2013/10/06 - 2013/10/06
214位(同エリア516件中)
滝山氏照さん
JR八高線金子駅から徒歩で約10分、龍岳山・高養寺(こうようじ、埼玉県入間市寺竹)は漕洞宗の寺院で、本堂と思われる唯一の建物の正面には「龍岳山 高養寺」と扁額が掲げられています。
堂宇の扉は閉められており社務所らしきものも見当たらず、住職は別所に居住していると思われます。
境内を見渡すと西側に不明ながら地藏菩薩が並び、その奥には歴代住職の供養塔が列を作っており、更に西側には印象深い塔が配されています。
説明文を見ますと朝鮮戦争当時に横田基地から飛び立ったB29が何かの理由で墜落し、搭乗員と巻き添えに遭遇した住民達を合わせて慰霊している塔であることが読みとれます。
当寺院の開基については江戸時代の武蔵国地誌である「新編武蔵風土記稿」によれば天正15年(1587)に亡くなった金子筑後守家定と伝えられています。恐らく戦国時代後期小田原北条氏政の実弟で八王子城主北条氏照の勢力に属していた金子氏が先祖一族の供養と地域の安寧を祈願して創建したものと考えられます。
金子氏は平安時代後期から鎌倉・南北朝時代にかけて、特に源平合戦の時に活躍した武蔵七党と称する地域武士集団村山党の一派でもっぱら当地域(かつて「寺竹」は金子村に属していた)を含む金子郷を中心に勢力を有し、鎌倉時代では頼朝家人として名を残し「平治物語」「吾妻鏡」などにもその実態が明らかにされています。
2022年10月31日追記
江戸時代(1804~1829の時期に編まれた武蔵国の地誌)に描かれた「新編武蔵風土記稿」によれば高養寺について下記のように記述されています。
『 (寺竹村)高養寺
曹洞宗、郡中木蓮寺瑞泉院の末、龍獄山と号す、寺域は開基の法?を用ゆ、開山天室徳源永禄元年六月廿二日示寂、開基金子筑後守家定天正十五年八月廿二日卒す、法名高養寺殿月峯常円居士と伝ふれば、草創の年歴は推て知るべし、慶安年中寺領j11石の御朱印を賜しより、連綿して今に至れり、本尊地蔵長一尺二寸、運慶の作。白山社。子の権現社。観音堂。 』
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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高養寺周辺・県道63号線
この辺りでは幹線道路となっており車輛の往来が激しい所です。 -
高養寺・案内板
高養寺方向が判りませんが、とにかく山の方向に向かいます。 -
高養寺・案内板
一部剥がれていますが「高養寺」が読めますので、引き続き山に向けて進みます。 -
高養寺・案内板
高だかに大きな看板が視野に入ってきます。 -
高養寺・参道?
比較的細い道で左右は住居が並んでいますがとにかくこのまま進みます。 -
高養寺・参道?
細い道が続きます。ずいぶん歩きます。 -
高養寺・正門
なだらかな坂道を登りL字道路を右折します。正門傍らには立派な六地藏塔と地藏菩薩が建立されてます。 -
高養寺
左手に丸石を敷いた石垣が見えますが農家の様相を感じます。 -
高養寺・本堂?
農家の佇まいを感じさせる社寺です。 -
高養寺扁額
山号および寺号が「龍岳山 高養寺」と書かれています。 -
高養寺・境内
昭和63年増改築記念碑が見えます。 -
高養寺・拝殿西側
奥には小振りの池が造られています。 -
高養寺・境内
白山堂と書かれた祠堂らしきが見えます。 -
イチオシ
B29墜落殉職者・当地遭難者慰霊塔
朝鮮戦争で横田基地から飛び立ったB29が墜落、墜落後爆弾が次々と爆発、搭乗者と墜落現場で被害に遭った住民の慰霊塔が建立しています。 -
地藏菩薩
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歴代住職墓地(全景)
住職の供養塔が並んでいます。 -
歴代住職墓(近景)
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歴代住職墓(近景)
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JR八高線金子駅への道
高養寺に別れを告げ、JR八高線(八王子ー高崎)の金子駅に向かいます。 -
JR八高線金子駅
拝島・八王子方面ホームですが線路は単線です。 -
JR八高線金子駅風景
寄居・高崎方面は陸橋を利用してホームを渡ります。 -
JR八高線金子駅看板
当駅舎のすぐ北側には霞川が東西に流れます。
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