飛鳥旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2014年4月のGW前半、直前まで特に予定も決めていなかったのですが、明日香村の遺跡を見に行きたいと思い立ち天気予報を見たら晴れ。では急いで資料を集めていくことに。実は数年前にも明日香村には日帰りで行ったことはあったのですが、私が見たいエリアはとても一日で回りきれなかったので再度、仕切りなおしで1泊2日でレンタル自転車を駅前で借りて回りました。<br /><br />私の旅行のテーマに「古事記・日本書紀」というのがあり昨年出雲、宮崎と旅をしました。今回も同じテーマとなりますが、他に世界遺産もテーマとしています。日本は世界遺産の暫定遺産で「飛鳥・藤原の宮都と関連資産群」として明日香の遺跡を登録しています。その構成資産リストを中心に(もちろんそれ以外も見ますが)回りました。まずは1日目、飛鳥駅を中心に廻り、古墳や天智天皇の治世の遺跡を中心になりました。<br /><br />遺跡に関してはあまり詳しくないのでwikiの力を借りて書き込みしてます。<br /><br />暫定世界遺産の構成資産になっているものには構成資産との書き込みをしております。

2014年4月飛鳥・橿原1(飛鳥)

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2014/04/26 - 2014/04/27

406位(同エリア1006件中)

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satoshi

satoshiさん

2014年4月のGW前半、直前まで特に予定も決めていなかったのですが、明日香村の遺跡を見に行きたいと思い立ち天気予報を見たら晴れ。では急いで資料を集めていくことに。実は数年前にも明日香村には日帰りで行ったことはあったのですが、私が見たいエリアはとても一日で回りきれなかったので再度、仕切りなおしで1泊2日でレンタル自転車を駅前で借りて回りました。

私の旅行のテーマに「古事記・日本書紀」というのがあり昨年出雲、宮崎と旅をしました。今回も同じテーマとなりますが、他に世界遺産もテーマとしています。日本は世界遺産の暫定遺産で「飛鳥・藤原の宮都と関連資産群」として明日香の遺跡を登録しています。その構成資産リストを中心に(もちろんそれ以外も見ますが)回りました。まずは1日目、飛鳥駅を中心に廻り、古墳や天智天皇の治世の遺跡を中心になりました。

遺跡に関してはあまり詳しくないのでwikiの力を借りて書き込みしてます。

暫定世界遺産の構成資産になっているものには構成資産との書き込みをしております。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.0
グルメ
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
新幹線 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 新幹線で名古屋から京都まで移動します。実は近鉄で名古屋から飛鳥まで行こうと思っていたのですが、名古屋の地下鉄を乗り過ごすというボケをかまし、時間挽回のために新幹線を使いました。6:00頃

    新幹線で名古屋から京都まで移動します。実は近鉄で名古屋から飛鳥まで行こうと思っていたのですが、名古屋の地下鉄を乗り過ごすというボケをかまし、時間挽回のために新幹線を使いました。6:00頃

  • 京都駅からは新幹線口正面の近鉄特急に乗り換え、橿原神宮前まで行きます。7:00頃

    京都駅からは新幹線口正面の近鉄特急に乗り換え、橿原神宮前まで行きます。7:00頃

  • 橿原神宮前から飛鳥まで吉野行き特急に乗り換えです。8:10頃

    橿原神宮前から飛鳥まで吉野行き特急に乗り換えです。8:10頃

  • 飛鳥駅着。8:15頃

    飛鳥駅着。8:15頃

  • 駅前のお土産物屋さんで古都飛鳥保存財団さん発行の飛鳥王国パスポート購入。1冊100円。簡単なガイドブック+スタンプ帳なのですが、この冊子の最大の利点は各所の入場料の割引券、駐車場代の割引券、レンタルサイクルの割引券などがあり直ぐに元が取れます。特にレンタルサイクルの人は借りるときに1日100円の割引が受けれてコスパ高いです。写真は翌日撮ったもの。

    駅前のお土産物屋さんで古都飛鳥保存財団さん発行の飛鳥王国パスポート購入。1冊100円。簡単なガイドブック+スタンプ帳なのですが、この冊子の最大の利点は各所の入場料の割引券、駐車場代の割引券、レンタルサイクルの割引券などがあり直ぐに元が取れます。特にレンタルサイクルの人は借りるときに1日100円の割引が受けれてコスパ高いです。写真は翌日撮ったもの。

  • で、直ぐ横のレンタルサイクル屋さんで1台1日ママちゃりを借ります。マウンテンバイクもあるそうです。坂が多いことを考えたらマウンテンバイクにしてば良かった。写真は自転車返却時に撮影。

    で、直ぐ横のレンタルサイクル屋さんで1台1日ママちゃりを借ります。マウンテンバイクもあるそうです。坂が多いことを考えたらマウンテンバイクにしてば良かった。写真は自転車返却時に撮影。

  • で、本日の相棒ママちゃり明日香1号。(明日香2号は翌日登場)

    で、本日の相棒ママちゃり明日香1号。(明日香2号は翌日登場)

  • 駅の東に廻り、岩屋山古墳到着。7世紀後半。古墳時代終末期の古墳。上下二段に分かれていて下方が方形、上方が八角形らしいとのこと。被葬者については斉明天皇説もありますが、斉明天皇は牽牛子塚古墳のほうが有力視されているようです。構成資産。

    駅の東に廻り、岩屋山古墳到着。7世紀後半。古墳時代終末期の古墳。上下二段に分かれていて下方が方形、上方が八角形らしいとのこと。被葬者については斉明天皇説もありますが、斉明天皇は牽牛子塚古墳のほうが有力視されているようです。構成資産。

