2012/03/23 - 2012/03/23
2806位(同エリア7102件中)
滝山氏照さん
40年ぶりに鎌倉のシンボルである大仏を訪れました。
さすがは観光のメッカ鎌倉、あいにくの雨天にも拘わらず外国人を中心に多数の観光客が訪れ、大仏に向けて盛んにシャッターを切っており人気の高さを示しています。
説明文によりますと正式には「大異山高徳院清浄泉寺」と言い、法然上人(1133~1212)を開祖とする浄土宗寺院だそうです。
この本尊である大仏は鎌倉幕府第三代執権北条泰時(ほうじょう・やすとき、1183~1242)晩年頃に製作開始され、浄光という僧が諸国を行脚し浄財を集め暦仁元年(1238)から大仏(木造)と大仏殿を造り始めたそうです。
完成は5年後の寛元元年(1243)ですが、その4年後の宝治元年(1247)にこの大仏が暴風雨により倒壊、建長4年(1252)に改めて金剛の大仏が造られることになります。
しかしながら、大仏殿は建武2年(1335)及び志安2年(1369)の台風により倒壊、続く明応4年(1495)の大津波で押し流され以降、露座の大仏として現在に至っています。
2022年7月19日追記
現地に掲載の説明板によれば下記のように記述されています。
『 国宝 鎌 倉 大 仏 因 由
この大仏像は阿弥陀仏である。源頼朝の侍女であったといわれる稲多野局が発起し、僧浄光が勧進(資金集め)して造った。零細な民間の金銭を集積してなったもので、国家や王侯が資金を出して作ったものではない。初めは木造で歴仁元年(1238)に着工し6年間で完成したが、宝治元年(1247)大風で倒れたので、再び資金を集め、建長4年(1252)に至って現在の青銅の像を鋳造し、大仏殿を造って安置した。原型作者は不明であるが、鋳工として、大野五郎右衛門や丹治久友の名が伝えられる。大仏殿は建武元年(1334)と応安2年(1369)とに大嵐に倒れ、その都度復興したが、明応7年(1498)の海潮に流失以来は復興せず、露像として知られるに至った。大正12年(1923)の大震災には台座が崩れ仏像は前に傾いたが倒れなかった。大正14年(1925)台座を補強し仏像を台座に固定せしめる耐震構造の修復がなされた。昭和35年・36年(1960-61)の修理では、ざ前傾している頭部を支える頸部の力を、強化プラスチックで補強し、大正修理でなされた耐震構造を改め、大地震の際は台座と物体が離れる免震構造が施された。この強化プラスチックの利用と台座の免震構造は、日本の文化財としては初のものである。 』
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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