嵐山・嵯峨野・太秦・桂旅行記(ブログ) 一覧に戻る
高円宮家の次女 典子さまと出雲大社宮司を代々務める千家家の長男 国麿さんの婚約が内定したと、宮内庁が吉報を発表しました。隣国の悲惨な事故報道が続いたこともあり、久々の明るいニュースに日本国中がお祝いムードに酔いしれています。<br />「松風水月」とは、松に吹く風や水に映える月などの自然を静かに澄んだ気持ちで観賞する心境を表します。本州の入梅を目前に、前回の離宮つながりとこの宮家の吉報にあやかり、念願だった「桂離宮」を参観してまいりました。参観は午後でしたので、午前中は桂離宮と同じく洛西(古来は葛野と呼ばれた地)にある「松尾大社」を訪ねました。<br /><br />松尾山の麓に広がる松尾大社は、賀茂神社と並び京都最古の神社と言われ、10~11世紀の社格制度22社の上7社のうち、京都にある5社のひとつに数えられています。また、上賀茂・下鴨神社と並んで王城鎮護の社とされ、洛西の総氏神でもあり、『枕草子』にも「神は松の尾」としたためられています。<br />御祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)と言う農耕の男神と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)=中津島媛命と言う航海安全の神様の男女2柱。8世紀までは社殿もなく、松尾山の頂上付近に祀った巨岩の磐座を神の宿として信仰されていました。<br />日本第一酒造神(お酒の神様)としても祀られるようになったのは16世紀半以降です。酒蔵が女人禁制なのは酒の女神である「松尾さま」がやきもちを焼くからだなんて話もあるほどです。<br /><br /><br />

松風水月 葛野紀行①松尾大社<前編>

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2014/05/30 - 2014/05/30

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

高円宮家の次女 典子さまと出雲大社宮司を代々務める千家家の長男 国麿さんの婚約が内定したと、宮内庁が吉報を発表しました。隣国の悲惨な事故報道が続いたこともあり、久々の明るいニュースに日本国中がお祝いムードに酔いしれています。
「松風水月」とは、松に吹く風や水に映える月などの自然を静かに澄んだ気持ちで観賞する心境を表します。本州の入梅を目前に、前回の離宮つながりとこの宮家の吉報にあやかり、念願だった「桂離宮」を参観してまいりました。参観は午後でしたので、午前中は桂離宮と同じく洛西(古来は葛野と呼ばれた地)にある「松尾大社」を訪ねました。

松尾山の麓に広がる松尾大社は、賀茂神社と並び京都最古の神社と言われ、10~11世紀の社格制度22社の上7社のうち、京都にある5社のひとつに数えられています。また、上賀茂・下鴨神社と並んで王城鎮護の社とされ、洛西の総氏神でもあり、『枕草子』にも「神は松の尾」としたためられています。
御祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)と言う農耕の男神と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)=中津島媛命と言う航海安全の神様の男女2柱。8世紀までは社殿もなく、松尾山の頂上付近に祀った巨岩の磐座を神の宿として信仰されていました。
日本第一酒造神(お酒の神様)としても祀られるようになったのは16世紀半以降です。酒蔵が女人禁制なのは酒の女神である「松尾さま」がやきもちを焼くからだなんて話もあるほどです。


旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
私鉄
  • 阪急電鉄 嵐山線<br />阪急電鉄 京都線「桂」駅で嵐山線に乗り継ぎ、5分程で「松尾大社」駅に着きます。<br />

    阪急電鉄 嵐山線
    阪急電鉄 京都線「桂」駅で嵐山線に乗り継ぎ、5分程で「松尾大社」駅に着きます。

  • 阪急電鉄 嵐山線 松尾大社駅<br />改札口には中学生と思しき姿が見られます。この時期は、修学旅行のシーズンでもあり、京都の街では学生の姿が絶えることはありません。<br />最近はタクシーを利用して京都巡りをするリッチな修学旅行生も多いようですが、公共交通機関と徒歩で名所旧跡を巡るという計画は立派だと思います。地域の人々との何気ない交流や触合いが、生涯忘れられない思い出にならんことを祈る気持ちです。

    阪急電鉄 嵐山線 松尾大社駅
    改札口には中学生と思しき姿が見られます。この時期は、修学旅行のシーズンでもあり、京都の街では学生の姿が絶えることはありません。
    最近はタクシーを利用して京都巡りをするリッチな修学旅行生も多いようですが、公共交通機関と徒歩で名所旧跡を巡るという計画は立派だと思います。地域の人々との何気ない交流や触合いが、生涯忘れられない思い出にならんことを祈る気持ちです。

  • 松尾大社 一の鳥居<br />改札口を抜けるとすぐ左手に、清々しい新緑の松尾山とその上に広がる青空を借景に朱色の鳥居が映えています。扁額「松尾大神」を掲げた鳥居のその右脇には、酒器のひとつである巨大な一組の「瓶子」のオブジェが参拝客を出迎え、松尾大社がお酒の神様であることを諭してくれます。<br /><br />京都市を東西に走る四条通。中心部は四条河原町という繁華街になりますが、西端になるこの辺りは鄙びて静寂感が漂う地です。その四条通の西の「どんつき」にこの鳥居が建てられています。この鳥居は古いものではなく、1994年に平安遷都1200年を記念して建てられたものです。<br />因みに、四条通の東の「どんつき」にあるのは、祇園祭で有名な八坂神社です。<br /><br />

    松尾大社 一の鳥居
    改札口を抜けるとすぐ左手に、清々しい新緑の松尾山とその上に広がる青空を借景に朱色の鳥居が映えています。扁額「松尾大神」を掲げた鳥居のその右脇には、酒器のひとつである巨大な一組の「瓶子」のオブジェが参拝客を出迎え、松尾大社がお酒の神様であることを諭してくれます。

    京都市を東西に走る四条通。中心部は四条河原町という繁華街になりますが、西端になるこの辺りは鄙びて静寂感が漂う地です。その四条通の西の「どんつき」にこの鳥居が建てられています。この鳥居は古いものではなく、1994年に平安遷都1200年を記念して建てられたものです。
    因みに、四条通の東の「どんつき」にあるのは、祇園祭で有名な八坂神社です。

  • 松尾大社 義民 市原清兵衛の石碑<br />江戸時代に自らを犠牲にして「出稼ぎ禁足令」を出した藩に直訴し、杜氏の仕事を守ったとされる丹波杜氏の恩人「市原清兵衛」の石碑です。今の世に美酒を愛でられるのはこの方のおかげです。感謝!<br />元禄時代、丹波篠山から農閑期に池田や伊丹へ酒造稼ぎに行くことが盛んになりました。しかし、宝暦、天明時代になると凶作が続きました。篠山藩では、農民が酒造で稼ぐため田畑の管理が疎かになっているのが原因だとし、厳しい「出稼ぎ禁足令」を発し、違反者には厳罰を科しました。村々の窮状を知った今田市原村の清兵衛は、1800年に子息 佐七と共に藩主に直訴に及びました。父子は捕えられ入牢されましたが、命を賭した二人の願いは2年後に実を結び、藩は秋彼岸より3月までの100日間の酒造出稼ぎを許可し、さらに杜氏と脇杜氏に限って酒焚、土用洗い、渋染めの夏居30日を認めました。父子はその後、永牢から解放され、村々の人たちから温かく迎えられました。しかし藩が1石の年貢に1石5升を納めよという厳しい年貢の取りたてをするに至り、父子は再度直訴に及びました。しかし、その途上、相模藤沢の宿で藩の刺客によって殺されたとも永久追放されたとも伝えられています

