2014/05/28 - 2014/05/28
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frau.himmelさん
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ベルリンの強制収容所に行ってみたい。
これはK氏のたっての希望でした。
そうですよねー。
私達の年代になると、単なる物見遊山だけではなく、過去の歴史の現場にも立ち会ってみたい、そういう思いに駆られますよね。
私にとっては昨年についで2度目のザクセンハウゼン強制収容所訪問です。
昨年は休館日で内部見学をしていませんので、この申し入れはとても嬉しいものでした。
行くなら早いほうがいい。ヴュルツブルクからベルリンへ到着したその足で行くことにしました。
ジャーマンレイルパスが使えますから、交通費も節約できます。
なお、昨年のザクセンハウゼン強制収容所の旅行記と2011年のミュンヘンのダッハウ強制収容所も同じような内容なので、あわせてご覧いただければ嬉しいです。
http://4travel.jp/travelogue/10835772
http://4travel.jp/travelogue/10573410
◆5月28日スケジュール ベルリン到着後ザクセンハウゼンへ
朝食・チェックアウト後8時過ぎにタクシーで駅へ。
ヴュルツブルク駅発8:30(ICE886)⇒ゲッティンゲン(9:54)乗換えICE694(10:11)⇒ベルリン中央駅着(12:32)
駅前(タクシー)⇒ホテル。チェックイン後 ザクセンハウゼン強制収容所へ
『行き』アンハルター駅(13:22、14:02)→Oranienburg駅 バス804か821→強制収容所まで
ザクセンハウゼン強制収容所博物館内部見学
『帰路』バスでOranienburg駅→フリードリヒ通り駅乗り換え→ハッケシャーマルクト駅
【レストラン「レムケ」夕食】…ハッケシャーマルクト駅→アンハルター駅…ホテルへ
____________________
*【レストラン・レムケ】ハッケシャーマルクト駅の高架下
自家製醸造ビールレストラン ビアコストプローべ(4種類の自家製ビール)、料理:ヴルストテラー(ソーセージ盛り合わせ)、アイスバイン(肉料理)ほかドイツ料理
-
2日間お世話になったヴュルツブルクのホテルの窓からの風景。
せっかくマイン川の近くのホテルに宿泊したのに、とうとう一度も散歩が出来なかった。
木々が茂っているあの雰囲気良さげなほうに行くと、観光名所の古いクレーン場があったのに。
もうちょっと余裕を持ったスケジュールにしなければいけませんね。 -
7時に朝食を摂ります。
ドイツの普通の朝食です。
アンズがあったのでいただきました。
8時にタクシーを呼んでもらって中央駅に向かいます。 -
私達が乗るのは8時半発のハンブルク行き。ゲッティンゲンで乗り換えてベルリンへ向かいます。
昨夜帰りが遅くて観光案内所は閉まっていたので、座席指定はとれていません。
席がなかったらどうしよう・・との心配も杞憂に。
コンパーメントの6人席を私達3人で占有することができました。 -
ゲッティンゲンで乗り換えて。
ここからベルリン行きも楽に座れました。
ほっと一安心。 -
列車は中部ドイツの草原を走り抜けます。
心配なのは天候のこと。
どんよりと曇った空。
今回の旅で晴れたのはたった1日だけ。 -
ベルリン中央駅に到着。
タクシーでアンハルター駅近くにあるホテルにチェックイン。
その後すぐにザクセンハウゼン強制収容所に向けて出発です。
写真は最寄のアンハルター駅。 -
外はやっぱり雨が降っています。
3人の中で誰もいないのかしらね〜? 晴れ女・晴れ男は! -
S1番でポツダマープラッツ駅乗り換えて40分くらい、ベルリン北部の郊外、オラニーエンブルク駅に到着しました。
-
1940年のオラニーエンブルクの風景。
ザクセンハウゼンへの経路地図もありました。
ここから歩いても20〜30分ほどだそうです。
雨も降っているし、私達シニアには「徒歩」という選択肢はありません。 -
バスに乗ってザクセンハウゼン強制収容所へ向かいます。
804番バスです。 -
バスのチケットは運転手から購入します。
往復でと言ったらこれをくれました。
え、往復で1.3ユーロ!?
