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JR八高線(八王子~高崎)金子駅から県道63号線を青梅方向に西進、桂川神社の先を右折直進すると小高い丘に金龍山・木蓮寺・瑞泉院(もくれんじ・ずいせんいん、埼玉県入間市木蓮寺)があります。その境内一帯が金子氏の館跡であったと言われていますが館の遺構は見当たりません。広々とした墓地の西側の奥に高台があり金子十郎家忠(かねこ・じゅうろう・いえただ、1138~1214)一族の墓が在ります。<br /><br />金子氏は武蔵七党の一つで村山党の庶流にあたり、村山郷(現在の東京都西多摩郡瑞穂町から狭山丘陵、東は東村山市周辺)を発祥とし次第に東北方向に当たる入間郡を中心に発展、山口氏・宮寺氏他数々の諸流が各地に展開されます。<br /><br />具体的には村山頼家(むらやま・よりいえ、生没不詳)の四男家範(いえのり、生没不詳)が入間郡金子郷(現在の入間市で青梅市に隣接する西地域)を本拠にしたことで金子氏が始まります。<br /><br />金子十郎家忠は家範の二男で武芸に秀でており、19歳で保元の乱(1156)に初陣し、平治の乱(1159)では源義平(みなもとの・よしひら、1141~1160)に従う17騎の一人として活躍しています。<br /><br />治承4年(1180)源頼朝挙兵時には村山・金子氏は大庭景親(おおば・かげちか、生誕不詳~1180)が率いる平氏討伐軍の一員として頼朝を支持する三浦半島の雄、三浦氏の衣笠城攻撃に加わります。やがて頼朝が下総・上総の主力武士団を編成し武蔵国境に迫り、武蔵に影響力を有する畠山氏・河越氏・江戸氏らに参向を呼びかけます。平氏方として武蔵国通過を阻止する立場でしたが最終的には頼朝に降陣し、金子氏もその頃参向し御家人として忠節を尽くすことになります。<br /><br />具体的には木曽義仲追討の宇治川合戦を始めとし、平家に対する一ノ谷・屋島の戦いでは源義経に従い弟の近範(ちかのり、生誕不詳~1220)と共に華々しい戦功をあげています。<br /><br />文治元年(1185)頼朝が勝長寿院の供養に赴いた際、その行列の末に弓馬の達者60名に金子十郎もその中に加わっており、近範とともに弓馬の扱いに優れていたといわれています。<br /><br /><br />然しながら家忠の子家高(いえたか、生誕不詳~1213)の代になりますと頼朝死亡後は家督を継いだ頼家(よりいえ、1182~1204)では求心力弱く主導権取れず、その結果御家人同士の反発が一気に吹き出ます。<br /><br />その象徴的な事件として、建暦3年(1213)頼朝外戚の北条氏と侍所別当の和田義盛(わだよしもり、1147~1213)との争いが起り、すべての御家人を巻込むほどまでに発展し、家高は和田氏側に与した結果北条義時(ほうじょう・よしとき、1163~1224)に殺害されますが、金子氏の中には所領安堵された者もあって本領の金子郷はそのまま鎌倉・南北朝以降も継続されることになります。<br /><br /><br />2022年9月4日追記<br /><br />金子一族の墓所には下記の内容記載の説明板があります。<br /><br />『 金子一族の宝篋印塔    付位牌<br /><br />瑞泉院を開基した金子十郎家忠は、武蔵七党の村山党に属し、保元の乱より壇ノ浦に至る源平合戦に加わり数々の戦功をたてた。<br /><br />瑞泉院は6基の宝篋印塔と家忠の印号法名の記された位牌が残されている。この宝篋印塔は、造立年代、造立者、供養を受けた人など明確ではないが、家忠とその一族を偲んで造立されたと考えられる。<br /><br />位牌は、銘文が上下2段に金泥で書かれている。上段中央に金子十郎家忠の印号法名、右に弟親範、三男高範、左に長男家広、嫡男家繁、下段には家忠の妹のほか高範を除く4人の夫人の法名が記されている。またそれぞれの名の右には没年と俗名と続柄が記されている。<br /><br />この位牌の製作年代は不明であるが、形式からみて江戸時代のものと考えられる。<br />    平成4年12月1日<br /><br />        入間市教育委員会 入間市文化財保護審議委員会 』

武蔵入間 武蔵七党の村山党庶流の出自を有し鎌倉幕府御家人として平家討伐に戦功あった金子十郎家忠開基の『瑞泉院』訪問

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2013/10/06 - 2013/10/06

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR八高線(八王子~高崎)金子駅から県道63号線を青梅方向に西進、桂川神社の先を右折直進すると小高い丘に金龍山・木蓮寺・瑞泉院(もくれんじ・ずいせんいん、埼玉県入間市木蓮寺)があります。その境内一帯が金子氏の館跡であったと言われていますが館の遺構は見当たりません。広々とした墓地の西側の奥に高台があり金子十郎家忠(かねこ・じゅうろう・いえただ、1138~1214)一族の墓が在ります。

