2012/08/18 - 2012/08/18
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ドクターキムルさん
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横浜市港南区上永谷5にある貞昌院は曹洞宗のお寺で天神山貞昌院という。
貞昌院の前身は、天性院と称した天台宗の宿坊であり、上之坊、下之坊という二坊があったが、室町時代に廃絶されたと伝えられる。菅原道真公五男管秀は、はじめ播磨国に配流となったが、のち関東に下向して下之坊に居舘を構えて、道真公自刻の尊像を奉祀して、朝夕崇拝したのが、永谷天満宮の嚆矢であるといわれている。その後、御神体は菅原文時、藤原道長、上杉金吾らに伝わり、明応2年(1493年)に上杉刑部太夫藤原乗国が永谷天神社の社殿を造営し、御神体を安置し奉った。天文12年(1543年)に、宅間伊織之介藤原綱頼が社殿を修造した。
さらに、天正10年(1582年)に宅間規富は宮社を再築している。その際に、川上 徳翁寺の第四世住職 明堂文龍大和尚を開山として貞昌院が籠森の地に創建された。それ以来、天神社の別当となった。当時は永谷天満宮と山を挟んだ位置関係にあったが、文化14年(1817年)に、現在の場所に移転した。墓地が上永谷駅近くにもあるのはその名残であろうか。
明治19年(1886年)の火災により消失したが、本尊十一面観世音菩薩像と欄間彫刻は難を逃れた。本堂の龍と両側にある唐獅子の欄間彫刻がそれであろう。平成7年(1995年)に塗装修復が行われている。
明治34年(1901年)に伽藍が再建されたが、大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊した。翌年に本堂を再建したが、茅葺きからトタン葺きになったようだ。その名残が天満宮の神楽殿にも見受けられる。向拝の彫刻は倒壊した本殿のものを再利用したものだという。彫刻が立派なのには理由があったのだ。
昭和46年(1971年)には銅葺きに替え、お寺の伽藍らしくなった。
本堂に祀られている釈迦牟尼佛像は平成3年(1991年)に開眼供養されている。
(表紙写真は貞昌院本堂)
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天満宮参道に建つ寺号標石。
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天満宮参道横の本堂。
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枝垂れ桜と十三重石塔。
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太陽光発電設備が設置されている。
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銀杏の木。
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お堂横の五輪塔。
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お堂の中の石仏と石碑。
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山門前の寺号標石。
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山門。
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地蔵堂。
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六地蔵。
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脇のお地蔵さま。
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石燈籠。彫刻と意匠が凝っている。
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道元禅師石像。
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道元禅師石像。
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鐘楼。
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鐘楼。
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鐘楼屋根の擬宝珠。
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梵鐘。昭和18年(1943年)に金属供出され、現在の梵鐘は昭和34年(1959年)に新たに鋳造されたものである。
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雨水鉢。寺紋は天満宮で見られる梅だ。
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平和観音。
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本堂。
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本堂。
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本堂屋根。銅葺きだ。
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本堂の唐獅子の木鼻。禅宗様の木鼻でないのは珍しい。
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鶴の彫刻。
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向拝の釣銅燈籠と木鼻。
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象と唐獅子の木鼻。
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鯉の彫刻。
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龍の彫刻。
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本堂に掛かる「天神山」の扁額。
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鯉の彫刻。
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象と唐獅子の木鼻。
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鶴の彫刻。
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鳥と花の彫刻。
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鳥と花の彫刻。
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鳥と花の彫刻。
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鳥と花の彫刻。
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庫裡。
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