ちょっと安すぎない?
でもちゃんと帰りもこのチケットが使えました。 -
バスで10分程度で強制収容所入り口到着。
塀に「GEDENKSTAETTE und MUSEUM SACHSENHAUSEN」と。 -
インフォメーションの建物。
雨が降っているせいか人も少ない、とこの時は思っていました。
窓口で日本語の説明文を購入して(0.5ユーロ?)回ります。 -
収容所は二等辺三角形の形をしています。
画面下の赤い部分が案内所。 -
収容所通りと呼ばれる長い塀に沿って歩きます。
二等辺三角形の底辺の部分です。
雨が結構強く降っています。 -
右側は親衛隊(SS)兵舎があったところ。
ここでSSが訓練を受けていました。
◆
アドルフ・ヒトラーを党首とするナチス党が政権を握った1933年、オラニエンブルク強制収容所として、突撃隊(SA)のもと創設されました。
しかし、「長いナイフの夜」事件以降、SAの力が弱くなり、ザクセンハウゼン強制収容所として親衛隊(SS)が監督権を持つようになります。 -
収容所の入り口。
なんと、1936年から1945年の間に、20万人以上の人がこのザクセンハウゼン強制収容所に収容されたそうです。
多くの人々が強制労働、虐待、病気、飢えなどで命を落としていきます。
SSの組織的な絶滅計画で殺された人も多くいます。
◆
塔の入り口には雨が強く降っているので、雨宿りしている人たちが大勢います。 -
私達は入口の右手にある新博物館に雨宿りを兼ねて逃げ込みました。
館内では強制収容所の成り立ちや歴史などが、写真やモニュメント、音声や映画などで見ることが出来ます。
中庭にふと目をやると、慰霊碑らしいブロンズ像が雨粒でボーっと見えました。 -
この像は、後ろ手に縛られている囚人の姿のようです。
悔しそうな顔の表情が印象的です。
このザクセンハウゼン記念施設・博物館は1993年ドイツ統一の後、設立されました。 -
パネルで展示。
オラニエンブルクのビール工場が前身です。
「長いナイフの夜」事件以降、政治犯などを収容する目的で、テオドール・アイケ親衛隊中将が率いる親衛隊(SS)が監督権を持つ収容所として設立されました。 -
アイケ?
そうです。
ダッハウ強制収容所でそれまで無法地帯だった収容所を体系化して全収容所総監に任命された人物です。
ユダヤ人を憎悪しており、ユダヤ人に対する扱いは苛烈を極めたそうです。 -
ザクセンハウゼン強制収容所前身・オラニエンブルク強制収容所の頃は、ナチに反対する政治犯の収容が対象でした。
その後、精神障害者・身体障害者、暴力団、売春婦、乞食、浮浪者やジプシー(ロマ)、同性愛者など広範囲に収容されました。
なんと、1936年から1945年の間に、20万人以上の人がこのザクセンハウゼン強制収容所に収容されたそうです。
多くの人々が強制労働、虐待、病気、飢えなどで命を落としていきます。
SSの組織的な絶滅計画で殺された人も多くいます。 -
1936年、親衛隊指導者ハインリッヒ・ヒムラーの命により、正式にザクセンハウゼン強制収容所として発足してカール・オットー・コッホが初代所長として赴任してから、多くユダヤ人も送り込まれました。
-
館内にはここに抑留された多くの著名なユダヤ人の写真が掲げてありました。
アルベルト・サロモン:著名な医療外科、ヴァルター・ヒルシュベルク:音楽家、ヘルマン・ハンス:歯科医(釈放されて後にロンドンに亡命)など、中には処刑された人もいました。 -
写真が見にくくて申し訳ありません。
-