    岩屋山古墳 名所・史跡

  • 岩屋山古墳の入り口。横穴式石室です。中は大変綺麗な石組みでした。8:30頃

    岩屋山古墳の入り口。横穴式石室です。中は大変綺麗な石組みでした。8:30頃

  • 自転車で更に進み牽牛子塚古墳到着。迷いました。この古墳は2010年まで発掘調査をされていたそうです。7世紀中から8世紀始め。これも終末期の古墳です。八角墳で石室が2つの墓室に分かれており、斉明天皇の陵墓は娘の間人皇女との合葬墓だったとの記紀の記述にあっており斉明天皇説が有力になっています。江戸時代に別の場所に治定されていますが、こちらが有力ではないかといわれているそうです。斉明天皇は舒明天皇の元皇后で天智・天武天皇の母になり最初皇極天皇、重祚して斉明天皇となりました。大化の改新や白村江の戦いのときの天皇です。構成資産です。

    自転車で更に進み牽牛子塚古墳到着。迷いました。この古墳は2010年まで発掘調査をされていたそうです。7世紀中から8世紀始め。これも終末期の古墳です。八角墳で石室が2つの墓室に分かれており、斉明天皇の陵墓は娘の間人皇女との合葬墓だったとの記紀の記述にあっており斉明天皇説が有力になっています。江戸時代に別の場所に治定されていますが、こちらが有力ではないかといわれているそうです。斉明天皇は舒明天皇の元皇后で天智・天武天皇の母になり最初皇極天皇、重祚して斉明天皇となりました。大化の改新や白村江の戦いのときの天皇です。構成資産です。

    牽牛子塚古墳 名所・史跡

  • 一旦近鉄線路沿いに戻り南に向かいマルコ山古墳に到着。横穴式石室の六角墳らしいそうです。7世紀末から8世紀始めらしいです。被葬者は不明。皇族らしいとのこと。

    一旦近鉄線路沿いに戻り南に向かいマルコ山古墳に到着。横穴式石室の六角墳らしいそうです。7世紀末から8世紀始めらしいです。被葬者は不明。皇族らしいとのこと。

    マルコ山古墳 名所・史跡

  • 線路を渡って南に移動。キトラ古墳到着。7世紀末から8世紀始め。被葬者は不明。上下二段の円墳です。玄室の四方に漆喰の上から青龍、白虎、朱雀、玄武の絵が描かれており、1983年にその絵が発見されて大ニュースになりましたね。現在は絵は剥がされて別の場所で保存されています。工事中で入れなくなっており、誘導員の方に伺うと発掘調査が終わってこれから整備復旧工事、資料館の建設が始まるとのことでした。構成資産です。

    線路を渡って南に移動。キトラ古墳到着。7世紀末から8世紀始め。被葬者は不明。上下二段の円墳です。玄室の四方に漆喰の上から青龍、白虎、朱雀、玄武の絵が描かれており、1983年にその絵が発見されて大ニュースになりましたね。現在は絵は剥がされて別の場所で保存されています。工事中で入れなくなっており、誘導員の方に伺うと発掘調査が終わってこれから整備復旧工事、資料館の建設が始まるとのことでした。構成資産です。

  • 自転車に乗って南に行き案内標識に従ってぐるっと左周りに廻って再度南下。於美阿志神社到着。ここは桧隈寺跡で7世紀後半の創建。渡来系の東漢氏の氏寺だったそうです。境内内にはかつての伽藍の塚石が残ってました。構成資産です。

    自転車に乗って南に行き案内標識に従ってぐるっと左周りに廻って再度南下。於美阿志神社到着。ここは桧隈寺跡で7世紀後半の創建。渡来系の東漢氏の氏寺だったそうです。境内内にはかつての伽藍の塚石が残ってました。構成資産です。

    檜隈寺跡 名所・史跡

  • 塔の跡地には平安時代の石塔が立っています。重要文化財に指定されています。

    塔の跡地には平安時代の石塔が立っています。重要文化財に指定されています。

  • また北に向かい国営飛鳥歴史地区の高松塚周辺地区南にある栗原塚穴古墳です。文武天皇陵に治定されています。<br />宮内省によって天皇陵や皇族陵に治定された古墳およびその可能性のある参考地は宮内省管轄となり、基本的には一切の立ち入り(考古学調査も含む)が出来ません。ではどうやって治定したかというと江戸時代に幕府が聞き取り調査と記紀の記述の整合性から推測したとのことで考古学的な調査の裏づけがない場所も多くて実際のところハッキリしないところが多いみたいです。文武陵もこの北にある中尾山古墳ではないかとの説が有力だそうです。

    また北に向かい国営飛鳥歴史地区の高松塚周辺地区南にある栗原塚穴古墳です。文武天皇陵に治定されています。
    宮内省によって天皇陵や皇族陵に治定された古墳およびその可能性のある参考地は宮内省管轄となり、基本的には一切の立ち入り(考古学調査も含む)が出来ません。ではどうやって治定したかというと江戸時代に幕府が聞き取り調査と記紀の記述の整合性から推測したとのことで考古学的な調査の裏づけがない場所も多くて実際のところハッキリしないところが多いみたいです。文武陵もこの北にある中尾山古墳ではないかとの説が有力だそうです。

    文武天皇陵 名所・史跡

  • 国営飛鳥歴史地区の高松塚周辺地区入り口です。自転車はルートを選べば入っていけました。

    国営飛鳥歴史地区の高松塚周辺地区入り口です。自転車はルートを選べば入っていけました。

  • 高松塚古墳です。7世紀末から8世紀始めに作られた古墳終末期の上下二段の円墳です。被葬者は不明。1972年に玄室内部で漆喰に塗られた上に色が鮮やかな人物画などが描かれているのが発見されて大ニュースになった覚えがあります。2009年に現在の形に復元されたそうです。著名な古墳だけあって自転車で見に来ている観光客がここで急に増えます。構成資産です。10:15頃

