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長後天満宮(ちょうごてんまんぐう、神奈川県藤沢市長後)は小田急江ノ島線長後駅から徒歩20分の地に建立されています。<br /><br />平安時代後期、豪族秩父氏が前九年の役で源頼義(みなもと・よりよし、988~1075)に随陣し、陸奥の豪族安倍氏を制圧した戦いで武功を挙げた事により当地域を恩賞として与えられます。<br /><br />当地に進出したのは秩父六郎基家(ちちぶ・ろくろう・もといえ、生没不詳)で、彼は一族と共に秩父から移動して当地に東西約180m、南北に約225mの城郭を構え、その一角に守護神として菅原道真を祀り後年天満宮と称します。<br /><br />渋谷氏は桓武平家の流れをくむ秩父党の庶流で、現在の神奈川県大和市・藤沢市・綾瀬市一帯に勢力を有し、源頼朝が旗揚げした時点では平家方として討伐に参戦しますが、頼朝が安房国再起し下総から武蔵に入る際頼朝に従い、重国、子の高重ともども鎌倉幕府の御家人に加わります。<br /><br />基家の孫である重国(しげくに、生没不詳)の代になりますと渋谷荘(高座軍渋谷村)荘司と称し、正式に渋谷氏を名乗りますが、和田義盛の乱では二男高重(たかしげ、出生不詳~1213)は妻が横山氏娘の為、義盛に与し戦死、これに関連して渋谷氏は当地での勢力が衰え、天満宮自体も頽廃してしまいます。<br /><br />徳川時代では旗本朝岡氏の知行地となり、村内の鎮守天満宮の社殿を造り以降世襲をする中で当天満宮の維持管理に務めます。<br /><br /><br />近くの小田急江ノ島線「高座渋谷」駅は旧高座郡渋谷村に由来し、渋谷氏の本貫地として渋谷荘が存在していた事の名残りとなります。<br /><br />また渋谷氏には武蔵国に領を得た一族があり、現在の東京都渋谷区一帯がその領地だったと言われています。<br /><br />従い往時は居館があったわけで、そういえば以前NHKでタモリがいわゆる「渋谷城」跡を探訪する番組があったことが甦ってきます。何気なく観ていた事が自分として悔やまれます。

相模藤沢 桓武平氏の流れを汲む秩父氏庶流ながら源頼義恩顧の渋谷荘を出自とし頼朝御家人渋谷氏一族の祈願所と伝えられる『長後天満宮』散歩

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2012/05/07 - 2012/05/07

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滝山氏照

滝山氏照さん

長後天満宮(ちょうごてんまんぐう、神奈川県藤沢市長後)は小田急江ノ島線長後駅から徒歩20分の地に建立されています。

平安時代後期、豪族秩父氏が前九年の役で源頼義(みなもと・よりよし、988~1075)に随陣し、陸奥の豪族安倍氏を制圧した戦いで武功を挙げた事により当地域を恩賞として与えられます。

当地に進出したのは秩父六郎基家(ちちぶ・ろくろう・もといえ、生没不詳)で、彼は一族と共に秩父から移動して当地に東西約180m、南北に約225mの城郭を構え、その一角に守護神として菅原道真を祀り後年天満宮と称します。

渋谷氏は桓武平家の流れをくむ秩父党の庶流で、現在の神奈川県大和市・藤沢市・綾瀬市一帯に勢力を有し、源頼朝が旗揚げした時点では平家方として討伐に参戦しますが、頼朝が安房国再起し下総から武蔵に入る際頼朝に従い、重国、子の高重ともども鎌倉幕府の御家人に加わります。

基家の孫である重国(しげくに、生没不詳)の代になりますと渋谷荘(高座軍渋谷村)荘司と称し、正式に渋谷氏を名乗りますが、和田義盛の乱では二男高重(たかしげ、出生不詳~1213)は妻が横山氏娘の為、義盛に与し戦死、これに関連して渋谷氏は当地での勢力が衰え、天満宮自体も頽廃してしまいます。

徳川時代では旗本朝岡氏の知行地となり、村内の鎮守天満宮の社殿を造り以降世襲をする中で当天満宮の維持管理に務めます。


近くの小田急江ノ島線「高座渋谷」駅は旧高座郡渋谷村に由来し、渋谷氏の本貫地として渋谷荘が存在していた事の名残りとなります。

また渋谷氏には武蔵国に領を得た一族があり、現在の東京都渋谷区一帯がその領地だったと言われています。

従い往時は居館があったわけで、そういえば以前NHKでタモリがいわゆる「渋谷城」跡を探訪する番組があったことが甦ってきます。何気なく観ていた事が自分として悔やまれます。

交通手段
私鉄 徒歩

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  • 長後天満宮正面<br /><br />周囲の田畑を進みますと鎮守の森が見え、やがて天満宮が現れます。

    長後天満宮正面

    周囲の田畑を進みますと鎮守の森が見え、やがて天満宮が現れます。

  • 長後天満宮鎮守の森<br /><br />石垣に囲まれた高台があり、鎮守の森の奥に拝殿が控えています。

    長後天満宮鎮守の森

    石垣に囲まれた高台があり、鎮守の森の奥に拝殿が控えています。

  • 長後天満宮・鳥居<br /><br />一の鳥居から参道が続き、やがて二の鳥居に引継がれます。

    長後天満宮・鳥居

    一の鳥居から参道が続き、やがて二の鳥居に引継がれます。

  • 菅公千百年記念碑<br /><br />祭神は菅原道真となってます。

    菅公千百年記念碑

    祭神は菅原道真となってます。

  • 長後天満宮・拝殿<br /><br />藤原時平の讒言により九州太宰府に流配された菅原道真が祀られています。

    長後天満宮・拝殿

    藤原時平の讒言により九州太宰府に流配された菅原道真が祀られています。

  • 長後天満宮・本殿<br /><br />拝殿から本殿が小振りながらしっかりと続きます。<br /><br />

    長後天満宮・本殿

    拝殿から本殿が小振りながらしっかりと続きます。

  • 長後天満宮・本殿

    長後天満宮・本殿

  • 旗本朝岡氏寄贈・石燈籠<br /><br />寛永19年(1642)奉納した朝岡丑之助は三河以来の旗本で、徳川家康が関東入府後この地を知行地として与えられ、代々受け継ぎ幕末に至ります。<br />朝岡氏は当地の地頭として長後の鎮守の神である天満宮に石灯籠を造立しました。

    旗本朝岡氏寄贈・石燈籠

    寛永19年(1642)奉納した朝岡丑之助は三河以来の旗本で、徳川家康が関東入府後この地を知行地として与えられ、代々受け継ぎ幕末に至ります。
    朝岡氏は当地の地頭として長後の鎮守の神である天満宮に石灯籠を造立しました。

  • 長後天満宮・境内<br /><br />拝殿から鳥居を一望します。

    長後天満宮・境内

    拝殿から鳥居を一望します。

  • 長後天満宮・境内<br /><br />誰一人として参拝者がいない正午のひと時です。

    長後天満宮・境内

    誰一人として参拝者がいない正午のひと時です。

  • 居館跡<br /><br />2段構えの郭に見えます。

    居館跡

    2段構えの郭に見えます。

  • 天満宮周辺<br /><br />5~6mほどの高台から一望します。

    天満宮周辺

    5~6mほどの高台から一望します。

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