2011/05/04 - 2011/05/08
50位(同エリア137件中)
そんざーさん
今回は、揚州二日目の盛宴での夕食、旅行三日目朝食の冶春花園での揚州点心、そして、鑑真で有名な大明寺を中心に紹介します。冶春花園の朝飯は最高です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 2.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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この日は、朝、富春茶社での揚州点心セットを食べ、結構お腹一杯になってしまって、昼飯は共和春のエビワンタンメンで軽く済ませたのですが、それでも夕方になっても空腹になりません。个園・何園といった庭園を訪ね、広い痩西湖を観光し、随分と体力を消耗したのに、空腹にならないのですから朝の富春茶社の点心は、やはりボリューム満点だったのです。
夕食は、中国のネットで調べて、地元の人気ナンバー1の店、盛宴に行くことにしました。揚州の中心地である文昌閣から歩くこと5分で盛宴に到着しました。一階の入口からして白を基調にしたモダンな内装で、明るいレストランです。4フロアーか5フロアーくらいありそうな広いレストランです。
指定された階に行ってみると、上の写真の通り、明るいモダンな内装が揚州にいることを忘れさせます。 -
席に案内されると、メニューを渡されます。上の写真がメニューで、印を付けてウェイトレスに渡す仕組みです。ウェブ上でも人気が高かった獅子頭が8元、盛宴炒飯茶碗一杯が10元など、お手ごろ価格です。こんな値段で本当に美味しかったら、大感激です。
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一品目。蟹黄鶏汁煮干絲が出てきました。干絲とは干し豆腐を細切りにしたもので、これを鶏がらスープにたっぷりの蟹粉を加えて煮た料理で、揚州名物の一つです。スープが多くて具が分かりづらいので私の取り皿に移してみましょう。
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玉子そばみたいに見えますが、そばのように見えるのが干し豆腐で、玉子みたいに見えるのが蟹黄スープです。蟹がふんだんに使われている贅沢な味で、しかもあっさりしていて旨いです。この日、あまり空腹感がない中での夕食だったのですが、これなら食えます。
さすがに人気店だけあってなかなか良いレストランだと感心している時に、ウェイトレスが来て「ごめんなさい。獅子頭(名物のハンバーグ入りスープ)が売り切れていました。何か他の料理にいたしますか?」と済まなそうに言います。でも、正直言って、あまりお腹が空いていなかったので、半分くらいは助かった気持ちで追加料理は要らないと対応しました。 -
これも盛宴の人気メニューの一つであるキノコ炒めです。期待していたのですが、これは上品そうに見えて結構脂っこいのです。私は半分くらいしか食べられませんでした。この料理がこの日一番高い料理だったのですが、やっぱり空腹感がないときの食事はつらいものです。
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そして、盛宴炒飯です。お碗で一つ注文したのですが、これが意外に量が多くて、日本なら炒飯どんぶりの大きさです。これも玉子チャーハンですから、やはり揚州炒飯の一種類です。さすがに店の名前を冠した炒飯だけあります。実は、揚州で4箇所のレストランで炒飯を食べましたが、ここが一番私の舌には合いました。味付けがすこぶる良いのです。そして、ご飯の炒め方も少しパラッとした軽い感じで心地良いのです。実は炒飯が来てもあまり食べられないと思っていた私なのですが、何とどんぶり一杯分の炒飯を完食してしまいました。
本当に旨いです、盛宴炒飯。インターネット上でもこの盛宴炒飯を絶賛する書き込みが多いのですが、揚州ナンバー1の揚州炒飯です。このどんぶり一杯で10元(日本円120円。2011年9月現在。)というのは信じられません。 -
