2014/02/15 - 2014/02/19
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PHOPHOCHANGさん
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特にインドに興味持ってた訳では有りませんでした。たまたま自分の休める日とツアーとの日程がピッタリ合致。しかも1人参加の追加代金を加えても更に他を凌ぐ安さで行けるってトコに惹かれて、毎日移動が半日以上、ちょこっと観光たっぷり土産物店巡り、往復便とも発着が真夜中、しかも中国系航空会社での乗り継ぎなんて不安要素は物ともせず、行って参りました。
前日からの歴史的な大雪を乗り越え、デリー空港に集合したツアーの総勢14名。最年少は17歳の高校男子の1人旅。最年長は75歳の男性の1人旅。夫婦は60代がたった1組だけで、卒業旅行って大学生が男女2名ずつ(70代2名、60代2名、50代1名、30代2名、20代6名、10代1名)正に老若男女入り混じった面々との旅でした。
正直、短期間にあれこれ似たような(16世紀半ばから17世紀半ばにかけての約100年余りの間にムガール帝国の3代目から5代目の王によって造られた)建築物ばかりだったのと、自分で考えて行動したのとではないのとで、それぞれの印象が薄く、帰国間も無いと言うのに、かなり記憶が混同しています。
なので、間違ってたらごめんなさい。
インドに足を踏み入れはしましたが、踏み込んだとは全然思ってません。
ざっくり行程を述べれば、
第1日目 16:55中国東方航空で成田出発~19:00上海~
第2日目 デリー到着後、ホテルに到着したのは4:30、朝食6:30で出発7:00
ジャイプールへの移動(約7時間)
ターリー料理の昼食後、世界遺産の①ジャンタル・マンタル、シティパレス、②アンベール城~18:30
更沙織物工房、宝石店に立ち寄ってからラジャスタン舞踊付きの夕食
ホテルで部屋に落ち着いたのは22:00過ぎ
第3日目 朝食6:30で出発7:30
風の宮殿(外観のみ)見学、その並びに在る町中の土産物店に唯一立ち寄る機会を得た
アグラへの移動
世界遺産の③ファティプール・シークリー、昼食、④タージ・マハル
大理石工場、ホテル到着は20:00、夕食はダイニングルームにて各自
第4日目 朝食6:30で出発7:00
世界遺産の⑤アグラ城~デリーへの移動
5つ星ホテルのレストランでドーサの昼食
インド門(車窓)、⑥レッド・フォート(車窓)
ラージガードが閉鎖中の為、代わりに国立ガンジー博物館
世界遺産の⑦フマユーン廟、⑧クトゥブ・ミナール、紅茶専門店
民芸品店、リキシャー乗車体験
ライトアップされたインド門(車窓)、夕食後デリー空港へ
第5日目 3:20デリー~17:00上海~成田
此処ではデリー到着後の昼食から、フマユーン廟観光までを載せます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
デリーに到着しました。モスクやパゴダや色々の宗教施設の独特な建物が見えました。ですが、何せ動く車窓からの撮影はなかなか上手くいきません。しかも窓に反射(写り込み)が酷く、ツアー中ずっと苦労させられました(ってどんだけ凄い写真を撮る気で居たんでしょ)
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昼食は5つ星ホテルアショカのレストラン。但し口コミではこのホテルが5つ星?と言う意見が各所に見られました
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入館は要セキュリティチェック。空港並み、タージ・マハールより備えてある機器は凄いw
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ドーサは、南インドのクレープ様の料理で。米とウラッド・ダール(皮を取って2つに割ったケツルアズキ)を吸水させてからペースト状にすりつぶし、泡が立つまで発酵させた生地を熱した鉄板の上でクレープのように薄く伸ばして焼いたもの。
クレープのようにソフトではなく、もっと薄くてパリパリのお煎餅のようです。
これはジャガイモなどを香辛料で炒めたものをくるんだマサラドーサ -
中身は意外と少なめ。
ツアーメンバーの男子がこれだけじゃ足りなくて、「ナンをくれ」と言ったら、「南インドではナンを食べない」と言われ、南インドは小麦粉ではなく、米が主食と知りました。で、「じゃ、ライス大盛り追加って事で」 -
インドで最もポピュラーな乗用車がスズキ。
