉を糖やアミノ酸に変えるためです。散り際に及んでなお子孫繁栄のために尽くすという生き様には、頭が下がる思いがします。森林など肥料を与えなくても樹木が立派に育つのは、落ち葉が腐葉土になることによって樹木が養分を吸収できるからです。 <br /><br />

    何故落葉する前に紅葉するのかと言えば、土中に含まれるバクテリアによって分解されて樹木の養分になり易いように、光合成で蓄えた澱粉を糖やアミノ酸に変えるためです。散り際に及んでなお子孫繁栄のために尽くすという生き様には、頭が下がる思いがします。森林など肥料を与えなくても樹木が立派に育つのは、落ち葉が腐葉土になることによって樹木が養分を吸収できるからです。

  • 行基像<br />行基は久安寺の開創と伝えられ、1998年秋に行基菩薩の1250回忌記念に建立されました。行基菩薩は、仏教を民衆に説き「文殊菩薩」と呼ばれ尊ばれました。像としては珍しく、にこやかに笑っておられます。回りには子供の地蔵が立ち並び、行基菩薩の業績を称えている様が微笑ましく映ります。

    行基像
    行基は久安寺の開創と伝えられ、1998年秋に行基菩薩の1250回忌記念に建立されました。行基菩薩は、仏教を民衆に説き「文殊菩薩」と呼ばれ尊ばれました。像としては珍しく、にこやかに笑っておられます。回りには子供の地蔵が立ち並び、行基菩薩の業績を称えている様が微笑ましく映ります。

  • 仏塔舎利殿<br />最近完成した、涅槃仏像を祀るパゴダ風石造りの仏塔で、九輪が金色に輝いています。大正年間まではこの場所に本堂があったそうです。空海弘法大使入唐求法の大偉業1200年の記念に中国福建省の石材を使用して建立されたそうです。<br />

    仏塔舎利殿
    最近完成した、涅槃仏像を祀るパゴダ風石造りの仏塔で、九輪が金色に輝いています。大正年間まではこの場所に本堂があったそうです。空海弘法大使入唐求法の大偉業1200年の記念に中国福建省の石材を使用して建立されたそうです。

  • 両果の道<br />弘法大師をイメージした灯篭が立ち並ぶ「両果の道」。灯篭はまだ新しく、寄進者の銘が刻まれています。大阪府内の方々が多いのですが、遠方からの寄進者もあります。どことなく高野山の奥の院の縮小版を彷彿とさせる雰囲気が漂っています。

    両果の道
    弘法大師をイメージした灯篭が立ち並ぶ「両果の道」。灯篭はまだ新しく、寄進者の銘が刻まれています。大阪府内の方々が多いのですが、遠方からの寄進者もあります。どことなく高野山の奥の院の縮小版を彷彿とさせる雰囲気が漂っています。

  • 毎年、木の葉は紅葉し、やがて落葉します。どうせまた春に葉を付けるのなら、何も毎年落葉させることもないのではと思えます。何故落葉するのでしょうか?<br />これには3つの理由があるそうです。1つ目は、葉に溜まった老廃物を捨てるためです。葉には時間と共に老廃物が蓄積されますが、その老廃物を捨てる方法がなく、仕方なく毎年落葉させるというのです。 2つ目は、樹木が葉っぱをリストラするというのです。葉は春〜夏の間には強い日光を浴び、光合成によって沢山のエネルギーを生み出し、樹木に供給します。しかし、秋〜冬の間は葉が生み出すエネルギーは小さくなり、むしろ葉を維持するために消費するエネルギーの方が大きくなってしまい、樹木に負担がかかってしまいます。そこで、やむなく落葉にしてしまうのだそうです。<br />3つ目は、前出の子孫のための養分となるためです。<br />個人的には、新芽が発する微弱な疼きを葉が捉え、自ら勇退するというのもあるのではないかと思います。GHQのダグラス・マッカーサーが退役スピーチで語った、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という言葉が妙に折り重なります。この言葉自体には多様な解釈があるのですが、枯葉の気持ちを代弁するにはぴったりの言葉ではないでしょうか?<br />

