鹿児島市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
3泊4日の日程で法事のため帰省し、そのついでに周遊しまた。<br /><br /><br />2日目は宮崎から鹿児島への移動、3日目は鹿児島城・南州公園・城<br /><br />山山頂、午後から熊本に向かいます。<br /><br /><br />鹿児島は起伏に富んだ地形となっていまして桜島と錦江湾といった風<br /><br />光明媚な歴史のある所です。<br />

薩摩鹿児島 九州三都市めぐり・鹿児島市内散歩(2日目~3日目)

21いいね!

2012/02/11 - 2012/02/12

616位(同エリア2007件中)

0

43

滝山氏照

滝山氏照さん

3泊4日の日程で法事のため帰省し、そのついでに周遊しまた。


2日目は宮崎から鹿児島への移動、3日目は鹿児島城・南州公園・城

山山頂、午後から熊本に向かいます。


鹿児島は起伏に富んだ地形となっていまして桜島と錦江湾といった風

光明媚な歴史のある所です。

交通手段
レンタカー

PR

  • 宮崎自動車道路<br /><br />法事も終わり宮崎を後にし、宮崎自動車道にて一路鹿児島市内に向かいます。

    宮崎自動車道路

    法事も終わり宮崎を後にし、宮崎自動車道にて一路鹿児島市内に向かいます。

  • 霧島SA<br /><br />途中の霧島SAにて休憩します。道中の車輌は少なく軽快に運転できます。

    霧島SA

    途中の霧島SAにて休憩します。道中の車輌は少なく軽快に運転できます。

  • レンタカー紹介<br /><br />ティーダはコンパクトカーながら内部空間がゆったりです。

    レンタカー紹介

    ティーダはコンパクトカーながら内部空間がゆったりです。

  • 桜島SA<br /><br />鹿児島市内まであと30分ぐらいまで来ました。やがて錦江湾(鹿児島湾)が視野に入ってきます。

    桜島SA

    鹿児島市内まであと30分ぐらいまで来ました。やがて錦江湾(鹿児島湾)が視野に入ってきます。

  • 宿泊ホテル内部<br /><br />錦江湾(鹿児島湾)に面した景色の良い位置にあります。窓からは桜島がすぐ視野に入ります。<br />

    宿泊ホテル内部

    錦江湾(鹿児島湾)に面した景色の良い位置にあります。窓からは桜島がすぐ視野に入ります。

  • 郷土料理店<br /><br />ホテル推薦で天文館にある「吾愛人(わかな)」(文化通り店)に行きます。

    郷土料理店

    ホテル推薦で天文館にある「吾愛人(わかな)」(文化通り店)に行きます。

  • 店内様子<br /><br />芸能人・スポーツ選手などの来店があったようです。

    店内様子

    芸能人・スポーツ選手などの来店があったようです。

  • 「吾愛人」の由来<br /><br />小説家・児童文学作家の椋鳩十(むくはとじゅう・1905~1987)氏による「吾愛人」の説明が自筆で掲載されています。尚同県姶良(あいら)市加治木町に「椋鳩十文学記念館」があるそうです。

    「吾愛人」の由来

    小説家・児童文学作家の椋鳩十(むくはとじゅう・1905~1987)氏による「吾愛人」の説明が自筆で掲載されています。尚同県姶良(あいら)市加治木町に「椋鳩十文学記念館」があるそうです。

