2014/04/26 - 2014/04/27
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satoshiさん
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2014年GWの前半戦、4月26,27日に飛鳥・橿原をレンタルサイクルで廻ったときの旅行記です。1の続きになります。
この日も暫定の世界遺産構成資産を中心に巡ります。前日の飛鳥駅周辺が未乙の変前後の遺跡が多かったのに対し、この日は橿原神宮前付近の藤原京時代の遺跡が多かったです。(もちろんなんとなくですが)
ホテルで朝食を頂いた後、チェックアウト。橿原神宮前に移動。橿原神宮を参拝後レンタルサイクルで甘樫丘周辺から回り始めます。2日に分けて自転車で高低のある場所を走りまくったおかげで足がパンパンになりました。いい運動です。最後はバテましたが。
今回の旅行を通してこの時代のことそれなりに知っていたつもりでしたが、いろいろ見て周り知らなかったことを知ることが出来て勉強になりました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ホテルで朝食を頂きます。三種類から選べて、私はベーコンエッグを選択しました。7:00頃。この後チェックアウト。
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八木西口の駅です。切符売り場と改札は地下通路にありました。
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7:30頃。橿原神宮前行きの近鉄電車です。観光客よりも地元の高校生が多かったです。7:45頃橿原神宮に到着しますが、ここでミス発覚。飛鳥駅のレンタルサイクル店が8:00オープンだったので橿原神宮の駅前のレンタル自転車店も8:00オープンと勘違いしていたのですが、2件ある内2件とも9:00オープン。時間が余ってしまう+予定が狂ってしまう。
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悩んでもしょうがないので予定変更。とりあえず駅から歩いていける橿原神宮とミサンザイ古墳(神武天皇陵に治定)を見学に行く。写真は橿原神宮第一の鳥居
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第二の鳥居です。橿原神宮は初代神武天皇を祀った神宮で明治時代に創建されました。さすがに参道や鳥居、拝殿が立派で明治神宮を思い出させてくれます。
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外拝殿です。因みに橿原神宮の建物の設計は築地本願寺を設計した伊藤忠太氏だそうです。後に見える山は畝傍山。大和三山の一つです。この山は構成資産となります。境内の北に抜けた参道の途中に畝傍山の登山口があるのですが今回は大和三山の登山は止めておきます
橿原神宮 寺・神社・教会
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内拝殿です。
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一旦通りに出て北に進みミサンザイ古墳に進みます。神武天皇陵に治定されています。
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参拝所です。神武天皇陵は江戸時代に神武天皇陵と呼ばれていた場所とその他2箇所の計3箇所の候補があり、幕末、天皇陵の治定、整備が進んだときに3箇所あるがどうするとなり、孝明天皇がミサンザイ古墳を神武天皇陵に治定したとの事です。その後堀を巡らせもともと小さな塚を方形に整形した改修がなされたそうです。江戸時代まで神武天皇陵とされていた桃花鳥田丘上陵は綏靖天皇陵に治定されたとの事。
神武天皇陵 名所・史跡
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8:50頃、再び橿原神宮前駅に戻ってきて近鉄サンフラワーさんで自転車を借ります。時間前でしたが全然大丈夫といわれました。
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甘樫丘に向かう途中劔池嶋上陵(考元天皇陵に治定)を右手に見て通過
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小墾田宮跡伝承地です。近くまで行き、あとは地元の人に教えて頂いたのですが、その方も「最近は南の方にあったらしいって話ですよ」とおっしゃっていました。実はまだこのときは勉強不足でそんな説もあるんだって思ったのですが、あとでいろいろ調べるとどうもその可能性が濃厚になっているらしい。
小墾田宮とは推古天皇が営んだ宮で、聖徳太子や蘇我氏全盛期の日本の中心地になります。この場所は今では蘇我氏の邸宅跡ではないかといわれ、小墾田宮跡地は雷丘南側の雷内畑遺跡では無いかといわれているそうです。 -
国営飛鳥歴史公園の甘樫丘地区到着。9:15頃。甘樫丘は飛鳥時代の歴史書に良く出てくる丘で蘇我蝦夷、入鹿親子が天皇の権勢にせまる邸宅を東の麓に建て、武装した兵を常駐させて未乙の変の原因を作った場所です。時代をさかのぼると日本書紀には允恭天皇の時代、ここで盟神探湯(くがたち)が行われたとの記載があるそうです。私は盟神探湯と聞くだけで手が熱くなります。あちち
国営飛鳥歴史公園 公園・植物園
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時間が無いので甘樫丘を一気に登ります。北側の展望台、豊浦展望台です。
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豊浦展望台は東から北を通って西までの展望が開けています。良く見ると藤原京跡もはっきり見えます。西北西方向の眺め。写真チョイ左の山は畝傍山。大和三山です。
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今度は北北西の眺め。中央は耳成山。これも大和三山。
耳成山 自然・景勝地
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北方向の眺め。木の枝の下の山が天の香具山。大和三山。畝傍山が西側となり、耳成山が北側、天の香具山が東側となり三山に囲まれたエリアが藤原京になります。大和三山で構成資産をなします。
