![2月9日、午後1時頃に福沢諭吉旧居・記念館を訪問した。 福沢諭吉旧居を見て回った後に記念館に入った。<br />ここでは展示内容で福沢諭吉の漢学、蘭学を学び、アメリカ、ヨーロッパへ渡航して海外の文化及び技術を見て、今後の日本のあるべき姿を考え、広い人脈を生かして発展に涙ぐましい努力をして貢献していく姿に感動し、今回の中津市訪問がとても有意義であった。 ここでは撮影出来た内容を紹介する。<br /><br /><br />*写真は日本銀行券10000円札に載っている福沢諭吉](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/86/09/650x_10860956.jpg?updated_at=1393073970)
2014/02/09 - 2014/02/09
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tsunetaさん
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2月9日、午後1時頃に福沢諭吉旧居・記念館を訪問した。 福沢諭吉旧居を見て回った後に記念館に入った。
ここでは展示内容で福沢諭吉の漢学、蘭学を学び、アメリカ、ヨーロッパへ渡航して海外の文化及び技術を見て、今後の日本のあるべき姿を考え、広い人脈を生かして発展に涙ぐましい努力をして貢献していく姿に感動し、今回の中津市訪問がとても有意義であった。 ここでは撮影出来た内容を紹介する。
*写真は日本銀行券10000円札に載っている福沢諭吉
- 旅行の満足度
- 5.0
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昭和59年11月に発行された福沢諭吉の一万円札
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平成16年11月に発行された福沢諭吉の一万円札
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新券の末番Bの一号券をここに展示
新券の末番Aの1号券は日本銀行に保管
新券の末番Aの2号券は慶応義塾大学で保管 -
昭和59年11月に福沢諭吉の一万円札、新渡戸稲造の五千円札、 夏目漱石の千円札が発行されました。
肖像についての文化人の選定は初めてで、また人物の選定は①品格がある、②教科書などにも多く登場する、③国際的にも知名度が高いなどが基準とされました。 -
福沢諭吉の誕生
1835年1月10日 中津藩士の父福沢百助、母順の次男として大坂で生まれた。
父の死とともに1才半の時に郷里の中津に戻りました。 -
家系図
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中津で漢学を学び、蘭学で長崎へ
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福沢諭吉の漢学系譜
諭吉の考え方は儒学者 白石照山により強い影響を受けた -
福沢諭吉の蘭学系譜
緒方洪庵の影響を受けた -
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蘭学を学び、江戸へ
安政5年、中津藩の江戸藩邸中屋敷にて蘭学を指導する。
これが慶応義塾大学の始まり。 -
慶応義塾発祥の地
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緒方洪庵
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福沢諭吉の海外体験
海外には3度行っている。
海外の物の考え方や社会の仕組みにかなり関心が高かった。 -
1860年 咸臨丸での渡米 初めての海外
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1862年 2度目の洋行
ヨーロッパ諸国をめぐる -
これらの海外渡航にて見てきた内容を「西洋事情」に纏めて発行した。
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パリで購入した手帳に各地で訪問する時のメモを記録した
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1867年 再度アメリカへ
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1860年のアメリカ渡航で乗った咸臨丸
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新しい時代を切り開く
西洋諸国と日本の力の差を目の当たりにした福沢は、洋学を身に付けた人材を育てることが大切であると考え、本格的に教育に力を入れ始めました。
慶応4年(1868)に塾を「慶応義塾」と命名し、明治維新の混乱にも動じず、以後は民間独立の立場から、人材を育成することに全力を注ぐ道を選択しました。
また一方では「学問のすすめ」「文明論の概略」などの著書を刊行した。 -
右は「文明論の概略」
左は慶応義塾入社名簿 -
慶応4年5月15日、新政府軍が上野で彰義隊と衝突した日、江戸中は大混乱に陥ったが、福沢は芝新銭座の塾で、時間割通りにウェーランド経済書の講義を行った。
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慶応義塾の発展
明治23年(1890)にはアメリカのハーバード大学の協力を得て日本最初の私立の高等教育機関として慶応義塾大学部を設置、日本を代表する大学の一つへと発展していきました。 -
福沢諭吉の実学
慶応義塾では、それまでの日本で一般的であった儒教の考え方を基盤とした教育ではなく、西洋の自然科学を根本とする教育方針を取りました。
この基礎とすべき西洋の学問を福沢諭吉は「実学」と呼んだ。 -
慶応義塾の象徴的な建物であったレンガ造りの講堂
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慶応義塾大学部日本法律科卒業証書
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交詢社と時事新報
福沢諭吉が残した事業として「慶応義塾」はよく知られていますが、それに交詢社と時事新報を加えて三大事業と呼ぶことがあります。 -
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終焉
明治34年2月3日に亡くなった。 66才1か月の生涯であった。 -
福翁自伝
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福沢諭吉と郷里中津
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学問のすすめ
人は生まれながら(出発点では)は同等であり、権利も同等であるが実際の有様「生活状況」は皆等しいというわけではありません。その差は学問するかどうかによって差が生まれる。 -
「学問のすすめ」の本
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「学問のすすめ」は海外でも翻訳されて出版されている
英語、中国語、韓国語、タイ語、インドネシア語、ベトナム語、フランス語
モンゴル語 -
耶馬渓の保存
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福沢人脈図
とてつもなく広い人脈を築いている -
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演説と自由民権運動
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福沢諭吉と家族
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慶応義塾のその後と現在
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福沢諭吉先生
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