    毎年、木の葉は紅葉し、やがて落葉します。どうせまた春に葉を付けるのなら、何も毎年落葉させることもないのではと思えます。何故落葉するのでしょうか?
    これには3つの理由があるそうです。1つ目は、葉に溜まった老廃物を捨てるためです。葉には時間と共に老廃物が蓄積されますが、その老廃物を捨てる方法がなく、仕方なく毎年落葉させるというのです。 2つ目は、樹木が葉っぱをリストラするというのです。葉は春〜夏の間には強い日光を浴び、光合成によって沢山のエネルギーを生み出し、樹木に供給します。しかし、秋〜冬の間は葉が生み出すエネルギーは小さくなり、むしろ葉を維持するために消費するエネルギーの方が大きくなってしまい、樹木に負担がかかってしまいます。そこで、やむなく落葉にしてしまうのだそうです。
    3つ目は、前出の子孫のための養分となるためです。
    個人的には、新芽が発する微弱な疼きを葉が捉え、自ら勇退するというのもあるのではないかと思います。GHQのダグラス・マッカーサーが退役スピーチで語った、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という言葉が妙に折り重なります。この言葉自体には多様な解釈があるのですが、枯葉の気持ちを代弁するにはぴったりの言葉ではないでしょうか?

  • 仏塔舎利殿<br />内陣正面には全長6.4mもある巨大な石造りの釈迦涅槃像が安置されています。釈迦入滅時の釈迦牟尼佛の穏やかな尊顔が拝観できます。手前の2本の柱には、十大弟子の石像が5体ずつ彫られています。涅槃像の奥側にも参拝通路があり、そこには多数の仏像が祀られています。また、壁には「生誕」「出城」「修行」「布施」「降魔」「初転法輪」と記され、釈迦の一生の一部分の様子が石で刻まれています。<br />

    仏塔舎利殿
    内陣正面には全長6.4mもある巨大な石造りの釈迦涅槃像が安置されています。釈迦入滅時の釈迦牟尼佛の穏やかな尊顔が拝観できます。手前の2本の柱には、十大弟子の石像が5体ずつ彫られています。涅槃像の奥側にも参拝通路があり、そこには多数の仏像が祀られています。また、壁には「生誕」「出城」「修行」「布施」「降魔」「初転法輪」と記され、釈迦の一生の一部分の様子が石で刻まれています。