金子氏は武蔵七党の一つで村山党の庶流にあたり、村山郷(現在の東京都西多摩郡瑞穂町から狭山丘陵、東は東村山市周辺)を発祥とし次第に東北方向に当たる入間郡を中心に発展、山口氏・宮寺氏他数々の諸流が各地に展開されます。

具体的には村山頼家(むらやま・よりいえ、生没不詳)の四男家範(いえのり、生没不詳)が入間郡金子郷(現在の入間市で青梅市に隣接する西地域)を本拠にしたことで金子氏が始まります。

金子十郎家忠は家範の二男で武芸に秀でており、19歳で保元の乱(1156)に初陣し、平治の乱(1159)では源義平(みなもとの・よしひら、1141~1160)に従う17騎の一人として活躍しています。

治承4年(1180)源頼朝挙兵時には村山・金子氏は大庭景親(おおば・かげちか、生誕不詳~1180)が率いる平氏討伐軍の一員として頼朝を支持する三浦半島の雄、三浦氏の衣笠城攻撃に加わります。やがて頼朝が下総・上総の主力武士団を編成し武蔵国境に迫り、武蔵に影響力を有する畠山氏・河越氏・江戸氏らに参向を呼びかけます。平氏方として武蔵国通過を阻止する立場でしたが最終的には頼朝に降陣し、金子氏もその頃参向し御家人として忠節を尽くすことになります。

具体的には木曽義仲追討の宇治川合戦を始めとし、平家に対する一ノ谷・屋島の戦いでは源義経に従い弟の近範(ちかのり、生誕不詳~1220)と共に華々しい戦功をあげています。

文治元年(1185)頼朝が勝長寿院の供養に赴いた際、その行列の末に弓馬の達者60名に金子十郎もその中に加わっており、近範とともに弓馬の扱いに優れていたといわれています。


然しながら家忠の子家高(いえたか、生誕不詳~1213)の代になりますと頼朝死亡後は家督を継いだ頼家(よりいえ、1182~1204)では求心力弱く主導権取れず、その結果御家人同士の反発が一気に吹き出ます。

その象徴的な事件として、建暦3年(1213)頼朝外戚の北条氏と侍所別当の和田義盛(わだよしもり、1147~1213)との争いが起り、すべての御家人を巻込むほどまでに発展し、家高は和田氏側に与した結果北条義時(ほうじょう・よしとき、1163~1224)に殺害されますが、金子氏の中には所領安堵された者もあって本領の金子郷はそのまま鎌倉・南北朝以降も継続されることになります。


2022年9月4日追記

金子一族の墓所には下記の内容記載の説明板があります。

『 金子一族の宝篋印塔    付位牌

瑞泉院を開基した金子十郎家忠は、武蔵七党の村山党に属し、保元の乱より壇ノ浦に至る源平合戦に加わり数々の戦功をたてた。

瑞泉院は6基の宝篋印塔と家忠の印号法名の記された位牌が残されている。この宝篋印塔は、造立年代、造立者、供養を受けた人など明確ではないが、家忠とその一族を偲んで造立されたと考えられる。

位牌は、銘文が上下2段に金泥で書かれている。上段中央に金子十郎家忠の印号法名、右に弟親範、三男高範、左に長男家広、嫡男家繁、下段には家忠の妹のほか高範を除く4人の夫人の法名が記されている。またそれぞれの名の右には没年と俗名と続柄が記されている。

この位牌の製作年代は不明であるが、形式からみて江戸時代のものと考えられる。
    平成4年12月1日

        入間市教育委員会 入間市文化財保護審議委員会 』

交通手段
JRローカル 徒歩
  • JR金子駅<br /><br />当該駅で下車、駅を出る川越行電車(4両編成)を見送ります。

    JR金子駅

    当該駅で下車、駅を出る川越行電車(4両編成)を見送ります。

  • JR金子駅陸橋<br /><br />

    JR金子駅陸橋

  • JR金子駅舎<br /><br />駅舎は有人ですが出口は東側の一か所のみです。

    JR金子駅舎

    駅舎は有人ですが出口は東側の一か所のみです。

  • お地蔵さん<br /><br />途中にはこのようなお地蔵さんが散見されます。

    お地蔵さん

    途中にはこのようなお地蔵さんが散見されます。

  • 瑞泉院正面<br /><br />右に「金龍山木蓮寺瑞泉禅院」と刻された石標、左に「金子十郎家忠公之墓所」と刻された石標がそれぞれ建立しています。

    瑞泉院正面

    右に「金龍山木蓮寺瑞泉禅院」と刻された石標、左に「金子十郎家忠公之墓所」と刻された石標がそれぞれ建立しています。

  • 「金龍山木蓮寺瑞泉禅院」石標<br /><br />

    「金龍山木蓮寺瑞泉禅院」石標

  • 「金子十郎家忠公之墓所」石標

    「金子十郎家忠公之墓所」石標

  • 参道石標<br /><br />静寂な雰囲気の参道を進みます。

    参道石標

    静寂な雰囲気の参道を進みます。

  • 金子十郎墓案内板<br /><br />

    金子十郎墓案内板

  • 千体地藏塔

    千体地藏塔

  • 千体地藏塔

    千体地藏塔

  • 千体地藏塔説明板

    千体地藏塔説明板

  • 金子家忠一族墓石標<br /><br />千体地藏塔設置の広場からすぐ北側の一段高い所に石標が見えます。墓はこの先の階段を登りきると左手にあります。<br />

