2014/03/18 - 2014/03/18
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滝山氏照さん
天正10年(1582)土佐太守長宗我部元親が四国平定の一環として阿波国も支配しますが、天正13年(1585)に豊臣秀吉は四国征伐戦功により藤吉郎時代から苦楽を共にし秀吉の出世・天下統一を支えた蜂須賀正勝(はちすか・まさかつ、1526~1586)は阿波国を与えられます。
しかしながら正勝は秀吉の側近のとして仕えることを望みこれを辞退、代わって嗣子家政(いえまさ、1558~1639)が18万6千石を以て阿波国徳島に入封し当初は同市西部にあった一宮城に入城、その後現在の吉野川河口の地に近世にふさわしい大規模な城郭を構えることになります。
地勢的に見ますと徳島城は標高61mの城山に北側には助任川を、南側には寺島川(埋め立てられ現在はJR徳島駅と線路)に囲まれた自然の地形を利用し、東西はそれぞれ幅の広い堀に川から水を引き入れ防御に万全を尽くします。
天正15年(1587)家政は秀吉の薩摩島津氏討伐に加わり豊臣秀長に従い日向・高城(たかじょう)合戦並びに天正18年(1590)小田原征伐における韮山城攻撃にも戦功をあげて秀吉の信頼を得ることになります。
しかしながら慶長3年(1598)秀吉死去そして豊臣秀頼を支える重鎮前田利家の病死後は家政の行動は周囲の流れに対応するなどして微妙に変化をしてきます。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦では家政の嗣子至鎮(よししげ、1586~1620)は徳川家康の上杉景勝征伐に参陣しており東軍の立場で武功を挙げ所領を安堵されますが家政は家督を至鎮に譲り自ら隠居に入ります。
その後も徳川軍に属し大坂の陣でも戦功を挙げ加増を受け淡路島を拝領、阿波本国合わせて25万7千石の大大名となり明治維新まで蜂須賀家の阿波支配が続きます。
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日程
3/18(火) 高知ー(土讃線・各停)→土佐山田ー(土讃線・
各停)→阿波池田ー(徳島線・各停)→徳島ー
(牟岐線・各停)→牟岐ー(牟岐線各停)→徳島(泊)
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2022年11月14日追記
(財)日本城郭協会編さん資料では次のように紹介されています。
『 徳島城
吉野川河口の三角州に位置する標高61mの渭山に豊臣秀吉から阿波国を与えられた蜂須賀正勝の子、家政が秀吉の命で築城したのが徳島城。
八須賀氏は元々豊臣氏の家臣であるが、関ヶ原の戦いで徳川方で出陣、また大坂夏の陣でも戦功をあげ、新たに淡路国を与えられた。その後、阿波・淡路両国の城主として約290年間治め明治に至った。
城は、本丸、西二の丸、西三の丸、東二の丸の城郭部分と、山麓の本丸御殿が置かれた居館部分からなり、かつて山上にあった渭山城と山麓の寺島城を合わせた大規模な平山城である。石垣は「阿波の青石」と呼ばれる緑式片岩で築かれ、また当初天守は本丸にあったが元和年(1615~24)に取壊され、一段下がった東二の丸に天守代用の御三回櫓が建てられた。1873年(明治6年)の廃城令を受けて鷲の門を除く全ての建物が撤去された。
しかし残ったこの門も徳島大空襲で焼失。1989年(平成1)徳島市政の寄付などにより鷲の門が復元された。 』
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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JR高知駅
本日は徳島駅に向かいますが高知駅から徳島行きのダイヤはありません。時刻表で調べて7:03発の途中駅土佐山田行に乗車することになります。 -
JR四国路線図
車輛壁面には路線図が貼付されています。(単なる路線図ではなくデザイン化された作品に見間違うほどで自分では気になります) -
車輛内部
車内シートは四人掛けとロングシートをそれぞれ造作されてよくよく考慮されていると思います。 -
JR御免(ごめん)駅
御免駅停車している「土佐くろしお鉄道」のマッピング車両が発車するところです。 -
ラッピング車輛
阪神タイガーズのラッピング仕様なのでタイガーズファンならなお一層うれしい話ですね。(この後終着駅の土佐山田駅で当駅始発の阿波池田駅から徳島行に乗り換えます) -
大歩危(おおぼけ)駅
ホームにミニ「かずら橋」の現物が配置してあり当地の観光PRに努めています。 -
大歩危駅風景
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大歩危駅標識
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小歩危(こぼけ)駅
ホームが著しく狭いことから断崖などを工夫して造られたホームと思われます。 -
小歩危駅舎
時代を経過した駅舎はリフォームを繰り返しており従来の建物の雰囲気を保っています。 -
阿波池田駅
徳島行接続駅となっており、当駅下車して徳島駅ホームに移動します。 -
阿波池田駅構内
徳島行車輛が出発を待っています。 -
阿波池田駅時刻表
徳島行時刻表だけを見ると1時間に1本の割合なので、周辺見学する時間は限られます。 -
徳島行車輛内部
出発前の車内風景ですが乗者数は少なく人気ある路線には程遠いようです。 -
JR徳島駅ホーム
徳島駅到着。同駅では海部行が出発時間を待っています。徳島駅を起点する牟岐線(むぎせん、徳島~海部)が運行されています。更に海部~甲浦は阿佐海岸鉄道阿佐東線が第三セクターとして相互乗り入れをしています。 -
JR徳島駅舎
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JR徳島駅広場
当県は「すだち」産地なので「すだち酎」の看板が掲示されています。 -
JR徳島駅前広場
郵便ポストの上部になぜかしら有名な阿波踊りのオブジェがセットされています。 -
徳島城跡遠景
徳島城はJR徳島駅のすぐ北側に位置しており、城山が線路を通して見ることができます。尚 徳島駅並びに線路敷地はかつて寺島川が流れており徳島城の外堀的な役割を果たしていました。) -
徳島城跡
徳島駅から城山方向への出口はありません。(駅売店で尋ねるとを改札を出て左折して高架橋を渡るとすぐと言われました。) -
徳島駅操車場
城山に向かう高架橋上から駅操車場を捉えます。往時は徳島城の外堀とし寺島川がありましたが埋められて現在はJRの線路となっています。 -
徳島城の舌石
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「舌石」説明板
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御殿跡
いわゆる藩主の政庁(表)と住居(奥)の機能を併せ持つ御殿跡が現在では広場となっています。 -
太鼓櫓跡
三重三層の櫓が建っていたとのことです。 -
「太鼓櫓跡」標柱