1938年11月から1939年1月までになくなったユダヤ人収容者の名前。
-
ユダヤ人の囚人服。
たったこれだけが持ち物だったのですね。
胸が詰まります。 -
ユダヤ人の家族。
この家族がすべてばらばらに引き離されて、働けない子供や年よりはアウシュヴィッツなどの絶滅収容所に送られました。 -
また館内にはほかにいろいろな展示物がありました。
これはSS(親衛隊)の前のSA(突撃隊)の制服です。
1936年テオドール・アイケが収容所総監に任命されるまで、突撃隊がザクセンハウゼン強制収容所の前身オラニエンブルク強制収容所を掌握していました。 -
犠牲者を悼む慰霊碑。
この実物はかっての遺体焼却場の場所にあるそうです。
私達はそこまで行きませんでした。 -
-
もうこの絵にいたってはおぞましいとしか言いようがありません。
-
それでは新博物館を出て、いよいよ門を入ります。
-
鉄製の門扉には、「ARBEIT MACHT FREI」(労働すれば自由になれる)と・・。
どこの強制収容所にも掲げられている共通の言葉です。
収容者はこれを信じて過酷な強制労働に耐えていたんでしょうか。 -
そこを抜けると、目の前に広がるものすごく広い敷地。
ここに囚人を収容するバラックが放射状に並んでいたのでした。 -
ここは点呼広場。
収容者は1日3回、ここに集まり点呼を受けなければなりませんでした。
時にはそれが数時間にも及び、雨や雪の寒さにも耐えなければならなかったそうです。
ここに転がっている重いローラー。
処罰のために意味もなく、このだだっ広い広場を何時間も引いて回るよう強制されたそうです。" -
収容所の周囲は、高電圧の鉄条網と柵、さらに高さ2.7メートルの壁。
鉄条網と壁の間は2メートルの看守の巡視路になっています。
ニュートラルゾーンの立て札。
この砂利の中に入ったら即刻射殺します、っていう恐ろしい警告です。 -
鉄の大きな長方形の枠の中に、無数の石が敷かれています。
これがあちこちにいくつも点在しています。
これは何? -
連合軍の爆撃で破壊されましたが、ここは収容者のバラック跡なのです。
記憶の場所を忘れないためにと、こういう配慮がなされているのです。 -
点呼広場の先には40メートルの高さのオベリスクがあります。
オベリスクの上部には18個の逆三角形のマーク。
囚人は逆三角形のワッペンをつけなければなりませんでした。
ワッペンは色で罪状が分かるように識別されていました。
この慰霊碑は、大戦終戦後、東ドイツ政府によって「反ファシズムの勝利」として作られた記念碑です。 -
下の像は小さくて見えませんが、こんな風になっています。
新博物館に展示してあったもの。 -
バラックはいくつか再現され、博物館になっています。
手前がバラック38ユダヤ人収容所棟、バラック39は日常生活棟になっています。 -
ところどころに水溜りがあり、もう靴はビジョビジョです。
私達はバラック38に入ります。 -
1936年〜1945年 ザクセンハウゼン強制収容所内のユダヤ人収容者。
親衛隊はここにすべてのユダヤ人を詰め込みました。 -
粗末な木製テーブルと粗末な長椅子。
強制的に連れてこられた多くのユダヤ人達はここで食事をしたのでしょうか。 -
蚕だなのようなベット。
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トイレ
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これ、浴槽?
