2014/02/08 - 2014/02/08
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tsunetaさん
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2月8日、午後4時頃に「長崎のチャイナタウン」を見て回ることにした。先ず、長崎新地中華街北門より入り、南門へ行くことにした。 行程は以下の通り。
○行程
長崎新地中華街北門ー南門ー湊公園ー唐人屋敷跡ー土神堂ー天后堂ー福建会館
歩行距離は約1.4キロ
今迄、このコースの長崎新地中華街北門~湊公園迄は3回ぐらい訪れていたが今回は唐人屋敷跡~福建会館の間を訪れるのは初めてであった。しかしながら、中国文化を堪能できるので非常に興味を持った。
*写真は福建会館の中にある天后堂風景
- 旅行の満足度
- 5.0
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長崎新地中華街北門
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新地橋広場
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新地中華街北門〜南門の通りには凄い人出で押すな押すなで進む
左右の店には肉まん、角煮まん、肉ちまきが売られていた。
通りの上の方には赤いランタンの陳列が美しい。 -
通りの上の方には赤いランタンの陳列が美しい。
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長崎カステラも売られていた。
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春節月餅、中華菓子等が売られていた。
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長崎新地中華街南門に到着
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湊公園
ここには長崎ランタンフェスティバルの新地中華街会場がある。湊公園 (長崎市) 公園・植物園
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新地中華街会場の周りは色々な飾り付けがされていた
長崎新地中華街 名所・史跡
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新地中華街会場の周りは色々な飾り付けがされていた。
長崎新地中華街 名所・史跡
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天高く飛ぶ馬のオブジェ
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湊公園より土神堂へ行く
湊公園 (長崎市) 公園・植物園
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金鶏報暁
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金鶏報暁の説明
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唐人屋敷会場へ
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土神堂へ
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1689年唐人屋敷が完成し、それまで民家に散宿していた唐人はすべてこの中に収容されることになりました。主な目的は、密貿易の防止だと考えられています。
土神堂は、1691年9月、土神の石殿を建立したいという唐人たちの願いが許され建立されたと考えられ、
観音堂は、瓢簟池の奥の石に「元文二年(1737)」の刻字がありこの年に創建されたと思われます。
また天后堂については元文元年(1736)南京人らが初めて建てたと長崎名勝図絵に記されています。
いずれの堂も、後年の火災で焼失したもので、現在あるものは、その後再建又は改修されたものです。 -
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土神堂
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土神堂へお参りする人々
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土神堂へお参りする人々
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天后堂へ
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唐人屋敷跡案内図
唐人屋敷跡 名所・史跡
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ロウソク祈願四堂巡り
天后堂・・・天后聖母、関帝を祭っている -
天后堂
元文元年(1736)に南京地方の人々が航海安全を祈願し、天上聖母をまつるために建立した天后堂。この建物も煉瓦造りで、周囲も煉瓦塀に囲まれています。現在の建物は明治39年(1906)全国の華僑の寄付によって建て替えられたものです。煉瓦造り、平屋建て。 -
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天后堂へお参りに来ている人々
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福禄寿のオブジェ
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福建会館へ入る
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福建会館にある天后堂
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孫文と梅屋庄吉の像
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梅屋庄吉
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梅屋庄吉は辛亥革命を企図していた孫文に財政援助を約束した。
又、「日活」の映画事業に取り組んだ -
天后堂へ
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天后堂の堂内では中国の楽器による演奏会が行われていた。
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演奏会の様子
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演奏会の様子
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天后堂を下りて行く
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赤いロウソク祈願四堂巡り
縁起、祈願成就のために赤いロウソクを持って行く
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