    松尾大社 義民 市原清兵衛の石碑
    江戸時代に自らを犠牲にして「出稼ぎ禁足令」を出した藩に直訴し、杜氏の仕事を守ったとされる丹波杜氏の恩人「市原清兵衛」の石碑です。今の世に美酒を愛でられるのはこの方のおかげです。感謝!
    元禄時代、丹波篠山から農閑期に池田や伊丹へ酒造稼ぎに行くことが盛んになりました。しかし、宝暦、天明時代になると凶作が続きました。篠山藩では、農民が酒造で稼ぐため田畑の管理が疎かになっているのが原因だとし、厳しい「出稼ぎ禁足令」を発し、違反者には厳罰を科しました。村々の窮状を知った今田市原村の清兵衛は、1800年に子息 佐七と共に藩主に直訴に及びました。父子は捕えられ入牢されましたが、命を賭した二人の願いは2年後に実を結び、藩は秋彼岸より3月までの100日間の酒造出稼ぎを許可し、さらに杜氏と脇杜氏に限って酒焚、土用洗い、渋染めの夏居30日を認めました。父子はその後、永牢から解放され、村々の人たちから温かく迎えられました。しかし藩が1石の年貢に1石5升を納めよという厳しい年貢の取りたてをするに至り、父子は再度直訴に及びました。しかし、その途上、相模藤沢の宿で藩の刺客によって殺されたとも永久追放されたとも伝えられています

  • 松尾大社 洛西用水竣功記念碑<br />秦氏の開削に起源を持つという洛西用水は、保津川(大堰川)から取水し、西京区一帯を潤している用水です。1948年から改修整備工事が行われ、1967年に完工しました。この碑はその竣功を記念したものです。

    松尾大社 洛西用水竣功記念碑
    秦氏の開削に起源を持つという洛西用水は、保津川(大堰川)から取水し、西京区一帯を潤している用水です。1948年から改修整備工事が行われ、1967年に完工しました。この碑はその竣功を記念したものです。

  • 松尾大社 二の鳥居(大鳥居)<br />参道を進むと一の鳥居より少し小ぶりな二の鳥居が待ち受けています。<br />多くの神社では楼門や神門を区切りに通路を曲げてあることが多いのですが、ここではこの大鳥居が区切りになっています。

    松尾大社 二の鳥居(大鳥居)
    参道を進むと一の鳥居より少し小ぶりな二の鳥居が待ち受けています。
    多くの神社では楼門や神門を区切りに通路を曲げてあることが多いのですが、ここではこの大鳥居が区切りになっています。

  • 松尾大社 二の鳥居<br />鳥居を見上げると、枯れた木の枝のようなものが吊り下げられています。<br />柱と柱を結ぶ注連縄に垂れ下がっているのは、穢を祓う力があるとされる榊の小枝を束ねたもの。年始に瑞々しい榊の枝を束ねて吊るしたものが枯れたものです。<br />これを脇勧請(わきかんじょう)と称し、榊の束数は平年は12本、閏年は13本吊り下げる慣わしになっているそうです。この形は鳥居の原始形式を示し、太古の昔に参道の両側に2本の木を植えて神を迎え、柱と柱の間に縄を張り、その年の月数だけの細縄を垂れ、月々の農作物の出来具合を占ったとされる風習です。

    松尾大社 二の鳥居
    鳥居を見上げると、枯れた木の枝のようなものが吊り下げられています。
    柱と柱を結ぶ注連縄に垂れ下がっているのは、穢を祓う力があるとされる榊の小枝を束ねたもの。年始に瑞々しい榊の枝を束ねて吊るしたものが枯れたものです。
    これを脇勧請(わきかんじょう)と称し、榊の束数は平年は12本、閏年は13本吊り下げる慣わしになっているそうです。この形は鳥居の原始形式を示し、太古の昔に参道の両側に2本の木を植えて神を迎え、柱と柱の間に縄を張り、その年の月数だけの細縄を垂れ、月々の農作物の出来具合を占ったとされる風習です。

  • 松尾大社 狛犬<br />右にあるのが阿形の狛犬。<br />大正14年の奉納と記されていますが、背中からおしりにかけては苔むして古風ないでたちです。頭は苔を剥いでもらったのか、黒ずんでいます。

    松尾大社 狛犬
    右にあるのが阿形の狛犬。
    大正14年の奉納と記されていますが、背中からおしりにかけては苔むして古風ないでたちです。頭は苔を剥いでもらったのか、黒ずんでいます。

  • 松尾大社 狛犬<br />左に控えるのは吽形の狛犬です。

    松尾大社 狛犬
    左に控えるのは吽形の狛犬です。

  • 松尾大社 穴の開いた石碑<br />人目を憚るようにひっそりと奥まった所に佇む、独特の雰囲気を醸す石碑です。薬師信仰の中には石碑に穴を開けるものがあるようですが、松尾大社は薬師信仰とは無縁です。<br />どんな理由で丸い穴が開けられているのか不明ですが、碑文には天正三年の文字が読み取れます。かなりの草書体なので当方にそれ以上の碑文の判読は困難です。よくぞこんな凹凸のある岩肌に碑文を刻んだものです。<br />因みに、天正3年(1575年)といえば、その5月に織田・徳川連合軍と武田勝頼の間で長篠の戦いが起こった年に当たります。<br />

    松尾大社 穴の開いた石碑
    人目を憚るようにひっそりと奥まった所に佇む、独特の雰囲気を醸す石碑です。薬師信仰の中には石碑に穴を開けるものがあるようですが、松尾大社は薬師信仰とは無縁です。
    どんな理由で丸い穴が開けられているのか不明ですが、碑文には天正三年の文字が読み取れます。かなりの草書体なので当方にそれ以上の碑文の判読は困難です。よくぞこんな凹凸のある岩肌に碑文を刻んだものです。
    因みに、天正3年(1575年)といえば、その5月に織田・徳川連合軍と武田勝頼の間で長篠の戦いが起こった年に当たります。