-
収容されたユダヤ人の歴史が、収容者の個人記録を例に具体的に展示されています。
顔写真。 -
街中を「私は○○○です」と書かれたプラカードを背負い晒し者にされたユダヤ人。
顔つきや着衣からして相当の地位にあった人と思われます。
その周りを心無い民衆の野次が飛ぶ。
見ていて情けなくなる構図です。 -
ここにもユダヤ人の著名な抑留者が写真つきで紹介されていました。
こんな温厚そうな紳士も・・ -
ユダヤ人病院の医師も・・
-
こういう囚人服を着せられて酷い仕打ちをされたのですね。
-
これは一体なんだろう。
-
次に私達が向かったところは独房棟。
ゲシュタポの監獄として、特に重要な政治犯が収容されました。 -
展示室。
独房に収監された人々の資料が展示してあります。 -
私の目にいち早く留まったのが『ゲオルク・エルザー』。
1939年11月、総統アドルフ・ヒトラーの暗殺を企てた人物です。
1939年9月にドイツがポーランドに侵攻して戦争が勃発した直後です。
ミュンヘンの会場「ビュルガーブロイケラー」で仕掛け爆弾によりヒトラーを暗殺しようとしましたが、予定より30分早くヒトラーの演説が終わったので暗殺は失敗しました。
あの時暗殺が成功していたら・・世界の歴史は大きく塗り替えられていたことでしょうね。 -
これは暗殺未遂会場であったミュンヘンのビヤホール「ビュルガーブロイケラー」跡地にある、ゲオルク・エルザーを記念する銘板です。
彼はザクセンハウゼンの後ダッハウ強制収容所に収監され、1945年年4月9日に射殺されました。ヒトラーが自殺をする2週間前でした。
暗殺者なのにどうしてこんなに長く生かされていたか?
ヒトラーは縁起をかつぎ「エルザーを生かしておけば自分は決して死なない」と信じていたのです。 -
頑丈な扉がついた小部屋が廊下の両側に並んでいます。
-
その扉の中にもがっしりとした鉄格子。
鍵がしっかり掛けられています。
中には粗末なベッド一つ、灯りとりの窓にもまた鉄格子で閉ざされた空間。 -
この部屋の収監者は処刑されたのか、それとも獄中で無念の死を遂げたのか、
誰が手向けたのかそっと花が供えてありました。 -
次に私が行ったのがバラック39?、
ちょっとはっきりしません。 -
歴代のザクセンハウゼン強制収容所長。
左上から カール・オットー・コッホ(在歴 1936/10−1937/7)
左中 カルマン・バラノヴスキー(1938/4−1939/9)
左下 ハンス・ローリッツ(1940/4−1942/9)
右上 ハンス・ヘルヴィッヒ(1937/8−1939/9)
右中 ヴァルター・アイスフェルト(1939/9−1040/1)
右下 アントン・カイントル(1942/9−1945/4) -
収監者たちの日常の様子。
-
過酷な労働を強いられる囚人たち。
-
極寒の中、薄い囚人服1枚で労働をさせられる囚人たち。
看守達は分厚いコートに身を包みぬくぬくとした暖かい格好をしてそれを眺めている。 -
ザクセンハウゼン強制収容所には、ドイツの支配下にあった全ての強制収容所の管理本部がありました。
またSS(親衛隊)のための訓練所や住居などが造られていました。収容所通りの右側にありましたね。
それら幹部の写真も展示してありました。
この写真はテオドール・アイケ。 -
リヒャルト・グリュック(1889−1945)。
ナチスドイツ親衛隊(SS)の高官。
親衛隊髑髏部隊で活躍しました。
髑髏部隊は大きな髑髏のワッペンのついた帽子を被っています。
その後テオドール・アイケに代わって収容所の総監となります。 -
オズヴァルト・ポール( )。
ナチスドイツ親衛隊将軍。経済部門の責任者。
強制収容所の重要な運営にも携わっていました。
囚人やユダヤ人を労働力として重要視し、働けるもの・働けない者に選別し、働けない者はガス室に送りました。
また収容所に到着したユダヤ人から金銭・宝石・金時計など金目のものを押収し、ドイツ帝国銀行に引き渡しました。 -
ルドルフ・ヘス(1900−1947)。
ナチスドイツ親衛隊の将校。
アウシュヴィッツ強制収容所の所長を務め、ユダヤ人大虐殺を遂行しました。
戦後裁判で250万人のユダヤ人をガス室送りにしたことを認めています。
絞首刑に処せらました。 -
点呼広場に集合した親衛隊の面々。1940年ごろ。
SSのプロパガンダに使われた写真だそう。 -
これは何?