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「屏風櫓」跡
櫓から内堀を一望します。 -
御殿跡
樹間の向こうの藩主が政務する御殿跡には徳島城博物館の建物が見えます。 -
大手門枡形虎口
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枡形虎口
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ラジオ搭
昭和8年にNHK徳島放送局が開局された際のラジオ普及の為に建立されています。 -
徳島中央公園地図
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徳島市民遺産一覧
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徳島城博物館
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徳島城博物館入口
城郭見学を優先するために入場控え、踵を返して城山に向かいます。 -
徳島城博物館外観
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徳島城博物館前広場
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蜂須賀家政(はちすか・いえまさ)公銅像
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蜂須賀家政説明板(銅像裏面)
「 蜂須賀家政公銅像
邪智須賀家政公(藩祖)は、天正13年(1585)豊臣秀吉の四国平定の大功により阿波一国をたまわり、天正14年(1856)に一宮城から中世に築城された渭山城を修築して徳島城とし、藩政の中心地とした。入国の後は、藍、塩などそれまで阿波になかった産業を取り入れ、新しく製塩・製藍工業を起こし盛んに日本中に売り広めた。また全国でも有名な阿波踊りも家政公時代に始まったと伝えられる。
戦前は野太刀と長槍を持った甲冑姿の蜂須賀小六正勝公(家祖)の銅像が立っていたが、戦時中に供出されてしまった。それが昭和40年(1965)に袴姿の家政公の銅像に生まれ変わった。
・ 台石 高さ2m、 幅1.8m
・ 銅像 約2m
・ 竣工 昭和40年1月1日
徳島市公園緑地課 」 -
城山中央公園案内図
助任川を背後に置いて中央部の城山(標高61.7m)がはっきり確認できます。尚説明によれば現在のJR徳島駅と線路は当時は寺島川で城を護る外堀の機能を果たしていました。 -
城山入口
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城山説明
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登城路
本丸への石段を登ります。 -
登城路
振り返るとかなり急な石段であることがわかります。 -
登城路
折れ曲がった急峻な石段が続きます。 -
登城路
またまた振り返ります。 -
東二の丸跡
「東二の丸跡」の石柱が見えます。遺構らしきものは何一つ見えません。 -
天守跡
東二の丸に三層の天守が置かれていたそうです。本丸以外の所に天守があったとは珍しい話です。なにか理由があるのでしょうか。 -
市街地展望
東二の丸から市街地を一望します。 -
東二の丸跡
東二の丸の天守は天守台はなかったそうです。 -
本丸への登城路
更に石段を上がります。 -
本丸石垣
粗削りな野面積みが中心の本丸石垣が高く控えています。 -
本丸石垣
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本丸石垣
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本丸石垣
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本丸跡
山城には本丸、東二の丸、西二の丸、東三の丸がありました。本丸は標高61mの城山頂上に置かれ、城山の中で最も広くかつ重要な郭でした。本丸中央には御座敷、城番が詰める留守番所の他、馬具櫓・武具櫓・弓櫓・火縄櫓などがありました。 -
本丸跡
櫓は戦時は防御施設になりますが通常は武器倉庫として活用していました。 -
本丸跡説明
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市街展望
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本丸西門
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本丸西門
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本丸西門
本丸西門から西二の丸に向かう階段です。 -
弓櫓跡
「弓櫓跡」石標でわかります。 -
弓櫓跡
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本丸景色
弓櫓跡から本丸跡を一望します。 -
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本丸跡
本丸跡の南側を捉えます。 -
本丸跡風景
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本丸跡風景
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清玄坊神社
天正13年(1585)蜂須賀家政が阿波入国、築城の際立ち退きに応じなかった清玄坊を謀殺しますがその後変事が起ったので家政は清玄坊の祟りと思い前非を悔いて石碑を建て末代まで供養すると誓ったそうです。 -
清玄神社説明
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本丸跡風景
清玄神社から西方向を捉えます。 -
本丸跡展望
市街地を一望します。 -
本丸跡風景
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本丸石垣
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本丸石垣
石垣に沿って武者走りを進みます。 -
本丸石垣
当地産の緑岩石が積まれた独特な石垣の色が印象的です。 -
本丸石垣
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本丸路
本丸を離れて下って小路を下ります。 -
助任川側登城口
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桜並木
まだ肌寒い天候でしたが既に7−8分まで咲いています。 -
助任川
徳島城の北側外堀にあたる助任川に沿って遊歩道があり、その内側には既に桜が咲いていました。 -
桜並木(近景)
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