2011/07/14 - 2011/07/14
74位(同エリア127件中)
まみさん
2011/07/14木 ロリ地方のアラヴェルディ周辺の教会巡り(車とガイドチャーター)
・アパランで焼き立てパン屋さん
・ヴァナゾル(ロリ地方)でコーヒーブレイクと少しだけ散策
・オズン教会
・サナヒン修道院(世界遺産)
・ハグパット修道院(世界遺産)
・アフタラ城塞跡と教会
【エレヴァン泊:ホテル・アララト(Ararat)】
グルジアの古い教会巡りのときも立案中に心配したのですが、ミーハーな私が、アルメニアの古くて質素な教会を見て、感動できるだろうか、と一抹の不安がありました。
行く前に旅行記や書籍を見ても、古い建物については、その様式美を謳っているものが多いです。
建築にさして詳しくない私が、様式美などを味わうことができるのだろうか。
でも、グルジア旅行中も思いましたが、ロリ地方の古い教会のある修道院巡りでも、それは杞憂でした。
最後のアフタラ城塞の教会は内部のフレスコが鮮やかに残り、私のミーハー気分を大いに満足させてくれましたが、それ以外の3つの教会は、実に質実剛健で、石壁の隙間から元気よく草が生えているようなうらびれた教会ばかりでしたが、何様式だ、と言えたり判別したりできなくても、様式美というのは感じられるものだとしみじみ思いました。
パッとみてうわっと驚いて度肝を抜かれて感動する、というのとは違って、一歩一歩進むに従って、しみじみとした感動がじわじわと体の内側にたまっていくかんじでしょうか。
見る者を厳かな気分にさせるのは宗教施設であるがゆえともいえるかもしれませんが、きっと、その空間に込められた長い年月の人の思いと歴史が、そしてそれに思いをはせようとする自分の心の持ちようが、感動を高めてくれたに違いありません。
それに、質実剛健でシンプルの美といっても、よく見ると、石に美しい複雑な浮彫装飾が施されていました。
サナヒン修道院からは、それが顕著になりました。
シンプルだなんて、とんでもありませんでした。
彩色されていないのでパッと見て気付かないだけで、一度気付くと驚くほど豪華な装飾が次々と目に入ってきました。
ついさっきまで一体、何を見ていたのだろうとびっくりするくらいでした。
教会内部にうっすらフレスコ画が残っていた教会もあるので、創建当初はともかく、増築された最盛期は、外観に反して内部は、今よりずっと華やかだったに違いありません。
本当はそれに周辺のすばらしい景観というオプションも、ロリ地方では特に期待していたのですが、それは曇天で叶いませんでした。
でも、車窓から見ることができた田舎の山岳景色は、見応えがあり、すばらしいものでした。
海派か山派かと聞かれたら、私はやっぱり山派のようです。
ただし、山登りはせず、一切、車任せの、エセ山愛好家(苦笑)。
サナヒン修道院は、立案中に旅行記で写真を見たときに、一般の人々の墓が床となったガヴット(建物と建物の間を埋める廊下のようなところ)が、ロリ地方の修道院の中でもとりわけ印象的で、ぜひ見たいと思っていました。
墓碑もなく、ただ、子供の絵のように人の形らしきものが刻まれた墓石や、あるいは単にフチにそって四角く刻まれただけのもの。あるいは、ただの敷石と見まごうシンプルなもの。
ガイドさんによると、死んだ後でも役に立ちたいという死者の思いを汲んだものだそうです。
墓石が床の一部になっている教会は、考えてみたらたくさんあります。
でもそれらには銘がきちんとあり、どちらかというと著名人や土地の有力者・王侯貴族が自らの名声や功績を後の世にも誇示する意味の方が強いでしょう。
それに対して、サナヒン、そして次のハグパットでも実はそうだったのですが、無名の土地の人々のシンプルな墓石ででこぼこになった床の方に、たまらなく風情を感じました。
サナヒン修道院の創建は10世紀ですが、13世紀までは増改築され、複雑な構造となりました。
いろんな役割の建物があり、入口に図解もあったのですが、その場でのガイドさんの説明がなかったら、私にはさっぱりピンとこなかったでしょう。
裏庭にも、古い墓地や新しい墓地の他にいくつも教会や礼拝堂がありました。
その中には、犯罪者の救済のための礼拝堂が、一般の人々の礼拝堂とは別にありました。とても珍しいものだそうです。
といっても当時の罪人というのは、宗教上の信仰の理由や、土地の支配者にとっての政治犯や反逆者、あるいは納税ができないといった貧しいがゆえなど、現代の感覚ではとても罪人と思えない人たちなのだろうな、と想像しました。
また、私の目には、ただの廃墟にしか見えなかった瓦礫の壁の一角のくぼみに、ガイドさんが蜜蝋のろうそくを立てて、熱心に祈っていました。
いまに残る建築物がほとんど瓦礫であっても、その場所は聖別されたものであり、信仰のよりどころなのでしょう。
地元の人々の信仰を集めるのは、建物ありき、ではなく、場所ありき、というのを目の当たりにした気分でした。
考えてみれば日本だって神道などではそうなのですが、そういうのを恐れ忌み、あるいは奉る心を、私はいまではすっかりどこかにやってしまいました。
「サナヒン修道院/Sanahini vank
