2011/05/04 - 2011/05/08
773位(同エリア1012件中)
そんざーさん
今回は、揚州から蘇州への移動と、蘇州での最初の訪問先、拙政園について紹介します。
ちなみに、今回の旅行日程はこんな感じでした。
<1日目>
中国の労働節(ゴールデンウィーク)に予約なしで和諧号に乗れるかという不安。
グルメの街、揚州のホテルで食った揚州炒飯。
<2日目>
富春茶社での揚州点心。特に、蟹粉湯包は絶品。
个園、何園という揚州を代表する庭園の見学。
清の康熙帝のために整備したといわれる痩西湖の見学
地元の人気店、盛宴での夕食。
<3日目>
老舗の冶春花園で、豪華な揚州点心コースを満喫。
鑑真のふるさと、揚州・大明時の見学。
(蘇州へ移動)
拙政園、留園を、もう4度目なので駆け足で見学。
蘇州料理の老舗、松鶴楼で蘇州料理を堪能。
<4日目>
バスで同里へ移動し、同里古鎮を散策。
同里古鎮にある古典園林、退思園を見学し、大感激。
バスで蘇州へ戻り、蘇州市茶葉市場で中国茶を大量に購入。
乞食鶏で名高い王四酒家で、看板料理の乞食鶏の夕食。
<5日目>
バスで木涜古鎮へ移動し、古鎮を散策。古松園等の見学。
私の大好きな蘇州麺専門店、朱鴻興麺館の蟹粉麺で昼食。
蘇州から直通バスで浦東空港へ移動し、日本への帰国の途へ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
揚州から鎮江へは、バスと中国新幹線の和諧号を乗り継いでいきます。他には、長距離バスで乗り換えなしに行く方法もありますが、短い旅行期間で時間を効率的に使うためには、若干のコスト増はやむを得ません。
ホテルから鎮江行きのバスが出る揚州汽車西站まではタクシーで行きます。もちろん公共バスで行くこともできますが、揚州のタクシー料金(基本料金7元、2011年5月現在)を考えれば、タクシーを選択したくなります。
揚州汽車西站から鎮江行きのバスは15分に1本くらいは走っていますので、待たずに鎮江行きバスに乗れます。揚州から鎮江までのバスの所要時間は約1時間です。 -
鎮江から揚州まで、中国新幹線和諧号の乗車時間は40分くらいです。(例の温州の大事故以来、最高速度を350kmから300kmに落としましたので、9月に行った時は50くらいかかっていました。)
なお、この旅行に行ったときは自動販売機で指定券も含めて切符を買えたのですが、例の大事故以降は、外国人は自動販売機で買えなくなりました(中国の身分証明書番号がないと買えない。)ので、窓口で買う必要があります。中国語のできない人は次のように紙に書けば、窓口で購入できます。
「到○○ △張」(○○に行き先、△に枚数)
発車時間(「開車」と書きます。)まで書くと良いと思います。また、1等車と2等車の料金は大して違わないので、お金に余裕のある人には1等車をお勧めします。1等車は「一等車」で通用します。日本ではグリーン車と呼ぶからといって、間違っても「緑車」などと勝手な漢字を書かないようにしてください。 -
蘇州駅に着いたら、タクシーでホテルに行きます。もちろんバスで行くこともできますが、荷物が大きい私の場合、タクシーを使います。
蘇州では、石路エリアにあるホリデイイン・ジャスミン蘇州(蘇州茉莉花暇日酒店)が私の定宿です。石路辺りではあまり高い建物がありませんので、目立ちます。このホテルは屋上の方が三角形になっているので、遠くからでも目立ちます。このホテル、サービスも水準以上ですし、レストランの松鶴楼(前の旅行記で紹介しています。)の料理も旨いですし、もちろんセキュリティや衛生面も万全ですから、私は気に入っています。
さあ、ホテルに荷物を置いて、いざ、拙政園と留園に出かけます。 -
古都蘇州の目玉は、何と言っても中国庭園です。蘇州古典庭園、蘇州古典園林などとも言われます。
蘇州の庭園の代表格は何と言っても拙政園です。
拙政園の特徴は、第一に5万haの広さを持ち、蘇州最大の庭園であることです。留園が2万haですから、留園の倍以上の広さということになります。そして第二に、その5万haの約60%が池になっていることです。ですから、拙政園は自然や水を取り込んだ優雅でのびのびとした雰囲気を持つ庭園で、明代庭園の典型例だとも言われています。
拙政園は、明代正徳4年(1509)に官界に失望した御史王献臣が故郷に戻り、唐時代に建てられた邸宅や元時代の寺院跡地に庭園を建造したのが始まりだとされています。拙政園は大きく東・中・西に分けられており、東園は緑が多く伸びやかで、中園は水や花と建物が優雅に融合していて、まさに自然の美・豊かさが感じられます。西園では水辺の雰囲気と池の周囲の豪華な建物が見ものです。 -
拙政園を見るときに最も気をつけなければならないことは、5万haというその広さです。その5万haの庭園は、東園、中園、西園の3つで構成されているのは既に書いた通りですが、拙政園の良さ、拙政園の見所というのは中園に集中してます。ところが、拙政園の入口は広い東園の一番端にあって、東園だって公園のように伸び伸びした気持ちの良い庭園なものですから、とかく日本人は入口近くにある東園から精力的に見学して、中園に着く頃には疲れきってしまうなどということもあるようです。
