2010/09/11 - 2010/09/20
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gezellig kamerさん
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かねてからベルリン、特に、「壁」や「東ドイツ」に興味があり、それらにまつわる資料館、建築物を巡るちょっとマニアックな旅を企画しました。今回はその第一日目。テレビで見たトンネルツアーをメインにしつつも、第一日目なので、ザ・ベルリン的な観光名所も訪ねます。
ベルリンはおそらく冷戦時代のことなど前知識がある程度あった方が楽しめる街なのではないかと思うのですが、今回旅をする上で、
「素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド (地球の歩き方GEM STONE)」(中村真人著)と
「観光コースでないベルリン ヨーロッパ現代史の十字路」 (熊谷徹著)
の2冊と
上記の中村真人氏のベルリンに関するサイトである
ベルリン中央駅
http://berlinhbf.exblog.jp/
は非常に参考になりました。
また、
2009年に放送されていた「ベルリンの壁崩壊から20年」NHKの各特集番組↓
http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/shiryou/soukyoku/2009/10/004.pdf
もこの旅をする上で非常に勉強になりました。(もう大分前の放送になってしまいますが。。。)
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- KLMオランダ航空
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成田空港出発。
スキポール空港経由でベルリン(テーゲル空港)に向かいます。 -
ベルリンには深夜に到着。タクシーで目指すibisホテルに向かいました。真夜中であったこととベルリンの中心地からは若干離れた場所のホテルだったので、正直ホテルに着くまで結構恐かったです。
フロントには遅く着くと伝えてあったので、それ自体は問題なかったのですが、ツインにしてくれと伝えておいたはずなのに、いざ部屋に向かうとベッドがぴったりくっついていてまるでダブル…。文句を言うとフロントのおじさんには「ベッドが二つあっただろう。それがツインだよ。」と一蹴されてしまいました。でも、友人とベッドを動かし50cmほど隙間ができたので、これでいいかということになりました。
部屋自体は非常に清潔でキレイでした。 -
とりあえず、Alexanderplatz駅に向かいます。
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U-Bahnに乗ってGesundbrunnen駅に向かいます。
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この日はNHKのドイツ語講座で見て以来、ずっと行きたかったベルリンの地下壕のツアーに参加することにしました。ツアーはドイツ語か英語かスペイン語でしか行われないため、ガイドブックには載っていませんが、Berliner Unterwelten e.V. (http://berliner-unterwelten.de/home.1.1.html)という市民団体が主催しているツアーでナチス時代の地下壕を巡るツアーや冷戦時代の核シェルターを見て回るツアーなどいくつかのツアーがあり、どれも興味深い内容です。
今回私たちは、ツアーMという冷戦時代に壁の下にトンネルを掘って脱出を試みた人達の話を聞くことにしました。Gesundbrunnen駅の中に小さなチケットオフィスがあり、チケットを購入します。
チケットを購入した後は、ツアーが始まるまでその場で待ちます。
ツアー参加者は、オランダ人、スイス人しかおらず、アジア人は私たち以外いませんでした。残念ながら、ツアー中は写真NGだったのですが、地下壕の中に冷戦時代の地図や写真、トンネルの模型などが展示してあり、当時どんな方法で人々が壁を突破しようとしたのかがよくわかるようになっていました。(トンネルを掘る以外にも下水道を通ったり、U-Bahnの西側の駅を通過する際に飛び降りる方法なども紹介されました。)
案内をしてくれたのは、見た目が学生っぽい男性でしたが、非常に流暢な英語を話す方で、とてもわかりやすかったです。ただ、内容がやや専門的なので、冷戦時代の知識の下敷きがないと話に追いついて行くのが結構大変な感じでした。
旅行に行く前にトンネルを掘って脱出に成功した例の映画(Il Tunnel Della LibertaDe Gelukkige(WOWOWで以前「自由へのトンネル」という題名で放送されていました。イタリア人学生が中心となって東ベルリンに取り残されたドイツ人学生の友人たちを脱出させるためトンネルを掘る話です。))を見ていたので、実際にそのトンネルが掘られたという場所に来たときには非常に感慨深かったです。あと、上記よりも有名な同様のトンネル映画(ドイツ映画)である「トンネル」の主人公のモデルとなったHasso Herschel氏についての話もでてきました。 -
いきなり写真が飛んで、ツアーが終了した場所付近です。このあたりの地下にトンネルが掘られていたそうです。今は閑静な住宅街ですが、ここは東ベルリンと西ベルリンとの境に近い場所で、東ベルリン内の建物の西ベルリン側に面した窓から逃亡する人が出るなど、壁があった時代には様々なドラマがあった場所だそうです。
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この通りはまさに東と西を隔てる壁が建っていた通りです。
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ベルリンの壁は実は二重構造になっていて、二つの壁の間にはdeath stripと呼ばれる無人地帯があったそうです。
壁が無くなった後、そこはほとんど空き地となり、(場所によっては教育目的で、壁やdeath stripがそのまま残されているところもあります。)写真のように新たな建物が建設されているとのことでした。 -
その後Mauerparkに行き、蚤の市を見学。本当にいろいろなものを売っていました。東ドイツ時代の食器などもありました。天気のよい休日だからか、芝生にはたくさんの人が憩っていました。
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Currywurstが有名なKonnopke's Imbissを探したのですが、駅が工事中で本来駅構内にあるはずのインビスが別の場所に移動していました。場所を見つけるのに非常に時間がかかってしまった上に、この日は定休日だったので出直すことに。この日は30度近い熱さだったので、かわりにアイスを食べました。
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その後、Mitte地区の方に向かい、Unter den Lindenなど所謂観光スポットを巡りました。まずは、マリエン教会。
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Spree川とベルリン大聖堂。
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フンボルト大学
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Berliner Bear。街の中にたくさんいます。ポップな模様でかわいいです。
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ブランデンブルク門に辿り着く頃にはもう夕方でした。
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壁を乗り越えようとして亡くなった方々を慰霊する十字架。
白い十字架がずらっと並んでいるのを見て、非常に厳粛な気持ちになりました。これだけ多くの人が命を賭けてでも、自由を求めて壁を越えようとしたのかと思うと、その命の重み、そして、無言の十字架が発するメッセージを受け止めなければと思いました。
ベルリンの壁はちょうどブランデンブルク門の前にあり、壁があった頃は門に近寄ることはできなかったそうです。
この十字架のモニュメントの近くにReichstag(国会議事堂)があります。 -
ブランデンブルク門その2。
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ブランデンブルク門のすぐ横のおしゃれなカフェで食事をしました。サンドイッチは結構値が張りましたが、おいしかったです。Berliner Weisseも飲んでみました。甘いので、ビール好きでない私でも結構いけました。
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すっかり日が暮れました。
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