2013/02/10 - 2013/02/10
3350位(同エリア7344件中)
愛吉さん
鎌倉の古社寺は、一通り歩いたつもりでしたが、ある日鎌倉の地図を見ていると、材木座地区が抜けているのに気が付きました。
材木座というと、どうしても夏の海を思い出します、中学生時代には臨海学校で出掛けた処です。又最近ではサーフィンのメッカにもなっています。
改めて案内書をひもとくと、隠れ名所が数多くあります。
そうなると気になって仕方ありません。
早速出掛ける事にしました。
スタートは鎌倉駅、駅前から子坪経由逗子行のバスに乗ります。
15分もすると和賀江嶋に到着、ここから歩き始めます。
写真は光明寺記主の庭に建つ大聖閣
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル
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バスを降り、防波堤を越えて海岸に出ます。
目の前に材木座の砂浜が広がります、夏には海水浴客で賑はう処ですが、今は僅かにサーフアーの姿があるのみです。
防波堤の上には和賀江嶋を示す石柱が建って居ます。 -
和賀江嶋は、日本に現存する最古の築港遺跡です。
1232年、時の3代執権北条泰時の命により完成。石材は伊豆から運びました、当時は鎌倉の海の玄関口でした。
長い年月で石積は壊れ、、普段は海中に没していますが、干潮時のみ姿を表します。現在は干潮で見る事が出来ます。 -
和賀江嶋の先端、遥か向うには江の島が浮かびます。
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沖の岩の上に、説明記念碑が建って居ます。
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近付いて読んで見ましょう。
干潮時のみ近付けます。 -
堤防を降りバス道を戻ると、右側に立派な門があります。
江戸時代には浄土宗の関東大本山を称えていた天照山光明寺です。 -
門の前に立つ案内板
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外門を潜ると、目の前に大きな山門が聳えます。
建長寺、円覚寺の山門を超えて、鎌倉で一番大きな門です。 -
山門の上には後花園天皇の真筆、天照山の額が掛ります。
門の大きさを下の人物と比較して下さい。 -
山門の案内板
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本堂の大屋根、こちらも鎌倉一の大きさを誇ります。
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本堂に上がり記主之庭を拝観します。
小堀遠州の作です、正面の建物は大聖閣。
前面の池には、古代蓮が植えられ、時期になると蓮見の会が開催されます。 -
本堂の正面横にある善導塚。
唐の人で、浄土念仏の高祖。法然上人の師。 -
同じく開山堂。
老朽化の為、平成14年に再建されたものです。 -
境内に有りました。
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同じく境内の一隅には、小さな五輪の塔が集められて居ます。
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光明寺を後にしバス通りを鎌倉方向に戻ると、左側に九品寺があります。
鎌倉33観音13番札所です。
草創は新田義貞、義貞が鎌倉攻めの時本陣を置いた場所です。
幕府滅亡後、北条方の戦死者慰霊の為、京都より高僧を招き1337年に開山しました。 -
山門に掛る内裏山の額は義貞の手蹟です。
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山門を潜り境内に入って来ました。
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本堂正面に掛る九品寺の額も義貞の字です。
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境内には古びた石仏が並びます。
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次はバス通りと並行して走る、奥の小道を進みます。
人通りは有りません、右側に門柱が建って居ます。
補陀洛寺に到着です。
1181年に頼朝が文覚上人を開山として建てたといわれ、頼朝の祈願所でした。
当時は大きな寺院でしたが、度々竜巻きに襲われ、今はこじんまりとしたお寺です。 -
門柱の脇には頼朝の祈願所だった事を示す石柱が有ります。
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境内の一隅を写しました。
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道なりに進んで実相寺に来ました。
1271年に創られた日蓮宗のお寺です、曽我兄弟の仇打ちで有名な工藤祐径の屋敷跡でもあります。 -
次に通過するのは、五所神社です。
1908年近くに在った5ヶ所の神社が合併して出来ました。
厄除けの神社として有名です。 -
国の重要美術品の板碑が有ります。
1262年の銘があり、廃寺となった感応寺から移されました。 -
その他境内には古い石仏石碑が並んでいます。
右端の麻利支天像は、元はインドの神様ですが身を護って呉れる神として武士の信仰を集めました。
厄除けもここから出たものと思われます。 -
今度は来迎寺の前を通ります。
取り敢えず境内に入ってみましょう。 -
裏の墓地には、古い墓の前に新しい看板が出ていました。
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横須賀線の線路脇迄歩いて来ました。
線路に沿って長い塀が続きます、やっと入口に到着しました。
日蓮宗の長勝寺山門です。
石井長勝によって1263年に建立されました。
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山門の中では、赤い衣を纏ったお地蔵さんが出迎えて呉れます。
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本堂前には、四天王像に囲まれた日蓮上人の銅像が立って居ます。
