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2月9日、午前9時29分博多駅発のJR鹿児島本線に乗り、小倉駅経由で大分県の中津市へ向かった。 目的はNHK大河ドラマの「黒田官兵衛」の縁の地である中津市を訪ねることと、当方の母方のルーツでもあるので55年ぶりに墓参りをするためである。 更には、福沢諭吉の里でもあるので旧宅や記念館を見ることも目的であった。<br />ここでは次のように五部に分けて纏めることにした。<br /><br />①黒田官兵衛ゆかりの地を訪ねて<br />②福沢諭吉旧宅、記念館を訪ねて<br />③福沢諭吉記念館の展示内容に感動する<br />④中津城を訪ねて<br />⑤蓬来園を訪ねて<br /><br />*写真は黒田孝高による開基で真誉上人が開山した円応寺<br />

大分県・中津市を訪ねての旅①黒田官兵衛ゆかりの地を訪ねて

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2014/02/09 - 2014/02/09

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tsuneta

tsunetaさん

2月9日、午前9時29分博多駅発のJR鹿児島本線に乗り、小倉駅経由で大分県の中津市へ向かった。 目的はNHK大河ドラマの「黒田官兵衛」の縁の地である中津市を訪ねることと、当方の母方のルーツでもあるので55年ぶりに墓参りをするためである。 更には、福沢諭吉の里でもあるので旧宅や記念館を見ることも目的であった。
ここでは次のように五部に分けて纏めることにした。

①黒田官兵衛ゆかりの地を訪ねて
②福沢諭吉旧宅、記念館を訪ねて
③福沢諭吉記念館の展示内容に感動する
④中津城を訪ねて
⑤蓬来園を訪ねて

*写真は黒田孝高による開基で真誉上人が開山した円応寺

旅行の満足度
5.0
  • 午前9時29分博多発の快速で小倉まで行き、午前10時53分小倉発中津行きの電車に乗った。

    午前9時29分博多発の快速で小倉まで行き、午前10時53分小倉発中津行きの電車に乗った。

  • 小倉より約一時間で中津の二駅前の宇の島駅付近より火力発電所を眺める。 55年振りに見る光景で懐かしい。

    小倉より約一時間で中津の二駅前の宇の島駅付近より火力発電所を眺める。 55年振りに見る光景で懐かしい。

  • 懐かしい耶馬渓の八面山が見られる

    懐かしい耶馬渓の八面山が見られる

  • 福岡県と大分県の県境にもなっている山国川に差し掛かる。<br />間もなく中津駅である。

    福岡県と大分県の県境にもなっている山国川に差し掛かる。
    間もなく中津駅である。

  • 山国川を渡る

    山国川を渡る

  • 午前11時59分に到着した。 階段を下りた一階にはさすがに<br />中津出身の偉人である福沢諭吉の銅像が見られた。

    午前11時59分に到着した。 階段を下りた一階にはさすがに
    中津出身の偉人である福沢諭吉の銅像が見られた。

  • 城下町中津のひな祭りについて・・・説明文より<br /><br />大分県の北部で福岡県との県境に位置する中津は、黒田官兵衛(後の如水)が豊臣秀吉から拝領後、細川家・小笠原家・奥平家と続く中津藩として、福澤諭吉を輩出するなど輝かしい歴史や文化を育むとともに、多くの商店が軒を並べ商人の町としても活気ある城下町でした。<br /> 「城下町中津のひなまつり」では、このような地域の特徴を背景として、有職雛、享保雛や古今雛をはじめ、御殿の中に高さ7センチの小さなお雛さまが飾られる「御殿雛飾り」おきあげなど、江戸時代から現代までの多彩な「おひなさま」が多数展示されます。

    城下町中津のひな祭りについて・・・説明文より

    大分県の北部で福岡県との県境に位置する中津は、黒田官兵衛(後の如水)が豊臣秀吉から拝領後、細川家・小笠原家・奥平家と続く中津藩として、福澤諭吉を輩出するなど輝かしい歴史や文化を育むとともに、多くの商店が軒を並べ商人の町としても活気ある城下町でした。
     「城下町中津のひなまつり」では、このような地域の特徴を背景として、有職雛、享保雛や古今雛をはじめ、御殿の中に高さ7センチの小さなお雛さまが飾られる「御殿雛飾り」おきあげなど、江戸時代から現代までの多彩な「おひなさま」が多数展示されます。