  • 松尾大社 駕輿丁船(かよちょうぶね)<br />松尾祭、通称『おいで』と呼ばれるお祭の中で、神輿6基を船に乗せ渡御する「船渡御(ふなとぎょ)」に使われる駕輿丁船です。<br />松尾祭は、洛西では最も有名な祭で、毎年4月20日以後の第1日曜日に神幸祭、その3週間後の日曜日に還幸祭が行われます。由緒書きには平安時代の清和天皇の貞観年中(859〜876)に始まったと記されています。<br />神幸祭では、分霊された祭神が松尾7社と呼ばれる月読神社・櫟谷社・宗像社・四之社・大宮社・衣手社・三宮社の7つの神輿に遷られて出発し、途中、桂川を駕輿丁船に乗って渡御します。そして、対岸の河原斎場に7基の神輿が揃うと神事が行われ、その後、各神輿は、それぞれの御旅所に向かいます。月読神社・四之社・宗像社・櫟谷社・大宮社の5つの神輿は西七条御旅所へ、また、衣手社は末社の衣手社の御旅所、三宮社は末社・三宮神社の御旅所へと向います。<br />神輿は3つの御旅所に安置され、3週間後に還幸祭が行われます。還幸祭では、各御旅所を出発した神輿は、一旦、西寺跡の旭の杜に集まって祭典を行った後、今度は末社 松尾総神社の朱雀御旅所に立ち寄って神事を行い、その後、松尾大橋を渡って松尾大社に帰還するという壮大なお祭りです。

    松尾大社 駕輿丁船(かよちょうぶね)
    松尾祭、通称『おいで』と呼ばれるお祭の中で、神輿6基を船に乗せ渡御する「船渡御(ふなとぎょ)」に使われる駕輿丁船です。
    松尾祭は、洛西では最も有名な祭で、毎年4月20日以後の第1日曜日に神幸祭、その3週間後の日曜日に還幸祭が行われます。由緒書きには平安時代の清和天皇の貞観年中(859〜876)に始まったと記されています。
    神幸祭では、分霊された祭神が松尾7社と呼ばれる月読神社・櫟谷社・宗像社・四之社・大宮社・衣手社・三宮社の7つの神輿に遷られて出発し、途中、桂川を駕輿丁船に乗って渡御します。そして、対岸の河原斎場に7基の神輿が揃うと神事が行われ、その後、各神輿は、それぞれの御旅所に向かいます。月読神社・四之社・宗像社・櫟谷社・大宮社の5つの神輿は西七条御旅所へ、また、衣手社は末社の衣手社の御旅所、三宮社は末社・三宮神社の御旅所へと向います。
    神輿は3つの御旅所に安置され、3週間後に還幸祭が行われます。還幸祭では、各御旅所を出発した神輿は、一旦、西寺跡の旭の杜に集まって祭典を行った後、今度は末社 松尾総神社の朱雀御旅所に立ち寄って神事を行い、その後、松尾大橋を渡って松尾大社に帰還するという壮大なお祭りです。

  • 松尾大社 楼門<br />左右に随神を配置したこの楼門は、江戸時代初期の造営と伝わっています。<br />松尾大社は22社に列せられ、それらの中でも皇室鎮護の神社になっていただけあって堂々とした楼門です。松尾大社の神紋は双葉葵ですが、楼門に提げられているのは皇室紋の十六菊です。<br />松尾大社の建造物は、この楼門を代表に下鴨神社とは一線を画した趣があり、全体的に地味かつ無骨ながら、重厚荘厳で落ち着いた雰囲気でパワーをいただいたように身が引き締まる思いがします。

    松尾大社 楼門
    左右に随神を配置したこの楼門は、江戸時代初期の造営と伝わっています。
    松尾大社は22社に列せられ、それらの中でも皇室鎮護の神社になっていただけあって堂々とした楼門です。松尾大社の神紋は双葉葵ですが、楼門に提げられているのは皇室紋の十六菊です。
    松尾大社の建造物は、この楼門を代表に下鴨神社とは一線を画した趣があり、全体的に地味かつ無骨ながら、重厚荘厳で落ち着いた雰囲気でパワーをいただいたように身が引き締まる思いがします。

  • 松尾大社 ブラシノキ<br />楼門の手前右側にある、その名も見た目ズバリの「ブラシノキ」です。<br />フトモモ科ブラシノキ属の常緑小高木。別名カリステモン。学名のカリステモンはギリシャ語で「美しい雄しべ」という意味です。<br />オーストラリア原産で日本には明治中期ごろに渡来しました。5〜6月頃に開花し、花弁は緑で小さくて目立ちませんが、赤色の長い花糸が目立ちます。穂状花房は雄シベの先に金粉が付いているように光ります。花序全体がブラシのように見えることが名の由来です。花序の先から枝が伸びるという珍しい特徴を持ちます。

    松尾大社 ブラシノキ
    楼門の手前右側にある、その名も見た目ズバリの「ブラシノキ」です。
    フトモモ科ブラシノキ属の常緑小高木。別名カリステモン。学名のカリステモンはギリシャ語で「美しい雄しべ」という意味です。
    オーストラリア原産で日本には明治中期ごろに渡来しました。5〜6月頃に開花し、花弁は緑で小さくて目立ちませんが、赤色の長い花糸が目立ちます。穂状花房は雄シベの先に金粉が付いているように光ります。花序全体がブラシのように見えることが名の由来です。花序の先から枝が伸びるという珍しい特徴を持ちます。

  • 松尾大社 楼門<br />楼門の両脇の随神の周囲に張り巡らせた金網には、沢山の杓子が奉納されています。これは、よろずの願い事を書いてここに掲げておけば救われると言う信仰によるもので、祈願杓子とも言われています。<br />つまり、杓子は御飯をすくうことから、「救う神」とかけたものです。

    松尾大社 楼門
    楼門の両脇の随神の周囲に張り巡らせた金網には、沢山の杓子が奉納されています。これは、よろずの願い事を書いてここに掲げておけば救われると言う信仰によるもので、祈願杓子とも言われています。
    つまり、杓子は御飯をすくうことから、「救う神」とかけたものです。

  • 松尾大社 楼門<br />楼門は随神門でもあり、邪悪なものが神域に入るのを防ぐために左右の随神が弓を持って守っています。随神は、神仏習合時代に仁王像から影響を受けたものだそうです。それ故、阿吽の形態を採り、こちらの右側は吽形になっています。<br />因みに、「随神」とは、神社などを守る神様を指します。その神様は、随神門などに安置され、矢大神・左大神という俗称で呼ばれることもあります。左右2神共、弓と矢を携え剣を帯びていますが、これはその昔、武装して貴人の護衛にあたった近衛府の舎人の姿で、彼らは「随身」と呼ばれていました。その随身が転じて、主神に従い守護するという意味で随神となったそうです。

    松尾大社 楼門
    楼門は随神門でもあり、邪悪なものが神域に入るのを防ぐために左右の随神が弓を持って守っています。随神は、神仏習合時代に仁王像から影響を受けたものだそうです。それ故、阿吽の形態を採り、こちらの右側は吽形になっています。
    因みに、「随神」とは、神社などを守る神様を指します。その神様は、随神門などに安置され、矢大神・左大神という俗称で呼ばれることもあります。左右2神共、弓と矢を携え剣を帯びていますが、これはその昔、武装して貴人の護衛にあたった近衛府の舎人の姿で、彼らは「随身」と呼ばれていました。その随身が転じて、主神に従い守護するという意味で随神となったそうです。

