2013/07/07 - 2013/07/08
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ANZdrifterさん
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小説「津軽」。 序章の次の本編は1) 巡礼、2) 蟹田、3) 外が浜、4) 津軽平野、5) 西海岸となっています。夕陽の西海岸に惹かれて秋田から五能線直通列車に乗りました。
JR五能線は深浦町の海岸景観、鯵ヶ沢町・つがる市(旧 木造(きづくり)町)の水田地帯、五所川原市からのりんご園地帯と、景観の変化が楽しい路線です。そして、この五能線全46駅のうち18駅が深浦町にあります。
また、この五能線は日本海側で椿が自生する北限の地を走る鉄道で、深浦町には「ウエスパ椿山」という駅まであります。この椿山は柳田国男がヤブツバキの北限の大群落として紹介したそうですが、深浦町の観光資料などでは椿にはまったく言及されていません。
「海路残照」(森崎:1981)には飛島や仁賀保などの椿につづけて「五能線八森駅のあたりは椿という地名だったし、岩館駅、むつ岩崎駅のトンネルの上にも、また艫作(へなし)崎の椿島にも、自生林が残っている。深浦は港にのぞんだ円覚寺の裏山に(ヤブツバキが)自生している。深浦から先の津軽半島には自生椿は見られない。」と書かれています。
深浦町は、地図では津軽半島の左下、肩から腕のあたりの位置で旧津軽領の最南端の港町で、北前船の風待ち港として栄えた町でした。
太宰は木造町(きづくり)から五能線で深浦町に入った。「丘間に一小湾をなし、水深く波穏やか、・・・・しずかな町だ」と書き、駅から町を通り過ぎて円覚寺(えんがくじ)を訪れ、薬師堂におまいりして、「もうこのまま帰ろうかと思った。完成されている町は、また旅人に、わびしい感じをあたえるものだ」。 といいながら、汚い宿屋と小奇麗な料亭の二箇所で酒を飲み、灯台の灯を眺めて旅愁をふかめ、翌朝は兄の同級生という宿の主人の好意で朝食後にアワビの塩辛で酒を飲んで、津島家の勢力圏であることをしみじみ知って、ぼんやりと汽車に乗った。 と書いている。
深浦町では太宰の足跡を克明に探って旅行者のガイドを作っています。 しかし、カラーの散歩マップをモノクロコピーして配布しているので、海と陸の境が消えているし、手書きイラストなので距離や時間の見当がつかないなど、旅行者には不便なマップでした。
また、辺地で学芸員がいないせいか展示物に不正確な表示もあったが、それを指摘してもこちらが申し訳ない感じでした。
太宰は 深浦からの帰りに古い港町の鯵ヶ沢に寄った。「山を背負い、片方はすぐ海の、おそろしくひょろ長い町である」と書いており、そばを食べたが、私は五所川原の宿に直行しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 2.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
リゾートしらかみ号。
秋田駅始発で、五能線経由で、川部で分かれて青森と弘前に行きます。 -
座席間隔が広くて 戦時中育ちの短足のゆえか伸ばしても前の座席には届かない。
細部まで配慮が行き届いていて かなり快適な車内でした。 -
五能線は 東能代駅が始点です。
右が ブナ編成のリゾートしらかみ号。左はしらかみ号の雰囲気の待合室。 -
ウエスパ椿山駅は 温泉目当ての乗降客が多かった。
これは施設の建物。屋根の上の人形など遊び心にあふれている、らしい。 -
印刷物からコピーした椿山。
柳田国男が 最北の椿の大群落 と報告したとのことです。 -
ホーム側から見た深浦駅。
-
深浦港はこのように入り込んだ湾の奥にある。
駅は最上部。国道の円弧状(なべ底)の部分に町並みがあるが食堂は無い。
スーパーもコンビニも見当たらなかった。
食堂は役場の近く、国道の く の字のあたりに1軒あった。
一番左が夕日展望台。 -
夕日展望台。 梅雨の季節で何も無かった。
建物は閉まっていたが、なにか活用法を考えないと勿体ない。 -
町一番の観光資源「円覚寺」。 真言宗醍醐派 春光山円覚寺。
坂上田村麻呂が十一面観音像を安置草創したとつたえられ、868年に円覚法印が再興したという。
主な宝物に 国指定重要文化財の薬師堂内厨子、国・重要有形民族文化財の海上信仰資料の船絵馬などがある。 -
円覚寺の仁王門
-
階段の上に本堂?が見える。