そして、私たちの炒飯への食欲を書きたててくれたのが、これ、寧波酸白菜です。いわゆる漬物です。すっぱ辛くて、その味が盛宴炒飯にぴったりなのです。これも合格です。
地元で人気ナンバー1のレストラン、盛宴。確かに安くて旨いです。今度揚州に行く機会があったら、もっと空腹のときに行きたい店です。この店の蟹黄鶏汁煮干絲も盛宴炒飯も私のお気に入りになりました。特に、盛宴炒飯は、何回も書いてしつこいですが、揚州ナンバー1の揚州炒飯と言って良い素晴らしい味でした。 -
グルメの話が続きます。今回の旅のテーマが歴史とグルメの旅ですから、やむを得ません。三日目の朝食です。
揚州の点心というと、どうしても富春茶社の名前が第一に挙がってしまいますが、富春茶社にも劣らない点心の店としては冶春茶社や冶春花園があります。
今回の揚州での滞在は二泊でした。朝食は二回食べられますので、一回は富春茶社で、もう一回は冶春花園でと、旅行の計画段階から固く決めていました。
冶春花園は写真の通り豪華な建物で、この付近一帯が「冶春」として国の保護地域になっています。レストランが開くまでの間、付近を散策してみましょう。 -
冶春花園は川に面して建物や回廊が巡らされていて、風光明媚な場所です。冶春花園のある場所は、清の時代に楊州の八大庭園の一つとされていた冶春の跡地で、清の康熙帝が揚州に訪れたときに川遊び(遊覧)をした舟も、ここ冶春を起点にしています。
その康熙帝が川遊びの舟に乗り込んだ場所とされている岸辺には、上の写真の通り沢山の舟が繋がれています。舟の先に見える建物群が冶春花園です。 -
中国版の屋形船、と言うか、中国の食事もできる遊覧船が日本に入ってきて屋形船になったのでしょうね。確かに、何人かで揚州に旅行に来たならば、こんな舟で川や運河を巡りながら揚州料理を味わいたいものです。
中国版屋形船にも普及タイプから高級タイプ、超高級タイプというように、何ランクもあるようで、窓ガラスつきや籐椅子形式など、様々な船があります。
そんなことを考えながら川沿いの道を歩くと、冶春花園への門(円洞門)に着きます。回廊や建物が清の時代そのままに残されています。なかなかの雰囲気ですね。 -
この時間は朝七時半です。レストランに向かう道からは、点心を作る厨房やそこで働く厨師たちをガラス越しに見ることができます。大きな蒸篭が次々と積まれていくのが見えます。私の食欲もいよいよピークに達しました。では、レストランに入りましょう。
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レストラン、冶春花園の店内です。室内は広く、またゆったりしています。朝7時半過ぎであればこの程度の混雑です。私が帰る8時半ごろになると、席もかなり埋まってきました。
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冶春茶社や富春茶社の場合は入口でメニューを見ながら立ったまま注文するのですが、冶春花園はレストランですので、まず席に案内されて(この時間ですと、どこでもどうぞと言われるだけですけど)メニューを見せられます。じっくりと各コースの内容を吟味して注文することが出来ます。
メニュー選びのポイントは3つあります。揚州に来たら必ず食べたい料理が3つあるからです。(写真上のメニューは2011年9月現在のものです。)
一つ目は蟹黄湯包が入っているか。30元のコースには湯包は行っていません。蟹黄包は蟹黄湯包とは違います。これで、30元コースは選択の対象外になります。次に、三丁包は入っているかです。これは、どのコースにも入っています。そして最後に蟹粉煮干絲が入っているかです。これは残念ながら50元コースにしか入っていません。
となると、ちょっと高いけど、50元コースを選ばざるを得ません。 -
朝一番に入りましたので、一人で入ったのですが、半個室のようなスペースで食事をすることができました。相席覚悟で来たのですが、これならゆっくりと朝食が楽しめます。富春茶社や冶春茶社では、どうしても大きなテーブルでの相席になってしまいますので、周りに気を使わないといけなくなるのですが、さすがにレストランである冶春花園は違いますね。(でも、遅く入ると大テーブルでの相席になりますのでご注意ください。)