  • 黒田官兵衛ゆかりの地という幟があった。

    黒田官兵衛ゆかりの地という幟があった。

  • 駅前の看板には観光案内図があった。

    駅前の看板には観光案内図があった。

  • 中津駅の北口方面の案内図

    中津駅の北口方面の案内図

  • 軍師 黒田官兵衛 ゆかりの地 中津市の幟が目立つ

    軍師 黒田官兵衛 ゆかりの地 中津市の幟が目立つ

  • 中津駅

    中津駅

  • 駅前には福沢諭吉像が立っていた

    駅前には福沢諭吉像が立っていた

  • 福沢諭吉像と中津駅

    福沢諭吉像と中津駅

  • 駅すぐの所に日の出町商店街が見られた

    駅すぐの所に日の出町商店街が見られた

  • 駅前の通りは整然としていていかにも城下町らしく整備されていた。

    駅前の通りは整然としていていかにも城下町らしく整備されていた。

  • 中津駅北口周辺マップ

    中津駅北口周辺マップ

  • 宇佐八幡神宮の流れをくむ荘園跡としての金剛川西公園として<br />八幡神宮の朱色を配した。

    宇佐八幡神宮の流れをくむ荘園跡としての金剛川西公園として
    八幡神宮の朱色を配した。

  • 寺町付近の風景

    寺町付近の風景

  • 合元寺・・・赤壁寺として有名

    合元寺・・・赤壁寺として有名

  • 合元寺・・・説明文による<br /><br />天正15年(1587年)、黒田孝高に従って姫路から中津に移り住んだ浄土宗西山派、開山空誉上人が開基したと伝えられています。<br />その後、天正17年(1589年)、孝高が前領主の城井鎮房を謀略をもちいて中津城内で暗殺した際、その従臣らがこの寺を拠点として奮戦し最後を遂げ、以来、門前の白壁は幾度塗り替えても血痕が絶えないので、ついに赤色に塗り替えられるようになった、というのがこの赤壁の由来となっています。

    合元寺・・・説明文による

    天正15年(1587年)、黒田孝高に従って姫路から中津に移り住んだ浄土宗西山派、開山空誉上人が開基したと伝えられています。
    その後、天正17年(1589年)、孝高が前領主の城井鎮房を謀略をもちいて中津城内で暗殺した際、その従臣らがこの寺を拠点として奮戦し最後を遂げ、以来、門前の白壁は幾度塗り替えても血痕が絶えないので、ついに赤色に塗り替えられるようになった、というのがこの赤壁の由来となっています。

  • 合元寺の本堂

    合元寺の本堂

  • 鐘楼

    鐘楼

  • 御願地蔵

    御願地蔵

  • 合元寺の総門

    合元寺の総門

  • 寺町

    寺町

  • 円応寺・・・説明文による<br /><br />円応寺は、天正15年(1587年)、黒田孝高の開基、真誉見道上人の開山で黒田、細川、小笠原と各藩主に大切にされたお寺です。<br /> <br />寺には、河童にまつわる話が残っており、それは、「江戸時代中期、寂玄上人が河童共を問答の末に仏門に入らせ、修行の末、河童の頭目三匹に戒名を授けた。河童達は、感謝の気持ちからか、その後、寺を火難から守った」というものです。境内には、河童の墓、河童の池と伝わるものも残っています。<br />

    円応寺・・・説明文による

    円応寺は、天正15年(1587年)、黒田孝高の開基、真誉見道上人の開山で黒田、細川、小笠原と各藩主に大切にされたお寺です。

    寺には、河童にまつわる話が残っており、それは、「江戸時代中期、寂玄上人が河童共を問答の末に仏門に入らせ、修行の末、河童の頭目三匹に戒名を授けた。河童達は、感謝の気持ちからか、その後、寺を火難から守った」というものです。境内には、河童の墓、河童の池と伝わるものも残っています。