  • 店の変遷<br /><br />創業昭和21年の郷土料理店で、写真中央には椋鳩十氏が見えます。

    店の変遷

    創業昭和21年の郷土料理店で、写真中央には椋鳩十氏が見えます。

  • メニュー<br /><br />よく判りませんので郷土料理のセットものを注文しました。

    メニュー

    よく判りませんので郷土料理のセットものを注文しました。

  • 料理の一部<br /><br />鳥ときびなごの刺身

    料理の一部

    鳥ときびなごの刺身

  • 料理の一部<br /><br />豚の煮物と全国的に著名なさつま揚げ

    料理の一部

    豚の煮物と全国的に著名なさつま揚げ

  • 料理の一部<br /><br />豚しゃぶ鍋<br /><br />

    料理の一部

    豚しゃぶ鍋

  • 桜島<br /><br />翌朝のホテルから桜島を一望します。噴煙が途絶えません。<br />

    桜島

    翌朝のホテルから桜島を一望します。噴煙が途絶えません。

  • 垂水航路<br /><br />ホテル隣接の港から垂水行フェリーが出航しています。<br /><br />

    垂水航路

    ホテル隣接の港から垂水行フェリーが出航しています。

  • 雲のかかった桜島<br /><br />陽が昇ると桜島が見えてきます。雲がかかってます。<br /><br />

    雲のかかった桜島

    陽が昇ると桜島が見えてきます。雲がかかってます。

  • 旧鶴丸城跡<br /><br />国道10号に面した城山の麓に旧鶴丸城(鹿児島城)跡がありまして、現在は黎明館(れいめいかん)という名前の鹿児島県歴史資料センターとなっています。<br /><br /><br /><br />

    旧鶴丸城跡

    国道10号に面した城山の麓に旧鶴丸城(鹿児島城)跡がありまして、現在は黎明館(れいめいかん)という名前の鹿児島県歴史資料センターとなっています。



  • 御角(おすみ)櫓跡<br /><br />本丸南東角に位置し、城の防御と共に美観や威厳を保つ役割がありますが、明治初期の資料では物品収蔵施設であったそうです。

    御角(おすみ)櫓跡

    本丸南東角に位置し、城の防御と共に美観や威厳を保つ役割がありますが、明治初期の資料では物品収蔵施設であったそうです。

  • 行幸記念碑

    行幸記念碑

  • 竜舌蘭<br /><br />この地にあった旧第七高等学校(明治34年~昭和24年)寮歌に歌われるほどの愛着の強い植物として植えられていました。<br />

    竜舌蘭

    この地にあった旧第七高等学校(明治34年~昭和24年)寮歌に歌われるほどの愛着の強い植物として植えられていました。

  • 藩主 島津重豪(しまづ・しげひで、1745~1833)公頌徳碑<br /><br />第25代藩主島津重豪は進取の気性に富み、学問好きで開明化政策を取り外国要人と親交がありました。また藩校「造士館」や医学館等を設置し、藩財政立直しに調所広郷(ずしょ・ひろさと)を登用し次世代の薩摩藩の影響力を高める礎を築きました。<br /><br />

    藩主 島津重豪(しまづ・しげひで、1745~1833)公頌徳碑

    第25代藩主島津重豪は進取の気性に富み、学問好きで開明化政策を取り外国要人と親交がありました。また藩校「造士館」や医学館等を設置し、藩財政立直しに調所広郷(ずしょ・ひろさと)を登用し次世代の薩摩藩の影響力を高める礎を築きました。

  • 七高生久遠の像<br /><br />明治期に創設された旧制一高から八高までの高校は後発の高校と区別されていわゆる「ナンバースクール」と呼ばれ、早くから政官界に卒業生を送っていました。当地鹿児島には七校が明治34年に開設されています。

    七高生久遠の像

    明治期に創設された旧制一高から八高までの高校は後発の高校と区別されていわゆる「ナンバースクール」と呼ばれ、早くから政官界に卒業生を送っていました。当地鹿児島には七校が明治34年に開設されています。

  • 黎明館(歴史資料センター)標石<br /><br />鹿児島県の歴史・文化等に関する常設展示をしています。(館内撮影禁止)

    黎明館(歴史資料センター)標石

    鹿児島県の歴史・文化等に関する常設展示をしています。(館内撮影禁止)

  • 歴史資料センター建物一部<br /><br />本丸、二の丸等には石垣が築かれましたが天守など高層建物は築かれず極めて質素な城郭です。おそらく関ケ原合戦で敗走した立場と徳川幕府に恭順を示す意向があったと思われます。

    歴史資料センター建物一部

    本丸、二の丸等には石垣が築かれましたが天守など高層建物は築かれず極めて質素な城郭です。おそらく関ケ原合戦で敗走した立場と徳川幕府に恭順を示す意向があったと思われます。