左の宝きょう印塔は船のバラストとして積み込まれた福井県産の石で作られている。県指定文化財。 -
堂々たる というか 重厚な というか、立派な建造物です。
前面の右から2番目の柱が傷んでいるのが気がかりでした。 -
同上。
この裏山に 雑木に混ざってヤブツバキが自生している。住職の話では、「お寺の所有地ではないので勝手に立ち入ることは憚られ、山道から眺める程度」ということでした。
しかし、紛れも無く日本海側で椿が自生している北限の地であり、観光資源にもなり得るので、何らかの保護が必要と考えます。 -
これが「薬師堂」
この中に 国指定重要文化財:室町時代初期の厨子が納められている。
盗まれて、韓国あたりに持ち込まれて「日本が買ったと言う領収書がなければ返さない」なんてことにならなければ良いけど・・・・・・・・ -
残念ながら閉まっていました。
拝観料を納めると寺宝館を住職が説明してくれるそうですが、30分かかるとのことであきらめました。司馬遼太郎の「菜の花の沖」の主人公、高田屋嘉兵衛がロシアから持ち帰って納めたギヤマンの飾り玉もあるそうです。 -
境内には新しく加えられたらしい像が目立ちました。
手前の八つでの葉の下は「ほほえみ観音」で、ずっと奥の階段上には真新しい石造の「わらべ地蔵」が6体 並んでいました。
好き嫌いは意見が分かれるところです。 -
円覚寺の隣には「かぜ待ち館」があります。観光案内所も兼ねています。
太宰の文学館、歴史民族資料館とあわせて 3館の入場券は600円でした。 -
質問するにも相手がいないので 勝手に見て回ります。撮影禁止とは書いてなかったので写真を撮りました。
ここでは 古伊万里のコレクションが見事でした。他には見るべきものは無かったように思います。 -
ほしくなるような 古伊万里でした。
北前船の港には 古伊万里が多く見られますが 深浦町には骨董屋がないので まとめて見られるのはここだけです。 -
町の中には このような美しい建物がありました。
見事ですが 保存手段を考えないとなくなってしまいそうです。
奥の家が次の写真の「小浜屋」です。 -
津軽で各地を歩いて記録を残した菅江真澄は スパイの疑いをかけられ、記録を取り上げられて津軽から追放されます。
その菅江真澄を、深浦港から秋田の土崎まで、船で送ったのがこの小浜屋の先祖、理右衛門です。
この家族は何代にも渡って、新田開発など地域に尽くした家柄のようです。 -
表紙の写真も、この太宰文学館です。
太宰執筆の部屋も復元されていました。興味深いのは太宰の葉書きが数通展示されていたことで、経済的に困りきった太宰を推察させるような葉書きもありました。
残念ながら、撮影禁止で館内の様子はお見せできません。
せめて ストロボ禁止 だけにしてくれればよいのに。学芸員不在のせいかな? -
町を歩いていたら 海辺にこんな橋がかかっていました。
あまり人が通らない感じなので、敬遠して国道を歩きました。
そうしたら、この橋の先が夕陽公園でした。
橋のたもとに、案内板があればこの橋を渡れたのに と残念でした。 -
さて、3館目の歴史民族資料館です。展示は整理されてない感じです。
皮肉っぽく言えば、珍奇な歴史年表があって、縄文時代、弥生時代、の次に「建国時代」・・・・・・でした。つづいていくつもの聞いたこともない不思議な時代名が書いてありましたが、覚え切れなかったのが残念。
撮影禁止でした。
せめて、中学高校の教科書に書いてある時代区分でもコピーしておけば良いのに・・・と思いました。 -
町内の7軒のレストランではじめた共通メニュー「まぐろステーキ丼」¥1200。
7軒は離れているので、深浦町中で食べられるのは町役場近くの「セイリング」だけ。
中央上の刺身は左の醤油だれにつけて、左の長薯がのった茶碗にのせる。
串にさしたマグロは片面を焼いて真ん中のゴマだれで金糸玉子ご飯に、両面を焼いたのは右のマヨだれで右の おかかご飯に乗せて食べる。
切り身の重さは統一してあるそうですが、ポスターにあるほど大きければもっと美味しいだろうと思いました。 -
深浦駅の町側。
ここには観光案内所があり、タクシーを呼んでくれます。
営業時間内ならば無料のロッカーの鍵を貸してくれるので便利です。私は10時から16時過ぎまでお借りしました。 -
深浦から五所川原に行く途中。千畳敷の岩を車中から撮りました。
1792年の地震で隆起してできた岩海岸です。
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