高村光雲作です。 -
本堂には、世界平和を祈願する明日の水行に備えて曼幕が張られて居ました。
70人の僧が1人7杯の手桶の水を頭からかぶる水行だそうです。
見てみたかったです。 -
法華堂。室町時代初期に建てられました。
国の重要文化財です。
桜のつぼみもふくらみ初めました。 -
長勝寺を後にし安国論寺を目指します。
横須賀線の踏切を渡り、細い道を進むと小さな山門が見えて来ます。
1253年32歳で鎌倉にやって来た日蓮が最初に草庵を設けた処です。
さらに1260年には、ここで立正安国論を書き上げます。 -
門の前には石碑が建って居ます。
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山門を潜り境内に入ります。
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正岡子規の句碑が立って居ます。
鎌倉の松葉が谷の道の辺の
法を説きたる日蓮大菩薩 -
本堂に掛る立正安国の扁額
この奥に立正安国論を書いた御法窟が有りますが、普段は公開して居ません。 -
裏の墓地には、土光敏夫さんのお墓がありました。
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安国論寺山門前の細い道を百米も行くと、妙法寺に行き着きます。
1357年護良親王の子である日叡上人が、父親の菩提を弔う為に草庵跡に建てたのが始まりです。 -
門の前には、松葉谷御小庵霊蹟の碑が立って居ます。
どうやら日蓮上人が最初に草庵を設けた場所は2説あるようです。 -
山門前の解説板
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境内にある仁王門
山上に有る御小庵跡への入口門です。
江戸時代肥後細川家により寄進されました。 -
仁王門のアップ。
その先に見えるのが有名な苔の石段です。 -
苔の石段。 冬枯れでしょうか苔は薄いです。
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仁王門の脇にはこの様なお墓が有りました。
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山腹に有る御小庵跡の碑
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解説案内板
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山上にある護良親王の墓
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山上から見た鎌倉の海
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元の細道まで引き返し、安養院を目指します。
北条政子創建の長楽寺を元に、善導寺、田代寺を集めた寺で、良縁を願う男女に幸せを呼ぶ寺として有名です。 -
本堂の裏に回ると墓地の正面に立派な塔が二つ並んでいます。
近寄ってみましょう。 -
善導寺の開祖尊観上人の墓といわれる塔で開山塔と呼ばれます。
国の重要文化財です。 -
隣の塔は北条政子の墓といわれています。
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政子の墓を頂点に古い墓が並びます。
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境内にはこんな石像もあります。
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向いにある上行寺。
皮膚病から始まり病気全般に御利益があるお寺です。
江戸時代の寺院建築を伝える建物としても有名です。 -
隣に有る瘡守稲荷堂兼鬼子母神薬師堂。
源氏及び北条氏の病気平癒の祈願所。
今日も多くの人が参拝に来ています。 -
鎌倉最古の厄除け神社 八雲神社
新羅三郎義光が当時鎌倉で流行っていた疫病退散の為、京都より勧進した祇園社 -
再びバス通りを離れ、奥の細道に入ります。
この辺は材木座を離れ大町界隈の筈です。
ありました、ぼたもち寺の愛称で呼ばれる常栄寺に到着です。 -
門前に立つ案内板です。
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境内には梅が咲いていました。
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道なりに歩くと大きな山門にぶつかります。
妙本寺です、何度も訪ねた好きな寺の一つです。
鎌倉幕府創生期に、北条氏と覇権を争った比企氏の屋敷跡で、比企一族の墓があります。
山門を潜り境内に入ると小さな冠木門が有ります、本堂に続く参道です。 -
木立に囲まれた階段を登ると本堂があります。
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そこを過ぎると立派な赤い門が建って居ます。
最近まで修理の為、柵で覆われ見る事が出来ませんでした。
始めてお目に掛ります。 -
境内の一隅に有る、一幡袖塚です。
鎌倉二代将軍頼家の長男で三代将軍になるばかりでしたが、北条氏の焼き討ちに遭い、ここ比企邸で母親の若狭の局と共に焼死しました。
後一幡の死を悼んで、着ていた衣の袖を埋め供養した塚です。 -
後方には比企一族の墓があります。
怨念の籠った墓です。 -
妙本寺を出て駅の方に戻る途中に、本覚寺があります。
日蓮上人の御分骨を受けた事から、東身延と呼ばれて居ます。 -
御本殿です。
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夷堂
恵比寿様をおまつりしています。
商売の神として信仰を集めます。 -
御分骨堂
日蓮上人の御分骨をおまつりして居ます。 -
境内に有る人形塚
新しく出来た様です。
材木座からここ迄、一日掛けて歩いて来ました、鎌倉駅はもう直ぐです。
今回は始めて訪ねる史跡も多く、勉強になりました。
まだ鎌倉には多くの旧跡があり、新しい発見もあります。
折を見て又訪ねたいと思います。
長い事お付き合い下さり有難う御座いました。
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