  • 松尾大社 楼門<br />5世紀、朝鮮半島から弓月君を祖とする秦一族が入植し、先端技術を用いて山城丹波の両国に水路を走らせて土地を開拓し、やがて一帯を治めた秦氏は松尾の神を一族の総氏神と定めました。そして飛鳥時代最末期の701年文武天皇の勅命により、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が社殿を創建。賀茂両社とともに皇城鎮護の社として「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と東西並び称されました。秦都理は娘の知満留女を斎女として奉仕させ、その子孫が明治初年まで幹部神職を勤めました。また秦氏が渡来時、美酒の醸造技術に長けていた所以もあり、お酒の神様として知られるようになりました。

    松尾大社 楼門
    5世紀、朝鮮半島から弓月君を祖とする秦一族が入植し、先端技術を用いて山城丹波の両国に水路を走らせて土地を開拓し、やがて一帯を治めた秦氏は松尾の神を一族の総氏神と定めました。そして飛鳥時代最末期の701年文武天皇の勅命により、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が社殿を創建。賀茂両社とともに皇城鎮護の社として「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と東西並び称されました。秦都理は娘の知満留女を斎女として奉仕させ、その子孫が明治初年まで幹部神職を勤めました。また秦氏が渡来時、美酒の醸造技術に長けていた所以もあり、お酒の神様として知られるようになりました。

  • 松尾大社 楼門<br />左側の吽形の随神です。

    松尾大社 楼門
    左側の吽形の随神です。

  • 松尾大社 一の井川 <br />楼門を潜ると一の井川と呼ばれる水路が流れています。川の周囲には約3000株のヤマブキが植えら、花が咲く頃(4月中旬〜5月初旬)には、辺り一面が山吹色に染まるそうです。<br />この水路は、秦氏が造った「葛野大堰(かどのおおい)」から流れる農業用水です。実際に当時の水路の遺構も松尾大社付近で発掘されたそうです<br />仁徳天皇の時代に茨田堤建設に協力した秦氏は、淀川上流の桂川にも葛野大堰を築きました。大土木工事により大堰を建設して、桂川(葛野川)の流れを堰止めて右岸に水路を敷設して農業用水を嵯峨野に流しました。この灌漑工事のおかげで、嵯峨野は肥沃な農地となり、秦氏は膨大な財力を手にし、平安京を実現する礎となったそうです。

    松尾大社 一の井川 
    楼門を潜ると一の井川と呼ばれる水路が流れています。川の周囲には約3000株のヤマブキが植えら、花が咲く頃(4月中旬〜5月初旬)には、辺り一面が山吹色に染まるそうです。
    この水路は、秦氏が造った「葛野大堰(かどのおおい)」から流れる農業用水です。実際に当時の水路の遺構も松尾大社付近で発掘されたそうです
    仁徳天皇の時代に茨田堤建設に協力した秦氏は、淀川上流の桂川にも葛野大堰を築きました。大土木工事により大堰を建設して、桂川(葛野川)の流れを堰止めて右岸に水路を敷設して農業用水を嵯峨野に流しました。この灌漑工事のおかげで、嵯峨野は肥沃な農地となり、秦氏は膨大な財力を手にし、平安京を実現する礎となったそうです。

  • 松尾大社 手水舎<br />手水舎には中学生と思しき修学旅行生の姿があります。<br />タクシーの運転手さんがさかんに手水の作法を説明をなされていますが、馬耳東風でいきなりお水を飲んでいました。<br />日本の将来は大丈夫なのでしょうか???

    松尾大社 手水舎
    手水舎には中学生と思しき修学旅行生の姿があります。
    タクシーの運転手さんがさかんに手水の作法を説明をなされていますが、馬耳東風でいきなりお水を飲んでいました。
    日本の将来は大丈夫なのでしょうか???

  • 松尾大社 手水舎<br />古来、「亀」と「鯉」は、松尾大神様のお使いと伝えられています。そんなわけで、境内には「亀」と「鯉」のオブジェが点在しています。<br />手水舎の水もこの神社の神使である亀を象った口から流されています。<br />ここの手水囲は、京造酒屋中が願主となって奉納されたものです。

    松尾大社 手水舎
    古来、「亀」と「鯉」は、松尾大神様のお使いと伝えられています。そんなわけで、境内には「亀」と「鯉」のオブジェが点在しています。
    手水舎の水もこの神社の神使である亀を象った口から流されています。
    ここの手水囲は、京造酒屋中が願主となって奉納されたものです。

  • 松尾大社 「幸運の撫で亀さま」<br />手水舎の近くにある「幸運の撫で亀さま」。<br />きっと「撫で牛」があれば「撫で亀」もあってよしという単純な発想から生まれたものでしょうね!<br />亀は古来より鯉ともども松尾大神のお使いとされていました。大山咋神が土地の開拓状況を視察する際に遣わしたのが亀と鯉だったと言われています。そのため境内の至る所に亀と鯉のオブジェを目にすることができますので 宝探しのような感覚で家族連れで楽しめるスポットです。。<br />「撫で亀」の手触り感はとてもツルツルしており、多くの参拝者から寵愛を受けている様子です。「撫で亀」に触れると、霊戒にあやかって健康長寿や家庭円満のご利益があるようです。<br />

    松尾大社 「幸運の撫で亀さま」
    手水舎の近くにある「幸運の撫で亀さま」。
    きっと「撫で牛」があれば「撫で亀」もあってよしという単純な発想から生まれたものでしょうね!
    亀は古来より鯉ともども松尾大神のお使いとされていました。 大山咋神が土地の開拓状況を視察する際に遣わしたのが亀と鯉だったと言われています。 そのため境内の至る所に亀と鯉のオブジェを目にすることができますので 宝探しのような感覚で家族連れで楽しめるスポットです。。
    「撫で亀」の手触り感はとてもツルツルしており、多くの参拝者から寵愛を受けている様子です。「撫で亀」に触れると、霊戒にあやかって健康長寿や家庭円満のご利益があるようです。

  • 松尾大社 石燈籠<br />大坂 天満酒造による奉納の石燈籠です。「大阪」と言う表記はすでに明治時代には定着していたそうですから、「大坂」と言う表記から察すると結構古い時代に奉納されたものと思われます。<br />これら以外にも、各地の酒造元から多くの石燈籠が奉納されています。<br />

    松尾大社 石燈籠
    大坂 天満酒造による奉納の石燈籠です。「大阪」と言う表記はすでに明治時代には定着していたそうですから、「大坂」と言う表記から察すると結構古い時代に奉納されたものと思われます。
    これら以外にも、各地の酒造元から多くの石燈籠が奉納されています。