「制裁」として使われた「棒打ち台」です。
この台に腹ばいになって、処罰の重さによって定められた回数の棒打ちに耐えなければなりませんでした。
回数は囚人が大きな声で数を数えなければならなかった、声が小さいとカウントに数えられなかったそうです。
気絶すれば水を掛けられ無理やり目を覚まさせて、棒打ちの刑は続けられました。 -
この絵がその場面です。
なおこのほか、「杭」と呼ばれる罪があり、木の柱に後ろ手に組まされ足が地からはなれた状態でつるされる。
その苦痛の姿勢のままで数時間、親衛隊によって殴られる罪です。
広場にその杭が残っています。 -
絞首刑台。
処刑が決まった囚人は全員が集まる点呼広場で見せしめに公開処刑されました。
なんか書いているだけでも、暗く重苦しい感情が湧いてきました。 -
地下に通じる階段。
下に何があるのか?
もう結構、私は行けません。 -
この部屋は処刑された人や獄死した人を追悼するコーナーです。
写真や手紙類、生存中の功績や証明書などが飾ってありました。 -
特にレリーフや胸像、その他いろいろな追悼の品で飾られているコーナーは目を惹きました。
よほどの大物か?
Ernst Schneller(1890-1944)。
ドイツ共産党議会議員。
政治犯としてゲシュタポに捕らえられ、ザクセンハウゼンに収監される。収容所で亡くなっています。
狂気の時代はいろいろな人の将来を奪ってしまったのですね。
そういう感慨に浸っているヒマはありませんでした。 -
次に向かったのは何の変哲もない小屋。
病理学棟。
ここが何であるか昨年来た私は知っています。
今まで以上に重苦しい建物です。 -
白いタイル張りの部屋。
そこに置かれた2台の水槽のようなもの。
この無機質な部屋のこの台の上で人体の解剖が行われたのです。 -
本当は逃げ出したい気持ちを抑えて地下に降りていきます。
K氏やI女史が一緒だから・・、怖いものみたさ・・。
この何もない空間は何?
奥にただ一つ、空調みたいなものは・・、
まさかガス室ではないでしょうね? -
そしてこの倉庫みたいなところは?
ここは遺体安置所でした。
想像するだに恐ろしいけど、何百人、何千人の遺体がここに横たえられていたのかと思うと・・。
背筋に冷たいものが走りました。 -
ここは医療棟。
説明書によると、『強制断種や去勢、医療殺人や人体実験などが行われた』とあります。
もう私はこの棟に入る勇気はありません。
I女史にとっては専門分野のことで興味があるでしょう。
どうかお二人で見て来てください。
そういって私は近くのトイレに逃げ込みました。 -
ザクセンハウゼン強制収容所で行われた人体実験てどんなもの?
囚人の身体を使って毒入り弾丸を撃ち込んで効果を調べる実験、液化ガスの人体実験、スルファ剤を投与する人体実験などで囚人を死に至らしめていたことも明らかになっています。
また「黄疸の研究」と称する人体実験や「障害者安楽死計画」もここで実施されていたそうです。 -
トイレから出て、お二人を待っている私。
まだ見ていない棟はたくさんあるけど、もうその元気はありません。 -
遅いなー二人。
ふとかなたを眺めると、雨の中を歩いているK氏I女史の後ろ姿。
私が入り口のトイレに行ったと思ったのね。
心なしかお二人とも疲れたご様子。
それはそうよね、こんな重たい歴史の現実を見たら、心も体も憔悴してしまいますよね。
「待ってー、私を置いていかないで〜!」。
急いで後を追いかけます。 -
「ARBEIT MACHT FREI」。働けば自由になる・・・。
なんて虚しい響きでしょう。 -
収容所通りに歴史的な野外展示があります。
「白バス計画」。
赤十字軍による白バス遠征隊。
スエーデン赤十字社による強制収容所の収容者をナチスの支配化から中立国スエーデンへ救出する計画。
この計画によりザクセンハウゼンや他の強制収容所から7800名ものスカンジナビア国民が救い出された。
「白バス」とは軍用車両と見間違われないように白く塗装された赤十字社のバスのこと。 -
強制収容所が解放された後、1945年4月の「死の行進」。
収容所に危機が迫ってくると、収容者たちはベルリンから北ドイツのシュヴェリーンに向かって歩かされました。
