2013/10/06 - 2013/10/06
276位(同エリア516件中)
滝山氏照さん
東京近郊最大のローカル線であるJR八高線にて金子駅下車徒歩約12分の地にある桂川神社(かつらがわじんじゃ、埼玉県入間市木蓮寺)があります。
案内板によれば詳細は下記のごとく記されています。
『大正4年5月に雷電神社(金子村大字南峯字西金子)と赤城神社(金子村大字木蓮寺字元狭山)が合祀、新たに桂川神社と称することになります。
雷電神社の祭神は別雷命(わけいかづちのみこと)、別名味き高彦根命(あじきたかひこねのみこと)で大国主命(おおくにぬしのみこと)の子息にあたります。
創建は建久元年(1190)で泉蔵院の開基によります。
更に秩父荘の管理者として畠山重忠(はたけやましげただ、1164~1205)の家臣や金子十郎家忠(かねこじゅうろういえただ、1138~1214)らの軍勢の武運を祈念するため勧請したと伝えられています。金子氏の支配地に武蔵の有力武士である畠山氏の勢力が迫っている状況が読み取れます。
一方赤城神社の祭神は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)・豊城入姫命(とよきいりひめのみこと)・彦狭島命(ひこさしまのみこと)で豊城入彦命は崇神天皇の第一皇子で、天皇が東北開拓のため特別に派遣された神で本社は上州赤城山麓にあります。
健保元年(1213)金子十郎家忠を祀る社として伝えられ当然ながら近隣に館を構えていた金子氏の影響を受けていることが判ります。』
更に「埼玉の神社」によれば詳細に説明されています。
『 桂川神社 <入間市木蓮寺八七八(木蓮寺字狭山)>
当地は、水田少なく陸田多い干損の地で、村名の由来は地内の曹洞宗瑞泉院をかつて木蓮寺と号していたことによる。この村は北に向かって勾配が増し、南は比較的平坦な地形をしている。北側の加治丘陵には草分けの家が点在し、当社、おここに鎮座している。
創立については、豊かな水を望む村人の発願により、上州の赤城神社から勧請したものといわれる。また、別当が瑞泉院で、その開基が時の地頭、金子十郎家忠であることから、家忠の屋敷の鬼門に当社を建立したともいわれている。
祭神は豊城入彦命・豊城入姫命・大己貴命・彦狭島命である。本殿は一間社流造りであり、社記によると造営は享保年中である。
明治初めの神仏分離により社名を赤城明神社から赤城神社に改めた。また、明治5年には、永く村鎮守であったことによって村社となった。大正4年には、大字南峯の雷電社を合祀し、更に社名を村の中央を流れる川にちなんで桂川神社と改めた。ちなみに桂川の名は、当地方の古い呼び名が”かつらのさと”であったことによる。雷電社は、通称官林山の辺りから雷雲がわき上がることから雨をもたらす神として、更に雷除けの神として信仰される。旧社地は泉蔵院の上の山にあり、神仏分離によって西金子に移転し、更に当社に合祀されたものである。』
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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桂川神社・入口
バス通りに面した入口ですが参道は長いようです。 -
桂川神社入口(近景)
入口には「村社 桂川神社」と刻された社標が建立されています。 -
イチオシ
桂川神社正面
中央部に鳥居が建立しています。 -
景観50選
入間市の景観50選として当神社が指定されています。 -
桂川神社・由緒
雷電神社と赤城神社とが合祀され、地元の中央を流れる川名をとって桂川神社と称されました。 -
イチオシ
桂川神社・鳥居
縦方向に「桂川神社」と掲題されています。 -
桂川神社・鳥居
鳥居をくぐったところで振り返ります。 -
桂川神社・拝殿(全景)
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桂川神社・拝殿(近景)
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桂川神社・境内
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桂川神社・境内
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桂川神社・本殿
拝殿の奥に本殿が続きます。 -
桂川神社・本殿
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桂川神社・境内
本殿側から境内を窺います。 -
桂川神社・神輿庫
お祭り時に使われる山車でも収納されているのでしょうか。 -
桂川神社・境内
休憩所が設置されています。 -
桂川神社・境内
休憩所から本殿を捉えます。
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