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永正9年(1512)、小田原北条早雲の追撃を受け守備の住吉城から逃れ、当寺にて自刃した三浦義教(道香)(みうら・よしのり(どうこう)、?~1512)の墓所がこの黄雲山・延命寺(えんめいじ、神奈川県逗子市逗子)にあります。<br /><br />鎌倉時代創設初期では三浦半島に勢力を得て最も頼朝の信頼が厚かった三浦氏は、当然ながら奈良時代創建の当寺の堂宇等修補を尽くすなどして手厚い保護をします。やがて執権北条氏との権力闘争に敗れ、三浦氏嫡流は滅びますが傍流の佐原氏は北条氏との婚姻関係故、三浦氏の家督を引継ぎを認められますがあくまでも北条氏の臣下の扱いでした。<br /><br />元弘3年(1333)、北条高時らが新田義貞に鎌倉に攻め込まれ141年の鎌倉幕府は終焉を迎えます。一方三浦氏は戦国時代の中で勢力を回復しつつ、また関東管領扇谷上杉氏の支援を得て三浦半島のみならず相模国西部にも影響力を拡大します。<br /><br />他方伊豆の韮山(にらやま)から小田原に拠点を移し東進の小田原北条氏は相模国支配の為には三浦氏攻略が最大の目標であり、その為岡崎城(現平塚市)を攻め落とし城主三浦義同(みうら・よしあつ、1451~1516)を追い詰めます。<br /><br />岡崎を追われた義同は海城である住吉城を目指しますが既に北条軍攻撃を受け、実弟で城主三浦義教は部下とともに当地へ退去するも逃げ切れぬと判断し自害を遂げます。<br /><br /><br />2022年8月11日<br /><br />当該寺院のホームページには下記の如く紹介されています。<br /><br />『 延命寺沿革<br />天平時代・創立開祖<br />奈良時代聖武天皇の天平年中(724~749)行基菩薩が開創し御自作の延命地蔵菩薩座像を安置したこと伝えられる。<br /><br />天平年中、行基菩薩東国巡賜の折、当地に留賜され夜中に黄雲が園林の上にたなびき延命地蔵菩薩が忽然として端厳微妙の相を示現したまえるを見て措く所を知らず、直ちに木を刻してその妙相を残し伽藍を創建したと伝えられる住吉は延命地蔵菩薩を本尊とした。<br /><br />平安時代・逗子の地名発祥<br />平安時代となり空海(弘法大師)様が下野の国二荒山登山のみぎり、当山に立ち寄り延命地蔵菩薩安置する厨子を設けられ以来、住民尊信の的となり、いつしかこの地を「厨子」と呼び現在の「逗子」の地名発祥と伝えられている。<br /><br />鎌倉時代<br />鎌倉時代となり三浦氏の一党が大いに当寺を補修して祈願寺とする。<br /><br />室町時代<br />室町時代の末には、北条氏の三浦氏攻めに敗れた三浦一族の一人、三浦道香主従は当山において自害される。三浦道香・主従の武士の墓は境内に存す。<br /><br />北条・徳川時代<br />北条氏の帰依を得、天文年間隣朝賢(天文20年・1551年3月25日没)が中興の祖となる。天正19年(1591年)11月には徳川家康公より御朱印5石を下付される。頼雄・尊栄の師資相次いで復興を計り貞享4年(1687年)伽藍竣工し新たに大日如来尊像造立して本尊とし、檀越協力を得て当山を護持する。<br /><br />明治・大正j時代<br />明治29年(1896年)大火災により鐘楼を残し全て焼失する。更に関東大震災により仮本堂9棟全潰の災厄にあい、第七十一世本瑞代、震災直後直ちに復興に着手、大正13年(1924年)11月起工し大正14年に旧本堂を竣工する。<br /><br />昭和時代<br />第七十二代祐瑞代に弘法大師御誕生千二百年記念事業として昭和49年起工し昭和52年4月末完工、新本堂落慶を記念して「逗子大師」と称し、その後第七十三世宣円代に檀信徒及び参詣者の増加により旧会館の狭小及び老朽の為、庫裏等の改築を発願し諸般の協力を得て弘法大師御遠忌千百五十年記念事業として檀徒会館及び庫裏の建築に着手、昭和58年10月起工、」昭和59年9月に竣工する。<br /><br />平成時代<br />時代の変化に伴い永代供養(納骨堂)を新たに始める。旧鐘楼堂老朽にともない第七十四世現住職宣優代において、平成27年高野山開創千二百年記念事業として鐘楼堂新築を発願、平成28年1月着工、同年10月完成する。梵鐘は元禄3年(1690年)銘を記して、文政5年(1822年)再鋳造されたが大戦供出した為、現在の梵鐘は昭和30年に新鋳しこの度の新築事業に於いてもその音色を引き継ぎ「平和の鐘」として竣工する。』<br /><br /><br /><br /><br />

相模逗子 天平年間創建と伝えられ当地を本領とする三浦一族の祈願寺なれど小田原北条氏に追撃され自刃した三浦道香が眠る『延命寺』散歩

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2012/10/20 - 2012/10/20

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滝山氏照

滝山氏照さん

永正9年(1512)、小田原北条早雲の追撃を受け守備の住吉城から逃れ、当寺にて自刃した三浦義教(道香)(みうら・よしのり(どうこう)、?~1512)の墓所がこの黄雲山・延命寺(えんめいじ、神奈川県逗子市逗子)にあります。