  • 天璋院(篤姫)像<br /><br />第28代藩主島津斉彬(しまづ・なりあきら、1809~1858)の養女となり鶴丸城に入り、安政3年(1856)近衛家の養女として第13代将軍徳川家定の御台所となりますが、わずか2年後に家定が没し篤姫は落飾して天璋院と号します。その後激動の時代をすごしますが明治16年(1883)没するまで再び故郷の地を踏む事はなかったそうです。<br /><br />

    天璋院(篤姫)像

    第28代藩主島津斉彬(しまづ・なりあきら、1809~1858)の養女となり鶴丸城に入り、安政3年(1856)近衛家の養女として第13代将軍徳川家定の御台所となりますが、わずか2年後に家定が没し篤姫は落飾して天璋院と号します。その後激動の時代をすごしますが明治16年(1883)没するまで再び故郷の地を踏む事はなかったそうです。

  • 黎明館入口

    黎明館入口

  • 御桜門<br /><br />17世紀初頭島津氏18代家久が築いた館造りの城で明治初年まで島津氏の居城でした。

    御桜門

    17世紀初頭島津氏18代家久が築いた館造りの城で明治初年まで島津氏の居城でした。

  • 渡り橋

    渡り橋

  • 水堀

    水堀

  • 城跡碑<br /><br />鹿児島では一般には鶴丸城(つるまるじょう)と呼ばれています。呼び名の語源は島津家の家紋が「鶴丸の紋」であったことに拠ります。

    城跡碑

    鹿児島では一般には鶴丸城(つるまるじょう)と呼ばれています。呼び名の語源は島津家の家紋が「鶴丸の紋」であったことに拠ります。

  • 堀と石垣<br /><br />

    堀と石垣

  • 堀と石垣

    堀と石垣

  • 木曽川治水工事殉死記念碑<br /><br />宝暦3年(1753)、幕命により木曽・長良・揖斐の3河川氾濫を治水する工事に従事し殉死した藩士たちの記念碑です。

    木曽川治水工事殉死記念碑

    宝暦3年(1753)、幕命により木曽・長良・揖斐の3河川氾濫を治水する工事に従事し殉死した藩士たちの記念碑です。

  • 桜島遠景<br /><br />南州公園から桜島を一望します。画面手前の錦江湾と共に鹿児島を象徴する風景です。「東洋のナポリ」と誰かが言っていたのが思い出されます。

    イチオシ

    桜島遠景

    南州公園から桜島を一望します。画面手前の錦江湾と共に鹿児島を象徴する風景です。「東洋のナポリ」と誰かが言っていたのが思い出されます。

  • 南州公園<br /><br />公園化の中に南州神社があり、ここでは西南戦争で亡くなった西郷隆盛以下士族の墓所となっています。

    南州公園

    公園化の中に南州神社があり、ここでは西南戦争で亡くなった西郷隆盛以下士族の墓所となっています。

  • 西郷隆盛墓石

    西郷隆盛墓石

  • 村田新八墓石

    村田新八墓石

  • 別府晋介墓石

    別府晋介墓石

  • 西郷隆盛洞窟<br /><br />西郷隆盛の最後の司令部がこの洞窟でした。

    西郷隆盛洞窟

    西郷隆盛の最後の司令部がこの洞窟でした。

  • 城山公園<br /><br />公園頂上展望台から桜島を望みます。

    イチオシ

    城山公園

    公園頂上展望台から桜島を望みます。

  • 上山氏居城跡<br /><br />14世紀(南北朝時代)豪族上山氏が築いた城跡だそうです。

    上山氏居城跡

    14世紀(南北朝時代)豪族上山氏が築いた城跡だそうです。

  • 城山山頂の城跡<br /><br />公園となっています。

    城山山頂の城跡

    公園となっています。

  • 城山山頂の城跡<br /><br />土塁が所々に見えます。

    城山山頂の城跡

    土塁が所々に見えます。

この旅行記のタグ

21いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP