2012/09/27 - 2012/10/04
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mistralさん
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前夜はホテルの窓からライトアップされて浮かび上がるプラハ城を見ていました。
10月1日午後になってやっとお城へ行くことができました。
ホテルのすぐ近くにあるカレル橋を渡り、古い町並みの続く坂道を上ったところ、プラハの街を見下ろす位置にお城は聳えています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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カレル橋を渡るとトラムの通っている通りに出ます。
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通りはゆるやかな坂道です。
両側には小さなレストランや、お土産やさんなどが並んでいて、目をひかれますが、目的地のお城を目指して進みます。 -
イタリア大使館の建物です。
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徐々に小高い丘を登り、気が付くとプラハの街並みを眺められるようなポイントまで上がってきていました。
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正門が見えてきました。
お城には門が三か所あるとのことですが、この門は旧王宮に入る門です。
西側の正門で正午に行われる衛兵の交代が最も儀式ばっていて観光客の見物が多いとのことです。 -
12時はすでに大幅に過ぎているので門の前で待っている観光客の姿はあまりありません。
お城の衛兵はチェコの若者には人気があるとのことで、選考会にはチェコ各地から応募者が集まるようです。 -
入場料の説明は各言語毎に貼り出されています。
日本語の説明もありました。
全部は見きれないので、聖ヴィート大聖堂、旧王宮、聖イジー教会、黄金小路にしぼって見学することにしました。(250コルナ)
撮影許可の料金(50コルナ)も払いましたが、ここでは紙切れを渡されただけでした。 -
聖ヴィート大聖堂です。
20世紀になって完成した西側の入口。 -
大聖堂の内部に入りました。
もともと926年ヴァーツラフが建てた教会を、カレル一世が1344年ゴシック様式の大聖堂にするべく建設に着手。600年近い年月を経て1929年完成。
内部はステンドグラスから差し込む光でまばゆいくらいに輝いています。ひときわ目を引くのは左から3番目の礼拝堂にあるミュシャのもの。「聖キリルと聖メトディウス」 -
官能的なポスターで有名なミュシャですが、このステンドグラスはチェコの聖人を題材としています。もはや官能的な要素はなくなり、モラヴィアの鮮やかな色彩を取り入れスラヴ的要素が強くなっている、彼の晩年1931年の作品です。
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下の方に描かれているのが聖キリルと聖メトディウスです。
二人はギリシャ出身の兄弟で、863年ごろチェコにキリスト教を伝え、プシェミスル王家の人々を洗礼した聖者ということです。 -
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きれいに交差している内陣のヴォールト天井。
この網目は単なる装飾ではなく、構造上必要なもので、ドイツのペーター・パーラーが編み出した建築法といわれ、後のゴシック教会建築の大きな方向づけをしたとされています。 -
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ひときわ大きく目を見張るのは、聖ヤン・ネポムツキーの墓です。
チェコの守護聖人の中で、最も人気が高い聖人の墓です。 -
聖ネオムツキーが磔刑の十字架を抱いています。
王の嫌疑からカレル橋からヴルダヴァ川へ投げ込まれて殉教。そのときに水面に不思議な五つの星が現れ、彼の体を取り巻くように輝き始めたとのことから、必ず像には背後に五つの星があるということです。
制作年代は1736年、ウィーンの銀細工職人によって作られています。設計はフィッシャー・フォン・エアラッハ。使われた銀は2トンに及ぶようです。 -
パーラーが手掛けた聖ヴァーツラフ礼拝堂。
完全に独立していて中に入ることはできません。せいぜい覗きみるだけです。 -
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なかなか全部をカメラに収めるのは難しいです。
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壁には雨樋隠しの為のガーゴイルや、奇妙な人間(?)の姿がニョキニョキと突き出していて、不気味ですらあります。
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ぐるっと回り込んだところにある南側の黄金の扉が、かっては大聖堂の入口でした。
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旧王宮へ向かいます。
外観は王宮というイメージからほど遠い質素な感じのする建物です。 -
