2014/03/16 - 2014/03/19
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Weiwojingさん
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初めての四国訪問。短時間で四国全体を回ることはできませんので、手始めに今回は最も興味のあった徳島県と愛媛県の2県を訪ねることにしました。と言っても、徳島、板東、脇町、貞光、松山を訪ねただけでしたが、見どころがいっぱい詰まったところばかりで、残念ながら時間的に訪ねることが出来ない場所もたくさんありました。
今回は次のような旅行記を作成してみました。まだ完成していないものもありますが、徐々にご覧いただけると、幸甚に存じます。
① 「阿波の徳島:ハリストス教会、モラエス、洋館、食巡り」 → 本稿
② 「板東ベートベン第九の街から ー ドイツ館、俘虜収容所跡、バトルの庭を訪ねて」
http://4travel.jp/travelogue/10871055
③ 「うだつの街を訪ねてー脇町と貞光」
http://4travel.jp/travelogue/10871499
④ 「白い城壁に映える松山城」
http://4travel.jp/travelogue/10871796
⑤ 「松山市内をそぞろ歩く」
http://4travel.jp/travelogue/10871952
⑥ 「松山近代建築散歩ー愛媛県庁と万翠莊」
http://4travel.jp/travelogue/10873551
■■ このカバーの画像は、徳島市内で偶然見っけた焼肉屋の看板ですが、そこに往年の大スター石原裕次郎の似顔絵が描かれていて、思わず写真を撮ってしまいました。■■
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徳島の旅はまずJR徳島駅から出発です。今回の旅行は、徳島空港( 徳島阿波おどり空港 ) から徳島駅に来て、駅近くのホテルにチェツクイン、3泊、そしてすべてここを中心に動き回りました。
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徳島と言えば、何はともあれ阿波踊りですね。それを象徴するようなものが駅前の郵便ポストの上にありました。次回はぜひとも阿波踊りの時期に来て、踊りを実際に見てみたいです。
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初日はあまり動き回らず、「徳島ハリストス教会」へだけ出掛けてみました。ハリストス教会( ロシア正教会 )は四国ではここだけにしかなく、予てからぜひ訪ねてみたいと思っていたところです。
この日は日曜日なので教会は開いているのではないかと考えて出掛けた訳ですが、幸いにして開いていて神父さんがおられました。 -
教会入り口。頭上に「聖神降臨聖堂」という名前が掲げられています。こちらの方が正式の名前のようです。
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中に入ると、カトリックともプロテスタントとも違う独特の雰囲気に圧倒されてしまいました。会堂内にイコン(イコノスタ)が所狭しと飾られています。
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どなたか信者の方々がろうそくを寄進されたようで、淡い光を放っています。
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この方がグレゴリィ小川公神父です。ハリストス教会のことや山下りんのことを詳しく教えてくれました。
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なぜこの教会を訪ねてみたかったのかと言うと、ここにはいくつも山下りんが制作したイコン(イコノスタ)があると聞いていたからです。
山下りんと言うのは、明治後半にロシアに留学し、絵画を学んで、帰国後日本各地にある正教会に宗教画を制作したことで特筆すべきイコン画家なのです。彼女がほとんど注目されないのは、イコンには製作者の名前を書き入れないため彼女の作品の大部分が特定できないことによります。
りんの作品はかなりあります。東京お茶の水の東京復活大聖堂(ニコライ堂)には数点しかないのに、この徳島ハリストス教会には10点以上もあります。 -
山下りん制作イコン ① 「聖母マリアのイエス誕生図」
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山下りん制作イコン ② 「聖母子像」
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山下りん制作イコン ③ 「聖ヨハネ像」
右手に「聖」と書かれた丸いものを持っていますね。 -
山下りん制作イコン ④ 「イエス像」
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山下りん制作イコン ⑤ 「ガブリエル天使像」
こちらは左手に「聖」と書かれた丸いものを持っています。何か意特別な味があるのでしょうか。 -
山下りん制作イコン ⑥ 「手に百合の花を持つ天使像」
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山下りん制作イコン ⑦ 「聖書を読む女性」
女性が読んでいる手元の聖書をよく見ると、日本語で書かれています。