待つことしばらくで、どどどっと小皿料理が運ばれます。そうですね、ここは茶社ではなくレストランなので、こういったものも出てくるのです。揚州でよく食べられている料理が多いようなので、この中から少し小皿料理をご紹介しましょう。 -
鶏汁燙干絲が出てきました。日本の冷やし中華のように見えますが、麺のように見えるのは干し豆腐を細切りにしたもので、これを鶏がらスープ、乾燥エビ、ごま油や塩などで和えた冷菜です。揚州名物の一つです。さっぱりした爽やかな味付けで、旨いですね。
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そして、続いて冷菜ですが、今度は豚肉の冷菜です。鎮江肴肉ですね、これ。
鎮江は、揚州から長江(揚子江)を渡ったところにある街で、上海から揚州に来るときに新幹線からバスに乗り換える街です。日本でも良く知られている鎮江香醋の黒酢が名産です。劉備が孫権の妹である尚香とお見合いした多景楼があったり、劉備と孫権が天下を収められるか石を切ったりした遺跡(試剣石)があることで有名です。
鎮江肴肉は、豚もも肉の塩づけハムで、私の大好物です。酒の肴としてよく注文しますし、今回の揚州旅行でも1回は食べたいとしていた料理です。ここ冶春花園の鎮江肴肉はさすがに本場に近いだけあって、ガツンという味です。肉の旨さが違います。鎮江香醋の黒酢をつけて口に入れれば、とろけるような味わいが広がります。1枚だけしか出ないのは、ちょっと残念です。 -
そんな感じで、多種多様な前菜を楽しんでいると、いよいよ料理が出てきました。
まず、蟹粉湯包です。まさに揚州点心を語るときに外せない一品で、大きな皮の中に蟹粉のスープが入っています。上の写真でお椀の大きさと比べてもらうと良いのですが、お椀の1.5倍くらいの大きさの湯包です。 -
イチオシ
湯包にはストローも付いてきますので、ストローを突き刺してチュルチュルと蟹スープをいただきます。熱々のスープ、スープ一杯の蟹粉、……、旨いです。至福の時間です。この贅沢な味をしばし楽しみます。
何と言ってもこれだけの大きさの湯包ですから、ストローでチュルチュル吸ってもなかなか飲み終わるものではありません。でも、全体が皮に包まれていますので保温性が高いのか、なかなかスープが冷めないところも驚きです。 -
湯包をチュルチュルしていると、今度は蒸篭に入った点心セットが出てきました。
揚州名物の包子は三丁包、野鴨菜包、豆沙包の三種類が入っています。これに、冶春蒸餃とこれまた揚州名物の千層油糕もあります。 -
イチオシ
まず、三丁包です。揚州点心の主役は包子です。香港や広州の点心では脇役にしか過ぎない包子は、揚州においては完全に主役です。包子の旨さの差が店の人気の差に直結します。揚州の包子は、その店その店の伝統の皮で包んだ逸品ぞろいです。皮自体の味も各店が競っていて、そうしたなかで味が切磋琢磨されてきているのです。日本で食べる肉まんのように、○○の肉まんは「肉が多い」とか「ピリッと辛味が効いている」とか、そんなレベルで競争しているのではありません。包子自体の皮のほんのりした甘さや、三丁包の餡の隠し味をどうするかといったレベルで、その店の伝統を守りつつ、お客さんの嗜好の変化に対応してきているのです。
三丁包を二つに割ってみました。三丁包は、鶏、豚とタケノコを賽の目切りにして餡にした包子(まんじゅう)で、滋養強壮にも良いとされている揚州名物です。中国では漢方の考え方により、食生活と健康が結びついていますので、旨くて健康に良い食べ物が今でも好まれます。
どうです、おいしそうでしょう。実際に美味しいのです。ここ冶春花園の包子ですが、富春茶社の包子よりもやさしい甘みやふっくら感もあって、私には合います。 -
今度は野鴨菜包を二つに割ってみました。これがまた、さっぱりした味で旨いのです。日本で肉まんや豚マンに夢中になっている人に食べさせてあげたくなる饅頭です。私の胃がもっと大きければ、もう一つ食べたくなるようなそんな美味しい饅頭です。
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そして、豆沙包、いわゆるアンマンです。中国のアンは月餅でよく食べるのですが、甘さが適度で食べやすいものが多いと思います。ここ冶春茶社のアンマンも合格です。