    金子家忠一族墓石標

    千体地藏塔設置の広場からすぐ北側の一段高い所に石標が見えます。墓はこの先の階段を登りきると左手にあります。

  • 金子家忠一族廟<br /><br />左右の石燈籠を控えた敷地の向こうには石段が設置されています。

    金子家忠一族廟

    左右の石燈籠を控えた敷地の向こうには石段が設置されています。

  • 金子家忠一族石段

    金子家忠一族石段

  • 金子家忠一族廟と石段

    金子家忠一族廟と石段

  • 供養塔<br /><br />石段を上がる手前の左側に一基だけ供養塔が建立されていました。誰を供養しているのか不明です。

    供養塔

    石段を上がる手前の左側に一基だけ供養塔が建立されていました。誰を供養しているのか不明です。

  • 金子家忠一族廟石段<br /><br />石段を登ったところで振り返ります。

    金子家忠一族廟石段

    石段を登ったところで振り返ります。

  • 金子家忠一族氏廟<br /><br />石段を登りきると左手に金子氏の廟が見えます。

    金子家忠一族氏廟

    石段を登りきると左手に金子氏の廟が見えます。

  • 金子家忠一族廟と説明板

    金子家忠一族廟と説明板

  • 金子家忠一族廟<br /><br />六基の宝篋印塔が並んでいます。

    イチオシ

    金子家忠一族廟

    六基の宝篋印塔が並んでいます。

  • 金子家忠一族廟(近景)

    金子家忠一族廟(近景)

  • 「金子一族の宝篋印塔」説明板

    「金子一族の宝篋印塔」説明板

  • 金子家忠一族廟<br /><br />説明板側から捉えます。

    金子家忠一族廟

    説明板側から捉えます。

  • 金子十郎家忠説明板<br /><br />廟の右横に手書きで家忠に関する説明板が設置されています。

    金子十郎家忠説明板

    廟の右横に手書きで家忠に関する説明板が設置されています。

  • 金子十郎家忠一族位牌堂<br /><br />石標の奥には位牌堂が設置されています。

    金子十郎家忠一族位牌堂

    石標の奥には位牌堂が設置されています。

  • 金子十郎家忠一族位牌堂石標(近景)

    金子十郎家忠一族位牌堂石標(近景)

  • 金子十郎家忠一族位牌堂

    金子十郎家忠一族位牌堂

  • 周辺墓地風景

    周辺墓地風景

  • 周辺墓地風景

    周辺墓地風景

  • 歴代住職墓と石標

    歴代住職墓と石標

  • 歴代住職墓

    歴代住職墓

  • 歴代住職墓風景<br /><br />高台に設置の墓から遠景を捉えます。

    歴代住職墓風景

    高台に設置の墓から遠景を捉えます。

  • 歴代住職墓風景<br /><br />当寺はかつて金子氏の館であったと言われておりますが、館跡を示す遺構は見当たらないものの視界がよく東西に広い敷地であり館にふさわしい立地です。

    歴代住職墓風景

    当寺はかつて金子氏の館であったと言われておりますが、館跡を示す遺構は見当たらないものの視界がよく東西に広い敷地であり館にふさわしい立地です。

  • 大型観音像<br /><br />広い敷地の遠くに観音像が見えます。

    大型観音像

    広い敷地の遠くに観音像が見えます。

  • 霊園案内図<br /><br />本堂など寺社の中心的なものは見当たりません。

    霊園案内図

    本堂など寺社の中心的なものは見当たりません。

  • 遠景

    遠景

  • 遠景

    遠景

  • 遠景<br /><br />更なる高台墓地から振り返ります。

    遠景

    更なる高台墓地から振り返ります。

  • 市街地展望<br /><br />高台墓地から市街を望みます。

    市街地展望

    高台墓地から市街を望みます。

  • 寺関係の建物

    寺関係の建物

  • 礼拝堂<br /><br />室内入室してないので内部事情が分かりません。

    礼拝堂

    室内入室してないので内部事情が分かりません。

  • コスモパーク霊園案内板<br /><br />「コスモパーク霊園」として案内されています。

    コスモパーク霊園案内板

    「コスモパーク霊園」として案内されています。

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