私の場合、天の香具山は小倉百人一首のなかの持統天皇の
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
の歌で子供の頃から頭にインプットされている地名です香具山 自然・景勝地
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今度は東北東方面。前日行った伝飛鳥板蓋宮跡や橘寺の方向です。
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東方向。飛鳥寺の方向。上の写真の場所と共に未乙の変や壬申の乱の舞台です。
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甘樫丘にはもう一つ展望台があり中央の川原展望台です。ひょっとして蘇我氏の甘樫の邸宅の場所のヒントがあるかと思いいって見ますが、展望は西面のみ。それもあまり開けていなかったです。写真は辛うじて見える畝傍山
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豊浦展望台と川原展望台の間のカエデの木(だと思う)なんで今赤いのか、不思議。
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本日の相棒、ママちゃり明日香2号(手前)
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水落遺跡前の明日香村埋設文化財展示館です。無料です。
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明日香村埋設文化展示館の中です。この井戸は雷丘東方遺跡から発掘された井戸でこの井戸の中から「小墾田宮」と書かれた土器が発見され、雷丘東方遺跡が真の小墾田宮ではないかといわれるようになったそうです。雷丘東方遺跡はこの展示館の北西、雷の交差点のチョイ南らしいです。
この展示館にはボランティアガイドの方が見えまして、熱心にいろいろ教えて頂けます。私もいろいろ質問させて頂き大変勉強になりました。 -
キトラ古墳の復元です。キトラ古墳の四神図の実物は珠に特別展示を行うことがあるので見られた方もいらっしゃると思います。私も2年くらい前に偶然飛鳥資料館で見学することが出来ました。
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明日香村埋設文化展示館を出て、歩いて直ぐ目の前の水落遺跡に行きます。この遺跡は660年に中大兄皇子(後の天智天皇)によって作られた水時計の跡です。構成資産です。
飛鳥水落遺跡 名所・史跡
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甘樫丘の眺めです。このとき急に、蘇我蝦夷、入鹿の邸宅跡かもしれないといわれる甘樫丘東麓遺跡を見なくなってスマホで調べたり、自転車で走ったりして探すことに。
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結論いうと甘樫丘東麓遺跡は見つけることが出来ませんでした。写真は当たりを付けた甘樫丘の東側の広場。帰ってから調べてみるとどうやらこの広場のもう少し北側。駐車場の西側だったようです。
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甘樫丘東麓遺跡の位置を確認できず傷心のまま奈良県立万葉文化館に行きます。前日行った亀形石造物(紛らわしいですが亀石ではないです)の直ぐ北になります。10:40頃。
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奈良県立万葉文化館の入り口です。飛鳥王国パスポートに割引券がありましたが展覧会の割引券で現代絵画作家の展覧会の為、有料施設は入るのは止めました。
奈良県立万葉文化館 美術館・博物館
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万葉文化館は飛鳥池工房遺跡をまたぐ形で建っています。実際の遺跡は4m下に埋まっているそうで、今見えるのは復元です。 天武・持統天皇の時代の工房の遺跡で、それまで日本最古の流通した貨幣と思われていた和同開珎よりも古い富本銭が発見されたそうです。構成資産です。
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万葉文化館の地階が万葉集にちなんだ歌をテーマにした展示がされています。万葉劇場というコーナーの柿本人麻呂の会の上映を見ましたが、イメージ先行で私のような知識の無い人にはわかり難かったです、というかほぼイメージだけの映像で面白くなかった。写真は展示コーナーの万葉時代の芸能人の展示
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気を取り直して万葉文化館の北側、飛鳥池工房遺跡の続きです。井戸などの跡も残ってます。
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万葉文化館の前の建物でASUCOMEというフードコート兼お土産物屋さんのモールがあり(4月26日オープンだったそう)そこで昼食をいただきます。お勧めと書いてあった亀石カリーです。写真の撮り方が悪いのですがご飯が亀石みたいになってそら豆で目が再現されています。11:40頃食す。
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次は山田寺跡を目指すのですが、地図を見ると中臣鎌足の生誕地が万葉文化館の東にある。ついでだし寄っていくことに。写真は生誕地にある神社。この裏手に産湯の井戸がありました。
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そのチョイ奥に大伴夫人の墓があります。中臣鎌足の母に当たります。
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山田寺跡に到着。12:05頃。現在はお堂とその東側に山田寺の伽藍跡が広がります