  • 松尾大社 クレマチス<br />一の井川の畔に一輪のクレマチスが、楚々とした空気感を漂わせています。<br />キンポウゲ科センニンソウ属の蔓性多年草。原種は約300種類あり、日本はじめ中国、ヨーロッパ、ニュージーランド、テキサス州など世界各地に広く分布しています。<br />日本では、中国原産の「鉄線」と日本原産の「風車」が有名です。「鉄線」は、細い針金のような強いツルが由来。「風車」は、花の形からの直球命名。見分け方は、鉄線は萼(花びら)が6枚、風車は8枚なので簡単に区別できます。<br />花言葉は、「高潔」「美しい心」「精神的な美しさ」「たくらみ」「旅人の喜び」。日本では、江戸時代に「鉄線」が中国から渡来し、茶花として愛されてきました。大輪ですが華美にならず、楚々とした姿が和心をくすぐります。そこから「高潔」「美しい心」「精神的な美しさ」が付けられました。<br />ヨーロッパでは、浮浪者が物乞いをするためにクレマチスのツルを使って体を傷付けて憐れみを誘ったとされ、「たくらみ」という花言葉が付けられました。<br />クレマチスはツルを伸ばし、安定すると頑丈なものになります。そのため古代ヨーロッパでは、旅人が安全に宿泊できるようにと宿の入り口に飾られたそうです。そこから付けられたのが「旅人の喜び」。<br />また、聖母マリアが生まれたばかりのイエスを抱いてエジプトへ逃れた際、クレマチスの茂みの陰で休息をとったという逸話もあり、「旅人の喜び」は涼しい日陰を提供するという意味もあるそうです。

    松尾大社 クレマチス
    一の井川の畔に一輪のクレマチスが、楚々とした空気感を漂わせています。
    キンポウゲ科センニンソウ属の蔓性多年草。原種は約300種類あり、日本はじめ中国、ヨーロッパ、ニュージーランド、テキサス州など世界各地に広く分布しています。
    日本では、中国原産の「鉄線」と日本原産の「風車」が有名です。「鉄線」は、細い針金のような強いツルが由来。「風車」は、花の形からの直球命名。見分け方は、鉄線は萼(花びら)が6枚、風車は8枚なので簡単に区別できます。
    花言葉は、「高潔」「美しい心」「精神的な美しさ」「たくらみ」「旅人の喜び」。日本では、江戸時代に「鉄線」が中国から渡来し、茶花として愛されてきました。大輪ですが華美にならず、楚々とした姿が和心をくすぐります。そこから「高潔」「美しい心」「精神的な美しさ」が付けられました。
    ヨーロッパでは、浮浪者が物乞いをするためにクレマチスのツルを使って体を傷付けて憐れみを誘ったとされ、「たくらみ」という花言葉が付けられました。
    クレマチスはツルを伸ばし、安定すると頑丈なものになります。そのため古代ヨーロッパでは、旅人が安全に宿泊できるようにと宿の入り口に飾られたそうです。そこから付けられたのが「旅人の喜び」。
    また、聖母マリアが生まれたばかりのイエスを抱いてエジプトへ逃れた際、クレマチスの茂みの陰で休息をとったという逸話もあり、「旅人の喜び」は涼しい日陰を提供するという意味もあるそうです。

  • 松尾大社 一の井川<br />こうした素朴な風景は、ヤマブキの写真の絶好の借景となることでしょう。<br />しかし、水車は宙に浮かんでいるので本来の役目は果たしていないようです。<br />松尾大社は酒造りの蔵人たちが信仰する神様でもあるので、精米に使われたとされる水車はあながち無関係でないのかも知れません。

    松尾大社 一の井川
    こうした素朴な風景は、ヤマブキの写真の絶好の借景となることでしょう。
    しかし、水車は宙に浮かんでいるので本来の役目は果たしていないようです。
    松尾大社は酒造りの蔵人たちが信仰する神様でもあるので、精米に使われたとされる水車はあながち無関係でないのかも知れません。

  • 松尾大社 拝殿<br />短い石段を上ると拝殿が威風堂々としたいでたちで出迎えてくれます。<br />この拝殿も江戸時代初期の建造と伝えられています。<br />

    松尾大社 拝殿
    短い石段を上ると拝殿が威風堂々としたいでたちで出迎えてくれます。
    この拝殿も江戸時代初期の建造と伝えられています。

  • 松尾大社 拝殿<br />時期によってはここに巨大絵馬が奉納されますが、姿形が美しい拝殿のひとつに数えられます。

    松尾大社 拝殿
    時期によってはここに巨大絵馬が奉納されますが、姿形が美しい拝殿のひとつに数えられます。

  • 松尾大社 拝殿<br />双葉葵の神紋は、皇室鎮護の神社としての役割を担ってきた証と言えます。

    松尾大社 拝殿
    双葉葵の神紋は、皇室鎮護の神社としての役割を担ってきた証と言えます。

  • 松尾大社 本殿<br />「松尾の猛霊」と称される荘厳な松尾大社の本殿。中央に見えるのが「中門」、「釣殿」で、両側には「回廊」が延び、「釣殿」の奥に「本殿」の屋根が少しだけ顔を覗かせています。「中門」、「釣殿」、「回廊」は江戸時代初期の建築と伝えられています。<br /><br />この神社のご祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)。山の持ち主と言う意味の名前を持つ神様で、磐座のある松尾山の主と言う意味も含んでいるそうです。大年神と天知迦流美豆比賣の間に生まれた農業林業に係る10柱の神様の1柱です。<br />『古事記』によると、「大山昨神は近淡海国の日枝山に坐し、また葛野の松尾に坐す鳴鏑(なるかぶら)を用いるなり」とあり、近江の国の比叡山と松尾山を支配する神であったと伝えられています。また、上賀茂神社のご祭神 賀茂別雷神(かものわけいかづちのかみ)の父とされています。玉依比売が瀬見の小川で水遊びをしていた時、上流から美しい丹塗の矢が流れてきた。比売はこの矢を拾って持ち帰り、自分の床の そばに立てかけておいた。すると、その矢に感じた比売が懐妊して、賀茂別雷神を生んだという。この丹塗の矢が化身した大山咋神だとされています。 <br />同様に松尾大社にも似た伝説があります。秦氏の娘が葛野川で洗濯をしていると松尾大神が矢に化身して流れてきたというものです。それが大山咋神で、矢を持って射ると信じられています。<br />

    松尾大社 本殿
    「松尾の猛霊」と称される荘厳な松尾大社の本殿。中央に見えるのが「中門」、「釣殿」で、両側には「回廊」が延び、「釣殿」の奥に「本殿」の屋根が少しだけ顔を覗かせています。「中門」、「釣殿」、「回廊」は江戸時代初期の建築と伝えられています。

