2013/05/19 - 2013/05/19
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経堂薫さん
現在の日本は47都道府県に分かれてますが、江戸時代までは六十余の州で構成されていました。
各州ごとに筆頭の神社があり、これらは「一之宮」と呼ばれています。
その「諸国一之宮」を公共交通機関(鉄道/バス/船舶)と自分の足だけで巡礼する旅。
17カ所目は相模国(神奈川県)の鶴岡八幡宮を訪ねました。
【鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)】
[御祭神]
応神天皇(おうじんてんのう)
比売神(ひめがみ)
神功皇后(じんぐうこうごう)
[鎮座地]神奈川県鎌倉市雪ノ下
[創建]1063年
現在の日本は47都道府県に分かれてますが、江戸時代までは六十余の州に別れてました。
各州ごとに筆頭の神社があり、これらは「一之宮」と呼ばれています。
その「諸国一之宮」を公共交通機関(鉄道/バス/船舶)と自分の足だけで巡礼する旅。
3カ所目は上総国(千葉県北部)の香取神宮を訪ねました。
【香取神宮】
[御祭神]経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
[鎮座地]千葉県香取市香取
[創建]神武天皇18年(紀元前643年)
【追記】
「諸国一之宮“公共交通”巡礼記[相模国]鶴岡八幡宮」を全面改稿し、ブログ「RAMBLE JAPAN」にて「一巡せしもの〜相模國一之宮[鶴岡八幡宮]」のタイトルで連載しております。
ブログ「RAMBLE JAPAN」
http://ramblejapan.blog.jp/
http://ramblejapan.seesaa.net/
(上記のURLの内容は、どちらも同じです)
ご訪問、お待ちしております!
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
-
日曜の朝、JR横須賀線で鎌倉へ。
車内は空いていて快適な列車旅。 -
鎌倉駅から由比ヶ浜へ。
滑川から西側を由比ヶ浜、東側を材木座海岸と云うそうだ。 -
由比ヶ浜から鶴岡八幡宮まで一直線に延びる若宮大路。
海岸からすぐ近くに聳立する一ノ鳥居「浜の大鳥居」。
花崗岩製で高さは8.5メートル、柱の太さは92センチ。
最初の鳥居は源頼朝の時代に創建され、現存の鳥居は寛文8(1668)年に徳川四代将軍家綱が寄進したものだ。
二代将軍秀忠の御台崇源院が世継の家光を懐妊した時、鶴岡八幡宮に安産を祈願し無事出産。
その霊験から鶴岡八幡宮への崇敬を篤くした崇源院に、八幡大神が夢の中で「備前国犬島の奇石で大鳥居を建立し給ふべし」というお告げを下した。
崇源院は家光に必ずお告げを実行するよう頼んで他界。
それが実現されたのは次の代である家綱の時代だったという話。
ちなみに一ノ鳥居が石造りになったのは、この時なのだそうだ。 -
鎌倉女学院前の若宮大路にかかる歩道橋上から、由比ヶ浜方面を見た景色。
鎌倉は海に面しているだけあり、往時は海上交易が盛んだった。
由比ヶ浜には数百隻の舟が行き来し“首都”の経済を支えたという。
貞永元(1232)年に和賀江嶋の築港が完成し、鎌倉幕府の海上交易はピークを迎える。
現存最古の港湾施設である和賀江嶋は現在、国の史跡に指定されている。 -
今度は逆方向、八幡宮方面を見た景色。
鎌倉時代の若宮大路は神聖な道であり、武家屋敷は基本的に大路に背を向けて造られたそうだ。
大路は側溝と武家屋敷の塀で囲われていたことになり、戦闘の際には防衛戦の役割を果たすことになったという。 -
若宮大路は寿永元(1182)年3月15日、源頼朝が妻政子の安産を祈願して鶴岡八幡宮の社頭から由比ヶ浜まで建設した参道。