10世紀から19世紀に至るまで、この地方の主教座が置かれた。附設の学院では神学だけでなく、医学や細密画の画法なども講じられ、最盛期の11世紀には中世アルメニアの学芸の中心として繁栄。修道院としての活動は20世紀に閉鎖されるまで続き、18世紀の著名な吟遊詩人サヤト・ノヴァもここで学んだ一人。敷地内の10〜13世紀の建築物の中で最も目立つのが、奥の方のアメナプルキチュ(救世主)教会。バグラト朝のアショト3世の王妃、ホスローヴァヌシュが966年に建立したもので、東の外壁には2人の王子スムバトとグルゲン(分家であるキュリキャン家の開祖)が、教会の模型を持つ様が描かれている。
大きなガヴィト(回廊)は1181年の建立。裏側は墓地。また、入口に近い方のもう一つの教会は928年建立のスルプ・アストヴァツァツィン(聖母)教会。北東には1061〜63年に時の王妃フラヌシュが建てた聖グリゴル・ルサヴォリチの礼拝堂と図書館がある。なお、2つの教会の間の縦長でアーチ型の天井の空間はかつての学院の跡。(後略)」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)
「Sanahin サナヒン修道院(世界遺産)
10世紀頃に建てられた修道院です。当時この地域を支配していたタシル・ツォラグト朝の庇護の下で発展し、最盛期の11世紀にはハグパット修道院と合わせて約500人の修道僧がいました。13世紀のモンゴルの侵入まで、中世アルメニアにおける学芸の中心地の一つとしてその名が知られていました。」
(「アルメニアにようこそ! Asya-Ararat Travel」より)
http://asyaararat.com/Tours/Alaverdy/alavedy.htm
※2011年コーカサス3カ国旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2011年コーカサス3カ国旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10584724
詳細版「2011年コーカサス3カ国旅行の詳細旅程(写真付き)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/07/2011-1ab0.html
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サナヒン修道院についての各国語の解説と現在残る建物の図解
サナヒンの意味は、「あちらより古い」という意味だそうです。
あちら、というのは、すぐ近く───Lonely Planetによると、サナヒンとは7kmほど離れて、ハイキングなら3時間かからない距離───にあるハグパット修道院のこと。
ハグパットより古い、という意味になります。
そしてそのハグパットは「美しい壁(=建物)」という意味だそうです。
ガイドさんいわく、サナヒン教会の建築責任者とハグパット修道院の建築責任者は親子で、建築上のことで父親と対立した息子は勘当されてしまいました。
その息子は、サナヒン教会の建築を命じた同じ王様から別途、教会の建築を命じられて、サナヒンと谷一つ隔てた崖の上に建築し始めたそうです。
父親は息子の腕を信用していなかったのですが、気になって見に行ったところ、息子が建築していた教会を見て「ハグパット(=美しい建物)!」と叫んだそうです。
それが名前の由来になったとか@
図解の説明
1:聖アストヴァツァツィン(聖母)教会
2:聖アメナプルキチュ(救世主)教会
3:聖グリゴル礼拝堂
4:神学校(アカデミー)
5:図書館
6:ギャラリー(通路)
7:ガヴィト(回廊)・アメナプルキチュ(救世主)
8:ガヴィト(回廊)・アストヴァツァツィン(聖母)
9:鐘楼
10:キリキャン家の霊廟
11:ザカリアン家の霊廟
12:アルグティンスキー・ドルゴルキーの墓
13:聖ハコプ教会
14:聖ハルティン礼拝堂
15:泉
16:食堂跡 -
入ってすぐに目に入ったアングル
手前は鐘楼で、奥は2つのガヴィトです。 -
ハチュカルと2つのガヴィト
ガヴィト(回廊)といってもこのように屋根と壁があるので、外から見ると一見すると教会のように見えました。
このあたりは地震が多いため、このようにガヴットの中に柱を連ねることで、耐震構造としているそうです。 -
鐘楼の壁と埋め込まれた十字架
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ガヴィト(回廊)前のハチュカル(十字架の石碑)
見事な浮彫装飾で、うっとりしてしまいます。 -
ハチュカルとガヴィト(回廊)の壁と鐘楼を見上げる
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墓石が敷き詰められたガヴィト(回廊)
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墓石が敷き詰められたガヴィト(回廊)とアーチ
あの奥は、聖アストヴァツァツィン(聖母)教会です。 -
ガヴィト(回廊)から見た聖アストヴァツァツィン(聖母)教会の入口
ここにもステキなハチュカルがありました。 -
聖アストヴァツァツィン(聖母)教会へ
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聖アストヴァツァツィン(聖母)教会の主祭壇
こちらは現役の教会であることが伺えます。 -
アカデミー・その1