    高松塚古墳です。7世紀末から8世紀始めに作られた古墳終末期の上下二段の円墳です。被葬者は不明。1972年に玄室内部で漆喰に塗られた上に色が鮮やかな人物画などが描かれているのが発見されて大ニュースになった覚えがあります。2009年に現在の形に復元されたそうです。著名な古墳だけあって自転車で見に来ている観光客がここで急に増えます。構成資産です。10:15頃

    国営飛鳥歴史公園 公園・植物園

  • 高松塚古墳すぐ横に高松塚古墳絵画館があります。入場料が要りますが飛鳥王国のパスポートの割り引き券が使えます。高松塚古墳の内部の復元模写の展示があります。復元模写だからよさそうな物ですが写真撮影は禁止となってます。

    高松塚古墳すぐ横に高松塚古墳絵画館があります。入場料が要りますが飛鳥王国のパスポートの割り引き券が使えます。高松塚古墳の内部の復元模写の展示があります。復元模写だからよさそうな物ですが写真撮影は禁止となってます。

  • 自転車で隣の山に登り、中尾山古墳です。高松塚古墳は皆さん見学しますがこちらに来る人はほとんどいませんでした。被葬者は文武天皇の可能性があるそうです。古墳終末期の八角墳です。文武天皇は藤原京時代の天皇で天武・持統天皇の孫、聖武天皇の父になります。構成資産です。

    自転車で隣の山に登り、中尾山古墳です。高松塚古墳は皆さん見学しますがこちらに来る人はほとんどいませんでした。被葬者は文武天皇の可能性があるそうです。古墳終末期の八角墳です。文武天皇は藤原京時代の天皇で天武・持統天皇の孫、聖武天皇の父になります。構成資産です。

    国営飛鳥歴史公園 公園・植物園

  • 北の高松塚周辺地区の入り口(正門?)にある国営飛鳥歴史公園館です。無料ですが簡単な展示がありました。

    北の高松塚周辺地区の入り口(正門?)にある国営飛鳥歴史公園館です。無料ですが簡単な展示がありました。

    国営飛鳥歴史公園館 美術館・博物館

  • 一旦飛鳥駅方向に進み途中北に折れ梅山古墳到着。欽明天皇陵に治定されています。欽明天皇は6世紀中ごろの天皇で継体天皇の子になり、蘇我稲目の娘を妃とし、敏達天皇、用明天皇、推古天皇を設けます。蘇我氏の全盛期を作るきっかけとなりました。仏教伝来も欽明天皇の時代です。<br />古墳は全長140mの前方後円墳。綺麗に整備されていますが、江戸末期に文久の修陵という幕府による天皇陵の外観が変わるほどの整備が行われたからだとのこと。平成9年に発掘調査がされているそうですが前方後円墳だったのは間違いないそうです。欽明陵も実際はこの北にある五条野丸山古墳ではないかといわれているそうです。10:50頃

    一旦飛鳥駅方向に進み途中北に折れ梅山古墳到着。欽明天皇陵に治定されています。欽明天皇は6世紀中ごろの天皇で継体天皇の子になり、蘇我稲目の娘を妃とし、敏達天皇、用明天皇、推古天皇を設けます。蘇我氏の全盛期を作るきっかけとなりました。仏教伝来も欽明天皇の時代です。
    古墳は全長140mの前方後円墳。綺麗に整備されていますが、江戸末期に文久の修陵という幕府による天皇陵の外観が変わるほどの整備が行われたからだとのこと。平成9年に発掘調査がされているそうですが前方後円墳だったのは間違いないそうです。欽明陵も実際はこの北にある五条野丸山古墳ではないかといわれているそうです。10:50頃

    欽明天皇陵 (平田梅山古墳) 名所・史跡

  • 欽明陵の目の前、吉備姫王の墓です。吉備姫王は欽明天皇の孫、斉明(皇極)考徳天皇の母になります。

    欽明陵の目の前、吉備姫王の墓です。吉備姫王は欽明天皇の孫、斉明(皇極)考徳天皇の母になります。

  • 吉備姫王墓の前に並べてある猿石です。18世紀に欽明陵の周りから掘り出されてしばらく欽明陵に置かれていたそうで明治初期にこの場所に移設されたそうです。手前、僧(法師)。後ろ男。

    吉備姫王墓の前に並べてある猿石です。18世紀に欽明陵の周りから掘り出されてしばらく欽明陵に置かれていたそうで明治初期にこの場所に移設されたそうです。手前、僧(法師)。後ろ男。

    吉備姫王墓 名所・史跡

  • 猿石、手前山王権現。後女。欽明天皇の時代に僧はかろうじていただろうが法師や山王権現といったものがあったのかな?

    猿石、手前山王権現。後女。欽明天皇の時代に僧はかろうじていただろうが法師や山王権現といったものがあったのかな?