紹介した作品以外にもりんが描いたものが幾つかあります。ロシア正教においてはイコンの制作に携わった人々の名は通常記することがないので、制作者が分からないことが多いです。そのためこの教会にあるイコンも作者不明のものもあります。 -
この方が山下りん( 1857〜1939 )です。出身は茨城県笠間市で、ロシアへの数年館の留学を経て、イコン製作者となりました。
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天井を見上げると、明かり採りのドームのようなものがあり、そこにはいくつもステンドグラスで彩られて、外からの光が美しく輝いています。
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小生にとって徳島で忘れることが出来ない文学者と言うと、ポルトガル出身のヴェンセスラウ・デ・モラエス(1854〜1929)を挙げることが出来ます。元々は神戸駐在ポルトガル領事で、領事を退いた後も日本にとどまり、ラフカディオ・ハーン( 小泉八雲 )と並び評される作家です。
これまで彼の作品をかなり読みました。数年前ポルトガルを訪れた際リスボンの生家を訪ねたこともあります。
徳島に来たらぜひとも彼と関わりのあるところを見てみたいと思っていました。このレリーフは彼の顕彰碑で、阿波おどり会館の近くにあります。 -
先ずは眉山の頂上に建つモラエス館を訪ねました。ここは彼の記念館で、モラエス詣でには欠かすことが出来ないところです。
モラエス館へは山頂にあるためケーブルカーで登らなければなりませんが、ところがケーブルカーは保守点検のため数日間運転していませんでした。仕方なく歩いて登りました。かなり険しい山道を歩いて1時間もかかってしまいました。 -
モラエスに関する展示は2階の展示室で見ることが出来ます。
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こちらも展示室です。日本とポルトガル両国で出版された彼の書籍や彼に関する新聞記事、専門書、写真、遺品、ポルトガルの文化等広く紹介されています。興味深いものばかりです。
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この方がモラエスです。若い時の写真です。
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こちらは壮年期とも言える頃のものです。
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モラエスが住んでいた家の居間が復元されて、生前のままの姿を見ることが出来ます。
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モラエス館のすぐ近くにミャンマーから贈られたパゴダが建っていますが、あいにくこの日は閉館していて内部に入ることは出来ませんでした。
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モラエスの墓が徳島市寺町にある潮音寺にあります。毎年7月1日には近くの安住寺で法要が営なまれるそうです。
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彼の墓の左右には妻おヨネと姪のコハルの墓があります。
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モラエスが住んでいた家のある通りは「モラエス通り」と命名され、左側にあるような道路標識が見ることが出来ます。
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モラエスが住んでいた家の前に記念のプレートがあり、彼がこの道路の向かい側に住んでいたことを示しています。家は戦災で燃えてしまったので、今は何もありません。
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徳島は太平洋戦争末期に米軍の空襲を受けたためにほとんど古い建物は残っていないようです。わずかに残された建物を捜し歩いてみると、それでも古いビルや個人住宅が残されています。
この建物は現在は「みずほ銀行徳島支店」となっていますが、かつての「日本勧業銀行」そして「第一勧業銀行」を経て、現在に至っています。1929年(昭和4)に建設されましたが、設計者は不明です。 -
建物のファザードに設けられた5本の柱が見事です。
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みずほ銀行徳島支店のはす向かいに「旧高原ビル」があります。こちらも昭和初期の建物で戦災を免れた建物です。1932年(昭和7)に石油や食用油の販売業をしていた高原商店の社屋として竣工されました。設計者は鈴木禎次(1870〜1941) で、現在国登録有形文化財として指定されています。
* 旧高原ビル( 現国際船場113 ビル )
徳島市西新浜町 1-3-6 -
細部に至るまで手が込んだ造りです。
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道路に面した丸窓にアールデコ調の飾り格子が取り付けられていて、一風変った装飾に目を奪われます。
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外観はそのまま残されていますが、内部はほとんど改修されて、現在の建築様式を取り入れられて、かっての面影はありません。