極度の疲労と飢えで大勢の囚人が死亡していきました。
やっと囚人たちは気付きます。
ドイツ軍が、邪魔になった囚人を意図的に死なせようとしていることを・・。 -
帰りはSバーンでハッケシャーマルクト駅に出ます。
-
今夜の夕食は、駅のガード下にある「BRAUHAUS LEMKE」ブラウハウス・レムケ。
自家醸造ビアを飲ませてくれるレストラン。 -
4種類の自家醸造ビールが試せるBierkostprobe (ビアコストプローベ)を頼みました。
-
麦を焦がしたようなおつまみが付いてきます。
これが香ばしくておいしい。 -
お料理はシュバイネ・ブラーテン。
じっくり煮込まれた豚肉がとても美味しかった。
ちなみに付け合せのクネーデルはまん丸ではなく大雑把に固めたものでした。
それはそれで美味しい。 -
お店の雰囲気もなかなかいいでしょう?
ここはベルリンにとても詳しい方から教わったお店です。
こうしてベルリンの初日は過ぎていきました。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- ペコリーノさん 2014/09/06 18:55:28
- レムケ
- レムケというお店、いいですね〜!
11月にベルリンへ行くので、行ってみます!(というか、ハッケシャーマルクトに9泊もしたのに、知りませんでした。)
引き続き、ベルリンの旅、楽しみにしています。
ペコリーノ
- frau.himmelさん からの返信 2014/09/07 10:16:17
- RE: レムケ
- ペコリーノさん おはようございます。
レムケ、いいですよー。
いろんな種類のビールが一度に飲めるのが嬉しい。
お料理もドイツ料理がいろいろ。
http://infodich.com/archives/1436
ぜひいらっしてください。
11月にベルリンにいらっしゃるのですね。
実は私も急遽、10月のはじめからウィーン、ベルリン、フランクフルトを拠点に2週間ほど行くことにしました。
今回は一人旅です。
ベルリンには5泊いたしますので、もう一度レムケに行こうかなと思っています。
ペコリーノさんのお薦めのレストランどこかありませんか?
よくプレンツラウアーベルクのほうには行ってらっしゃいますよね?
お互いに旅行準備で忙しいですね。
himmel
- ペコリーノさん からの返信 2014/09/08 16:03:31
- RE: RE: レムケ
- frau.himmelさん、こんにちは。
またまたドイツにいらっしゃるのですか?
すごいですね〜。
私、ベルリンではまだ「ここ!」というレストランは見つけられてないんですよ。教えていただいたHPもいいですね。早速「お気に入り」に追加しました。
私が、今度行ってみたいと思っているところは、ここなんです。
http://osanpoberlin.blog.fc2.com/blog-entry-77.html
Leibhaftig ライプハフティヒ
Metzer Str. 30, 10405 Berlin(プレンツラウアーベルク地区)
すでにご存じかとは思いますが、この「おさんぽベルリン」のブログもなかなかいいので、暇なときに読んでいます。
できたら1か月早めにいってみてください。
ペコリーノ
- frau.himmelさん からの返信 2014/09/11 20:21:05
- ライプハフティッヒ
- ペコリーノさん、こんばんは。
昨日、今日と関東地方も酷い雨でしたね。
本当にこの地球環境、一体どうなっているのでしょうね。
さて、ご紹介してくださったレストラン「ライプハフティヒ」、
住所を見たらなんとまあ、一昨年私が3泊したホテルのすぐ近くではございませんか。
番地が本当に数番しか違わない。驚きました。
今回もあちらのほうに出かける予定がありますので、時間が合えば是非寄りたいと思います。
紹介してくださったブログもなかなか面白いですね。
では、私のほうが一足お先に行ってまいります。
himmel
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