鎌倉時代の若宮大路は両側溝と路肩を含めた総幅が36.6メートル、道路幅員は約30メートルと伝わっている。
現在の若宮大路の全幅も約30メートルあり、頼朝は800年前から既に現在ある規模の道路を造成していたことになる。 -
JR横須賀線のガードをくぐり、鎌倉駅の前を横切り、鎌倉警察署の前を過ぎると姿を現す二ノ鳥居。
ここから若宮大路の中央は、車道より一段高い土盛りの歩道となる。
世に名高い参道『段葛(だんかずら)』だ。 -
社号標、揮毫は東郷平八郎元帥の筆によるもの。
それにしても元帥、日本中の社号標で筆を振るっている。
ちなみに鶴岡八幡宮の社号標があるのは、ここだけ。 -
源頼朝が幕府を開くと多くの武将たちも鎌倉に住むようになった。
しかし、もともと鎌倉は平地が少ないため、山を削って屋敷地を造成した。
このため山の保水力が低下し、雨が降るたび若宮大路に水や土砂が流入。
それでは道が泥濘んで歩きにくいため、平地から一段高い道を建設した。
それが『段葛』の起源である。 -
大正7年3月に鎌倉町青年会が建立した石碑。
寿永元年三月頼朝其の夫人政子平産祈祷の為鶴岡社頭より由比海浜大鳥居辺に亘りて之を築く。
其の土石は北條時政を始め源家の諸将の是が運搬に従える所のものなり。
明治の初年に至り二ノ鳥居以南其の形を失えリ。
つまり江戸時代には二ノ鳥居と一ノ鳥居の間にも段葛があったということか。 -
段葛は二の鳥居から鶴岡八幡宮に向けて道幅が徐々に狭くなるよう作られている。
このため遠近法が作用し、実際の距離よりも長く見えるようになっているそうだ。
というわけで段葛にも終わりが見え、代わって三ノ鳥居が姿を現してきた。 -
二ノ鳥居と三ノ鳥居も一ノ鳥居と同様、寛文8(1668)年に徳川四代将軍家綱が寄進したもの。
しかし大正12(1923)年の関東大震災で3つの鳥居が全て倒壊。
一ノ鳥居は一部新材を補って復旧されたが、二と三の鳥居は鉄筋コンクリート製のものに新造された。 -
三ノ鳥居をくぐると目の前には神橋が。
ただし渡ることはできず、こうして眺めるのみ。 -
神橋の脇を通り過ぎ、社殿への参道を進む。
境内の由緒書によると鶴岡八幡宮は「源頼義が前九年の役平定後、康平6(1063)年に奉賽のため由比郷鶴岡の地に八幡大神を勧請したのに始まる」という。 -
参道を進むと突き当たりにあるのが舞殿。
日曜日でもあり、お日柄も良いせいか、結婚式が執り行われていた。
こうした衆人環視の中で行われる結婚式というのも、なかなかシビアなものだと思う。
永遠の愛を誓う相手は八幡様ではなく、グルリと取り囲んで見物している“参拝客”という名の赤の他人なのかも知れない。
いるかいないか分からない存在の神様より、赤の他人(それも女性)の熱視線のほうが、よほど新郎に「新婦を裏切れないなぁ」と思わせる効果があるのではなかろうか。 -
ひとまず結婚式は置いといて、純粋に舞殿のみの姿を。
追われる身となった源義経の愛妾・静御前が囚われ、頼朝の前に引き出された。
そこで頼朝と北条政子に所望され、やむなく静は「白拍子」を舞った。
しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
追討の発令者たる自分の前ですら義経を慕う歌を詠む静御前に、頼朝は烈火のごとく激怒。
刀に手をかける頼朝を政子が「主を思う女心は女にしか分からないもの」と諌め、静は命を救われることに。
静御前が白拍子を舞った「若宮廻廊」の跡に、この舞殿は建立されている。
ここで祝言を挙げる夫婦が愛を誓う真の相手は八幡神でも参拝客でもなく、本当は北条政子と静御前なのかも知れない。 -
鶴岡八幡宮の象徴ともいうべき大銀杏が雪混じりの強風によって倒伏したのは、平成22(2010)年3月10日未明のことだった。