中に入ってっみました。中央部が吹き抜けになっていて、階段が設けられています。 -
「三上家住宅」も忘れてはならない徳島の近代建築遺産です。個人の住宅のために一般公開はされていませんが、周囲を周りながら建物の外観を何枚か写真に撮りました。
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ここは2階テラスで、こにある装飾はいぶん手が込んでいるようです。
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庭には動物の石造がいくつも置かれていますが、先ず目に付いたのはこのライオン像です。
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徳島と言うと、よく「徳島ラーメン」なるものを耳にしますが、そこでそれがどんなものなのかを確かめたく地元の人が多そうなラーメン店に入ってみました。店内には様々な徳島ラーメンと書かれた文字があちこちにあり、何を選んでよいか迷うほどです。
これが選んだラーメンです。豚骨醤油のこってりしたスープに甘辛く煮た豚ばら肉が特徴だそうですが、トッピングとしてテーブルに生卵が置かれていて、「ラーメンに入れて食べてください」と勧められました。そこで早速入れて食べてみました。何とも言えない微妙な味となりました。 -
こちらのラーメンにも卵が入っています。徳島ではラーメンに卵を入れることが多いのでしょうか。しかも、このラーメンには生卵ではなく目玉焼きが載っているのです。
この店はお好み焼き屋も兼ねていて、お好み焼用の鉄板で目玉焼きを作り、その上麺に乗せる野菜もこの鉄板の上で炒めていました。 -
街をぶらぶらしていたら、あるうどん屋の店先に「きざみうどん」と書かれた文字に気が付きました。一体どんなうどんかと思いきや、うどんに刻んだ油揚げが入っているものでした。
さっぱりしていて、美味しかったです。正にB級グルメそのものですね。 -
スパイシーな「骨付き阿波尾鷄」を食べてみました。徳島名物のひとつだそうです。徳島には珍しいものがたくさんあります。
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変わった名前の餃子があります。それは「ネギ付き餃子」という名前で、この種の餃子は初めてです。これもB級グルメの最たるものですね。
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徳島の名菓「滝の焼餅」です。この菓子の由来について、次のような説明がありました。
「天正13年蜂須賀逢庵家政公が阿波25万石の国主として徳島城を築き、その祝に献上嘉納されました。幸いにして藩主御愛用の錦竜水の使用を許され、藩主御用菓子として名声を博し、今日に及んでいます。」 -
徳島での滞在を終えて列車で松山へ向かう前に、駅の売店で「ぼうぜ姿寿司」という駅弁を購入しました。この魚は地方ごとに名前が代わり、徳島では「ボウゼ」という名ですが、一般的に「イボダイ」(関東では「エボダイ」、大阪では「ウオゼ」と言う名前で呼ばれる)と言われています。
ぼうぜ姿寿司は、イボダイを頭のついた丸のままで背開きにし、酢で締めて、寿司飯を詰めて押し寿司にしたものです。酢で締めた魚は柔らかになり、頭から丸ごと食べられる。徳島県特産のすだちが寿司の上に添えられたり、イボダイを締める酢や寿司酢に加えられることもあります。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 南国ぱいんさん 2014/04/02 12:21:04
- 初めまして…ステキな徳島レポに惹かれました。。。
- ぴんぴんころりさんとこからとんできました。
ワタクシ、出身は淡路島で
結構徳島にはでかけていたのに
知らないことばっかでした。
イコン画家山下りんさんとは
なんと心打たれる絵を
残された方なんでしょう!
ひと目でファンになりました。
良いことを教えていただけました。
ありがとうございます。
それから、
徳島ラーメンってびみょーでしょ?( ´▽`)
なんとも????な味ですよネ…
徳島、うどんのほうが美味しいですネ。
- Weiwojingさん からの返信 2014/04/03 18:37:27
- RE: 初めまして…ステキな徳島レポに惹かれました。。。
- 南国ぱいんさん、初めまして。
この度はご訪問並びにご投票をいただき、ありがとうございます。
初めて四国徳島に行って来ました。何もかも珍しかったですね。食べ物が
特に興味深かったです。徳島ラーメンは初めてですが、スープが濃厚な気
がしました。徳島ラーメンって卵と一緒に食べるのですか。うどんはあっさ
りして、美味しかったです。徳島は魚が瀬戸内海のものと太平洋のものとが
両方味わえて、満足しました。
山下りんはほとんど知られていませんが、もっと注目すべきだと思います。
ただロシア正教の特異性があるためになかなか知られにくいです。
今回の旅行は短期間でしたので、あまり動き回れませんでしたが、また訪れ
てみたいね。ただ私はあまり観光ルート的なところは好きではありません。
気に入った所をゆっくり訪ね歩くのが好きです。私のような者にお勧めの
所はありますか。
では、またご訪問いただけると、幸甚に存じます。私もこれを機会に南国ぱ
いんさんの旅行記を見させていただきたいと思います。
ありがとうございました。
Tamegai
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