  • 円王寺の案内

    円王寺の案内

  • 円王寺の本堂

    円王寺の本堂

  • 円王寺の由来

    円王寺の由来

  • 河童の墓と水文瓦・・・説明文による<br /><br />円応寺は河童の由来の寺として名高い。江戸時代中期、当寺の寂玄(じゃくげん)上人が河童共を仏の道に入らせ、修行の末、河童の頭目三匹に戒名を授けた。河童たちは、上人への恩返しに寺を火災から守ったという。この寺の瓦には、珍しく「水」の印の瓦が葺かれていて、水乞いの祈りが捧げられたという。境内には「河童の墓・河童の池」があって、今でも寺の法要の時には、必ず河童の頭目の回向を行っている。戒名は現存し、頭目たちの戒名を彫った火難水難除けの護符の版木も残されている

    河童の墓と水文瓦・・・説明文による

    円応寺は河童の由来の寺として名高い。江戸時代中期、当寺の寂玄(じゃくげん)上人が河童共を仏の道に入らせ、修行の末、河童の頭目三匹に戒名を授けた。河童たちは、上人への恩返しに寺を火災から守ったという。この寺の瓦には、珍しく「水」の印の瓦が葺かれていて、水乞いの祈りが捧げられたという。境内には「河童の墓・河童の池」があって、今でも寺の法要の時には、必ず河童の頭目の回向を行っている。戒名は現存し、頭目たちの戒名を彫った火難水難除けの護符の版木も残されている

    円応寺 寺・神社・教会

  • 河童の墓<br /><br />円応寺の境内に河童の墓と呼ばれる五輪塔があります。<br />下毛郡誌によるとこの墓は宇都宮鎮房が誘殺された時、鎮房に一の太刀を浴びせた野村太郎兵衛祐勝の墓といわれている。

    河童の墓

    円応寺の境内に河童の墓と呼ばれる五輪塔があります。
    下毛郡誌によるとこの墓は宇都宮鎮房が誘殺された時、鎮房に一の太刀を浴びせた野村太郎兵衛祐勝の墓といわれている。

    円応寺 寺・神社・教会

  • 河童の池

    河童の池

  • 富永章一郎解剖記念碑がある。

    富永章一郎解剖記念碑がある。

  • 中津には寺町として十二の寺がある。<br />城下町を作る時に東側の外堀に沿って寺町を作り、防御にしま した。 城下町内のお寺はこの寺町に集中していますが、外周部にも配置されています。 住居表示が桜町 鷹匠町とあっても実際は寺町と隣接していて 中津城下町の防御線になっている。

    中津には寺町として十二の寺がある。
    城下町を作る時に東側の外堀に沿って寺町を作り、防御にしま した。 城下町内のお寺はこの寺町に集中していますが、外周部にも配置されています。 住居表示が桜町 鷹匠町とあっても実際は寺町と隣接していて 中津城下町の防御線になっている。

  • 大江医家資料館へ行く

    大江医家資料館へ行く

  • 大江医家資料館へ行く

    大江医家資料館へ行く

  • 大江医家資料館

    大江医家資料館

  • 大江医家資料館

    大江医家資料館

  • 東林寺へ<br /><br />当方の母がたの祖先を祭ってあり、お参りのために訪問した。

    東林寺へ

    当方の母がたの祖先を祭ってあり、お参りのために訪問した。

  • 東林寺について<br /><br />臨済宗医王山東林寺といい、御本尊は薬師瑠璃光如来<br />承久元年(1219年)聖一国師の開山で中津最古の寺院である。

    東林寺について

    臨済宗医王山東林寺といい、御本尊は薬師瑠璃光如来
    承久元年(1219年)聖一国師の開山で中津最古の寺院である。

  • 東林寺の案内

    東林寺の案内

  • 当方の母方の祖先の墓にお参りした

    当方の母方の祖先の墓にお参りした

  • 西蓮寺・・・説明文による<br /><br />天正16年(1588年)に光心師によって開山。光心師の俗名は、黒田市右衛門(いち<br />えもん)であり、黒田官兵衛の末弟で、父・黒田美濃守職隆(みののかみもとたか)の逝去<br />時に出家した。官兵衛が播州から中津に入国の際、兄・官兵衛の御徳を慕い共に中<br />津に入り、寺町に西蓮寺を建立し初代住職となる。以来400年以上の長きにわたり、<br />この地で法灯を伝えている。<br /><br /><br />