    この神社のご祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)。山の持ち主と言う意味の名前を持つ神様で、磐座のある松尾山の主と言う意味も含んでいるそうです。大年神と天知迦流美豆比賣の間に生まれた農業林業に係る10柱の神様の1柱です。
    『古事記』によると、「大山昨神は近淡海国の日枝山に坐し、また葛野の松尾に坐す鳴鏑(なるかぶら)を用いるなり」とあり、近江の国の比叡山と松尾山を支配する神であったと伝えられています。また、上賀茂神社のご祭神 賀茂別雷神(かものわけいかづちのかみ)の父とされています。玉依比売が瀬見の小川で水遊びをしていた時、上流から美しい丹塗の矢が流れてきた。比売はこの矢を拾って持ち帰り、自分の床の そばに立てかけておいた。すると、その矢に感じた比売が懐妊して、賀茂別雷神を生んだという。この丹塗の矢が化身した大山咋神だとされています。
    同様に松尾大社にも似た伝説があります。秦氏の娘が葛野川で洗濯をしていると松尾大神が矢に化身して流れてきたというものです。それが大山咋神で、矢を持って射ると信じられています。

  • 松尾大社 中門・釣殿<br />いわゆる社殿の拝所なのですが、この神社では釣殿と案内されています。寝殿造に見られる名称のようですが、そうした形式の社ということなのでしょう。<br /><br />御配神は、市杵島姫神(いちきしまひめのみこと)。中津島姫命(なかつしまひめのみこと)とも言われ、福岡県の宗像大社に祀られている3女神の1柱で、七福神の弁才天とも同一視されています。この「いちきのしま」という名前を何回か口ずさんでいると、何となく「いつくしま」に聞こえてきませんか?そうなんです、この神様は広島県の厳島神社に祀られている主祭神と同じ神様です。古くから海上守護の霊徳があるとされているのですが、なぜ、海上守護の神が京都盆地に祀られているのでしょうか?実はこの姫命は、『古事記』の中で、天照大神の弟神で天界の高天原を荒らした天界一の暴れん坊「スサノオ」の娘神と伝わっています。この松尾大社にも地元の大豪族の産土神(大山咋神)と朝廷からの天孫系の神様(市杵島姫神)を併祀するパターンが当て嵌まります。 <br />因みに、宗像3女神は、天照大神が須佐之男命と天安川を隔てて誓約した時、狭霧の中で生まれた神々です。<br /><br />

    松尾大社 中門・釣殿
    いわゆる社殿の拝所なのですが、この神社では釣殿と案内されています。寝殿造に見られる名称のようですが、そうした形式の社ということなのでしょう。

    御配神は、市杵島姫神(いちきしまひめのみこと)。中津島姫命(なかつしまひめのみこと)とも言われ、福岡県の宗像大社に祀られている3女神の1柱で、七福神の弁才天とも同一視されています。この「いちきのしま」という名前を何回か口ずさんでいると、何となく「いつくしま」に聞こえてきませんか?そうなんです、この神様は広島県の厳島神社に祀られている主祭神と同じ神様です。古くから海上守護の霊徳があるとされているのですが、なぜ、海上守護の神が京都盆地に祀られているのでしょうか?実はこの姫命は、『古事記』の中で、天照大神の弟神で天界の高天原を荒らした天界一の暴れん坊「スサノオ」の娘神と伝わっています。この松尾大社にも地元の大豪族の産土神(大山咋神)と朝廷からの天孫系の神様(市杵島姫神)を併祀するパターンが当て嵌まります。
    因みに、宗像3女神は、天照大神が須佐之男命と天安川を隔てて誓約した時、狭霧の中で生まれた神々です。

  • 松尾大社 釣殿<br />正面には、徳川葵の三つ葉葵の紋が入った瓦が存在感を顕にしています。<br />松尾大社の神紋は賀茂二葉葵ですので、何故ここに三つ葉葵の紋があるのか不思議です。<br />調べてみると、自然界には三つ葉の葵は存在せず、二葉葵をモチーフにしたシンボルが三つ葉葵とされているそうです。また源氏の嫡流を名乗る徳川将軍家(松平家)は、京都の賀茂神社の神官家から別れ出たとされており、この辺りの地域と縁が深いようです。それが縁で修理の際、江戸幕府から寄付金が奉納された謝礼なのかもしれません。<br /><br />松尾大社の歴史を調べてみると、鎌倉時代には、源頼朝が参拝して黄金100両、神馬10頭を献上するなど時の権力による庇護は続き、その後も足利義政や豊臣秀吉からも神馬が贈られています。<br />江戸時代にも幕府から1333石の社領が朱印状によって保障され、嵐山一帯の山林も社有するなど手厚い保護が続き、明治維新後の1871年には全ての神社の中でも第4位に社格を認められ、「松尾神社」の名で官幣大社に列せられています。戦後の1950年には「松尾大社」と改称されて現在に至ります。<br />

    松尾大社 釣殿
    正面には、徳川葵の三つ葉葵の紋が入った瓦が存在感を顕にしています。
    松尾大社の神紋は賀茂二葉葵ですので、何故ここに三つ葉葵の紋があるのか不思議です。
    調べてみると、自然界には三つ葉の葵は存在せず、二葉葵をモチーフにしたシンボルが三つ葉葵とされているそうです。また源氏の嫡流を名乗る徳川将軍家(松平家)は、京都の賀茂神社の神官家から別れ出たとされており、この辺りの地域と縁が深いようです。それが縁で修理の際、江戸幕府から寄付金が奉納された謝礼なのかもしれません。

    松尾大社の歴史を調べてみると、鎌倉時代には、源頼朝が参拝して黄金100両、神馬10頭を献上するなど時の権力による庇護は続き、その後も足利義政や豊臣秀吉からも神馬が贈られています。
    江戸時代にも幕府から1333石の社領が朱印状によって保障され、嵐山一帯の山林も社有するなど手厚い保護が続き、明治維新後の1871年には全ての神社の中でも第4位に社格を認められ、「松尾神社」の名で官幣大社に列せられています。戦後の1950年には「松尾大社」と改称されて現在に至ります。

  • 松尾大社 釣殿<br />破風の拝の下には気品に満ちた朱雀と思しき兎の毛通(唐破風懸魚)が施されています。破風のラインを羽に見たてた鳥系の意匠です。

    松尾大社 釣殿
    破風の拝の下には気品に満ちた朱雀と思しき兎の毛通(唐破風懸魚)が施されています。破風のラインを羽に見たてた鳥系の意匠です。

  • 松尾大社 幣殿<br />失礼して釣殿の拝所から覗き込んでみました。<br />幣殿前扉には神紋の双葉葵の意匠が施されています。<br />古来より商業・寿命・海上交通安全・安産等の守護神として仰がれてきていますが、本来の松尾さんの神は山の神であり、ご神体も背後にある松尾山だそうです。<br />

    松尾大社 幣殿
    失礼して釣殿の拝所から覗き込んでみました。
    幣殿前扉には神紋の双葉葵の意匠が施されています。
    古来より商業・寿命・海上交通安全・安産等の守護神として仰がれてきていますが、本来の松尾さんの神は山の神であり、ご神体も背後にある松尾山だそうです。