饅頭が3つあると、さすがにお腹が一杯になってきますが、味が異なる組み合わせが食欲をそそるのだと思います。また、やはり、包子自体の皮のほんのりした甘さ・旨さが違うのでしょうね。 -
イチオシ
点心を食べていると、最後の一品、蟹粉煮干絲が出てきました。同じ干絲(干し豆腐の千切り)でも、さきほどは燙干絲(和えた料理)、今回は煮干絲(煮た料理)です。しかも、今回は鶏がらスープにたっぷりの蟹粉を入れて煮てあります。これで旨くないはずがありません。もう、前菜から始まって、湯包でスープをしっかり飲んで、包子を食べたり蒸し餃子を食べたり、お腹がほぼ一杯になってきているのですが、これは旨くてやめられません。
豆腐は沢山食べてもお腹は膨れない、太らないとは言いますが、さすがにこんなに旨いものを最後の方に出されると、貧乏人の私としては食べ残したくないものですから、お腹が一杯になっても完食してしまいました。 -
さて、お腹が十二分に一杯になったところで、デザートです。
まず、点心セットの蒸篭にあった千層油糕です。これも揚州名物です。
横から見るとカステラみたいにも見えますが、実は一枚一枚の薄い皮が幾重にも積み重ねられている点心で、上から一枚一枚はがすこともできそうに見えます。ほんのり甘く柔らかいお菓子で、食後のデザートに最適です。
はっきり言って、食いすぎです。昨日でさえ富春茶社で食い過ぎたと思ったのに、橋はそれ以上に食いすぎです。これだけ一杯の品揃えで50元というのは、日本で考えると破格の値段です。しかも、それが美味いものばかりなのです。
冶春花園の朝食、揚州でイチ押しです。 -
今日は昼ごろに揚州を離れる予定です。揚州に来たら行ってみたい場所の一つが、鑑真ゆかりの寺、大明寺です。
大明寺は揚州市にある由緒ある寺で、日本へ仏法や戒律を伝えた高僧鑑真がこの寺の住職だったことで知られている寺院です。大明寺は痩西湖に続く蜀岡に建っていて、揚州市の市街地や痩西湖からタクシーなら5分ないし10分程度で行ける場所にあります。大明寺の山門の前には、上の写真のように大きな牌楼があり、奥には、九層の栖霊塔が見えます。高僧鑑真を生んだ寺院としての風格を感じさせる入口です。 -
大雄宝殿は大明寺の本堂に相当する建物です。「大雄」とは仏陀のことです。すなわち、大雄宝殿には仏像が安置されているはずです。清代に建てられた大雄宝殿は前後を回廊に囲まれ、正面間口三間、山荘の屋根を持つ立派な建物です。前の広場では観光客が炊く線香の煙が絶えません。
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大雄宝殿内の仏像です。この仏像が釈迦牟尼仏坐像、即ち仏陀であり、また中国語で 「大雄」とも呼ばれる像です。穏やかな表情をした仏像で、思わず心を惹きつけられてしまいます。
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大雄宝殿から栖霊塔に向かいます。
栖霊塔は隋の時代に建てられた九層の塔が始まりで、その頃は仏舎利が供養されていたそうです。隋や唐の時代には、京杭運河の活用により揚州が栄え、全国でも有数の大都市となったことから、李白や白居易をはじめとした唐時代の有名な詩人たちが揚州を訪ねていますが、彼らの漢詩の中にも栖霊塔が出てきます。鑑真がこの寺の住職をしていたのもこの時代です。
しかしながら、その後、栖霊塔は唐代に火事で焼失し、その後宋の時代に再建された栖霊塔も明代の末期に戦乱で消失してしまうという歴史を辿っています。このあたりが、交通の要衝で戦火に巻き込まれやすい揚州の地理的性格を現しています。
その後何百年にも渡り再建されなかった栖霊塔が再建されたのは1996年です。現存する九層の栖霊塔は高さ70mあり、各階には日本から送られた国宝も含め、沢山の仏像が祭られています。 -
鑑真記念堂は鑑真の逝去 1200 周年を記念するために建てられたもので、建築全体のスタイルは唐の時代の建築様式を参考にして、1973 年に完成されたものです。鑑真は日本滞在中の10年間に、戒律制度を整備確立させ仏教の普及に多く貢献する一方で、書道・建築・彫刻・薬学など幅広い知識をもたらし、日本文化にも大きな影響を及ぼしています。