    猿石 名所・史跡

  • 自転車で今度は東に進み、鬼の俎板、鬼の雪隠を見ます。これは鬼の俎板。元々はここは古墳で鬼の俎板が玄室の底板、鬼の雪隠が上屋で、土がなくなり土砂崩れで上屋が流失、ひっくり返ったものだそうです。実はこの二つで一つでなく鬼の俎板の西側にもう一つ石の板がかつてあって鬼の雪隠はそちらの上屋だったらしいそうです。もう一つの板は明治期庭石として売るために小さく割られたそうです。

    自転車で今度は東に進み、鬼の俎板、鬼の雪隠を見ます。これは鬼の俎板。元々はここは古墳で鬼の俎板が玄室の底板、鬼の雪隠が上屋で、土がなくなり土砂崩れで上屋が流失、ひっくり返ったものだそうです。実はこの二つで一つでなく鬼の俎板の西側にもう一つ石の板がかつてあって鬼の雪隠はそちらの上屋だったらしいそうです。もう一つの板は明治期庭石として売るために小さく割られたそうです。

    鬼の俎 自然・景勝地

  • こちらが流失した古墳の玄室の上屋、鬼の雪隠。幼稚園児だった頃家族に連れられてここに来た記憶があるのですが、父にこれは昔の鬼の生活の場で上の俎板で人を捕まえて料理してここで用を足していたと教えられました。子供ながらに鬼はいないはずなのに、まるで上古の時代の鬼の存在を示すかのような証拠?を見せられ混乱した覚えがあります。

    こちらが流失した古墳の玄室の上屋、鬼の雪隠。幼稚園児だった頃家族に連れられてここに来た記憶があるのですが、父にこれは昔の鬼の生活の場で上の俎板で人を捕まえて料理してここで用を足していたと教えられました。子供ながらに鬼はいないはずなのに、まるで上古の時代の鬼の存在を示すかのような証拠?を見せられ混乱した覚えがあります。

  • 亀石の方向に向かい途中で南に曲がり野口王墓到着。天武・持統天皇陵に治定されています。5段八角墳です。古墳終末期で687年築造だそうです。天武・持統天皇陵は五条野丸山古墳との間で何度も治定が変わったとのことですが鎌倉時代の盗掘した記録が明治時代に出てきてそれで確認すると野口王墓で間違いないだろうとなったそうです。珍しく被葬者がほぼ確定している古墳だそうです。天武天皇は天智天皇の弟で壬申の乱での勝者で天皇に即位しました。持統天皇は天智天皇の娘で天武天皇の妃で天武天皇の遺志を継ぎ藤原京を建設した天皇です。持統天皇は初めて火葬された天皇でも知られています。やはり二人とも人気のある天皇らしく参拝者が多かったです。

    亀石の方向に向かい途中で南に曲がり野口王墓到着。天武・持統天皇陵に治定されています。5段八角墳です。古墳終末期で687年築造だそうです。天武・持統天皇陵は五条野丸山古墳との間で何度も治定が変わったとのことですが鎌倉時代の盗掘した記録が明治時代に出てきてそれで確認すると野口王墓で間違いないだろうとなったそうです。珍しく被葬者がほぼ確定している古墳だそうです。天武天皇は天智天皇の弟で壬申の乱での勝者で天皇に即位しました。持統天皇は天智天皇の娘で天武天皇の妃で天武天皇の遺志を継ぎ藤原京を建設した天皇です。持統天皇は初めて火葬された天皇でも知られています。やはり二人とも人気のある天皇らしく参拝者が多かったです。

  • 一旦南に行き交差点を南に進み定林寺跡を目指します。写真は定林寺跡に続く道。聖徳太子建立の寺院の一つとのことです。構成資産です。

    一旦南に行き交差点を南に進み定林寺跡を目指します。写真は定林寺跡に続く道。聖徳太子建立の寺院の一つとのことです。構成資産です。

    定林寺跡 名所・史跡

  • 現在の定林寺のお堂(だとおもう)ここで痛恨のミス。定林寺跡はこの先を更に登ったところです。webの情報では隣の神社の境内に寺跡があるとのことだったのですが神社を見るとその痕跡はない。すっかり埋め戻されているかと勘違いしたのですが、帰ったから調べたら神社は近年移転して、定林寺跡の遺跡は神社より更に奥にあったとの事。すぐ目の前まで来て帰ってくるミスをしました。がっかり。

    現在の定林寺のお堂(だとおもう)ここで痛恨のミス。定林寺跡はこの先を更に登ったところです。webの情報では隣の神社の境内に寺跡があるとのことだったのですが神社を見るとその痕跡はない。すっかり埋め戻されているかと勘違いしたのですが、帰ったから調べたら神社は近年移転して、定林寺跡の遺跡は神社より更に奥にあったとの事。すぐ目の前まで来て帰ってくるミスをしました。がっかり。

  • 再び道を北上、東に折れ、亀石に到着。明日香村のシンボルともいえそうな石ですが、歴史的な意味は無い様で、何の目的で作られたかは不明だそうです。今は南西に向いてますが西に向き当麻の方向をにらむと奈良盆地が泥沼に成るそうです。11:30頃。

    再び道を北上、東に折れ、亀石に到着。明日香村のシンボルともいえそうな石ですが、歴史的な意味は無い様で、何の目的で作られたかは不明だそうです。今は南西に向いてますが西に向き当麻の方向をにらむと奈良盆地が泥沼に成るそうです。11:30頃。

    亀石 名所・史跡

  • 更に東に進むと橘寺が見えてきます。写真は一旦国道155線に出てからの眺めです。

    更に東に進むと橘寺が見えてきます。写真は一旦国道155線に出てからの眺めです。

    橘寺 寺・神社・教会

  • 11:45頃橘寺到着。入り口で入場料を払って入ります。ここでも飛鳥王国パスポートが活躍。写真は現在の本堂です。現在は天台宗のお寺だそうです。今ある伽藍は後世のもので創建時と建物も場所も違っています。創建は聖徳太子が用明天皇の別宮地跡に寺を建立したのが始まりです。境内にそのときの伽藍配置を示す表示がなされています。構成資産です。

    11:45頃橘寺到着。入り口で入場料を払って入ります。ここでも飛鳥王国パスポートが活躍。写真は現在の本堂です。現在は天台宗のお寺だそうです。今ある伽藍は後世のもので創建時と建物も場所も違っています。創建は聖徳太子が用明天皇の別宮地跡に寺を建立したのが始まりです。境内にそのときの伽藍配置を示す表示がなされています。構成資産です。

