2013/05/03 - 2013/05/03
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ドクターキムルさん
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御霊神社の東南にある後河内公園に隣接して墓地が造成されている。公園側の1区画は未だ埋まっていないが、2区画あるもう一方は埋まっているようだ。その道路側の端にある墓地の1分譲地分には小屋掛けして、この辺りの山地を掘削して平地にした土地区画整理事業で発掘された暦応4年(1341年)銘の五輪塔を始め30基と宝篋印塔が7基、延慶2年(1309年)銘から応永16年(1409年)銘の板碑が4基が安置されている。これらはお諏訪の森と呼ばれた長崎山(龍灯山の西側の柏尾川沿いにあった山)の竹林の中段にあったやぐらの中に安置されていたものである。
また、御霊神社の社叢と龍灯山の間にあった堂坂切通の峠に祀られていたいぼ地蔵の移設して安置してある。このいぼ地蔵は元々は個人宅にあったやぐらの中に祀られていたものを明治中期になって堂坂切通の峠に移したものだという。
他に、寛政2年(1790年)銘の庚申供養塔や延宝8年(1681年)銘の帝釈天王石像も併せて安置されている。
このお堂と称する小屋の横には「村岡一族の墓」と記載されている。この墓地をいうのであろう。それならば室町時代まで遡る石仏や墓石もあるのであろうか。
この小屋の前には藤原実方の歌碑も建っている。「民もまた 仁ぎ波い二けり 秋の田を 刈りて於さむる 鎌倉の里」。古館(藤沢市宮前)にあったの知り合い館に逗留したとされる。この地では2句読み、「かき曇り なぜか音せぬほととぎす 鎌倉山に 道やまどえる」の歌もある。
平安時代中期の武将であった平良文は村岡に住み村岡五郎を称し、坂東八平氏の祖とされている。官位は従五位上、陸奥守、鎮守府将軍であった。歌人実方は陸奥守に左遷させられ現地に下向し、長徳4年12月(999年1月)に没し、名取市愛島に墓がある。享年は40歳ほどだったという。また横浜市戸塚区上倉田町にも実方塚があり墓所と伝わっていたが、塚や袖塚からは何も発掘されなかった。村岡五郎の生没年は不詳であるが、実方は村岡五郎没後の生まれであろう。それでも、陸奥守は共通する。また、鎌倉権五郎景正は実方没後に生まれている。したがって、古館の主は村岡五郎の子孫で鎌倉権五郎景正の先祖あたる村岡一族であろうか?
村岡歴史の道として標柱が至るところに立てられているが、この宮前の石造物は漏れている。たまたま、大門の御霊神社参道に住むご主人から「絶対に見るべきところ」と知らされて尋ねてみた。
(表紙写真は宮前の実方歌碑)
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