2013/10/06 - 2013/10/06
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滝山氏照さん
松龍山・豊泉寺(ふぜんじ、埼玉県入間市中神)は説明板によりますと、戦国時代の天文元年(1532)の創建と伝えられ、木蓮寺瑞泉院の四代目、本室徳源禅師(ほんしつとくげんぜんじ)を開山とし、開基は八王子城太守である北条氏照の家臣豊泉左近将監(とよいずみさこんしょうけん、生誕不詳~1575)という人物です。
左近将監は小田原北条氏の命により金子郷に領主となりますが、打ち続く合戦に亡くなった父母を追善すると共に将兵の戦死を悼んでこの寺を建立したといわれています。
2022年10月21日追記
境内に建てられた説明板には下記の通り記述されています。
『 豊 泉 寺
曹洞宗(禅宗)の寺委員で、松龍山豊泉寺と称し、本尊に虚空尊菩薩が安置してある。
創建は、戦国時代、天文元年(1532年)と伝えられ、大字木蓮寺瑞泉院の四代目、本室徳源禅師WO開山とし、小田原北条氏の家臣豊泉左近将監である。豊泉左近将監は北条氏の命によって金子郷の領主となり、関東騒乱の際に戦場の露と消え去った父母を悼むとともに、将兵の戦没を深く悲嘆し、ここにその冥福を祈るため、この寺を寺を建てたといわれる。
また松龍山のいわれは、境内裏一帯が樹齢数百年の古松で竜のような形をしているため、その名を松龍山と唱え、寺名を豊泉寺と称したと伝えられている。
しかし、寛保、延享の時代に火災にあい、一切の古文書をはじめ、貴重な文化財も全部灰燼に帰し、史跡として今何も伝えられていない。
梵鐘は、寛文9年(1,669年)に造られたが、昭和18年、太平洋戦争により供出された。現在の梵鐘は、昭和39年に再建されたもので、直径72センチメートル、重量450キログラムである。
なお、境内には水村藤四郎作の庭園(市指定文化財)と昭和46年に建てた「狭山茶葉碑」がある。
この碑は、安政4年(1、857年)儒者、佐藤一斎により撰文され、狭山茶の業再建の由来などが記されている。しかし、当時建碑に至らず、昭和46年になって金子地区有志によって建てられた。 入 間 市 』
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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豊泉寺(ふせんじ)
金子から県道63号を東進、「豊泉寺入口」看板を入りますと正面に豊泉寺が視野に入ります。 -
豊泉寺・寺標
「松龍山 豊泉寺」と刻されています。 -
豊泉寺・本堂
漕洞宗(禅宗)で本尊は虚空蔵菩薩が安置されています。 -
豊泉寺・扁額
山号「松龍山」が刻されています。 -
豊泉寺・社務所
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狛龍
狛犬ではなく狛龍?の姿が見えます。 -
狛龍
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豊泉寺由緒・説明板
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豊泉寺・境内
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豊泉寺・地蔵の家
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豊泉寺庭園門
庭園に入る門が閉まっていますので、説明板が立っている隙間から庭園に入りました。 -
豊泉寺・庭園
立派な庭園が全く見事です。 -
豊泉寺・庭園
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豊泉寺庭園
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豊泉寺庭園説明板
庭園が入間市景観50に選ばれています。地元の庭師、水村藤四郎氏の作品とのことです。 -
豊泉寺・墓地
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豊泉寺・墓地
本堂の奥には更なる高台が控えており、並んでいる墓地から市街を眺めます。
周囲は山岳で囲まれており館跡の風情があります。 -
豊泉寺・地蔵小屋
よくわかりませんが何か理由がありそうな地藏と思われます。 -
豊泉寺・墓地
墓地の一部は車道となって往来が可能になっています。 -
豊泉寺・境内
仏像を刻んだ石物が境内に配置されています。 -
豊泉寺・鐘楼堂
説明によれば梵鐘は寛文9年(1666)の造営されますが、昭和18年に戦争事情により供出されます。現在の梵鐘は昭和39年に再建、直径72Cm、重量450Kgとなっています。 -
狭山茶場碑
説明板によればこの碑は安政4年(1857)儒者の佐藤一斉により撰文され、狭山茶の業再建の由来などが記されています。
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