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山田寺跡です。山田寺は山田石川麻呂の発願で創建した寺で山田石川麻呂は蘇我氏で蘇我馬子の孫、入鹿の従兄弟になるのですが未乙の変では中大兄皇子と中臣鎌足に協力して入鹿暗殺に協力しました。その後讒言で謀反の疑いを掛けられて建設中の山田寺で一族と共に自害しました。石川麻呂の娘の遠智娘が天智天皇に嫁ぎ鸕野讚良皇女(持統天皇)を生みました。山田寺は石川麻呂自害後に竣工しました。写真は中門跡から塔、金堂方向を見ました。
山田寺跡 名所・史跡
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山田寺の復元図です。四天王寺配置に近いですが講堂が回廊の外にあります。塔中心の日本の初期仏教伽藍が見て取れます。構成資産です。
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12:20頃、飛鳥資料館到着。飛鳥王国のパスポートで割引が受けれます。
飛鳥資料館 美術館・博物館
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ついさっき見てきた山田寺の回廊で発掘された連子格子が展示してあります。
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壬申の乱の頃の武人の復元です。この時代は映画やドラマになかなかならないのでその時代の人たちの姿がイメージできないのでこういう展示はありがたいです。
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場内で展示してある板蓋宮の周辺の復元ジオラマです。前日から自転車で走り回っているエリアなのでよく理解できました。
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石神遺跡から発掘された石神像です。重要文化財です。
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で、気になったので石神遺跡に行きました。水落遺跡の北側、埋設文化財展示室の当たりから東側のエリアになります。斉明天皇の時代の饗宴の場所だったらしいです
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雷交差点の西、雷丘です。この丘の東南、この写真を撮っているあたりから南にかけてが小墾田宮跡ではないかといわれています。
雷丘 自然・景勝地
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雷丘から天の香具山を正面に大官寺に向かいます。
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北に向かって大官寺跡に到着。写真は北の金堂跡から塔方向の眺め。大官寺は藤原京時代に創建された(移築されたとの記述も)寺で藤原京の条坊にはいっています。塔は九重の塔で、古代の寺院では最大のものになったそうです。完成する前に火災にあったそうです。今は塔と金堂、講堂のあたりの盛り土しかありません。構成資産です。
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そのまま北に向かい天の香具山の西をまわり、藤原京朱雀大路跡到着。藤原京の中央の大通りの跡です。一部分が保存されていました。構成資産です。
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朱雀大路の北側正面に藤原京跡。朝堂院南門の柱位置を復元しています。13:30頃。
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朝堂院南門から東をみて天の香具山です。
香具山 自然・景勝地
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北方向に耳成山です。
耳成山 自然・景勝地
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西方向に畝傍山です。香具山、耳成山、畝傍山の三山で大和三山といい、藤原京の中での重要なランドマークになります。大和三山で構成資産になります。
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更に奥に進み大極殿院閣門の柱越に大極殿跡を見ます。
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大極殿院閣門の柱の復元です。
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大極殿跡は林になっていていました。藤原京は天武天皇が計画して持統天皇によって着工され694年に遷都した日本で始めての条坊制の計画都市です。710年に更に北の平城京に遷都するまでの16年間日本の首都として機能しました。この頃の文化を白鳳文化と呼びます。構成資産です。
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本薬師寺跡に到着。14:20頃。金堂跡です。この金堂跡に民家が建っており勝手に入っていいのか躊躇しました。本薬師寺は天武天皇が持統天皇の病気平癒を願って創建した寺院で、後に平城京に移ります。今の薬師寺と区別するため本薬師寺と呼ばれています。構成資産です。
本薬師寺跡 名所・史跡
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西塔南から見た伽藍です。右の木立が東塔跡、中の林が金堂跡、左の土手が西塔跡になります。二塔、一金堂、一講堂の伽藍配置です。この後橿原神宮前に戻り自転車を返却。14:50頃、レンタルサイクル屋さんのおじさんにもういいの?と聞かれる。いやあ、疲れましたよ。ほんと。
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15:00頃橿原神宮前から急行で大和八木に向かいます。
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15:30頃大和八木から伊勢中川まで賢島行き特急で行きます。
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16:30頃伊勢中川で名古屋行き特急に乗り換え。名古屋に帰りました。
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