2012/06/30 - 2012/06/30
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ドクターキムルさん
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横浜市港南区野庭町にある浄念寺は浄土宗のお寺で蔵王山正定院浄念寺という。臼居家初代である臼居惣右衛門守胤公(杢右衛門(もくうえもん)胤知(たねとも)公の父(弘治 3 年(1557年)没))の菩提を弔うために、永禄7年(1564年)、鎌倉大町安養院より「昌蓮社深譽上人呑霊大和尚」を招き、安養院末寺として野場郷字前田に蔵王山正定院淨念寺を開山したとされる。正定院は臼居杢右衛門胤知公の戒名、正定院專誉浄念居士からとったと言われている。本尊は阿弥陀如来坐像である。観音堂は霞堂とも呼ばれ、運慶作と伝わる如意輪観音が安置されているというが、痛みもひどいので開帳はされないという。
鎌倉臼居家3代の臼居杢右衛門胤知公は1540年代に野庭郷に来郷し、元亀元年(1570年)には野庭神社「蔵王権現御嶽社」を建立したと伝えられている。臼居杢右衛門家は今でもこの地に残っている。
臼居惣右衛門守胤公は千葉介親胤公(千葉氏26代(弘治 3 年(1557年)没)の重臣として使えた。千葉介親胤公と共に臼居惣右衛門守胤公も夜襲で果てた。そのため、命日が一緒である。
代々浄念寺住職が臼居家菩提を弔い、第11代信蓮社單譽上人順達大和尚により鎌倉18番観音札所「霞堂」建立など中期中興が行われた。
昭和に入り諸堂が老朽化し、第30代住職(先代住職)照蓮社赫譽賢明上人により、昭和40年(1965年)に本堂を鉄筋コンクリート製で改築し、霞堂(観音堂)、庫裡、客殿、墓地等が一新された。
門前に田圃が残るこの田園風景に鉄筋コンクリート製本堂は不釣合いな感じだ。50年近く経つのだが、綺麗なままだ。これなら100年は持つだろう。
(表紙写真は浄念寺本堂)
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「浄土宗 浄念寺」の寺号標石。
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掲示板。葵の紋が入っている。
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青少年の家。
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マキ。銘木古木指定 横浜48068。
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マキ。
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浄念寺本堂。昭和40年(1965年)に建てられた鉄筋コンクリート製だ。
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浄念寺本堂。
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浄念寺本堂に掛かる「正定院」の扁額。
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鎌倉光明寺のポスター。
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庫裡。
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トイレ。
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トイレ。
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力石。
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「力石の由来」。
野庭関城跡から発見されたものと伝えられているために、英雄の名を冠して「北条時宗の力石」といわれている? -
2個の力石。長ら細い形だ。
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霞堂(観音堂)前の紫陽花。
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霞堂(観音堂)前の紫陽花。
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霞堂(観音堂)。
運慶作と伝わる如意輪観音が安置されているという。 -
霞堂(観音堂)に掛かる「霞堂」の扁額。
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霞堂(観音堂)の賽銭箱。「霞堂」とある。
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「玄入坊参道」の道標。
玄入坊は旅僧で、村で咳で苦しんでいる上野庭村人を癒して、救ってあげましょうと言って、山林の土窟に一人静かに入定した。それ以来、村人は咳止めの仏様としてお参りしたという。この入定祠がお寺の裏の山のすそ野にある。 -
五重石塔。
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五重石塔。
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お地蔵さま。右は享保14年11月15日(1730年1月4日)銘。
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お地蔵さま。
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お地蔵さま(享保14年11月15日(1730年1月4日)銘)。
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石仏(庚申供養塔)(明治20年(1887年)銘)。
「庚申供養 同行十六人」と彫られている。 -
南無阿弥陀佛「蓮台之碑」。
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「蓮台之碑」の石仏。
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藤棚の坂。
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休憩所。
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ベンチ。
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総家の臼居杢右衛門屋敷。
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総家の臼居杢右衛門屋敷。
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