2014/05/18 - 2014/05/24
680位(同エリア4466件中)
ANZdrifterさん
- ANZdrifterさんTOP
- 旅行記125冊
- クチコミ32件
- Q&A回答8件
- 456,417アクセス
- フォロワー25人
恒例の京都です。前回と同じ四条の宿を予約して連泊しました。
まず、大覚寺行きのバスで訪れた二つのお寺です。写真は清涼寺の阿弥陀三尊の中央の像で撮影禁止なので絵葉書から寫しました。
清凉寺(せいりょうじ・凉の字はサンズイではない)
大覚寺の南西、数百mにあり、嵯峨釈迦堂の名で知られている。元来この地には、嵯峨天皇の皇子で左大臣の源融(みなもとのゆずる)の別荘があり、没後に阿弥陀三尊像を子息が造りその阿弥陀堂を棲霞寺(せいかじ)と号した。源融は光源氏のモデルの一人ともいわれ、表紙写真の阿弥陀像にその面影がみられるともいう。
その50年後に釈迦像を安置する新堂が建立された。この釈迦像は古代インドで釈迦の在世中に造られた像を、10世紀に宋に渡った僧が現地で模刻させて持ち帰ったもので、三国伝来の釈迦像と呼ばれている。
当初、都の東北にある延暦寺に対抗して、都の西北の愛宕山麓に五台山清涼寺を建立しようとしたが延暦寺の反対で果たさず、棲霞寺の境内に五台山清凉寺が建立されたという。
仁王門を入ると正面に本堂の釈迦堂がある。ここの釈迦像は清凉寺式釈迦像と呼ばれ、これを模した像が奈良西大寺本尊など、全国に100体近くあるという。この像の胎内からは作像文書、?公然の遺品、織物片、絹製の内臓模型など多くの納入品が見いだされ、種類の多さから「小さな正倉院」ともいわれる。本堂の横の阿弥陀堂は本尊が西を向く形に置かれている。
釈迦像と胎内納入品、阿弥陀三尊像などは全て、霊宝館に安置されている。たまたま霊宝館は春季特別公開中であったが、国宝・重要文化財など歴史の重みに圧倒されるようであった。
法金剛院
法金剛院は古代の名勝地“双が丘”(ならびがおか)の東麓にあり、京都駅から約10分の山陰本線花園駅の向かい側にある。
当初、右大臣・清原夏野の山荘を没後に寺に改めて双丘寺としたのが当寺の前身という。858年には文徳天皇が伽藍を建立して天安寺と称したが、のちに廃寺同然となっていたのを白河法皇が崩御された1129年に、待賢門院璋子の発願により、天安寺跡地に法金剛院を建立し、滝石組みと流れのある大池を囲む庭園を築いた。この青女の滝は日本最古の人工の滝とされている。この平安末期に造られた池泉回遊式浄土庭園は、国の特別名勝である。
寺には平安時代後期を代表する仏像とされる本尊、阿弥陀如来坐像や厨子入り木造十一面観音坐像などの重要文化財がある。
また、夏には90品種ものハスが次々と咲き、花の寺としても著名である。
源氏物語にも類型があるが、絶世の美貌を謳われた待賢門院璋子は白河法皇の寵愛を受けながら法皇の孫、鳥羽天皇の中宮となり、そのあとにも白河法皇の子(崇徳天皇)をなしたともいわれる。また、生家の徳大寺家に家人として仕えていた西行とも昵懇であったという。
待賢門院は、譲位された鳥羽上皇とともにしばしばこの地を訪れていたが、鳥羽上皇が美福門院を寵愛するようになってからは、この法金剛院で時を過ごすようになった。
待賢門院は西行の「しらざりき 雲井(宮廷)のよそにみし月(女人)の 影を袂にやどすべしとは」などの恋歌の対象とも、西行が23歳で出家した原因ともいわれる女人であり、嵯峨野に庵を結んでいた西行は、出家の身の気楽さからか しばしば訪れていたという。
絶世の美貌を謳われた待賢門院璋子は、法金剛院の北、五位山中腹の花園西陵に眠っている。
なお、保元の乱は璋子が生んだ二人、崇徳上皇と後白河天皇がそれぞれに担がれて争った政権抗争であるが、敗れた崇徳上皇は怨霊となって天災をもたらし、魔界に転生したともいわれた。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
撮影をわすれた仁王門をすぎると、正面に本堂=釈迦堂 がある。
これも案内図からコピーした。 -
本堂の後ろ、庭の杉は北山杉のように仕立てられていた。
-
放生池に浮かぶ島には忠霊塔がある。
その地下には 1万数千個の1石1字の写経石や、ひめゆりの塔や戦跡血染めの小石もおさめられている。 -
