2014/03/05 - 2014/03/29
613位(同エリア10342件中)
tadさん
ロンドン大学(University College London)の建物の中庭に、長州人にはなじみの5人組の名前を刻んだ立派な石碑がある。幕末の1863年に長州から密かに5人がロンドン大学に派遣された。司馬遼太郎や大家荘一の書物等に説明があるが、吉田松陰がアメリカへの密航を企ててペリーの黒舟に乗り込もうとしたのが1853年だった。松陰は後に結局幕府の手で処刑された。その弟子高杉晋作は上海を見る機会があった。海外経験の必要性を認識していた毛利藩は、大金を使って5人をロンドンに送り込むことに成功したのは、松陰が渡航努力をした10年後であった。それでも、決死の渡航であったことは間違いない。この5人というのは、次の写真に名前が見える。伊藤博文、井上馨。山尾庸三、井上勝、遠藤謹助の5人である。伊藤博文は初代の総理大臣、井上馨は初代の外務大臣、山尾庸三は東京帝大工学部の開祖、井上勝は新橋横浜間の鉄道建設のパイオニア、遠藤謹助は大阪の造幣局立ち上げといづれも明治新政府等で活躍した。
ここで学んだ姪から聞いた話だが、ロンドン大学に入学した日本人学生はしばしばここに入学式の後、案内されるそうだ。もともとロンドン大学の人たちがChoshu Fiveという言い方をはやらせたようだ。先月、ここを訪問の際、日本人のロンドン大学SOASの先生や学生とも、その話が出て、やはり、日本からの訪問客に、そこの案内をしてあげたことなどあるそうだ。山尾庸三は聾唖教育の元祖でもあるが、手話の研究をしている大学院生も、ここを訪問する日本人の聾唖教育の専門家を案内したそうだ。私が長州人で、山尾のそういったことも知っていたので、話は盛り上がった。ひとしきり、ロンドンのパブで、幕末の話等が続いた。
退職後、そういう関係の歴史的な書などを読む時間も増えたので、ますます関心が高まっている。伊藤博文や井上馨の明治維新後の活躍や外交的活動の跡を追うと、果たして、最近の政治家がここまで胆力をもって外交等に臨んでいるであろうかと心配になるほどだ。特に伊藤博文の外交感覚や活動は、非常に幅広く、優れていたのではないかと思うようになっている。片手間ではあるが、退職後で時間はあるので、もっと資料を読んでみたいものだ。
(2021年2月追加;以上の説明は2014年に記したもの。今だったら、司馬遼太郎や大家荘一などを引き合いには出さないだろう。其の後は専門家の文献にあたるように努力してきた。ここに書いている範囲だと大きい修正は必要ない。)
- 旅行の満足度
- 5.0
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ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン
University College Londonユニバーシティ カレッジ ロンドン 建造物
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長州ファイブの来た1863年の2年後には薩摩藩がたくさんの留学生を送り込んできた。この名前を見ると、五代友厚と森有礼は知っているが、他の人名は私は寡聞にして知らない。
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この石碑を建てたのは日本人だ。
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ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン
University College London -
University College Londonの正門から。
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ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン
University College London -
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この旅行記へのコメント (2)
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- frau.himmelさん 2020/11/23 22:46:00
- 薩摩藩の留学生のその後
- tadさまこんばんは。
初めてコメントさせていただきます。
tadさまの古い写真と、それにまつわる興味深い旅行記を、楽しく拝見させていただいています。
さて、今回は長州ファイヴのことを取り上げていらっしゃいまして、その中で薩摩の留学生のことに触れていらっしゃいます。
実は私、薩摩の留学生のことを前に旅行記で取り上げておりました。
五代と森有礼の他の留学生のその後のことも書いておりますので、よろしかったらご覧になってください。
拙い旅行記で大変恥ずかしいのですが、長州ファイヴのことにも触れています。
https://4travel.jp/travelogue/11426380
「鹿児島歴史旅 ☆薩摩藩英国留学生記念館☆国禁を犯し 決死の思いで英国へ旅立った 明治黎明期の若き藩士たち」
これからもご旅行記、拝見させていただきたいと思います。
himmel
- tadさん からの返信 2020/11/26 23:13:47
- RE: 薩摩藩の留学生のその後
- himmelさん、
こんばんわ。
コメント有難うございます。 小さな旅に出かけていて、反応遅れてしまいました。
今、旅行記読ませていただきました。薩摩藩の留学生は、豊かだったこともあり、かなり緩やかに選択されて大量に送り込まれていますね。
私の旅行記はロンドン大学に行ったときのもので、もう6年前の意見になってしまいましたが、薩摩藩の留学生について書いたことは、それほど、今も意見が変わっていません。歴史的にあまり関心がない人がほとんどだからです。
鹿児島では今でも、西郷が圧倒的人気で、なぜ大久保や小松がそれほど高く評価されないのか理解できません。山口県でも松陰の人気が高く、伊藤や井上の本当の歴史的業績が大衆に殆ど知られていないのは、大河ドラマや大衆向け小説などのせいだと思われます。
家内の先祖の墓は城山の西郷の墓の斜め後ろにありますが、若者を大量に道連れにした西郷の罪は許せません。西郷の江戸城明け渡し後の仕事ぶりは、彼が国際情勢に基づく政治判断がまったくできなかったことが原因だと思います。
長州の久坂なども京都で早とちりの死を迎えました。松陰も気短すぎました。その点、維新後に苦労して国造りをした大久保や伊藤などのほうを、私は今でははるかに歴史に残る仕事をしたと思うようになりました。そういった考えをもつ根拠を支える専門家の書を大量に読んできましたので、今では、軽い大河ドラマなどは見ることがなくなりました。歴史的意味や真実などどうてもいい適当な内容が多いからです。ご気分を悪くされたかもしれませんが、別のところで書いたことでもあり、率直に述べさせていただきました。悪しからず!
tad
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