2013/05/09 - 2013/05/12
438位(同エリア2007件中)
hamaさん
仙厳園は、鹿児島中央駅から北に20分程の場所にあります。
島津家18代光久は、1658年に別邸を築造しました。
桜島を築山に、錦江湾(鹿児島湾)を池に見立てた雄大な庭園。
島津家代々の当主が改築、増築を重ね幕末から明治維新まで別邸、
本邸と使用形態は変わりましたが、日本で大2藩を誇った
島津藩主(正式名:鹿児島藩主)の栄華と弛まぬ改革の
歴史が見えます。
*最大の藩:加賀藩
*仙厳園 :せんがんえん
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ JRローカル
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-
島津家
鎌倉時代に薩摩国、島津荘の守護神に任命され、その名を領地である
島津に変えて名乗ったのが島津家の始まり。 -
薩摩藩(正式:鹿児島藩)の家紋。
筆書体の十に丸が家紋。
頭書十だけであったが、後に丸を付けたそうです。
十の意味は諸説ありますが、十字を切るという形からきているらしいです。
因みに、忍者は九の字を切ると同じ意味でしょうか。
鹿児島に上陸した宣教師のフランシスコ.ザビエルは、十字を見て
既に宣教師が来ていたのかと驚嘆したに違いありません(笑)。 -
島津義弘 兜(かぶと)
島津義弘は、関ヶ原の戦いで石田光成の西軍として参戦。
負け戦で戦場に孤立したが、果敢にも敵地を突破したことで
知られています。 -
ゆくさ、おさいじゃったもした。(鹿児島弁)
ようこそ、おいで下さいました、、、と思います(笑) -
鉄製150ポンド砲
鹿児島沿岸に配備されていた要塞砲の復元版。
68キロの鉄製の丸い弾を約3km飛んだ優れもの要塞砲。
当時から外国からの侵略に対処していたんですね。 -
仙厳園 邸内には、島津家歴代の当主と家族を祀る(まつ)
鶴嶺(つるがね)神社があります。 -
石垣の上には、28代当主 島津斉彬(なりあきら)による
薩摩焼の窯あと(かまあと)が建ち並んでいた。
陶器にゴールドの色付けが施された美しいくも上品な陶器。
又、大砲を製作する為に、鉄を溶かす反射炉に使用された
耐火レンガの製造工場跡も残っている。
島津斉彬は、更に、透明なガラスに色ガラスを被せカットを施して
模様を刻んだ美しい、薩摩切子を造りだした。 -
-
邸内は草花が咲き乱れています。
百日草 -
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仙厳園は、1958年 国の名勝庭園.史跡に指定された。
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天しょう院篤姫(あつひめ)1835年〜1883年(明治16年)
篤姫は、島津家一門に生まれ、島津家本家の28代 島津斉彬
(なりあきら)の養女になり、江戸幕府第13代将軍徳川家定に
嫁ぎ御台所(みだいどころ)となった女性。
*御台所:将軍の妻に対する敬称。 -
島津光久(18代目)が、別邸を築造し、島津家歴代当主が増築した
仙厳園は、島津斉彬(なりあきら 28代当主)は、科学者肌の
人物でヨーロッパ式製鉄所、ガラス工場等の当時革新的な技術を
導入し外国からの侵略に備えた。 -
別邸は18代 島津光久(1658年)〜30代当主 島津忠重まで
使用された。
大きな石とうろうは、日本初のガス灯として使われた。 -
御殿 (書院造り)
庭園から眺める借景、桜島の雄大さは島津家 代々の当主が
幕末から明治維新にかけて日本を大きく躍動させた青写真を
描いていた御所なんだろうか。
江戸時代には、島津家当主の別邸として明治期には本邸として
使われた御殿。 -
28代当主 島津斉彬は、科学者としての才能を発揮したが、
篤姫(あつひめ)徳川家に嫁いだ養女や、勝海舟、グラバー、
ロシア皇帝、ニコライ2世等が訪れた別邸。 -
敷地面積 5h(50,000平米)。
-
水力発電用ダム跡。
別邸にしても島津斉彬(なりあきら)は、科学者として
優秀だったんですね。 -
島津斉彬(なりあきら)
東洋最大の工場群 集成館を築く。製鉄、大砲、造船、紡績
薩摩切子、薩摩焼、写真、電信、ガス灯等の実験、研究を
盛んに行った。 -
曲水の庭
上流から流された杯が、自分のもとに辿りつくまでに和歌を
読み上げるもの。 -
園内にある孟宗竹発祥の地
孟宗竹は、最も味が良く、竹の子の代表格。
大型で肉厚、甘みがある。
吸い物、和え物、煮物等に使われますよね。 -
仙厳園を別邸として築造したのは、藩居は鹿児島城であったからです。
18代藩主 島津家久が築城。
人をもって城と成す の考えから天守閣の無い質素な城でした。 -
幕末から明治維新にかけて、西郷隆盛や大久保利通等の有力政治家を
輩出、第1次大戦までの日本を支配した薩摩藩。
*幕末:江戸幕府が政権を握っていた江戸時代の末期。
黒船来航(1853年)〜戊辰戦争(1869年)
戊辰戦争(ぼしん)明治政府を樹立した薩摩藩、長州藩を
中核とする新政府軍と旧幕府勢力の内戦。明治元年が千支で
戊辰であることが由来。明治新政府が勝利。
鹿児島旅行は幕末から明治までの大きな日本の変動が見えて楽しく且つ
歴史の勉強が出来る旅行です。食事も美味しいな!
続きます、、、
あいがとさげもした(鹿児島弁)
ありがとうございました(標準語)
hama 海外にて
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