樹齢1000年とも云われ、「いいくにつくろう鎌倉幕府」の1192年より以前から、この地に根を張っていたことになる。
高さは推定30メートル、幹の太さは約7メートル。
燃え上がるような黄色い葉を身に纏った大銀杏は、朱塗りの社殿とよく似合っていた。 -
同年4月、倒伏した場所から蘖(ひこばえ=根元から生えてくる若芽)が芽吹き、現在では約2メートル程まで成長。
また、倒伏した樹幹は再生可能な高さ4メートルに切断し、その横に据え置かれた。
蘖の「子イチョウ」は生育状態の良いものを選び「後継樹」として育成。
横に移された「親イチョウ」は再び大地に根を張ることが待たれている。
そして、双方とも「御神木」としてお祀りされている。 -
拝殿への大石段を登る途中、由比ガ浜方面に若宮大路にを望む。
朱塗りの鳥居が二つと、その先に白い鳥居が一つ。
空気の澄んだ快晴の日には水平線や、更には伊豆大島まで眺めることが出来るそうだ。
さて、由緒書の続き。
「治承4(1180)年、源氏再興の旗を挙げた源頼朝は父祖由縁の地鎌倉へ入ると、由比郷の八幡宮を『祖宗を崇めんが為』に小林郷北山(現在地)へ奉遷し、京に於ける内裏(京都御所)に相当する位置に据えて諸整備に努めた」という。
もともと由比ヶ浜から近い場所にあった若宮八幡を『祖宗を崇めんが為』ここへ移し、京都御所に比肩する規模に構築し、若宮大路を平安京の朱雀大路に模して鎌倉の町を整備したということか。 -
本宮(上宮)の楼門。
内側の拝殿や本殿など社殿は写真の撮影が禁止されている。
なお、本宮の社殿は若宮(下宮)とともに国重要文化財に指定されている。
さらに由緒書の続き。
「建久2(1191)年、大火により諸堂舎の多くが失われたが、頼朝は直ちに再建に着手し大臣山の中腹に社殿を造営して上下両宮の現在の結構に整えた」とある。
先出「いいくにつくろう」の通り、学校では鎌倉幕府の開府を建久3(1192)年と長きにわたって教えてきた。
しかし、それより前に堂舎が数多く存在したということは、既に鶴岡八幡宮が源氏政権の中枢施設として機能していたことを意味するのでは?
1192年はあくまでも源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた年であり、鎌倉幕府が実質的に成立したのは1185年だと最近では教えられているそうだ。
これからは「いいはこつくろう」と覚えるようになるのだろうか。 -
拝殿に掲げられた扁額。
単に「八幡宮」としか記されていないシンプルさ。
しかも「八」の字は二羽の鳩で描かれている。
鎌倉銘菓「鳩サブレー」は、ここから着想を得たのだという。
鶴岡八幡宮は一般に「三大八幡」のひとつに数えられている。
三大八幡とは、まず総本社の宇佐神宮(豊前国一之宮)と、京都府八幡市の石清水八幡宮。
それに筥崎宮(筑前国一之宮)か、鶴岡八幡宮のいずれかが入るという組み合わせだ。 -
大石段を降りて左に折れると若宮(下宮)の社殿が姿を現した。
若宮は本宮の御祭神応神天皇の御子、仁徳天皇ほか三柱の神様が祀られている。
ここには控室が併設されており、舞殿で式を挙げる御両家の皆様が待機している。
現在行われている式が終わると「次の方どうぞ」といった具合に舞殿へ案内される次第。 -
ここは「由比若宮遥拝所」。
由比若宮とは先出の由緒書に登場した、材木座に鎮座している由比郷の八幡宮のこと。
つまり源頼義が勧請し源頼朝が現地に奉遷した由比郷の八幡宮は、現在でも存在していることになる。 -
参道を三ノ鳥居へ向かうと、鳥居の手前の両側に大きな池が広がっている。
…はずなのだが、現在工事中で残念ながら水が干上がっていた。
これは「源平池」といって、北条政子が寿永元(1182)年に平氏滅亡を祈願して掘らせたもの。