そうした意味で、今の日本人にとっても鑑真は大変な恩人であり、揚州に来たならば、一人の日本人として、ここはしっかり見ておきたいところです。 -
鑑真記念堂に安置されている鑑真の坐像です。この鑑真の坐像は日本から送られたもので、ガラスケースの中に大切に安置されています。そもそも「大明寺」という名前は、清の乾隆帝が「大明」(清の前の「明」に大の字が付いているため)という文字を忌み避けるため、「法静寺」という名に変わっていたのですが、 1980 年、鑑真の坐像が日本から帰省してきたことをきっかけに、「大明寺」と元の通りにしたという逸話もあります
ここで、鑑真の生涯について触れてみます。中学生や高校生の頃はよく知っていたのですが、こんな生涯でした。
鑑真は唐時代の垂拱4年(688年)に現在の揚州市に生まれ、702年に出家、律宗・天台宗を学び始めました。その後、大明寺で住職となり、住民に尊敬される存在だったそうです。唐時代の天宝元年(742年)、大明寺住職であった鑑真は、日本へ仏法及び戒律を伝えてもらいたいとの遣唐僧の栄叡と普照からの熱意ある要請に応じて渡海を決意し、翌年から日本への渡海を試みます。その後、鑑真は様々な苦難に遭遇し、11年間、5度の渡海に失敗します。悲願が達成されたのは6回目の渡海で、天宝12年(753年)に日本に到着、最初の渡海の試みから12年目のことでした。鑑真が失明したのは5回目の渡航後であり、それにもかかわらず志を曲げず6回目の渡航に挑み、ようやく渡航に成功したという経緯にあります。
その後鑑真は戒律制度を整備確立させるとともに、唐招提寺を建立し律宗の伝授に努めるなど、日本で入寂(亡くなった)されるまでの10年間、当時の日本に大きな影響を及ぼしたのでした。 -
鑑真記念堂にある遣唐使船の模型です。当時の船は風任せですので、日中間の渡海の成功の確率は大変低いものでした。
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唐招提寺から送られた鑑真記念堂前の石造りの提灯の土台です。下の写真に提灯の全体が映っています。この提灯を大明寺のホームページは次のように紹介しています。
中国の温家宝首相は 2007 年 4 月 の日本の国会で「友誼と協力のために」という題でスピーチを発表したなかで、「揚州大明寺鑑真記念堂には石造りの提灯がある。それは日本唐招提寺森本孝順長老から送られ、長老自ら火をつけたものである。日本唐招提寺にあるもう一つの提灯とは対になったのである。その一対の提灯の火は今でも燃えており、遥かながらも呼応していて、消えたことはない。それは日中両国人民の世代の友好に光明たる前途が迎えられることを象徴しているではないか。」と言っていたそうです。 -
鑑真の功績に思いを致し、世代を超えた日中友好の証である提灯を見ていたとき、大勢の僧侶が鑑真記念堂に入ってきました。これだけ多くの僧侶、しかもいかにも仏の道を究めたような名僧らしき方々が入ってきますと大変な迫力があります。
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法要なのでしょうか。延々と中国語のお経が流れます。50人くらいの僧が声を合わせているので大変な迫力です。
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中央に鎮座する鑑真の坐像をはさみ、素晴らしいお経の響きに、しばらく我を忘れ聞き入ってしまいました。勿論、中国語のお経は全く理解できない私ですが、その荘厳な響きは今も耳に焼き付いています。
いよいよ、これで揚州とはお別れです。観光・グルメ両面で、揚州はなかなか魅力的な街です。ぜひ、沢山の日本人に訪ねてもらいたい街です。揚州については、私のHP「アジア写真帳(揚州)」で詳しく紹介していますので、、ぜひ参考にしてください。
いよいよ、次回は、蘇州編です。
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