  • 仏塔舎利殿の「慈母の庭」の切り立った崖に生えていた紅葉です。葉が細かいので自生する山紅葉の種類なのかもしれません。燃えたぎるような勢いに圧倒されます。

    仏塔舎利殿の「慈母の庭」の切り立った崖に生えていた紅葉です。葉が細かいので自生する山紅葉の種類なのかもしれません。燃えたぎるような勢いに圧倒されます。

  • 地蔵堂の瓦葺屋根を借景に、朱雀池の脇に立ち並ぶ紅色に染まった紅葉を激写。他より大量の日光を浴び、一足先に紅葉真っ盛りです。<br />

    地蔵堂の瓦葺屋根を借景に、朱雀池の脇に立ち並ぶ紅色に染まった紅葉を激写。他より大量の日光を浴び、一足先に紅葉真っ盛りです。

  • 光の濃淡が紡ぎだす幻影。思わずドキッとするような艶やかな情景。<br />

    光の濃淡が紡ぎだす幻影。思わずドキッとするような艶やかな情景。

  • 背景を暗くすると紅葉の輪郭がはっきりし、引き締まった画像になります。<br />

    背景を暗くすると紅葉の輪郭がはっきりし、引き締まった画像になります。

  • オレンジ色に染まった楓が一際美しい「ア字山」は、昔から鎮守山、月見山と呼ばれた小高い山です。そこのお山の番人は、石段の手前左に佇むお地蔵様。<br />

    オレンジ色に染まった楓が一際美しい「ア字山」は、昔から鎮守山、月見山と呼ばれた小高い山です。そこのお山の番人は、石段の手前左に佇むお地蔵様。

  • ア字山にある三光社へ続く苔生した石段です。オレンジ色に染まった紅葉を仰ぎながら、一段ずつゆっくりと登っていきます。<br />

    ア字山にある三光社へ続く苔生した石段です。オレンジ色に染まった紅葉を仰ぎながら、一段ずつゆっくりと登っていきます。

  • 重なる木の葉の陰影がアクセントになっている、透かし紅葉。<br />色とりどりの千切り絵のような紅葉。同じ樹でも見る方向や光の加減で印象が全く異なります。個人的には真っ赤に染めあげた妖艶な紅葉より、グラデーションの妙を見せるものの方が好みです。写真もどちらかと言うと順光で撮ったものより逆光気味に透かしたものが多くなっています。影絵作家 藤城清治氏やステンドグラスの影響を受けているのでしょうね。<br /><br />

    重なる木の葉の陰影がアクセントになっている、透かし紅葉。
    色とりどりの千切り絵のような紅葉。同じ樹でも見る方向や光の加減で印象が全く異なります。個人的には真っ赤に染めあげた妖艶な紅葉より、グラデーションの妙を見せるものの方が好みです。写真もどちらかと言うと順光で撮ったものより逆光気味に透かしたものが多くなっています。影絵作家 藤城清治氏やステンドグラスの影響を受けているのでしょうね。

  • 童謡「もみじ」そのものの風景が広がっています。因みに、「もみじ」のモデルとなった場所は、かつて群馬県の碓氷峠を通っていたJR信越本線の熊ノ平駅だそうです。作詞家 高野辰之氏が、駅から眺めた紅葉に感動して歌詞を書きました。信越本線は高崎駅から新潟駅までを結ぶ長距離路線の駅でしたが、1997年の長野新幹線開通に伴い、熊ノ平駅を含む横川から軽井沢間のみ廃線になり、現在、当時と同じ景色を眺めることは叶わないそうです。文明の発達によって破壊されたかけがえのない自然があったことを忘れてはならないでしょう。

    童謡「もみじ」そのものの風景が広がっています。因みに、「もみじ」のモデルとなった場所は、かつて群馬県の碓氷峠を通っていたJR信越本線の熊ノ平駅だそうです。作詞家 高野辰之氏が、駅から眺めた紅葉に感動して歌詞を書きました。信越本線は高崎駅から新潟駅までを結ぶ長距離路線の駅でしたが、1997年の長野新幹線開通に伴い、熊ノ平駅を含む横川から軽井沢間のみ廃線になり、現在、当時と同じ景色を眺めることは叶わないそうです。文明の発達によって破壊されたかけがえのない自然があったことを忘れてはならないでしょう。

  • 三光社<br />豊臣秀吉参拝の折、三光大善神に祈願したと伝え、 日天、月天妙見尊星王と大宇宙の真理を司る、厄除開運の大善神として信仰を集めました。この三光社を祀る小山をア字山と呼び、秀吉 が観月の茶会を催したと伝えられています。<br />鐘楼堂の前に移された腰掛石は、元はこの山頂にあったものです。「ア字山」からは山内を一望できるため、歴代の高僧も腰を下ろしたであろうことが偲ばれます。秀吉は「三光尊」と称した「日天(太陽)・月天(月)・妙見尊星王(北極星)」を崇拝し、それを祀るための祠です。 <br />

    三光社
    豊臣秀吉参拝の折、三光大善神に祈願したと伝え、 日天、月天妙見尊星王と大宇宙の真理を司る、厄除開運の大善神として信仰を集めました。この三光社を祀る小山をア字山と呼び、秀吉 が観月の茶会を催したと伝えられています。
    鐘楼堂の前に移された腰掛石は、元はこの山頂にあったものです。「ア字山」からは山内を一望できるため、歴代の高僧も腰を下ろしたであろうことが偲ばれます。秀吉は「三光尊」と称した「日天(太陽)・月天(月)・妙見尊星王(北極星)」を崇拝し、それを祀るための祠です。

