2012/10/15 - 2012/10/15
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フロッガーさん
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山科から京都駅に戻り、バスの案内所で市バス1日乗車券を購入します。
バスで向かったのは泉涌寺。
「泉山」と号する真言宗・泉涌寺派の総本山です。
かつては歴代天皇の葬儀をとり行い、古くから皇室の菩提寺として「御寺」と呼ばれ特別な格式を誇ってきたお寺です。
鎌倉時代以降、歴代天皇の陵墓と明治天皇・昭憲皇太后・大正天皇・貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后の御尊牌を祀ってあります。
泉涌寺は戦後になって公開されるようになったお寺です。
所蔵する品々は皇室ゆかりの品となります。
戦後まで700年以上の間、門を閉ざしていたお寺でした。
今年は辰年にあたり、12年に一度となる舎利殿特別参拝・鳴龍体験が行われています。
(平成24年10月13日〜28日)
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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山科から戻って京都駅。
観光案内所へ行って市バスの一日乗車券を購入します。
市バス208に乗って停留所・泉涌寺道へ。 -
バスを泉涌寺道で降りてすぐ左側にある小道が泉涌寺道になります。
そこをテケテケと坂道を歩きます。
まずは総門。 -
総門を越えてまた坂道を歩きます。
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そして大門です。
こちらが拝観受付。
入ってすぐ左手に楊貴妃観音堂があります。 -
大門から境内は下るようになっています。
見下ろす感じになります。 -
仏殿。
内陣には運慶作の本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三尊仏(三世仏)が祀られます。
過去・現在・未来に渡って人々を守ってくださる仏様です。
仏殿などの伽藍は応仁の乱で焼失。
寛文八年(1668)、江戸幕府将軍・徳川家綱によって再建されました。
天井には狩野探幽作画の蟠龍図、三尊仏の後壁にも白衣観音が描かれます。 -
仏殿の後ろ側が舎利殿。
現在特別公開している場所です。
舎利殿は「仏牙舎利」(お釈迦様の口のあたりの骨)を安置しています。
鎌倉時代に持ち帰られたと伝わります。
仏舎利の左右には南宋から請来の「月蓋長者像」と「韋駄天像」が祀られ舎利を守ります。
天井には狩野山雪作の鳴き龍、「蟠龍図」。
堂内には拝観の人が何人かいましたが誰も鳴らさない(汗)
お坊さんがいて、教えられたとおりに柏手を打ちます。
響きやすい場所が左側の方にあって、下に八角形の彫り物があります。
上手く叩くと、かなり長くビーンと残響します。
頭に突き抜けるて周りに回っていく感じ。
いかにも龍が通る感じがします。
自分は2回目がうまくいきましたヽ(´ー`)ノ -
そして御座所へ。
本坊への門です。 -
現在の御座所は霊明殿の再建時に明治天皇によって御所内の御里御殿を移築したものです。
一棟が6室に分けられていて、南東に玉座の間となっています。 -
こちらが本坊入り口。
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御座所庭園。
すこし色づいてきています。 -
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いや〜、良いお庭。
それでは戻ります。 -
楊貴妃観音堂へ。
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楊貴妃観音像は寛喜二年(1230)、湛海律師によって泉涌寺へ請来されたと伝わります。
中国で絶世の美女と言われた楊貴妃を観音像としたもので、美人祈願の仏様となっています。 -
八世紀半ば、玄宗皇帝の妃として寵愛を受けた楊貴妃は謀反(安禄山の乱)に巻き込まれ自ら命をたちました。
玄宗は楊貴妃を偲んでこの観音像を彫らせたそうです。
今も艶や色彩が残っているのは百年に一度の開扉とされた秘仏だったからです。
それでは泉涌寺から雲龍院へ向かいます。
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この旅行記へのコメント (1)
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- 頭の黒いねずみさん 2020/04/19 16:53:43
- 勿体ない
- 泉涌寺付近には天皇陵、皇族の墓が多数あるのに記録されてないとは勿体ない。
泉涌寺からアクセスは3カ所、泉涌寺の外が5カ所。月輪天皇陵にしても管理が宮内庁なので泉涌寺のパンフレットには一切記載されてないので一般に知られていない。先日も令和天皇が泉涌寺に来たのは121代孝明天皇天皇陵を参拝の為。
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