  • 二面石です。橘寺のシンボルになっています。裏表で善相、悪相が彫られています。

    二面石です。橘寺のシンボルになっています。裏表で善相、悪相が彫られています。

    二面石 名所・史跡

  • 五重塔の跡です。遺構の伽藍配置は典型的な四天王寺配置で初期寺院の典型です。四天王寺配置は大阪四天王寺に由来があり、中門を潜るとまず正面に塔、その後に金堂、更に後ろに講堂。中門から講堂まで周囲を回廊で区画されます。そもそも塔はインドのスツーパが日本に来たとき卒塔婆となりその真ん中の塔が語源です。スツーパは仏舎利(ブッダの遺骨)を納めるための建物で初期寺院では最重要な建物で、正面に配置されました。時代が少し下がり法隆寺では塔と金堂が横並びになり、塔の重要さが時代を追うごとに低くなり禅宗(永平寺)では七堂伽藍にも入らなくなってます。

    五重塔の跡です。遺構の伽藍配置は典型的な四天王寺配置で初期寺院の典型です。四天王寺配置は大阪四天王寺に由来があり、中門を潜るとまず正面に塔、その後に金堂、更に後ろに講堂。中門から講堂まで周囲を回廊で区画されます。そもそも塔はインドのスツーパが日本に来たとき卒塔婆となりその真ん中の塔が語源です。スツーパは仏舎利(ブッダの遺骨)を納めるための建物で初期寺院では最重要な建物で、正面に配置されました。時代が少し下がり法隆寺では塔と金堂が横並びになり、塔の重要さが時代を追うごとに低くなり禅宗(永平寺)では七堂伽藍にも入らなくなってます。

  • 橘寺を出て川原寺跡に進みます。国道155号線沿いに聖徳太子誕生の地の碑がありました。橘寺の場所がが聖徳太子の生誕地だそうです。

    橘寺を出て川原寺跡に進みます。国道155号線沿いに聖徳太子誕生の地の碑がありました。橘寺の場所がが聖徳太子の生誕地だそうです。

  • 川原寺跡です。現在の川原寺は奥に見えます。この遺構は自由に入れましたが奥の川原寺は写真撮影禁止との事で本堂に入るのに入場料300円掛かるとの事。人のいる気配が無かったので辞めておきました。食事処としても営業しているようです。一塔二金堂の変わった伽藍配置で川原寺式伽藍配置というそうです。創建は天智天皇の時代に斉明天皇の冥福を祈って立てたそうです。飛鳥の四大寺の一つだそうです。構成資産です。

    川原寺跡です。現在の川原寺は奥に見えます。この遺構は自由に入れましたが奥の川原寺は写真撮影禁止との事で本堂に入るのに入場料300円掛かるとの事。人のいる気配が無かったので辞めておきました。食事処としても営業しているようです。一塔二金堂の変わった伽藍配置で川原寺式伽藍配置というそうです。創建は天智天皇の時代に斉明天皇の冥福を祈って立てたそうです。飛鳥の四大寺の一つだそうです。構成資産です。

    川原寺跡 名所・史跡

  • 自転車で南東に進み、飛鳥村ハイライト石舞台古墳です。自転車を駐輪場に止めて入場料を払って入ります。またまた飛鳥王国パスポートが役に立ちます。石舞台古墳はかつては土が盛られていたのですが、土がなくなり玄室だけになってしまった古墳です。古墳の形は不明で古墳時代の後期のものだそうです。構成資産です。さすがに観光客が多いです。ところで自転車で廻ると皆さん同じようなルートになってしまい、同じ顔ぶれを行く先々でお見かけするようになります。妙に照れますね。

    自転車で南東に進み、飛鳥村ハイライト石舞台古墳です。自転車を駐輪場に止めて入場料を払って入ります。またまた飛鳥王国パスポートが役に立ちます。石舞台古墳はかつては土が盛られていたのですが、土がなくなり玄室だけになってしまった古墳です。古墳の形は不明で古墳時代の後期のものだそうです。構成資産です。さすがに観光客が多いです。ところで自転車で廻ると皆さん同じようなルートになってしまい、同じ顔ぶれを行く先々でお見かけするようになります。妙に照れますね。

    国営飛鳥歴史公園 公園・植物園

  • 石舞台古墳の内部です。被葬者は蘇我稲目説とその息子の蘇我馬子説があり、蘇我馬子説が有力だそうです。蘇我馬子は敏達天皇、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇のときに大臣として使え、聖徳太子と協調して仏教を広めたり、自らが即位させた崇峻天皇と対立すると暗殺したりした(天皇の暗殺は確実視されているのはこの時だけだそうです)そうです。姪の推古天皇の時代に都を蘇我氏の地元の飛鳥に持ってきて蘇我氏全盛期を築きました。

    石舞台古墳の内部です。被葬者は蘇我稲目説とその息子の蘇我馬子説があり、蘇我馬子説が有力だそうです。蘇我馬子は敏達天皇、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇のときに大臣として使え、聖徳太子と協調して仏教を広めたり、自らが即位させた崇峻天皇と対立すると暗殺したりした(天皇の暗殺は確実視されているのはこの時だけだそうです)そうです。姪の推古天皇の時代に都を蘇我氏の地元の飛鳥に持ってきて蘇我氏全盛期を築きました。

  • 12:50頃になり昼食を食べに4トラを参考に石舞台古墳の広場の前にある夢市茶屋に行きます。昼食時なので混んでるのは覚悟してましたが、何とか直ぐに席に着けました。

