
2012/10/20 - 2012/10/20
948位(同エリア1354件中)
滝山氏照さん
鎌倉時代創設時期に活躍した三浦氏棟梁である三浦義明(みうら・よしあき、1092~1180)を祀った満昌寺から更に東進した大富山・清雲寺(せいうんじ、神奈川県横須賀市大矢部)は長治元年(1104)、三浦義継(みうら・よしつぐ、生没不詳)が父為継(ためつぐ、生没不詳)の供養の為に建立した寺です。
本堂背後の墓地には為継の五輪塔が中央に、左右には三浦氏の祖である為道、三代目義継の五輪塔が並んでいますが過去に廃寺の円通寺から移された経緯があり、どちらが為道、義継のものか明確ではありません。
為道(ためみち、生年不詳~1083)は源頼義に従い前九年の役で活躍をし、康平6年(1063)三浦の地を与えられ三浦の姓を名乗り衣笠城を築城します。
二代目為継は後三年の役で源頼家に従っており、三代目義継は源義朝に仕え、大庭御厨の乱入事件で義朝方で任務を果たしています。
2022年8月16日追記
当該寺院の境内には下記の通り三浦為継に関する説明板があります。
『 伝三浦為継とその一党の廟所
昭和48年1月10日指定
三浦氏三代とは初代為通、二代為継、三代義継をいう、この地には中央の三浦為継墓と伝える五輪塔が存在したが、昭和14年に付近にある深谷の円通寺跡やぐら群から為通、義継の墓と伝えられえる五輪塔を移転し、三代の墓として祀ったものである。
左右いずれが為通、義継の墓か不明であるがいずれも凝灰岩製で鎌倉時代の様式を示している。
為通は関東平氏の流れをくみ康平6年(1063)源義家より三浦の地を賜り、衣笠城を築いた武将で、為継、義継も源氏に従い武勇に優れた名だたる武将であった。
なお、左右にある石塔群及び文永8年銘(後銘)板碑は、三浦93騎墓と伝えられやはり同時期に移されたものである。
平成2年3月31日
横須賀市教育委員会 』
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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