ガヴィト(回廊)・アストヴァツァツィン(聖母)に入る前、聖アストヴァツァツィン(聖母)教会と聖アメナプルキチュ(救世主)教会の間の通路のような空間にありました。
奥には3本のハチュカルが立っていて行き止まりとなっていました。
生徒はこの細長い空間の両脇に座り、教授は生徒たちの前を行ったり来たりして教授しました。 -
アカデミー・その2
生徒は壁の柱と柱の間のくぼみに座りました。
柱にも美しい彫刻が施されていました。 -
列柱とアーチが美しいガヴィト(回廊)・アストヴァツァツィン(聖母)
アーチの壁には古いアルメニア語で文章が刻まれていました。 -
ガヴィト(回廊)・アメナプルキチュ(救世主)から見た聖アメナプルキチュ(救世主)教会の入口
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聖アメナプルキチュ(救世主)教会
柱がなかなかユニーク@ -
重圧な屋根を支える柱
十字架の浮彫が見えます。 -
聖アメナプルキチュ(救世主)教会の主祭壇
「サナヒン村は、アルメニアで最も古い保存状態の良い1192年の歩道橋を隔てたメインのハイウェイに隣接した村です。
アラヴェルディの町のそばに建てられたサナヒン修道院は、中世アルメニアの最も著名な修道院のひとつであり、いくつもの教会や礼拝堂から成り立っています。967年、ホスローヴァヌシュ王妃の時代に、アメナプルキチュ(救世主)教会が建てられましたが、これは後に修道院の中の大聖堂となりました。1185年、大聖堂にガヴィト(回廊)が増築されました。1211年、ヴァシェ・ヴァスティアン公によってもうひとつのガヴィト(回廊)が建てられました。鐘楼は13世紀にさかのぼりますが、修道院全体を見渡しています。図書館は1063年に建てられました。分厚い壁のくぼみは書籍の保存に使われ、半円柱には、は虫類や鳥を描いたすばらしい浮彫で覆われています。
偉大なる吟遊詩人サヤト・ノヴァは、彼の母親の故郷でもあるサナヒンで生まれたと考えられています。彼はティフリス(現トビリシ)で過ごし、宮廷詩人としての名声が確立した後、僧侶となり、ハグパット修道院で仕えるためにやってきました。彼はそこでも自らの僧房で、お気に入りの弦楽器ザズを演奏しました。」
(アルメニアの観光案内公式サイト Armenia Informationより私訳)
http://www.armeniainfo.am/sites/?section=religious_desc&page=2&site_id=120 -
侵略者のトルコ人によって割られたハチュカル
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聖アメナプルキチュ(救世主)教会のドーム天井
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教会の柱に古い文字
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聖アメナプルキチュ(救世主)教会のドーム天井
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床に墓石が並ぶガヴィト(回廊)・アメナプルキチュ(救世主)
戻って来ました。 -
列柱とアーチが美しいガヴィト(回廊)・アメナプルキチュ(救世主)
ガヴィト(回廊)は2つあるのに、鐘楼に近い最初のガヴィトの方ばかり撮っていますが、そちらの方が明るかったので写真が撮りやすかったせいです。 -
ガヴィト(回廊)のアーチ上部の壁に文字がぎっしり
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妙に可愛い床の墓石
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中庭から見上げた聖グリゴル礼拝堂
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聖グリゴル礼拝堂
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壁にハチュカルと同じような装飾的な十字架の浮彫彫刻
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図書館へ
中世アルメニアで最も大きな図書館でした。
ここは、ふだんは鍵がかかっていているそうです。
ガイドさんが管理人からあずかってきた鍵で中に入りました。 -
古い図書館
くぼみのところに書籍が保存されました。
くぼみの形をよく見ると、向かって左はアラブ式で、右はギリシャ式です。
真ん中の柱は学問を象徴する蛇の浮彫が施されています。 -
図書館の天井
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十字架が刻まれた、宗教を象徴する柱
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文化を象徴する柱
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数学を象徴する柱
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アラブ建築様式のくぼみ
トルコ人に破壊されないように、アラブ式が採り入れられたそうです。 -
