2011/10/03 - 2011/10/06
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gezellig kamerさん
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軍艦島コンシェルジュの軍艦島上陸ツアーに参加しました。その後、出島とシーボルト記念館を訪ねました。
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軍艦島上陸ツアーに行く前に時間があったので、大浦天主堂付近を散策しました。
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そこで、人にまったく物怖じしない猫に出会いました。長崎では至る所で猫に遭遇しましたが、この猫は特に人慣れしていて貫禄すら感じました。
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いよいよ軍艦島クルーズです。(この日の港の写真がないので、写真は最終日のものです。。。)
まずは、軍艦島コンシェルジュの事務所に行き、ガイドの方から島の歴史や島の概要などの簡単な説明を受けました。事務所は、クルーズの船が出る桟橋のすぐ近くにあります。このツアーでは宣誓書に前もって署名する必要がありました。(持参するのを忘れても一応印刷されたものは準備されているようでしたが…。)
この日はあいにくの雨模様で、私たちが参加したツアーの参加者は10名程度でした。外国の方も何人かいらっしゃいました。
いざ、港を出発します。 -
ここから思い出せる限りで、軍艦島やその周辺についてレポートしていきたいと思います。(私の記憶違いもあるかと思いますが、その際はご容赦下さい。Wikipediaの「端島(長崎県)」(軍艦島の正式名称)に詳しい島の歴史や様子が書かれているので、詳しく知りたい方はそちらを参考になさったほうが良いかもしれません。)
女神大橋です。
大きな船も通行できるよう橋脚が非常に高くなっているそうです。この橋の橋脚から橋脚までの長さがちょうど軍艦島の長さだそうです。このスペースに一時期は5000人の人がいたと考えるとちょっとすごいなあと思いました。 -
軍艦島に着くまでにもいくつかの島を通過して行きます。
ほぼ全ての島に、教会があることに驚きました。今度は島巡りもしてみたいなと思いました。軍艦島と同様、かつて炭鉱の島だったところも今はリゾート地となっていたり、時とともに島もいろいろと変化しなければならないのだなと思いました。グラバーさんなど居留地に住む外国人がピクニックをした島というのもありました。 -
また、港付近には三菱の造船所の施設がたくさんあります。軍艦島も三菱が経営していた炭鉱の島だったそうです。
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いよいよ軍艦島が見えてきました。
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軍艦島の中には炭鉱や住宅だけでなく、病院、幼稚園、学校、娯楽施設などありとあらゆる施設が揃っていたそうです。今、軍艦島は廃墟となってしまっていますが、ガイドさんの話を聞くうちに軍艦島は確かに「街」だったのだと実感できました。
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住宅によっては、嵐が来たとき、防潮堤の役割を担っていた建物もあったとガイドの方がおっしゃっていました。人が住んでいるのに、防潮堤の役割というのはちょっとどうなんだろう…。と個人的には思ってしまいました。
嵐のとき、島の人々は嵐見物のようなこともしていたそうです。自然の脅威も楽しみに変えてしまうとはたくましい限りです。 -
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島で唯一の上陸地点であるドルフィン桟橋に到着しました。
かつて、この桟橋ができるまで、住民の人たちがいかに苦労して上陸したか、という話もガイドさんから伺いました。海がしけていると島に船をつけることができず、梯子で島に上陸していたそうです。かつての住民の方は長崎市内から島に戻るまでは、まるでサーカスのようだったとおっしゃっていたそうです。この島は住むこと自体が非常に大変な場所だったのだなと思いました。 -
写真上部に写っている建物が三菱の社員の方々(偉い人達)が居住していた住宅だそうです。偉い人はオーシャンビューが見渡せる高台に住んでおり、かつ部屋もかなり広かったそうです。そして、水(真水)が大変貴重だった軍艦島において非常に珍しかった共用でない個別のトイレとお風呂もこの住宅にはあったそうです。(それが島の人の憧れだったそうです。)
手前に見える枠が並んで見えるものはかつて石炭を運搬していたベルトコンベアー跡だそうです。 -
奥に写る骨組みだけ残っているものが学校の体育館跡だったように思います。鉄は錆び易いため、このようにぼろぼろの状態になってしまったそうです。(この体育館と30号棟が最も早く倒壊するのではないかとガイドの方が確かおっしゃっていました。)
それから、この付近には確か、幼稚園があり、その幼稚園は、なんと屋上にあったのだそうです。土地が狭いためそのようなことになったのだそうですが、当時はなかなか建築許可が降りなくて大変だったそうです。 -
これは石炭を集積していた場所だったとガイドの方がおっしゃっていたような気がしますが記憶が定かではありません。
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レンガ造りの建物が事務所跡だそうです。この事務所で作業員の方たちは、その日の仕事の指示を会社から受け、次の写真に写っている階段を通って作業場である地下に向かって行ったのだそうです。
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今は覆いが無くなり階段が見えていますが、当時はここに覆いがあって階段は見えなかったそうです。この階段は事務所と地下の作業場に向かうエレベーターをつなぐ場所であるため「命の階段」とも呼ばれていたそうです。
左上にある灯台は、明かりが全くないと、軍艦島付近を航行する船が島にぶつかる可能性があり危険なので、建てられたそうです。 -