マルチ・スズキ・インディアは日本の自動車メーカー・スズキのインドにおける乗用車生産販売子会社です。
インド政府との合弁会社「マルチ・ウドヨグ」として1981年2月に設立され、インドを含む南アジアで最大の自動車会社となっています。1980年代の日本国内の自動車メーカーの海外進出はアメリカを中心に行われており、スズキがインドへの投資を決めたのは異色の出来事でした。
2002年5月には出資比率を引き上げたスズキが子会社化し、2007年7月に社名変更されました。
2012年12月よりインド国内で放映されているアニメ「スーラジ ザ・ライジングスター」のメインスポンサーであり、劇中にマルチスズキの各車が登場しています -
ホテル(レストラン)前の通りは木々が歩道(んなモンが存在する)際に植えられていて緑が多く、今まで見て来た町並みとは次元の違う場所って感じでした。
こちらは「ニュー」デリーと呼ばれる地区だそうです -
インド門。パリのエトワール凱旋門を基にエドウィン・ラッチェンスによって設計された門型のモニュメントで、第一次世界大戦で戦死したイギリス領インド帝国の兵士(約8万5千人)を追悼するために造られました。
高さ42mのアーチには、第一次大戦で戦死したインド人兵士の名が刻まれています。東西に伸びるラージパト通りにより、東端のインド門と西端の大統領官邸が結ばれており、永遠の火という火が灯されているそうです。
車窓見学だし、門はバスの右側だし、左に座った自分は通路挟んだ乗客の頭越しに揺れる車内に立ち上がっての撮影だったので、上手く写せてません
関連項目[編集] -
下校途中の学生。子供なのにオヤジ・・
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かなり好み☆
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朝アグラで見たばかりのお城と似てるから車窓見学のみだったレッド・フォート(赤い砦)ことラール・キラー
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道端でお供え用の花を売る人々、って何処に供花するような寺院(?)が在ったの?
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バス車内の通路越しに、右側座席の乗客の頭越しにようやく撮れた正面からの写真。
ラール・キラーは第5代皇帝、もうご存知のシャー・ジャハーンが要塞として建築させた城です。
イギリス統治時代は軍事施設となり、857年のインド大反乱(セポイの反乱)以降はインド軍が兵舎などの目的で使用しています。その為、現在一般公開されているのは一部のみです。
これもアグラ城と同じですね。 -
政府要人の訪問を控え、閉鎖中だったラージ・ガート。
1948年1月30日、民族運動の指導者マハトマ・ガンジー師はヒンドゥー教徒過激派の凶弾に倒れました。荼毘に付した場所が記念公園になり、遺影碑が置かれています。遺灰はインド各地の川に流されています。
インド、パキスタンの分離独立は、民族の大移動を惹起しました。移動を拒む者、この機に乗じる者、互いに恨みを抱いたヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争いは暴動と化し、100万人近い人々が犠牲者となりました。
彼は死を賭した断食で、民衆に沈静と和解を呼びかけたのです。
植民地統治の幕引きをしたマウントバッテン伯の言葉…
「パンジャーブでは、5万5千人の国境警備隊が暴動によってひとたまりもなく壊滅させられたというのに、たった一人の人がベンガルに和平をもたらした」(森本達雄氏訳)
ですが、ヒンドゥー教徒過激派には、彼があまりにイスラム教徒に譲歩し過ぎると写りました。
黒大理石の正面には、彼の最後の言葉「ヘイ・ラーム(おお、神よ!)」が、ヒンドゥー語で刻まれています -
こういう渋滞、何処かの国でも見慣れた光景だよね
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代わりにガイドさんが向かうと決めたのは、国立ガンジー博物館。
内部写真撮影不可ですが、ガンジー師のあの竹の杖や暗殺された時に着ていた血染めの衣服などが展示されています。勿論師の人となり、インド独立の為の功績なども詳しい説明がなされており、来て良かったと思えるところでした。
かなりケチな自分には珍しくドネーションさえしてしまいました。するとスタッフさんが見てたらしくてパンフレットを渡しに来てくれました。
そうそう、電話でガンジー師の声が聞けるんです。英語と現地語と2種類有ります。雑音入ってますが(古いしね)感激!
