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 逗子市沼間にある海宝院は曹洞宗のお寺で長谷山海宝院という。開山を源臨乎和尚とし、徳川家康の三浦郡の代官長谷川七左衛門長綱が横須賀村(現 横須賀市)に創建した寺である。天正19年(1591年)に18石の御朱印を賜った旨、「相模国風土記」に記されている。その後、慶長年間(1596年〜1615年)に長谷川長綱によりこの地に移された。<br /> 本尊の木造十一面観音菩薩坐像はすべての方向を向いた顔をもちあらゆる願いを聞いてくれる仏様とされる。 <br /> 鐘楼に吊された銅鐘は、応永10年(1403年)の銘のあり、東京町田市の小野神社の宮鐘だったもので神奈川県の重要文化財に指定されている。伝説では、北条早雲が新井城の三浦道寸を攻めるときに陣鐘として使用したもので、長谷川長綱が徳川家康より拝領したものと伝えられている。<br /> 山門は鎌倉地方の室町時代末期の特徴をよく残す四脚門であり、江戸時代初期の建築とされる。<br /> また、境内奥には江戸期の墓型を残す長谷川一族の墓が祀られている。 <br /> 海宝院は田越川を渡った平地に広大な境内を有しているが、寺が移される以前はどのような地であったのかが気になるところだ。平安時代末には源義朝の沼浜亭(法勝寺境内あたりとも、その西側とも言われる)の西側にあたり、この平地が利用されなかったはずがない。神武寺の表参道と沼間参道、田越川に挟まれた東逗子駅と海宝院がある平地は中世においても利用価値が高かったはずだ。四方を山に囲まれた法勝寺境内の平地は鎌倉・壽福寺の境内(平地)よりも狭い。法勝寺の西側あたりが妥当なところだ。<br />(表紙写真は海宝院本堂)

海宝院(神奈川県逗子市)

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2012/12/09 - 2012/12/09

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 逗子市沼間にある海宝院は曹洞宗のお寺で長谷山海宝院という。開山を源臨乎和尚とし、徳川家康の三浦郡の代官長谷川七左衛門長綱が横須賀村(現 横須賀市)に創建した寺である。天正19年(1591年)に18石の御朱印を賜った旨、「相模国風土記」に記されている。その後、慶長年間(1596年〜1615年)に長谷川長綱によりこの地に移された。
 本尊の木造十一面観音菩薩坐像はすべての方向を向いた顔をもちあらゆる願いを聞いてくれる仏様とされる。
 鐘楼に吊された銅鐘は、応永10年(1403年)の銘のあり、東京町田市の小野神社の宮鐘だったもので神奈川県の重要文化財に指定されている。伝説では、北条早雲が新井城の三浦道寸を攻めるときに陣鐘として使用したもので、長谷川長綱が徳川家康より拝領したものと伝えられている。
 山門は鎌倉地方の室町時代末期の特徴をよく残す四脚門であり、江戸時代初期の建築とされる。
 また、境内奥には江戸期の墓型を残す長谷川一族の墓が祀られている。
 海宝院は田越川を渡った平地に広大な境内を有しているが、寺が移される以前はどのような地であったのかが気になるところだ。平安時代末には源義朝の沼浜亭(法勝寺境内あたりとも、その西側とも言われる)の西側にあたり、この平地が利用されなかったはずがない。神武寺の表参道と沼間参道、田越川に挟まれた東逗子駅と海宝院がある平地は中世においても利用価値が高かったはずだ。四方を山に囲まれた法勝寺境内の平地は鎌倉・壽福寺の境内(平地)よりも狭い。法勝寺の西側あたりが妥当なところだ。
(表紙写真は海宝院本堂)

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