三ノ鳥居から本殿に向かって右(東)側が源氏池、左(西)側が平家池という。
源氏池には島が3つ浮かび、最も大きな島には「旗上弁天社」が鎮座している。
明治政府の神仏分離令で一度は破却されたのだが、戦後の昭和31(1956)年に再興。
さらに昭和55(1980)年、鶴岡八幡宮創建800年を記念して江戸末期文政年間の古図に基づき、現在の社殿が復元された。
ちなみに弁天様は女神なので、カップルで参拝すると弁天様が嫉妬して2人を別れさせるとか、しないとか…。 -
源氏池に島が3つある理由は「三は産なり」で、源氏の繁栄が末永く続くことを祈って。
一方、平家池には島が4つ。
理由はもちろん「四は死なり」で、平家が一日も早く滅亡するように。
この故事からも北条政子、相当な女傑だったと見受けられる。
源氏が滅んでも北条家が執権として幕政を担えたわけだ。 -
鶴岡八幡宮の境内を出、若宮大路を再び由比ヶ浜方面に向かう。
横須賀線のガードに行き当たると左に折れ、そのまま線路沿いに歩く。
踏切を渡り、住宅街の間を縫うように細い道を歩く。 -
かれこれ20分ほど歩いたろうか。
お目当ての石柱に行き着いた。
そこに刻まれた文字は「元鶴岡八幡宮」。
先に登場した由比若宮、その参道入口である。
石畳が敷かれて参道っぽい感じに見えるが、この社号標がなければ何ら変哲のない道にも見える。
どっちにしても、本当に目立たない場所にヒッソリ佇んでいたことに違いはない。 -
参道を奥に進むと、ほどなくして社殿が姿を見せた。
鶴岡八幡宮の境内と比較すれば、こちらの広さは旗上弁天社が鎮座する島程度といったところか。
とはいえ境内は綺麗に掃き清められ、氏子の信奉の篤さが伝わってくる。
鶴岡八幡宮が日本を代表する神社なのに対し、こちらは材木座の氏神様といった趣きである。 -
鳥居は二つ。
一の鳥居と二の鳥居の間隔は20〜30メートルといったところか。 -
一の鳥居の手前に立っている「文学案内板」。
大正時代、先の参道から北側一帯は別荘地で、ここで芥川龍之介も暮らしたことがあるという。
その頃の様子は「或阿呆の一生−十五『彼等』」に描写されている。
彼等は平和に生活した。大きい芭蕉の葉の広がつたかげに。――彼等の家は東京から汽車でもたつぷり一時間かかる或海岸の町にあつたから。 -
由比若宮(元鶴岡八幡宮)の社殿。
鶴岡八幡宮と由比若宮は“自然暦”の関係に相当するそうだ。
太陽は由比若宮の方角から昇り、鶴岡八幡宮の方角に沈む。
日の出=始まり、出産であり、日の入=終わり、入滅である。
それゆえに元鶴岡八幡宮は“若宮”と呼ばれているのだろう。
今でこそ周囲を住宅やビルで覆われているため、どこから日が昇るのか分かりにくい。
だが周囲が田畑だった大昔には、百姓にとって両宮の位置関係が太陽の動きを察知するための重要なランドマークになっていたに違いない。 -
境内にある「旗上の松」。
源“八幡太郎”義家が後三年の役で進軍の折、野営した際に源氏の白旗を立てかけたとされる松の木の遺構だ。
なお、源義家は由比若宮を勧請した源頼義の息子である。 -
元鶴岡八幡宮の境内から離れ、社号標が立っていたバス通まで戻る。
近くに京急バスの停留所があった。
ここから鎌倉駅までバスは直通するのだが、逆に鎌倉駅から来る路線に直通するものはない。
どこかで一度以上の乗り換えが必要なようだ。
もちろん自分は鎌倉駅まで歩く。 -
由比若宮から歩いて15分ほどで鎌倉駅に到着。
江ノ電の小さな電車も江ノ島に向かう観光客でパンパン。
満員の車内に身を潜らせ、ジッと待つうちに発車。
日曜日で天気も晴朗とあり、大勢の観光客で賑わう駅前を眺めながら鎌倉の町を後にした。
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