自分はミュージアムショップ(何処でもこれが一番好き)でガンジー師の顔の付いたボールペンを見つけたので、それがどうしても欲しくなりました。前の夜、大理石工場でお兄さんに持って来てたのあげちゃってたし。
けど、売り場に誰も居ません。呼びに行ってくれた清掃スタッフさん曰く、トイレだそうです。戻って来るのを待って、ボールペン3本とガンジー師自身の書いたマイライフと言う本を買いました。土産品10%引きってサインは見落としません。そしたら売り子さんは何故か10%以上(キリの良いところまで)割引いてくれて、その割引き額が丁度理がドネーションボックスに入れたのと同額になりました。何か不思議。
バスに皆を待たせてしまったので、残念ながらガンジー博物館の写真は外観すら1枚も有りません。
左の日本語版はジャイプール〜アグラ間でトイレ休憩を兼ねて立ち寄ったドライブインで買いました。これとマグネットとHimarayaのフェイシャルスクラブが自分用のインド土産の全てです。 -
ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの霊廟入り口は明らかに人為的に壊して通したとしか思えない通路・・
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何だか判んないけど、取り敢えず写真に撮っておこうと写したら、イサ・カーン廟(と言うのがこの奥に在り)で、何とフマユーンよりも前のローディー王朝時代の建物なんだそうです。
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こっちからの方が判るかな
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此処はあちこち修復中だったり、修復直後だったりしてました。ん〜、やっぱり修復してなきゃ幾ら石造りとは言え450年も経ってるんだから欠けたり崩れたりしてるはずだよね、暑い屋外なんだし
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って事で綺麗になりました、ブ・ハリマ廟入り口の門
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西門、2つの大理石のドームが特徴的な高さ5.8mの門。此処を通ってフマユーン廟に向かいます。
こういうの何処かで見た事有るような気しない? -
フマユーン廟は第2代皇帝フマユーンの霊廟。妃のハージー・ベーガムが建築を支持したそうです。後のタージ・マハールとは逆のパターンですね
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タージ・マハールのお手本となったペルシャとインドの建築様式が融合したムガール建築の発祥はこれ。赤砂岩と大理石のコントラストが見事な建築物が四部庭園の前に立ちます
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ダビデの星が目に見えちゃって、大きな口を開けた顔に思えるの
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廟から庭園の向こうの西門を振り返ってみました
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アフサル・ワーラー廟とモスクがフマユーン廟の北西に在ります。中央が廟、奥がモスク。こっちも立ち寄りたかったなぁ
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大理石のドームは2重構造になっていて、外側のドームの12m下に内部を覆うドームが在ります。これが中央墓室の程良い高さの天井になっています
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フマユーン帝の棺のレプリカ。本物はタージ・マハールと同様に地下に安置されています。こちらは撮影自由です。
メッカの方向の西側に大きな窓が在り、光が差し込む時間は特に美しい、んだけどコンデジなんでスミマセン・・ -
周囲の部屋には王妃ハージ・ベーガムやその子孫らが眠っています
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シンプルだけどお洒落な透かし窓
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横から見ても美しい〜〜っ。
建物自体は90m四方の基壇の上に立ち、4つの正方形の墓室が中央墓室を体格に取り巻いています。これは完全な点対象となっており、ペルシア様式の典型的な構造です -
フマユーン廟の外壁。此処は赤砂岩じゃないですね
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これがブ・ハリマ廟です。ムガール帝国時代の最古の墓の1つとして知られている箱型のシンプルなものですが、この位置がさっき修復された門(案内板に書かれていたもの)とは全く違うのです。
Wilipediaによれば、『フマーユーン廟の南を通過して「アラブ・サライ」へ抜ける道』を示したのが、あの門と言う事になっています -
最後の世界遺産クトゥブ・ミナールへ向かいます。旅行もそろそろ終盤です
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