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 観喜院聖天堂の西参道が直角に折れるところに赤子稲荷神社が鎮座している。妻沼町誌(昭和3年発行の復刻版)には「延暦3年(784年)に祀る。摩多利堂北にあり」とあり、古くは西に離れた「摩多利堂」(明治以降は摩多利神社)の北にあった。<br />  明治の神仏分離により、再建された大我井神社に倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を主祭神として合祀されたが、その後、現在地に遷座した。昭和34年(1959年)に、現在地に新たな社殿を建て、伝来の稲荷大明神像(白狐にのる女神(荼枳尼天)像)を祀った。<br /> 赤子稲荷神社からの参道には「縁結び通り」の看板があったが、赤子稲荷神社ではなく、観喜院聖天堂のご利益である。<br /> 社殿は、観喜院聖天堂側に庇が伸び、左右非対称である。そこに、「賽銭泥棒お断り 赤子の狐」の看板が打ち付けられているが、肝心の賽銭箱は見当たらなかった。賽銭泥棒が賽銭箱のまま持ち去ったのであろうか?<br />(表紙m写真は赤子稲荷神社社殿)

赤子稲荷神社(埼玉県熊谷市)

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2014/01/29 - 2014/01/29

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 観喜院聖天堂の西参道が直角に折れるところに赤子稲荷神社が鎮座している。妻沼町誌(昭和3年発行の復刻版)には「延暦3年(784年)に祀る。摩多利堂北にあり」とあり、古くは西に離れた「摩多利堂」(明治以降は摩多利神社)の北にあった。
明治の神仏分離により、再建された大我井神社に倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を主祭神として合祀されたが、その後、現在地に遷座した。昭和34年(1959年)に、現在地に新たな社殿を建て、伝来の稲荷大明神像(白狐にのる女神(荼枳尼天)像)を祀った。
 赤子稲荷神社からの参道には「縁結び通り」の看板があったが、赤子稲荷神社ではなく、観喜院聖天堂のご利益である。
 社殿は、観喜院聖天堂側に庇が伸び、左右非対称である。そこに、「賽銭泥棒お断り 赤子の狐」の看板が打ち付けられているが、肝心の賽銭箱は見当たらなかった。賽銭泥棒が賽銭箱のまま持ち去ったのであろうか?
(表紙m写真は赤子稲荷神社社殿)

  • 西参道の向こうに赤い鳥居が。<br />

    西参道の向こうに赤い鳥居が。

  • 西参道は「縁結び通り」と名付けられている。

    西参道は「縁結び通り」と名付けられている。

  • 「欣然庵座筆銘」(天保8年(1837年)銘)碑。庵(あん)は草冠。

    「欣然庵座筆銘」(天保8年(1837年)銘)碑。庵(あん)は草冠。

  • 「四国第五十二番 太山寺」。

    「四国第五十二番 太山寺」。

  • 「石道之碑」。

    「石道之碑」。

  • 「馬頭観世音」(昭和2年(1927年)銘)。

    「馬頭観世音」(昭和2年(1927年)銘)。

  • 赤子稲荷神社の鳥居。

    赤子稲荷神社の鳥居。

  • 「四国第五十一番 石出寺」。

    「四国第五十一番 石出寺」。

  • 「四国第五十四番 延命寺」。

    「四国第五十四番 延命寺」。

  • 赤子稲荷神社社殿。

    赤子稲荷神社社殿。

  • 赤子稲荷神社社殿。「賽銭泥棒お断り 赤子の狐」の看板が張られている。

    赤子稲荷神社社殿。「賽銭泥棒お断り 赤子の狐」の看板が張られている。

  • 西参道入口前には「大福茶屋 さわた」。

    西参道入口前には「大福茶屋 さわた」。

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