    西蓮寺・・・説明文による

    天正16年(1588年)に光心師によって開山。光心師の俗名は、黒田市右衛門(いち
    えもん)であり、黒田官兵衛の末弟で、父・黒田美濃守職隆(みののかみもとたか)の逝去
    時に出家した。官兵衛が播州から中津に入国の際、兄・官兵衛の御徳を慕い共に中
    津に入り、寺町に西蓮寺を建立し初代住職となる。以来400年以上の長きにわたり、
    この地で法灯を伝えている。


  • 西蓮寺の案内<br /><br />現在の寺院は1844年に再建されたもの

    西蓮寺の案内

    現在の寺院は1844年に再建されたもの

  • 西蓮寺の本堂

    西蓮寺の本堂

  • 西蓮寺創立略記・縁起

    西蓮寺創立略記・縁起

  • 本堂

    本堂

  • 鐘楼

    鐘楼

  • 西蓮寺

    西蓮寺

  • 西蓮寺の本堂

    西蓮寺の本堂

  • 当方の母方の住まいがあったところ、現在は駐車場になっていた。

    当方の母方の住まいがあったところ、現在は駐車場になっていた。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • rokoさん 2014/02/26 16:08:29
    官兵衛ゆかりの地
    tsunetaさん  こんにちは


    大分県の中津へ行ってこられたんですね、
    ここは黒田官兵衛ゆかりの地でもあるんですか、
    そしてお墓参りもされて、また福沢諭吉の里も訪ねてこられて
    有意義な旅でしたね。

    合元寺
    赤壁寺として有名なんですか、赤い壁の寺は初めて見ました。
    白壁は幾度塗り替えても血痕が絶えないので、ついに赤色に塗り替えられるようになったとは、驚きです!

    円応寺も河童の墓があって、変わったお寺さんですね。

    母方さんの先祖参りもされて気持ちすっきりでしょうか、
    中津城下町 ご案内ありがとうございました。

    tsuneta

    tsunetaさん からの返信 2014/02/27 13:06:35
    RE: 官兵衛ゆかりの地
    rokoさん! こんにちわ。 いつも書込みとご褒美をもらい有難うございます。

    50年ぶりに中津を訪問しました。 小学校から大学生の間に何回も母や兄と一緒に行っていました。 父の故郷も近くの福岡県の豊前市でしたから・・・
    非常に懐かしかったです。 当方が黒田官兵衛に感化されてテレビや小説に没頭していて今回行くことになりました。
    訪問して気がついたのは50年も経つと殆ど記憶が無くなり、中津駅より母の実家への道や母の実家の家付近は全く分からない状況でした。 記憶どおりのものは福沢公園と中津城のごく一部でした。



    > 大分県の中津へ行ってこられたんですね、
    > ここは黒田官兵衛ゆかりの地でもあるんですか、
    > そしてお墓参りもされて、また福沢諭吉の里も訪ねてこられて
    > 有意義な旅でしたね。


    黒田官兵衛の縁の地といっても今回初めて知ったのでびっくりしています。
    小さい頃は福沢諭吉の故郷であるとしか思っていませんでした。
    このために黒田官兵衛の縁の寺参りとか福沢諭吉公園訪問は大感激でした。


    > 合元寺
    > 赤壁寺として有名なんですか、赤い壁の寺は初めて見ました。
    > 白壁は幾度塗り替えても血痕が絶えないので、ついに赤色に塗り替えられるようになったとは、驚きです!
    >
    > 円応寺も河童の墓があって、変わったお寺さんですね。

    黒田官兵衛の縁の寺が母の実家のすぐ裏にある西蓮寺であることを知りびっくりしています。
    合元寺や円応寺も母の実家の近くにありました。


    > 母方さんの先祖参りもされて気持ちすっきりでしょうか、
    > 中津城下町 ご案内ありがとうございました。


    今回、黒田官兵衛の縁の地を訪ねる序に寄った母方の先祖参りは住職さんとも会うことができ昔話が出来たのは良かったです。
    お参りして今があるのは先祖の御蔭と思うと有難味がこみ上げてきました。

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