放生池の島にある弁天堂。
正面の軒唐破風と宝形造りの屋根がみごとで、装飾彫刻が多い。
時代は江戸後期とされている。 -
西を向いている阿弥陀堂。この後ろに霊宝館がある。
光源氏のモデルと言われる源融(みなもとのゆずる)が、嵯峨天皇から仙洞の地所を別荘地として賜わり、棲霞寺を建てたのがはじまり。
この堂は文久3年(1863)の再建。 -
表紙写真と同じ。
整った顔立ちで美しく、かつ風格がある。 -
境内には豊臣秀頼の首塚があった。
ほかにも嵯峨天皇と檀林皇后の多宝塔、一切経蔵など見るべきものが多い。 -
花園駅前、法金剛院の門。
-
中に入るともう一つの門。この先で拝観料を払う。
-
庭園に向かっているような門。
日差しを避けて腰を下すことができる。 -
これが「青女の滝」(せいじょのたき)。特別名勝庭園の最重要点。
晴天続きで水が流れていなかったが、巨石の重量感と、周囲との調和がすばらしかった。 -
待賢門院璋子の歌碑。
「長からむ心もしらず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思え」
どのような状況で、どんな気持ちで詠んだのか -
池にはハスが一面に生えている。
-
この季節は3日ごとに庭の手入れをしているそうです。
優しい庭ですね と話しかけたら 待賢門院ですから という答えが帰ってきました。
旅の要諦の一つは 話すこと です。 -
こういう 石で葺いた岸辺が浄土庭園の特徴なのでしょうか。
平泉の毛越寺の池でも見ました。 -
5月20日、池のほとりに ヤマボウシが咲き始めていました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- rinnmamaさん 2014/06/13 12:21:36
- 清涼寺
- ANZdrifterさん、こんにちは
ご無沙汰でした。スペイン旅にご投票ありがとうございます。
京都旅・6連泊・・・贅沢ですね〜羨ましいです^^
清涼寺(すいません・サンズイです。ニスイですよね)
懐かしいです。独身時代に京都に、はまってしまい、この近くの民宿
が定宿でした。今の嵯峨野は観光化されて、好きではないので
行きませんが、当時は素朴でした〜40年以上前の事・・・。
綺麗に整備されたんですね。以前は大覚寺には観光客が見えていましたが、
清涼寺には観光客もいなくて、田舎のお寺のような感じで、境内を横切って
宿に帰ったものです・・・
どなたかの旅行記で民宿の辺りも、きれいな住宅地になっていて
時代変遷を感じました。
民宿といっても京風のりっぱなお宅でしたよ・・・
娘のように可愛がって下さり、嵯峨野の思い出です。
昔にタイムスリップさせて頂きました〜。嬉しかったです。rinnmama
- ANZdrifterさん からの返信 2014/06/20 23:50:21
- RE: 清涼寺 リスポンスが遅れて恐縮
- rinnmama さん こんばんは
老生は 40か国を訪れましたが 地中海ヨーロッパはまったく不案内です。
それでも、日常の言葉などにスペインの影響が残っているフィリピンには、1969年から合計5年以上滞在して なんとなく親近感を持っていたし スペイン戦争の図書を集めて年表をつくったりしたので、貴旅行記を興味深く拝見しました。
私どもは 夫婦合わせて164歳になっているので、動けるうちにいろんな所を見ておこうと、考えています。
食べるものもコース料理などは食べきれないので、駅ビル、コンビニ、居酒屋、定食屋などが食事処なので 安くあがっているのだと思います。
清涼寺近くに定宿があったなんて、素敵な記憶をお持ちなんですね。
私にも 白く光っているような、忘れられない記憶が、いくつかありますが、旅の効用の重要な点として、多くの記憶を抱いて 年齢を重ねることができるということが言えるかと思います。
ともあれ 書き込み有難うございます。老年になるとすべてに受け身になってしまって、誰かの小説のように 「今日も何もなかった」としか日記に書けない日が来るかと恐れているので このようにお話できるのはとても楽しいことです。
有難う そして ごきげんよう!
ANZdrifter
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
16