  • 松尾大社 幣殿<br />幣殿を守るのは一対の青色の狛犬で、こちらが阿形です。

    松尾大社 幣殿
    幣殿を守るのは一対の青色の狛犬で、こちらが阿形です。

  • 松尾大社 幣殿<br />吽形の狛犬です。

    松尾大社 幣殿
    吽形の狛犬です。

  • 松尾大社 招福樽うらない<br />拝殿左に「招福樽うらない」と書かれたスポットがあります。招福樽うらないは、弓を放って的代わりの樽に当てるという趣向です。ちょっとした遊戯で、樽の当たる場所によって授与される御守りが変わります。樽の真ん中に当たれば大吉で、大吉の御守りが授与されます。とりあえず樽に入った方は当たりの御守り。そして、的から外れた方にはあまり福(残念賞)が…。さすがに外れたら凶としていないところに救われます。

    松尾大社 招福樽うらない
    拝殿左に「招福樽うらない」と書かれたスポットがあります。招福樽うらないは、弓を放って的代わりの樽に当てるという趣向です。ちょっとした遊戯で、樽の当たる場所によって授与される御守りが変わります。樽の真ん中に当たれば大吉で、大吉の御守りが授与されます。とりあえず樽に入った方は当たりの御守り。そして、的から外れた方にはあまり福(残念賞)が…。さすがに外れたら凶としていないところに救われます。

  • 松尾大社 相生の松<br />拝殿の左脇には「相生の松」と呼ばれる太い古木の切株が祀られています。同じ根から雌雄の松の木が2股に生えて絡み合い成長したもので、その樹齢は350年を誇ったそうです。しかし、既にその天寿を全うしています。昭和31年に一方が枯れると、残されたもう一方も後を追うように翌年枯れたそうです。そこで昭和47年に注連縄を幹に巻き、覆屋を施した上で保存されることになりました。<br />

    松尾大社 相生の松
    拝殿の左脇には「相生の松」と呼ばれる太い古木の切株が祀られています。同じ根から雌雄の松の木が2股に生えて絡み合い成長したもので、その樹齢は350年を誇ったそうです。しかし、既にその天寿を全うしています。昭和31年に一方が枯れると、残されたもう一方も後を追うように翌年枯れたそうです。そこで昭和47年に注連縄を幹に巻き、覆屋を施した上で保存されることになりました。

  • 松尾大社 相生の松<br />力強く雌雄絡み合う姿から恋愛成就、夫婦和合のご利 益があるとされ、そのご利益にあやかるべく全国各地から参拝客が後を絶たず、境内の葵殿で結婚式を行うカップルも多数おられるようです。 <br />京都には上賀茂・下鴨神社で神前結婚をされる方が多いのですが、ここも人気のある結婚式場のひとつとなっています。

    松尾大社 相生の松
    力強く雌雄絡み合う姿から恋愛成就、夫婦和合のご利 益があるとされ、そのご利益にあやかるべく全国各地から参拝客が後を絶たず、境内の葵殿で結婚式を行うカップルも多数おられるようです。
    京都には上賀茂・下鴨神社で神前結婚をされる方が多いのですが、ここも人気のある結婚式場のひとつとなっています。

  • 松尾大社 相生の松<br />樹齢350年を誇っていた頃の写真が額に入れられて掲げられています。

    松尾大社 相生の松
    樹齢350年を誇っていた頃の写真が額に入れられて掲げられています。

  • 松尾大社 椋の霊樹<br />樹齢800年の椋の霊樹。元々は「蓮菜の庭」の入口に植えられた京都の名木だったそうですが、1993年7月の大雨で枯朽したと記されています。現在は、その長寿を讃え、注連縄で丁重に祀られています。

    松尾大社 椋の霊樹
    樹齢800年の椋の霊樹。元々は「蓮菜の庭」の入口に植えられた京都の名木だったそうですが、1993年7月の大雨で枯朽したと記されています。現在は、その長寿を讃え、注連縄で丁重に祀られています。

  • 松尾大社 神與庫<br />酒樽が奉納されている神與庫は、全壊半壊流失家屋は10万以上と言われる大災害をもたらした昭和25年(1950)9月の「ジューン台風」で檜の大木が能舞台に倒れて大半を壊してしまい、その壊れた能舞台の一部を移築したものです。日本全国津々浦々の酒造家から奉献された酒樽が山積され、目を瞠るものがあります。全国1300の酒業者のうち、900余りの業者が松尾大社に関わっているそうです。右端にある杉玉が酒屋の雰囲気を醸しています。 <br />秦一族は酒造技術にも長け、室町時代末期以降、松尾大社が「日本第一酒造神」と仰がれた由来はここにあります。<br />さて日本酒のランキングでは、1.新潟県「八海山」:淡麗辛口でキレのある後口、2.新潟県「久保田」:スッキリまろやか女性に人気、3.青森県「田酒」:口に含んだ瞬間 果実の味とあります。<br />京都にも英勲、玉乃光、蒼空などの銘柄があります。<br />そして極めつけは、松尾大社には3種のお酒に関する御守りがあります。お酒を飲む人、売る人、造る人用にそれぞれ服酒守、販酒守、醸酒守が用意されています。

    松尾大社 神與庫
    酒樽が奉納されている神與庫は、全壊半壊流失家屋は10万以上と言われる大災害をもたらした昭和25年(1950)9月の「ジューン台風」で檜の大木が能舞台に倒れて大半を壊してしまい、その壊れた能舞台の一部を移築したものです。日本全国津々浦々の酒造家から奉献された酒樽が山積され、目を瞠るものがあります。全国1300の酒業者のうち、900余りの業者が松尾大社に関わっているそうです。右端にある杉玉が酒屋の雰囲気を醸しています。
    秦一族は酒造技術にも長け、室町時代末期以降、松尾大社が「日本第一酒造神」と仰がれた由来はここにあります。
    さて日本酒のランキングでは、1.新潟県「八海山」:淡麗辛口でキレのある後口、2.新潟県「久保田」:スッキリまろやか女性に人気、3.青森県「田酒」:口に含んだ瞬間 果実の味とあります。
    京都にも英勲、玉乃光、蒼空などの銘柄があります。
    そして極めつけは、松尾大社には3種のお酒に関する御守りがあります。お酒を飲む人、売る人、造る人用にそれぞれ服酒守、販酒守、醸酒守が用意されています。

  • 松尾大社 本殿(重要文化財)<br />摂社のある本殿左脇からそのお姿を少しだけ覗き見ることができます。<br />このように厳つい現代版「忍び返し」が側面をお守りしています。<br />神社の本殿の屋根には鰹木と千木が付けられていることが多のですが、ここの本殿の屋根にはそれらが配されていません。また、箱棟の棟端が唐破風を象るものは、他に類を見ないそうです。<br />

    松尾大社 本殿(重要文化財)
    摂社のある本殿左脇からそのお姿を少しだけ覗き見ることができます。
    このように厳つい現代版「忍び返し」が側面をお守りしています。
    神社の本殿の屋根には鰹木と千木が付けられていることが多のですが、ここの本殿の屋根にはそれらが配されていません。また、箱棟の棟端が唐破風を象るものは、他に類を見ないそうです。

