2008/09/20 - 2008/09/22
840位(同エリア1007件中)
倫清堂さん
心配していた台風も前日に通り過ぎ、飛行機は無事に伊丹空港に到着。
淡路島と四国に上陸するのは、今回が初めてとなります。
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明石駅で車に乗り、明石海峡大橋を渡りました。
途中、淡路サービスエリアで昼食。
ここからは明石海峡大橋が望めます。
国産み神話によると、淡路島は大八洲(日本列島)の中で一番最初に生まれた島となっています。
イザナギ・イザナミの二柱の神は、天沼矛から滴り落ちた水滴によって形成されたオノコロ島に降り立ちましたが、先に女神であるイザナミから声をかけたため、水蛭子が生まれてしまいました。
不具の子を葦船に乗せて流し、改めてイザナギから声をかけ、淡路島・四国・隠岐島・九州・壱岐島・対馬島・佐渡島・本州の八洲をお産みになったのです。
様々な伝承があり、産まれた順や島の名前も異なりますが、それらのほとんどで淡路島を一番初めに置いていることから、淡路島は日本列島の長男であると言えるようです。 -
最初の目的地は、淡路国一之宮の伊弉諾神宮。
国産み神話の主人公であるイザナギ命とイザナミ命をお祀りしています。
国産みを終え、神産みに移られたイザナミ命は、火の神カグツチをお産みになった際、自らもその火によって焼かれてしまい、ついに亡くなってしまいます。
イザナギ命は亡き妻を呼び戻そうと、黄泉の国へ向かうのですが、そこで目にしたのは変わり果てた妻の姿でした。
黄泉の国から逃げ帰ったイザナギ命は、穢れを払うために禊と行い、その時に天照大御神やスサノオ命がお生まれになるのです。伊弉諾神宮 寺・神社・教会
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その後イザナギ命は、国家の統治を天照大御神に委譲し、淡路島に構えた「幽宮(かくりのみや)」で余生を過ごされたと言われています。
伊弉諾神宮は、イザナギ命の御陵に築かれた日少宮(ひのわかみや)を起源とし、明治に入って社殿が整備された神社です。 -
境内には、周濠の名残りである神池や、摂社末社や石碑などがありますが、ひときわ目を引いたのが、日時計のようなモニュメント。
そこに書かれた説明によると、ここ伊弉諾神宮の鎮座地は、全国の重要な神社を結ぶ場所であるのだということです。
真東には伊勢神宮の内宮があり、その中間点には藤原京。
真西には対馬国一之宮の海神神社。
真北には但馬国一之宮の出石神社。
夏至の日出の方角には信濃国一之宮の諏訪大社。
夏至の日没の方角には出雲国一之宮の出雲大社。
冬至の日出の方角には熊野那智大社。
冬至の日没の方角には高千穂神社。
古代人の意思がそこにあったのか、全てが偶然なのか、今となっては誰にも知ることはかないません。 -
洲本を通り、南側の沿岸の道路を福良港に向かいます。
立川水仙郷は、あたり一面に水仙が咲く季節なら、きっと来てよかったと思える場所なのかも知れません。
海の向こうに沼島を眺めながら、車を走らせます。
イザナギ・イザナミの二神が降り立ったオノコロ島とは、この沼島ではないかという説もあります。
おのころ神社や上立神岩などの奇岩、庭園や海水浴場もあります。
1日10往復の渡船で上陸することもできますが、今回は時間の都合であきらめました。 -
福良港へ行く前に、淳仁天皇陵へ。
ここは四国唯一の天皇陵。
第47代淳仁天皇は、道教の扱いをめぐって前代の孝謙上皇と対立し、藤原仲麻呂の乱をきっかけに淡路に遷されてしまいます。
その後、配所からお逃げになろうとしたところを押さえられ、翌日亡くなりました。
実際は藤原仲麻呂と行動を共にしたわけではなく、道教による皇位簒奪を阻止するために働きかけたために孝謙上皇(重祚して称徳天皇)から嫌われたことが、廃位の原因であると考えられます。
万世一系の皇統を護持できたのは、淳仁天皇の犠牲があったからこそであり、それを知っていた和気清麻呂も、道教失脚後冠位を服されて京に戻る途次、ここ淳仁天皇陵に参拝して皇位の尊厳の保持を報告したのでした。淳仁天皇陵 名所・史跡
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ここまで来たからには、鳴門の渦潮を見ずに帰るわけには行きません。
大鳴門橋から見ようか観測船に乗ろうか、観測船に乗るとして淡路島側からにしようか徳島側からにしようか、予定と立てる段階でかなり悩みました。
なぜなら渦潮は一日中現れるわけではなく、月齢や潮の状態によって全く現れない時間もあるからです。