  • 斑に紅色の濃淡が見られます。

    斑に紅色の濃淡が見られます。

  • ア字山の紅葉。斜陽に照らされ、折り重なるオレンジ色の紅葉の濃淡が息をのむ美しさです。

    ア字山の紅葉。斜陽に照らされ、折り重なるオレンジ色の紅葉の濃淡が息をのむ美しさです。

  • 「ア字山」は楓の巨木の密生地帯です。山の斜面に生えているため、斜陽が透けて溜息がでそうなくらいに色鮮やかな錦絵を描き上げています。 <br />

    「ア字山」は楓の巨木の密生地帯です。山の斜面に生えているため、斜陽が透けて溜息がでそうなくらいに色鮮やかな錦絵を描き上げています。

  • 木漏れ日のスポットライトを浴びた紅葉。

    木漏れ日のスポットライトを浴びた紅葉。

  • ア字山の紅葉。

    ア字山の紅葉。

  • 両果の道から本堂の裏側を眺めた景色です。

    両果の道から本堂の裏側を眺めた景色です。

  • 薬師堂の右に佇む、境内で一番赤く染まった紅葉。「濃紅葉(こもみじ)」と表現してもよいと思います。<br />「濃紅葉に 涙せきくる 如何にせん」 (高浜虚子) <br />

    薬師堂の右に佇む、境内で一番赤く染まった紅葉。「濃紅葉(こもみじ)」と表現してもよいと思います。
    「濃紅葉に 涙せきくる 如何にせん」 (高浜虚子)

  • 濃紅葉<br />背景は薬師堂の屋根瓦です。

    濃紅葉
    背景は薬師堂の屋根瓦です。

  • 薬師堂(瑠璃光殿)<br />1991年に完成し、薬師霊場本尊の阿閃(あしゅく)薬師如来立像(市指定重文)を安置しています。西方阿弥陀浄土に対して東方薬師浄土と言い、阿弥陀堂に対峙して建てられています。薬師如来立像の左掌には薬壷が窺えます。医薬を司る仏で医王という別名もあり、衆生の病気を治し、安楽を与える仏とされます。しかし、通常の脇侍である日光・月光菩薩は春属の十二神将を従えず、その代わりに曼荼羅図を掲げるだけで、実に質素な祭壇となっています。祭壇には白菜がお供えされていましたが、どんな由来があるのか判りません。<br /><br />

    薬師堂(瑠璃光殿)
    1991年に完成し、薬師霊場本尊の阿閃(あしゅく)薬師如来立像(市指定重文)を安置しています。西方阿弥陀浄土に対して東方薬師浄土と言い、阿弥陀堂に対峙して建てられています。薬師如来立像の左掌には薬壷が窺えます。医薬を司る仏で医王という別名もあり、衆生の病気を治し、安楽を与える仏とされます。しかし、通常の脇侍である日光・月光菩薩は春属の十二神将を従えず、その代わりに曼荼羅図を掲げるだけで、実に質素な祭壇となっています。祭壇には白菜がお供えされていましたが、どんな由来があるのか判りません。

  • 名残は尽きませんが、ア字山の麓に生い茂るオレンジ色の紅葉をもう一度振り返り、これで見納めです。心まで錦色に染め上がりました。<br /><br />後編は、大阪の奥座敷「不死王閣」、インスタントラーメン発明記念館、呉服神社をお届けします。

    名残は尽きませんが、ア字山の麓に生い茂るオレンジ色の紅葉をもう一度振り返り、これで見納めです。心まで錦色に染め上がりました。

    後編は、大阪の奥座敷「不死王閣」、インスタントラーメン発明記念館、呉服神社をお届けします。

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