中庭にあった石柱
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当時の王族のザカリアン家の霊廟
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4世紀の教会跡───聖ハコプ教会
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ガイドさんがお供えした蜜蝋のろうそく
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罪人のための礼拝堂───聖ハルティン礼拝堂
罪人のための礼拝堂というのは、アルメニア唯一のものだそうです。
一般の信者と一緒にならないように、敷地内でも少し離れたところに別に建てられました。 -
山の上にもう一つの教会跡もあり
あそこは行ってはいません。 -
聖アメナプルキチュ(救世主)教会のある側の外観・その1
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新しい墓地
こういうタイプの墓石はソ連時代のものだそうです。
どうりで、旧東欧圏でちらほら見かけたわけです。 -
聖アメナプルキチュ(救世主)教会のある側の外観・その2
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庭にあったハチュカル
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最後に回ったアフタラ教会で買ったポストカードのサナヒン修道院
少し山を登った位置から撮影しているようです。
ここも晴天なら、こんなすばらしい景観のある写真が撮れたでしょうに。
手前の瓦礫はガイドさんがろうそくを立てていた、聖ハコプ教会跡、ドーム屋根は修道院の中のメインの教会のアメナプルキチュ(救世主)教会です。
右端の建物は図書館。 -
高い山に見下ろされたサナヒン村
サナヒン村自体も高い山の上にありました。 -
水飲み場
ちゃんと飲めるそうです。でも私は遠慮しておきました。
ガイドさんは妙に喉が渇いたようで、「空気が乾燥していない?」と言いながら、あちこちで水をがぶがぶ飲んでいました。 -
サナヒン村で開発されたソ連のMig-21空軍機
ここは博物館となっていたようです。中には入らなかったのですが、旅行人シリーズのガイドブックで紹介されていました。
「ミコヤン博物館
村の出身で、ソ連時代に外相などを務めた大立者アルタシェスと航空技術者アルチョームのミコヤン兄弟を記念した博物館。横には初期のミグ戦闘機があるが、実はミグの「ミ」はミコヤンの「ミ」。弟のアルチョームが同僚の技術者「グ」リイェヴィチと共同開発したことから、その名がついている。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)」 -
車窓から見えた、深い渓谷の底にあるアラヴェルディの町
「アラヴェルディ Alaverdi
デベド渓谷の谷底にある18世紀以来の銅山の町で、人口約15,000人。帝政ロシア時代には全国の銅4分の1を算出したが、今は細々とした採掘を続けている状態。渓谷に数多く残る、12〜13世紀の貴重な教会への拠点だ。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)」 -
前方に見えてきたアラヴェルディの町
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アラヴェルディを通過中
写真には撮らなかったのですが、途中で銅山採掘跡や工場のようなものが見られました。
いまはもう産出していなくて、倒産した会社も多いとか。
美しい山景色の中で、無粋な光景でした。
しかも、いかにもうち捨てられた風情だったので。
新しい産業を開拓しないと、町は活気づかない、とガイドさんが嘆いていました。
ハグパット修道院編へとつづく。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- eahawkさん 2012/04/08 20:23:44
- まみさん今日は!
- まみさん
今日は、今回はとても迫力を感じる旅行記でした。
一つ疑問が、床石に敷かれている墓石ですが、やはりこの上を歩いて移動するのでしょうか。
少し怖さを感じました(笑)
eahawk
- まみさん からの返信 2012/04/09 02:36:29
- RE: まみさん今日は!
- eahawkさん、こんにちは。いつもコメントありがとうございます。
そうなんですよ、お墓の上を歩くんです。
はじめドキドキしました。でもすぐ慣れちゃいました(苦笑)。
いま作成中の残り2つのロリ地方の修道院のうち、ハグパットの修道院もそうなんですよ〜。
昼間でも薄暗いですから、とても厳かな雰囲気です。
おすすめ@
> まみさん
>
> 今日は、今回はとても迫力を感じる旅行記でした。
> 一つ疑問が、床石に敷かれている墓石ですが、やはりこの上を歩いて移動するのでしょうか。
> 少し怖さを感じました(笑)
>
> eahawk
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