せっかくだから観測船に乗って、間近から迫力ある渦潮を見たいと思い、20日の夕方の船に乗ることに決めました。
そういう経緯で、福良港のジョイポート南淡路から、観測船「日本丸」に乗り込みました。
予定していたより一つ早い便。
この日の渦の発生条件としては最高の時間帯です。 -
あまりお客さんの数も多くなく、のんびりと1時間の船旅を楽しめそうです。
福良湾を紀伊水道に向けて進みます。
左手には山が見え、その頂上には三角形の塔が立っていました。
アナウンスによると、戦没者の慰霊碑らしいです。
また、右手にはこんもりとした形の島が見えます。
アナウンスはよく聞こえませんでしたが、位置的には煙島ではないかと思われます。
涼しい海風が肌に心地よく当たって、やはり船に乗って正解だったと思いました。
そうこうするうちに大鳴門橋が見えて来ました。 -
イチオシ
全長1600メートルを越える大鳴門橋には、橋脚が2本しかありません。
これは、潮の流れにできるだけ影響を与えない配慮によるもので、渦潮を大事にする地元民の気持ちの表れです。
海面を見ると、潮の流れが複雑になっているのが分かります。
ちょうど橋の下では、水面に段差ができていて、小さな滝のようになっている所もあります。
橋の下まで進むと、あまり大きくはないものの、しっかりと渦を巻いている様子が確認できました。
鳴門の渦潮は、潮の満ち引きによって海の水が狭い鳴門海峡を一気に流れることで発生します。
特に満月と新月の日は、スケールの大きな渦潮を観測することができるということです。
この日の月齢は21日。
時間的には大潮だったのですが、満月と新月のちょうど間の日なので、渦潮の規模は小さめでした。 -
大鳴門橋には、ガラスの床越しに真上から渦潮を見下ろせる渦の道という施設もあります。
船からはそこにいる見物客の姿を確認することができ、こちらに手を振っている人もいました。
国産みの神によってもたらされた絶妙な地形によって現れる渦潮は、古代の日本人たちをも驚かせたことでしょう。
淡路島と四国が長男・次男である理由も、渦潮という奇しき業を見せるからという単純なものなのかも知れません。 -
渦潮クルーズを無事に終え、この日最後の目的地である自凝島神社へ向かいました。
オノコロ島はイザナギ・イザナミ二神が国産みを行うために降り立った島ですが、その所在は正確には伝わっておりません。
ある説によれば、「オノコロ」とは“自ずから転がる=自転”を意味し、地球のことを表すそうです。
ここ自凝島神社も、古代の御原入江の中にあり、国産みの聖地と伝えられています。
まず目に映るのは、日本三大鳥居のひとつに数えられる巨大な赤鳥居。おのころ島神社 寺・神社・教会
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周辺には天浮橋遺跡や葦原国遺跡、また淳仁天皇御在所跡などがあるようですが、薄暗くなって来た上に標識等も一切なく、見つけることはできませんでした。
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大鳴門橋を渡って四国に上陸し一泊。
翌朝は、まずは阿波国一之宮の大麻比古神社に参拝。
まだ朝早かったため、巫女さんや神主さんたちが境内の清掃をしていました。大麻比古神社 寺・神社・教会
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御祭神の大麻比古神は、天照大御神が天岩戸にお隠れになった際に太占を行った天太玉命のことと考えられています。
天太玉命の孫である天富命が勅命によって阿波に到り、麻布の生産によってこの地が豊かになったことから、守護神として天太玉命をお祀りしたのが、この神社です。
天太玉命を祖とする忌部氏は、あまり歴史の表舞台に出てくることはありませんが、実は宮廷の祭具の製造に携わる氏族であり、とても重要な役割を果たして来ました。
阿波国は、忌部氏の中でも天日鷲命を祖とする阿波忌部氏を中心にして発展した国です。 -
イチオシ
神社境内の丸山公園には、第一次世界大戦で捕虜となり、近くにあった板東俘虜収容所に収容されていたドイツ兵たちによる石造りの橋が残されています。
ドイツ橋は、帰国を前にした彼らが、祖国の土木技術を生かし、近くで採れる和泉砂岩を使って作られた橋です。
まためがね橋は、一日も早く故郷に帰りたいと願った彼らが境内に池を掘って架けた橋で、この池は平成4年に神池として整備され「心願の鏡池」と命名されました。ドイツ橋 名所・史跡
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戦場では敵同士でも、戦いが終われば相手を認めて尊重する態度は、まさに日本人の持つ誠の心であり、武士道の精神です。
当時の軍の内部にも、板東俘虜収容所の捕虜に対する扱いを快く思っていない人は多かったようですが、立場を超えた関係は、人間同士の信頼関係として、極めて美しいものであったのではないかと思います。
ドイツ兵と地元の人々との交流を記念して建てられたのが、鳴門市ドイツ館です。鳴門市ドイツ館 美術館・博物館
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公園内には、ドイツ兵たちによって日本初演されたベートーヴェンの交響曲第9番を記念して建てられたベートーヴェンの銅像があります。
すぐ目の前の道の駅第九の里では、ドイツから仕入れたソーセージとパンを味わうことができました。 -
板東収容所の跡地は公園になっていますが、残念ながら管理が行き届いている様子ではありませんでした。
ドイツ兵の慰霊碑があるというので、少し歩いてみたのですが、雑草や茂みが邪魔をして前に進めません。
他の道を探して進んでみたところ、貯水池の向こう側にそれらしい碑を見つけました。
敵兵のための慰霊まで怠らないところに、かつての日本人の良心が感じられます。 -
徳島市方面に向かう途中で、阿波神社に参拝しました。
御祭神は第83代土御門天皇。
承久の変に際し、幕府によって遷された父の後鳥羽院を思い、何も関与されていなかったにもかかわらず自ら進んで土佐国へ、後にこの阿波国へお遷りになりました。
鳥居の左手には、火葬塚が残されています。
非常に温和な天皇であったと記録に残されています。 -
次に阿波市内へ向かいました。
阿波と言えば阿波踊り。
旧盆の「阿波おどり」には、全国から130万人もの見物客が訪れるそうです。
その日以外でも、阿波おどり会館へ行けば、一年中阿波踊りを見学・体験することができます。阿波おどり会館 テーマパーク
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ちょうど11時からの専属連による上演が行われていました。
指先から足の運びまで、本当に楽しそうに2拍子のリズムに合わせて踊る姿を見ていると、不思議なことに自分まで踊りたくなってしまいます。
そういう人のために、上演の最後には一緒に踊るための簡単な指導もついていて、特に上手な踊り手には賞品も用意されています。
もちろん、見る阿呆より踊る阿呆になって来ました。 -
阿波おどり会館の5階からは、眉山に登るロープウェイが運行しています。
厚い雲が空を覆っていましたが、吉野川を含む徳島の市街地を一望することができました。
眉山は万葉集にも詠まれていて、日本自然百選のひとつに数えられています。
眉の如雲居に見ゆる阿波の山
かけて榜ぐ舟泊知らずも眉山(徳島県徳島市) 自然・景勝地
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山頂には剱山神社、ポルトガル総領事として大正時代に来日したモラエスの記念館、第二次世界大戦の戦没者を慰霊するパゴタ平和記念塔があります。
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昼食に徳島ラーメンを食べ、阿南市に向かいます。
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しばらく車を走らせ、ごく普通の民家がある場所に現れた津峯スカイラインに乗り、山頂を目指しました。
次の目的地の津峯神社へは、駐車場からリフトに乗って行けるようですが、残念ながら動いていません。
駐車場には他に人影がなく、何台かの車が停まっているだけです。
その車は、神社に奉仕する神主さんのものであろうと見当をつけた自分は、先の見えない長い階段を、一段ずつ登る決心をしました。
階段に落ち葉が積もっていたり、蜘蛛の巣が張っていたりはしておらず、しっかり管理されている様子です。 -
ようやく山頂の建物が見えて来ました。
どうやら常駐している人もいるらしく、十数羽の鶏が飼われています。 -
社殿にたどり着くと、予想通り神主さんの姿が見えました。
津峯神社は、賀志波比売大神を祀る珍しい神社で、聖武天皇の時代の御創建、藩政時代には蜂須賀家の崇敬も厚かったそうです。津峯神社 寺・神社・教会
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参拝を終え、稼働していないロープウェイ乗り場から下界を見下ろすと、眉山からの眺めにも負けない眺望が広がっていました。
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ちょうど山を下りたところで大雨が降って来ました。
朝のニュース番組で、集中豪雨警報が次々に移動している様子を他人事のように見ていましたが、ついにここにもやって来たようです。
ワイパーを最速にしないと、全く前が見えないほどの状態で、事故が起きていなければよいと思いつつ走り続けました。
しかし、次の目的地である徳島縣護國神社に着いた時には、雨はあがっていました。 -
徳島縣護國神社は、徳島県出身の戦没者や殉職自衛官をお祀りしています。
もともとは徳島城跡地に鎮座していましたが、徳島市からの借地であり史跡文化財保護地区のため整備開発が進められず、移転することとなりました。
平成12年、徳島市在住の篤志家川氏が新社地を寄進したことで、新社殿の建設が進められ、平成15年に遷座したということです。
うっそうと茂る鎮守の森があるわけではありませんが、篤志家の意思はこれからも永遠に語り継がれ、百年・二百年かけて英霊の鎮まる社としての風格を備えて行くことになるのでしょう。 -
徳島で最後の目的地、忌部神社へ。
忌部神社の御祭神は、阿波忌部氏の祖である天日鷲命。
天日鷲命は、天照大御神が天岩戸にお隠れになった際に白幣を作ったと言い伝えられています。
子孫である阿波忌部氏は、初代神武天皇の時代から代々の天皇へ、大嘗祭でお召しになる麁服(あらたえ)という神衣を献上して来ました。 -
祭具の製造に携わって来た忌部氏は、大化改新以後、勢力を拡大した中臣(藤原)氏に押され、次第に衰退して行きます。
南北朝時代には南朝方につき、戦に敗れて一族は四散、麁服の献上も途絶えてしまいました。
しかし、大正時代になってから麁服の製造は復活し、今上陛下の大嘗祭にも、古代と同じ製法で仕立てられた麁服が献上されました。 -
明石に宿泊。
帰りの飛行機の出発まで時間があるので、神戸に立ち寄りました。
時間はちょうど朝のラッシュ。
通勤通学の乗客に揉まれながら、湊川神社へ参拝に向かいます。
神戸に初めて訪れた時には、大楠公の御殉節地があることを知りませんでした。
今回改めて手を合わせて来ました。 -
次に兵庫縣神戸護國神社へ。
地図を見た限りでは、六甲駅から歩いてすぐたどり着けそうでしたが、実際に歩いてみると坂が多く、思ったより時間がかかってしまいました。
周辺には、高層マンション建設反対の横断幕があちこちに掲げられています。
六甲山のふもとの閑静な住宅街、高層マンションの建設は、もともと住んでいる住民の安心・安全を脅かすだけでなく、優れた景観をもぶち壊してしまいます。
特に神社を見下ろすという不遜が、知らずうちに傲慢な人間を量産してしまっているように思います。
兵庫縣神戸護國神社は、兵庫県東部出身の戦没者をお祀りしています。
御英霊の鎮まる社を見下ろして生活しようなど、恐れ多くて私には想像することすらできません。兵庫縣神戸護國神社 寺・神社・教会
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飛行機の時間が迫っていましたが、最後に西宮神社へ向かいました。
西宮神社の主祭神は蛭児命、国産みに失敗して最初に生まれた水蛭子のことです。
不具であったために葦舟に乗せて流された水蛭子は、その後どうなったのか。
日本各地に、それぞれ流れ着いたという伝承が残されており、摂津国に流れ着いた水蛭子は海を治める神として、ここ西宮神社に祀られることになりました。
七福神の恵比寿様と同一の神であると考えられています。西宮神社(西宮の戎さん) 寺・神社・教会
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福男を決める十日えびすは有名ですが、同じくらい重要なお祭りに「西宮まつり」があり、ちょうどこの日はその中日、例祭に当たっていました。
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福男を決める十日えびすは有名ですが、同じくらい重要なお祭りに「西宮まつり」があり、ちょうどこの日はその中日、例祭に当たっていました。
神輿渡御やだんじり巡業など、一年で最も賑わうお祭りです。
参拝した時には、ちょうど神事が始まろうとしていました。
時間を忘れてここにいたいという気持ちもありましたが、飛行機に乗り遅れて仕事に出られなくなってはいけないという理性が勝ち、後ろ髪引かれる思いで立ち去りました。
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