2012/06/24 - 2012/06/24
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ドクターキムルさん
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横浜市栄区小菅ヶ谷4に鎮座する西谷(にしやと)稲荷社は平成になって移設されたようだ。本郷台駅横から明治学院大を通る道路(桂町戸塚遠藤線)より環状3号線への連絡道路横に建っている。平成17年頃に移設されて建替えられたようだ。
そのときに石碑が集められて庚申塚が作られたようだ。そのうちの1基の庚申供養塔(弘化3年(1846年)銘)の左側面には「かまくら道」、右側面には「ぐめうじ道」と彫られており、道標になっているが、古道から移設されたものであろう。また、ここから100mくらい離れた連絡道路入口交差点(赤坂の信号)には木曽の石仏と赤坂湧水があるが、300mあまり離れた小菅ヶ谷小北の鉄塔横には古道があり廃道となっているが、その山道の上り口にも道標があったという(http://www.city.yokohama.lg.jp/sakae/guide/kouho/kuban/2006/pdf/02/2006-02-01-2.pdf)。写真が掲載されていて、「小菅ヶ谷小学校近くの廃道に残る道標」の見出しで、「表面に「此方 ぐめうし道」、左に「此方 かまくら道」、右に「此方 ひろ道とつか」の文字。「施主戸塚町住民共」とあります(1712年)。」とある。この道標は正徳2年(1712年)とここの稲荷社に移設されているものよりも130年余り古いものだ。しかし、このWebが掲載された2006年にはもう無くなっていたようだ。では一体どこへ移されたのか?
(表紙写真は西谷稲荷社の鳥居)
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西谷稲荷社の上り口。
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西谷稲荷社の鳥居。
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社殿。覆殿であろう。
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扉。中に本殿が祭られている。
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社殿右の庚申塚。移設されたものだろう。
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庚申塔か?剥離して良く分からない。
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庚申供養塔(弘化3年(1846年)銘)。左側面に「かまくら道」、右側面に「ぐめうじ道」と彫られている。
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「堅牢地神」(明治27年(1894年)銘)。
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石仏か?
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馬頭観世音(昭和2年(1927年)銘)か?
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石仏(天保5年(1834年)銘)。
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西谷稲荷社。
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西谷稲荷社。
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小菅ヶ谷小北の鉄塔横には古道。このあたりに道標があったという。三差路で左側の沢を下りて戸塚方面に通じていたようだ。
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山道。この先は団地となって道が無くなっている。早くに建った団地の家ではこの山道を使ったという。
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