これもあまり記憶が定かではないのですが、確か水道と電気のケーブルが通っていた穴だったように思います。そういった生活に不可欠なシステムもすべて遠くから運んでこなければならないというのは非常に大変だっただろうなと思います。
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このあたりは何の施設だったか忘れてしまいました。
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この周辺にプールがあったと伺ったように思います。軍艦島から出たゴミ(炭坑の採掘&生活ゴミ)はすべて海に投棄されていたため、島周辺の海はあまりきれいではなかったそうです。子ども達をそのような汚い場所で泳がせることはできないとのことで、プールが島内に設置されていたそうです。
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これが有名な30号棟だったと思います。トイレもお風呂も共用で、非常に狭いスペースで一家で暮らしていたそうです。そういう環境もあってか、この島の人達の絆や結束は非常に強いものだったそうで、誰がどんな家庭環境でどんな状態かみんなお互い知っていたそうです。
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私たちが島から出ないとあとから来るクルーズ船が上陸できないため、最後は駆け足になりながら写真を撮りました。
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軍艦島を後にします。
島の先端に実は釣り人がいます。島内の管轄は長崎市で島の外の部分は確か国土交通省の管轄のため、島の外側部分では釣りがOKなのだそうです。 -
軍艦島全体ショットです。軍艦島は正式名称は端島で、軍艦のように見えることから通称が軍艦島だということをこのツアーで初めて知りました。確かに、形が軍艦にそっくりです。
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本当に長崎は船に関する施設がたくさんあります。
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小菅修船場跡付近にも立ち寄りました。
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長崎港に戻ってきました。
軍艦島に上陸してガイドさんの話を聞くまで、軍艦島のイメージはもっぱら「廃墟」でした。しかし、実際上陸してみると、風雨にさらされ、荒廃した土地であるということよりもあの小さな島の中に炭鉱という産業を基盤とし、一つの固い絆で結ばれたコミュニティーが確かにそこにあったのだということの方が非常に強く印象に残りました。
軍艦島コンシェルジュのスタッフの方々はみなさん熱心な方で、お話の端々から軍艦島への愛がひしひしと伝わってきました。ガイドの方もいろいろな話をして下さるのでクルーズ中も上陸中も全く飽きませんでした。(上陸中は、お話だけでなく当時の写真なども見せて頂きました。)
他の資料館などよりはちょっと出費が大きいですが、一見の価値はあると思います! -
クルーズを終えて、出島ワーフに行きました。あいにくのお天気で残念でした。
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出島ワーフのAtticというカフェで龍馬と岩崎弥太郎のコーヒーを作ってもらいました。(メニューにはこのラテアートについては特に言及されていませんが、ガイドブックを見せたら普通に作ってもらえました。コーヒーの種類は結構いっぱいあって、選ぶ事ができます。)結構緻密です。
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出島の商館跡に行きました。壁紙が洋風でベッドも置いてあるにもかかわらず畳敷きというのはやっぱり何となく不思議な感じです。それぞれの部屋には、その部屋の住人たちの日常に関するアニメーションを見ることができるようになっており面白かったです。個人的にオランダに多少縁があるので、オランダ語の会話を聞いてちょっとノスタルジックな気分になりました。
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それぞれの建物の再現方法などかなり細かな点まで展示がしてありました。思ったより展示のボリュームがあり、時間が足りずきちんと見れなかったのが残念でした。
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その後、路面電車に乗り、シーボルト記念館に向かいました。
以前オランダに旅行に行ったとき、ライデンのシーボルト記念館に行ったので、日本のシーボルト記念館にもぜひ行こうと思っていました。
路面電車の終点の一つ手前の駅であるからか、観光客はほとんどおらず、視界がほぼ山で囲まれた地域でした。
シーボルト記念館自体も住宅街の中にぽつんとある感じで、辿り着くまで結構苦労しました。(標識を追っていけば辿り着けるのですが、けっこう道のりが入り組んでいて複雑でした。)住宅街に突然このような洋館が現れます。 -
もともとシーボルトというよりもシーボルトの娘であるおイネに興味があり、(当時、ハーフの子息たちというのは、今よりも珍しい存在だったのではないかと思い、また、医師というこれまた当時は珍しかったであろう職業に彼女が就いていたということをネットで知り、興味を持ちました。)行ってみたのですが、やはりシーボルトに関する記念館ということで、それほど詳しく彼女について知ることはできませんでした。でも、彼女の写真や免状などを見ることができました。
シーボルトだけでなくシーボルトの息子たち(シーボルトがオランダに帰国し、再婚した際の子ども達)ものちに父とともに来日しており、日本と関係のある仕事をしていたということも初めて知りました。 -
記念館の前の土地がシーボルト屋敷跡になっています。アジサイとシーボルト像があります。
その後、長崎市内中心部に戻りました。
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