    12:50頃になり昼食を食べに4トラを参考に石舞台古墳の広場の前にある夢市茶屋に行きます。昼食時なので混んでるのは覚悟してましたが、何とか直ぐに席に着けました。

  • 料理は入り口のキャッシャーで先に購入することになってます。お勧めとある古代米御前を注文。結構量がありました。

    料理は入り口のキャッシャーで先に購入することになってます。お勧めとある古代米御前を注文。結構量がありました。

  • 昼食後、自転車で南下、飛鳥稲淵宮跡です。13:20頃。誰もいない。そして何も無い。碑と説明板があるだけ。1977年に発見された遺跡で4棟の掘っ立て柱の建物があったらしいです。天智天皇が考徳天皇の時代に難波から引き上げてきたときに一時住んでいた飛鳥川辺行宮跡ではないかと考えられているそうです。構成資産です。

    昼食後、自転車で南下、飛鳥稲淵宮跡です。13:20頃。誰もいない。そして何も無い。碑と説明板があるだけ。1977年に発見された遺跡で4棟の掘っ立て柱の建物があったらしいです。天智天皇が考徳天皇の時代に難波から引き上げてきたときに一時住んでいた飛鳥川辺行宮跡ではないかと考えられているそうです。構成資産です。

  • 一旦明日香の夢市の前を再び通過して直進。岡寺に向かいます。坂がきつく自転車を押して進みます。駐輪場がいっぱいでした。自転車で廻るツアーがあるようです。13:30頃岡寺到着。暫定の世界遺産構成資産としては岡寺跡となっており、厳密にはここではないのですがせっかくなのでまずは現在の岡寺に行きます。入場料が要りますがここも飛鳥王国パスポートの割引が受けれます.<br />写真は仁王門。重要文化財です。

    一旦明日香の夢市の前を再び通過して直進。岡寺に向かいます。坂がきつく自転車を押して進みます。駐輪場がいっぱいでした。自転車で廻るツアーがあるようです。13:30頃岡寺到着。暫定の世界遺産構成資産としては岡寺跡となっており、厳密にはここではないのですがせっかくなのでまずは現在の岡寺に行きます。入場料が要りますがここも飛鳥王国パスポートの割引が受けれます.
    写真は仁王門。重要文化財です。

  • 仁王門を潜り階段を上がると本堂にでます。岡寺は天武天皇の子の草壁皇子が住んだ岡宮跡に建立された寺です。藤原京時代のようです。現在は真言宗のお寺になっています。

    仁王門を潜り階段を上がると本堂にでます。岡寺は天武天皇の子の草壁皇子が住んだ岡宮跡に建立された寺です。藤原京時代のようです。現在は真言宗のお寺になっています。

  • 境内の芍薬が綺麗に咲いていました。他にもさまざまな花が咲いており、花の写真を撮りに来ていた人も結構いました。

    境内の芍薬が綺麗に咲いていました。他にもさまざまな花が咲いており、花の写真を撮りに来ていた人も結構いました。

  • 三重塔です。昭和61年に再建されたそうです。

    三重塔です。昭和61年に再建されたそうです。

  • 三重塔近くから本堂を見下ろしました。

    三重塔近くから本堂を見下ろしました。

  • 岡寺の仁王門から直ぐ目の前に治田神社がありその境内に岡寺跡(創建時の跡地)があります。手前を北に行く道が駐車場に行く道らしく人通りはそこそこあるのですが誰もこの跡地には見向きもしてませんでしたね。史跡の案内板もあるので迷うことはないと思います。構成資産です。

    岡寺の仁王門から直ぐ目の前に治田神社がありその境内に岡寺跡(創建時の跡地)があります。手前を北に行く道が駐車場に行く道らしく人通りはそこそこあるのですが誰もこの跡地には見向きもしてませんでしたね。史跡の案内板もあるので迷うことはないと思います。構成資産です。

  • 岡寺から伝飛鳥板蓋宮跡に向かう途中にふと犬養万葉記念館が気になる。飛鳥王国パスポートにも割引券があるのだがどういう人物だか全く知識が無かったです。で、気になったので寄ってみます。写真は記念館の外観です。14:10着。犬養万葉氏は文学博士で万葉集の研究家に一生を捧げた方で万葉集を広く紹介した方だそうです。万葉集はあまり馴染みがないのでさらっと見て回りました。

    岡寺から伝飛鳥板蓋宮跡に向かう途中にふと犬養万葉記念館が気になる。飛鳥王国パスポートにも割引券があるのだがどういう人物だか全く知識が無かったです。で、気になったので寄ってみます。写真は記念館の外観です。14:10着。犬養万葉氏は文学博士で万葉集の研究家に一生を捧げた方で万葉集を広く紹介した方だそうです。万葉集はあまり馴染みがないのでさらっと見て回りました。

    犬養万葉記念館 美術館・博物館

  • 14:20頃伝飛鳥板蓋宮跡到着。板蓋宮自体は現在の田畑も含めてかなり大きな敷地を有していたようですが一部だけ遺構を整備されています。ここは中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我入鹿暗殺(乙未の変)の現場となります。私は日本の歴史の中で源平、戦国、幕末と並んで天智天武の時代が好きでしばし当時の出来事に思いをはせます。ここも構成資産です。

    14:20頃伝飛鳥板蓋宮跡到着。板蓋宮自体は現在の田畑も含めてかなり大きな敷地を有していたようですが一部だけ遺構を整備されています。ここは中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我入鹿暗殺(乙未の変)の現場となります。私は日本の歴史の中で源平、戦国、幕末と並んで天智天武の時代が好きでしばし当時の出来事に思いをはせます。ここも構成資産です。

    飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡) 名所・史跡

  • 飛鳥京苑池遺構に向かう途中弥勒石を見学。

    飛鳥京苑池遺構に向かう途中弥勒石を見学。

  • 飛鳥京苑池遺構です。はっきりした場所もわからす川沿いの細い道を手探りで進んだら説明板がありました。説明板があるからにはここでしょう。七世紀中頃から八世紀の間に苑地として使われていたそうです。全体像のわかる日本最古の庭園だそうです。石がいっぱい転がっているだけで私にはわかりませんが。これも構成資産です。

    飛鳥京苑池遺構です。はっきりした場所もわからす川沿いの細い道を手探りで進んだら説明板がありました。説明板があるからにはここでしょう。七世紀中頃から八世紀の間に苑地として使われていたそうです。全体像のわかる日本最古の庭園だそうです。石がいっぱい転がっているだけで私にはわかりませんが。これも構成資産です。

  • 自転車で北上し飛鳥寺に到着。14:50頃。

    自転車で北上し飛鳥寺に到着。14:50頃。

    安居院(飛鳥寺) 寺・神社・教会

  • 飛鳥寺の門です。境内は無料で入れます。金堂に入るのに入場料がいります。ここでも飛鳥王国パスポートが役に立ちます。飛鳥寺は蘇我氏の氏寺で日本最古の本格寺院として蘇我馬子の発願で創建されたそうです。

    飛鳥寺の門です。境内は無料で入れます。金堂に入るのに入場料がいります。ここでも飛鳥王国パスポートが役に立ちます。飛鳥寺は蘇我氏の氏寺で日本最古の本格寺院として蘇我馬子の発願で創建されたそうです。

  • 金堂に入ります。ご住職と思われる方の飛鳥大仏の説明をされいていました。飛鳥大仏の本体は銅ですが台座が石で出来ているそうです。大仏は顔の一部と指がオリジナルで後世大掛かりな補修が入っているとの事です。建物自体は江戸時代に再建されたものだそうです。大仏が鎮座している場所はオリジナルのままだそうです。

    金堂に入ります。ご住職と思われる方の飛鳥大仏の説明をされいていました。飛鳥大仏の本体は銅ですが台座が石で出来ているそうです。大仏は顔の一部と指がオリジナルで後世大掛かりな補修が入っているとの事です。建物自体は江戸時代に再建されたものだそうです。大仏が鎮座している場所はオリジナルのままだそうです。

  • 本堂の様子。境内には塔の跡も残ってます。鎌倉時代初期に金堂、塔が落雷で火災にあい、しばらく大仏は露天だったそうで江戸時代も金堂が再建されるまで仮堂があっただけだそうです。

    本堂の様子。境内には塔の跡も残ってます。鎌倉時代初期に金堂、塔が落雷で火災にあい、しばらく大仏は露天だったそうで江戸時代も金堂が再建されるまで仮堂があっただけだそうです。

  • 境内を西に出ます。直ぐ前に飛鳥寺中門跡があります。

    境内を西に出ます。直ぐ前に飛鳥寺中門跡があります。

  • その先、蘇我入鹿の首塚です。実際ここに入鹿の首が埋まっているかは不明です。<br />その先のエリアが飛鳥時代は広場となっていました。槻(ケヤキ)の大木が一本立っていて槻の広場と呼ばれていました。ここで開催された蹴鞠の会で中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足が出会い、未乙の変と続きます。<br />未乙の変のときも蘇我入鹿暗殺後中大兄皇子側の軍が集結し、甘樫丘の館に立てこもる蘇我蝦夷の軍と一時対峙しました。<br />後年、壬申の乱でもここで大友皇子側の高坂王が陣営を張っているところ大海人皇子側の大伴連吹負が奇襲攻撃を加えて打ち破った場所になります。15:10頃

    その先、蘇我入鹿の首塚です。実際ここに入鹿の首が埋まっているかは不明です。
    その先のエリアが飛鳥時代は広場となっていました。槻(ケヤキ)の大木が一本立っていて槻の広場と呼ばれていました。ここで開催された蹴鞠の会で中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足が出会い、未乙の変と続きます。
    未乙の変のときも蘇我入鹿暗殺後中大兄皇子側の軍が集結し、甘樫丘の館に立てこもる蘇我蝦夷の軍と一時対峙しました。
    後年、壬申の乱でもここで大友皇子側の高坂王が陣営を張っているところ大海人皇子側の大伴連吹負が奇襲攻撃を加えて打ち破った場所になります。15:10頃

  • 飛鳥寺の前のお土産物屋さんで蘇(古代チーズ)と飛鳥の酪(飲むヨーグルト)を購入。みるく工房飛鳥さんの商品でずっと以前古代チーズの復元と商品化に成功したというニュースを聞いてからいつか食べてみたいと思ってました。この日の夜食にしました。まあ、味がどうというものではないですが貴重なものを頂けました。

    飛鳥寺の前のお土産物屋さんで蘇(古代チーズ)と飛鳥の酪(飲むヨーグルト)を購入。みるく工房飛鳥さんの商品でずっと以前古代チーズの復元と商品化に成功したというニュースを聞いてからいつか食べてみたいと思ってました。この日の夜食にしました。まあ、味がどうというものではないですが貴重なものを頂けました。

  • 飛鳥寺の後、酒船石遺跡に向かいます。駐輪場に自転車を止めた後丘を登ります。酒船石の手前左手に石垣状遺構があります。この遺構は日本書紀記載の斉明天皇の時代に宮の東の山に石垣を作ったとある部分の遺構ではないかと考えられているとの事。