鎌倉時代創設初期では三浦半島に勢力を得て最も頼朝の信頼が厚かった三浦氏は、当然ながら奈良時代創建の当寺の堂宇等修補を尽くすなどして手厚い保護をします。やがて執権北条氏との権力闘争に敗れ、三浦氏嫡流は滅びますが傍流の佐原氏は北条氏との婚姻関係故、三浦氏の家督を引継ぎを認められますがあくまでも北条氏の臣下の扱いでした。

元弘3年(1333)、北条高時らが新田義貞に鎌倉に攻め込まれ141年の鎌倉幕府は終焉を迎えます。一方三浦氏は戦国時代の中で勢力を回復しつつ、また関東管領扇谷上杉氏の支援を得て三浦半島のみならず相模国西部にも影響力を拡大します。

他方伊豆の韮山(にらやま)から小田原に拠点を移し東進の小田原北条氏は相模国支配の為には三浦氏攻略が最大の目標であり、その為岡崎城(現平塚市)を攻め落とし城主三浦義同(みうら・よしあつ、1451~1516)を追い詰めます。

岡崎を追われた義同は海城である住吉城を目指しますが既に北条軍攻撃を受け、実弟で城主三浦義教は部下とともに当地へ退去するも逃げ切れぬと判断し自害を遂げます。


2022年8月11日

当該寺院のホームページには下記の如く紹介されています。

『 延命寺沿革
天平時代・創立開祖
奈良時代聖武天皇の天平年中(724~749)行基菩薩が開創し御自作の延命地蔵菩薩座像を安置したこと伝えられる。

天平年中、行基菩薩東国巡賜の折、当地に留賜され夜中に黄雲が園林の上にたなびき延命地蔵菩薩が忽然として端厳微妙の相を示現したまえるを見て措く所を知らず、直ちに木を刻してその妙相を残し伽藍を創建したと伝えられる住吉は延命地蔵菩薩を本尊とした。

平安時代・逗子の地名発祥
平安時代となり空海(弘法大師)様が下野の国二荒山登山のみぎり、当山に立ち寄り延命地蔵菩薩安置する厨子を設けられ以来、住民尊信の的となり、いつしかこの地を「厨子」と呼び現在の「逗子」の地名発祥と伝えられている。

鎌倉時代
鎌倉時代となり三浦氏の一党が大いに当寺を補修して祈願寺とする。

室町時代
室町時代の末には、北条氏の三浦氏攻めに敗れた三浦一族の一人、三浦道香主従は当山において自害される。三浦道香・主従の武士の墓は境内に存す。

北条・徳川時代
北条氏の帰依を得、天文年間隣朝賢(天文20年・1551年3月25日没)が中興の祖となる。天正19年(1591年)11月には徳川家康公より御朱印5石を下付される。頼雄・尊栄の師資相次いで復興を計り貞享4年(1687年)伽藍竣工し新たに大日如来尊像造立して本尊とし、檀越協力を得て当山を護持する。

明治・大正j時代
明治29年(1896年)大火災により鐘楼を残し全て焼失する。更に関東大震災により仮本堂9棟全潰の災厄にあい、第七十一世本瑞代、震災直後直ちに復興に着手、大正13年(1924年)11月起工し大正14年に旧本堂を竣工する。

昭和時代
第七十二代祐瑞代に弘法大師御誕生千二百年記念事業として昭和49年起工し昭和52年4月末完工、新本堂落慶を記念して「逗子大師」と称し、その後第七十三世宣円代に檀信徒及び参詣者の増加により旧会館の狭小及び老朽の為、庫裏等の改築を発願し諸般の協力を得て弘法大師御遠忌千百五十年記念事業として檀徒会館及び庫裏の建築に着手、昭和58年10月起工、」昭和59年9月に竣工する。

平成時代
時代の変化に伴い永代供養(納骨堂)を新たに始める。旧鐘楼堂老朽にともない第七十四世現住職宣優代において、平成27年高野山開創千二百年記念事業として鐘楼堂新築を発願、平成28年1月着工、同年10月完成する。梵鐘は元禄3年(1690年)銘を記して、文政5年(1822年)再鋳造されたが大戦供出した為、現在の梵鐘は昭和30年に新鋳しこの度の新築事業に於いてもその音色を引き継ぎ「平和の鐘」として竣工する。』




交通手段
私鉄 徒歩

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  • 延命寺<br /><br />正式には「高野山真言宗 黄雲山 逗子大師 延命寺」となります。<br />

    延命寺

    正式には「高野山真言宗 黄雲山 逗子大師 延命寺」となります。

  • 延命寺沿革<br /><br />奈良(天平)時代から昭和に至るまでの記事が石坂に刻されています。

    延命寺沿革

    奈良(天平)時代から昭和に至るまでの記事が石坂に刻されています。

  • 銅造阿弥陀三尊像

    銅造阿弥陀三尊像

  • 本堂<br /><br />長めの参道を経て本堂へは石段を登ります。

    本堂

    長めの参道を経て本堂へは石段を登ります。

  • 三浦義教(道香)墓<br /><br />門を入るとすぐ右手に義教(道香)とその部下6名の墓があります。

    イチオシ

    三浦義教(道香)墓

    門を入るとすぐ右手に義教(道香)とその部下6名の墓があります。

  • 三浦義教(道香)説明板

    三浦義教(道香)説明板

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