  • 松尾大社 本殿<br />社殿のほとんどは1285年の火事で焼失し、現在の社殿は室町時代の1397年に建立され、1541年に大修理を施されたものだそうです。屋根は、桁行3間、梁間4間の特殊な両流造りで千木・鰹木を置いていません。つまり、側面から見ると前後方向に同じ曲線を持った屋根になっています。この形式のものは、宮島の厳島神社、九州の宗像大社に伝えられているくらいで、例が少ないのだそうです。同じ「松尾造」でも松尾大社は金閣寺が北山に建立されたのと同じ1397年に建立されており、松尾造では最古の建造物だそうです。屋根の後方より前方が長い「流造」という形式の社は多々あるのですが、両流造では両方向に同じ長さで流れているのが最大の特徴です。その特殊な造りから「松尾造」と称され、重要文化財に指定されています。

    松尾大社 本殿
    社殿のほとんどは1285年の火事で焼失し、現在の社殿は室町時代の1397年に建立され、1541年に大修理を施されたものだそうです。屋根は、桁行3間、梁間4間の特殊な両流造りで千木・鰹木を置いていません。つまり、側面から見ると前後方向に同じ曲線を持った屋根になっています。この形式のものは、宮島の厳島神社、九州の宗像大社に伝えられているくらいで、例が少ないのだそうです。同じ「松尾造」でも松尾大社は金閣寺が北山に建立されたのと同じ1397年に建立されており、松尾造では最古の建造物だそうです。 屋根の後方より前方が長い「流造」という形式の社は多々あるのですが、両流造では両方向に同じ長さで流れているのが最大の特徴です。その特殊な造りから「松尾造」と称され、重要文化財に指定されています。

  • 松尾大社 重軽石<br />まず石を持ち上げて願をかけます。そして、もう一度持ち上げて当初より軽く上がれば願いが叶うと言われています。<br />鈴を象った石ですが、金色の双葉葵の寺紋がかわいらしいです。

    松尾大社 重軽石
    まず石を持ち上げて願をかけます。そして、もう一度持ち上げて当初より軽く上がれば願いが叶うと言われています。
    鈴を象った石ですが、金色の双葉葵の寺紋がかわいらしいです。

  • 松尾大社 幸運の撫で亀<br />寿命長久、家庭円満にご利益があります。<br />松尾大社創建の翌年(702年)、市杵島姫が京都の亀岡の大井神社にも分霊するため松尾大社から保津川の急流を亀に乗って遡られたという言い伝えがあります。

    松尾大社 幸運の撫で亀
    寿命長久、家庭円満にご利益があります。
    松尾大社創建の翌年(702年)、市杵島姫が京都の亀岡の大井神社にも分霊するため松尾大社から保津川の急流を亀に乗って遡られたという言い伝えがあります。

  • 松尾大社 幸運の双鯉<br />恋愛成就、夫婦円満、立身出世にご利益があります。<br />市杵島姫は、八畳岩のあたりから水の流れが速くなって進めなくなり、亀から鯉に乗り換えてやっとのことで大井神社に到着されました。<br />それ故に、松尾大社では亀と鯉は神のお使いとして崇められています。

    松尾大社 幸運の双鯉
    恋愛成就、夫婦円満、立身出世にご利益があります。
    市杵島姫は、八畳岩のあたりから水の流れが速くなって進めなくなり、亀から鯉に乗り換えてやっとのことで大井神社に到着されました。
    それ故に、松尾大社では亀と鯉は神のお使いとして崇められています。

  • 松尾大社 末社 祓戸大神(はらえどのおおかみ)<br />祓戸大神とは、イザナギノミコトが黄泉の国から帰った時に禊を行った際、化生した神々のひとりと言うことですが、同時に禊ぎ祓いを担当した4柱の神々を指すこともあるようです。

    松尾大社 末社 祓戸大神(はらえどのおおかみ)
    祓戸大神とは、イザナギノミコトが黄泉の国から帰った時に禊を行った際、化生した神々のひとりと言うことですが、同時に禊ぎ祓いを担当した4柱の神々を指すこともあるようです。

  • 松尾大社 鯉のオブジェ<br />群れを成して瀧を遡上する鯉の群れです。<br />恐らく立身出世にご利益があるのでしょう。

    松尾大社 鯉のオブジェ
    群れを成して瀧を遡上する鯉の群れです。
    恐らく立身出世にご利益があるのでしょう。

  • 松尾大社 亀のオブジェ<br />鯉の手前には亀がいます。鯉と亀のコラボといったところでしょうか?

    松尾大社 亀のオブジェ
    鯉の手前には亀がいます。鯉と亀のコラボといったところでしょうか?

  • 松尾大社 本殿遠景<br />こうして見てみると、本殿の上部の樹木が削がれたようになっています。<br />2012年の台風17号の被害を受けて本殿裏山の樹木を伐採したところ、巨大な岩肌が現れたそうです。松尾大社は近くの松尾山頂上付近にある巨岩「磐座」が信仰を集め、その神霊を祀る社殿として飛鳥時代に山の麓に建てられたとされます。専門家は「本殿の創建場所に磐座と似た巨岩のそばを選んだのではないか」、「山頂の磐座が信仰対象なので、年月とともに麓の岩が土で覆われても放置したのではないか」と解釈しています。<br />

    松尾大社 本殿遠景
    こうして見てみると、本殿の上部の樹木が削がれたようになっています。
    2012年の台風17号の被害を受けて本殿裏山の樹木を伐採したところ、巨大な岩肌が現れたそうです。松尾大社は近くの松尾山頂上付近にある巨岩「磐座」が信仰を集め、その神霊を祀る社殿として飛鳥時代に山の麓に建てられたとされます。専門家は「本殿の創建場所に磐座と似た巨岩のそばを選んだのではないか」、「山頂の磐座が信仰対象なので、年月とともに麓の岩が土で覆われても放置したのではないか」と解釈しています。

  • 松尾大社 本殿奥の磐座<br />正面から写してみました。<br />この辺り全体が巨大な磐座になっているようにも窺えます。

    松尾大社 本殿奥の磐座
    正面から写してみました。
    この辺り全体が巨大な磐座になっているようにも窺えます。

  • 松尾大社 本殿奥の磐座<br />本殿の屋根越しのズームアップです。

    松尾大社 本殿奥の磐座
    本殿の屋根越しのズームアップです。

  • 松尾大社 <br />境内右端中央にある庭園拝観受付に置かれていたお守りです。どちらもヤマブキの花をモチーフにしたかわいらしい作品です。<br />ここで庭園拝観料500円を支払って松風苑の拝観へと駒を進めます。<br /><br />例によって写真の枚数が多いため、この続きは②松尾大社<後編>でお届けします。

    松尾大社 
    境内右端中央にある庭園拝観受付に置かれていたお守りです。どちらもヤマブキの花をモチーフにしたかわいらしい作品です。
    ここで庭園拝観料500円を支払って松風苑の拝観へと駒を進めます。

    例によって写真の枚数が多いため、この続きは②松尾大社<後編>でお届けします。

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