    飛鳥寺の後、酒船石遺跡に向かいます。駐輪場に自転車を止めた後丘を登ります。酒船石の手前左手に石垣状遺構があります。この遺構は日本書紀記載の斉明天皇の時代に宮の東の山に石垣を作ったとある部分の遺構ではないかと考えられているとの事。

  • 丘の上、竹林の中、酒船石です。丘の下の小判形石造物と亀形石造物とあわせて庭園の施設ではないかとも考えられているようです。構成資産です。15:20頃

    丘の上、竹林の中、酒船石です。丘の下の小判形石造物と亀形石造物とあわせて庭園の施設ではないかとも考えられているようです。構成資産です。15:20頃

    酒船石 名所・史跡

  • 再び丘を降りてきて今度は亀形石造物に行きます。こちらは入場料が必要になります。ここは飛鳥王国のパスポートは使えません。

    再び丘を降りてきて今度は亀形石造物に行きます。こちらは入場料が必要になります。ここは飛鳥王国のパスポートは使えません。

  • 小判形石造物と亀形石造物です。ボランティアガイドさんがみえて、説明をしてくれます。斉明天皇の時代、祭祀に使われていたのではとの事でした。

    小判形石造物と亀形石造物です。ボランティアガイドさんがみえて、説明をしてくれます。斉明天皇の時代、祭祀に使われていたのではとの事でした。

    亀形石造物 名所・史跡

  • 遺跡のアップです。この直ぐ横に万葉文化館があるのですが自転車の返却が17:00まで。この時点で15:40頃。まあ翌日もあるのでこの日は飛鳥駅への帰路につきます。

    遺跡のアップです。この直ぐ横に万葉文化館があるのですが自転車の返却が17:00まで。この時点で15:40頃。まあ翌日もあるのでこの日は飛鳥駅への帰路につきます。

  • 帰り道、探りながら菖蒲池古墳を探します。菖蒲池古墳、植山古墳、丸山古墳の案内図が道のところどころにあり、何とかわかりました。写真は菖蒲池古墳の入り口。ここは探しました。

    帰り道、探りながら菖蒲池古墳を探します。菖蒲池古墳、植山古墳、丸山古墳の案内図が道のところどころにあり、何とかわかりました。写真は菖蒲池古墳の入り口。ここは探しました。

  • 菖蒲池古墳です。最近調査されたそうです。終末期の古墳で円墳です。被葬者不明。構成資産です。

    菖蒲池古墳です。最近調査されたそうです。終末期の古墳で円墳です。被葬者不明。構成資産です。

    菖蒲池古墳 名所・史跡

  • この後植山古墳に向かいます。入り口がわからず、近所の方に伺ったらこの坂を上っていけばいいと教えていただく。ただ、今は何も見えないけどと仰っていました。このときは意味が判らず。

    この後植山古墳に向かいます。入り口がわからず、近所の方に伺ったらこの坂を上っていけばいいと教えていただく。ただ、今は何も見えないけどと仰っていました。このときは意味が判らず。

  • 坂を上がっていくと墓地がありその上に神社がありました。墓地から隣に造成地に見える山地にブルーシートと覆屋が見える・・・発掘調査中でしたか。植山古墳は改葬される前の、真の推古天皇と竹田皇子の合葬墓ではないかといわれているそうです。6世紀末から7世紀前半だそうです。長方墳。構成資産です。16:20頃

    坂を上がっていくと墓地がありその上に神社がありました。墓地から隣に造成地に見える山地にブルーシートと覆屋が見える・・・発掘調査中でしたか。植山古墳は改葬される前の、真の推古天皇と竹田皇子の合葬墓ではないかといわれているそうです。6世紀末から7世紀前半だそうです。長方墳。構成資産です。16:20頃

    植山古墳 名所・史跡

  • 16:30頃見瀬丸山古墳到着。現在は真の欽明天皇陵ではないかといわれています。6世紀後半の前方後円墳です。天智・持統天皇陵としての参考地で宮内省管轄になっています。<br />一時天武・持統天皇陵に治定されていたときもありました。現在は天武・持統天皇陵は野口王墓に治定されており、これはほぼ間違いないと言われています。ややこしい。構成資産です。16:30頃。<br />レンタルサイクルの返却時間が17:00。何とかぎりぎり間に合いそうです。

    16:30頃見瀬丸山古墳到着。現在は真の欽明天皇陵ではないかといわれています。6世紀後半の前方後円墳です。天智・持統天皇陵としての参考地で宮内省管轄になっています。
    一時天武・持統天皇陵に治定されていたときもありました。現在は天武・持統天皇陵は野口王墓に治定されており、これはほぼ間違いないと言われています。ややこしい。構成資産です。16:30頃。
    レンタルサイクルの返却時間が17:00。何とかぎりぎり間に合いそうです。

    丸山古墳 名所・史跡

  • 16:30レンタルサイクル返却。この日は八木西口駅近くのホテルに宿泊予定。16:50の近鉄急行で橿原神宮前へ移動します。

    16:30レンタルサイクル返却。この日は八木西口駅近くのホテルに宿泊予定。16:50の近鉄急行で橿原神宮前へ移動します。

  • 橿原神宮前で大和八木方向の列車に乗り換えます

    橿原神宮前で大和八木方向の列車に乗り換えます

  • 八木西口で下車。ホテルまで10分くらい歩きました。

    八木西口で下車。ホテルまで10分くらい歩きました。

  • webで予約したタウンホテルです。朝食付き。ホテルの周りには皆無ではないですが食事どころが少ない。結局コンビニ弁当で夕食。

    webで予約したタウンホテルです。朝食付き。ホテルの周りには皆無ではないですが食事どころが少ない。結局コンビニ弁当で夕食。

  • 部屋の様子です。翌日、2に続きます。

    部屋の様子です。翌日、2に続きます。

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