15世紀末から16世紀初めのボヘミア王ヴワディスラフにちらんでつけられた「ヴワディスラフ・ホール」
幅16m、長さ62m、天井高13mのホールは当時としては考えられないくらいの大きさの柱のない空間です。 -
天井の交差するリブ模様が教会の内陣のようです。
中世の時代、商人たちが商取引の場としてこの王宮内のホールを使用することが許されていたとのことです。 -
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王宮を出ると聖イジー教会のファサードが見えてきます。
10世紀前半、ヴワディスラフ一世によって建設されたプラハ城最古の建物です。 -
内部はロマネスク様式の簡素な教会です。
古い時代の教会らしく、どっしりしたむきだしのままの壁、窓も小さいため薄暗く、かえって心静まる感じがします。 -
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100mほどの小路にカラフルな家がならんでいるのが「黄金の小路」と呼ばれる路です。この名称はかって錬金術師が住み着いて、実験を繰り返していたことに由来するようです。
フランツ・カフカがこの水色の家を借りて1916年から17年にかけて仕事場として使っていたことから、観光客がひっきりなしに訪れています。現在は本屋となっています。 -
15軒ほどが現在軒を連ねていますが、城壁を家の壁に利用して建てられています。
どの家も入口の扉は小さく、腰をかがめて入るような感じで、一軒一軒覗いて歩くのはとても楽しいものです。 -
マンホールのふたもデザインがきれいです。
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見学をおえてお城を出るころ、すでに5時近くでした。
できればこのあとストラホフ修道院に行きたかったのですが、時間切れです。確か修道院の見学は5時までだったようです。 -
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別の門から出てきました。
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カンパから見上げるカレル橋。
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いったん橋に上がります。
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聖ヴァーツラフ像のところから階段を下りていきました。
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小さいレストランを見つけました。
まだ早めの時間でお客さんもあまりいません。 -
ポタージュとウィンナーシュニッツェルのようなお肉の乗ったサラダプレートとサーモンのソテーを一つづつ取って、あとはワインで十分な量でした。
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カレル橋を歩きながら振り返ると、さっき訪れたプラハ城がライトアップされて聳えていました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- sallyさん 2012/10/26 19:28:18
- 衛兵さんの衣替え(?)
プラハ城の旅行記、拝読させて頂きました。
静かな語りに『そうかーここはそういう所だったんだー』と
よくわかりました。
それに行かれた10月1日は衣替えの日だったのかもしれませんね。
わたしが訪れた時は、衛兵はグレーの制服でイマイチでしたが、
こちらのダークブルーの制服は素敵です。
それにかっこいいヒトも居なかったんだよなぁ。。。
(こらっ・・・ウソです、そんな品定め(品か?)の余裕なかったです。ハハハ)
わたしの旅は体力なし&時差ボケ、”気合”だけが頼りのショートカット
街歩きだったなぁと他の方の旅行記を読むと毎度思います。
- mistralさん からの返信 2012/10/27 09:53:59
- RE: 衛兵さんの衣替え(?)
- sallyさん、書き込みをありがとうございます。
> プラハ城の旅行記、拝読させて頂きました。
> 静かな語りに『そうかーここはそういう所だったんだー』と
> よくわかりました。
> それに行かれた10月1日は衣替えの日だったのかもしれませんね。
> わたしが訪れた時は、衛兵はグレーの制服でイマイチでしたが、
> こちらのダークブルーの制服は素敵です。
そうですね。衣替えね〜
考えませんでした。実は滞在中の9月末に一度行こうと思ったんですが、
その時でしたらいまいちの制服だったかもしれませんね。
以前行ったのも真冬でしたので、制服はこんなもの・・・と思っていました。真夏はこれでは暑すぎますものね。
> それにかっこいいヒトも居なかったんだよなぁ。。。
> (こらっ・・・ウソです、そんな品定め(品か?)の余裕なかったです。ハハハ)
容姿端麗(?)とされる選考基準(本当はそんなものはないんでしょうか?)の割には、イケメンさんは少ないような気がしますね
> わたしの旅は体力なし&時差ボケ、”気合”だけが頼りのショートカット
> 街歩きだったなぁと他の方の旅行記を読むと毎度思います。
私もですよ。
もう一度おいでよ〜と言われている・・・と思うことにしましょう。
またよろしくお願いしますね。
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