私は今回が5回目の拙政園の回遊ですので、ポイントを突いて拙政園を回ります。それでも二時間くらいかかるのです。具体的には、中園を中心に見学します。
拙政園の魅力というのは、自然との融合にあります。拙政園が中国四大名園とされているのは、その広さを評価しているのではなく、自然との融合、すなわち山水の景観にあります。その自然との融合や山水の景観とは、まさに中園の持つ性格で、中園があるからこそ、そして中園の構成力が評価されているからこそ、中国四大名園の名声を受けているわけです。 -
蘇州古典園林(中国庭園)を日本人にもっと理解してもううためには、言い換えれば好きになってもらうためには、見学の方法や見学のポイントを伝える必要があると思い、私は「蘇州古典園林の魅力」というHPを立ち上げています。興味があれば、そのHPを見てください。
さて、旅行記に戻ります。私流の拙政園見学コースは、以下の通りです。
1.中園を中心に見学する。
何周でも気が収まるまで中園を回る。
西園はついでに見る感じ。
東園は時間が余ったら見る。普通は通過するだけ。
2.中園見学は遠香堂を起点にする。(写真は遠香堂。)
遠香堂から枇杷園を抜けて、時計と反対周りに回る。
島を渡って見山楼を見て、香洲から遠香堂に戻る。
3.中園を一周後、中園にある様々な脇道や橋を歩く。
様々な角度から拙政園の中園を鑑賞する。
この考え方に沿って、今日はコンパクトに拙政園を回ります。なお、上の地図はクリックすると拡大されますから、参考にしてください。 -
もともと拙政園の入口は、中園の遠香堂の南にありました。今は出口として使われているところに入口があって、建物を抜けると大きな岩山があり、その岩山を越え、橋を渡ると遠香堂です。建物や通路を抜けて最初に見せる拙政園の姿が遠香堂だったようです。
庭の設計者である王献臣は、客人に自分の庭を案内するに当たって、遠香堂を起点としたわけです。私が遠香堂を起点に中園を見学すべきという考え方は、こうした庭園設計のコンセプトから来ているものです。
写真は、対岸の小島の雪香雲尉亭から見た遠香堂です。 -
中園の遠香堂は、四周が見えるようにガラスが多用されている建物です。
これも、今もかつてと同じように周りが見えるようにしているという王献臣の意思表示とも受け取れますし、社会に対して今後とも鋭い視線を向けていくとの王献臣の姿勢を表しているのだという人もいます。
遠香堂の内部です。ガラス張りの窓ですから、大変明るいですね。窓ガラスが花窓のデザインになっていて、一つひとつの窓が額縁のように外の景観を見せています。大変に凝った造りだと思います。 -
遠香堂前の平台(へいだい)です。平台というのは石でできた平らな台で、通常眺めが最も良い所に設置されます。この遠香堂前の平台は池に面して設置されていますので、蓮の花が咲く時期になると、蓮の芳しい香を感じながら、蓮の花を眺めることができます。庭の主人としては、夏こそ、この平台からの眺めを自慢したかったに違いありません。
池の向こうの築山にある建物は、雪香雲尉亭です。中園の池の中の小島がそのまま築山になっているものです。蓮の花が広がる夏は特に、ここからの眺めが良くなるのですが、5月の上旬だとこんな感じです。 -
平台から池越しに見る雪香雲尉亭と見山楼(左奥の建物)です。
蘇州にある他の庭園と比較しても、これだけ自然を多く取り込んでいる所はないと思います。蘇州の他の庭園では、特に網師園や芸圃などがその代表例ですが、むしろ小庭園で建物や山水にいろいろと変化をつけて見る人を楽しませる工夫が感じられます。これに対して拙政園では、自然の中に建物、回廊や橋などを溶け込ませています。
拙政園の魅力が、自然との融合、とりわけ山水の景観にあると言われるのは、このような他の蘇州庭園との比較からも来ています。
こんな風に、遠香堂とその前の平台だけでも見所が多くて、私としては何回見ても拙政園という庭園に新たな発見を見つけます。だから見学に時間がかかるのです。 -
さて、平台から時計と反対周りに回ってみましょう。まず見えるのが小高い丘とその上の亭です。繍綺亭です。繍綺亭は沈む太陽を見ながら、あるいは、月を見ながら歓談する場所として使用されていました。月が他の建物の陰にならないように、少しだけですが高台に建てられています。
繍綺亭は沈む太陽を見ながら、あるいは、月を見ながら歓談する場所として使用されていましたので、壁の少ない構造になっています。「翠晩丹暁(青緑色の晩、朱色に染まる朝)」という字が額に書いてあります。空窓の先には木が茂っていて、この木々や葉が太陽や月の光に染まる様子を書いたものでしょう。
空窓は東に向いていますが、樹木で視界がありません。昇る朝日を楽しむ場所ではなかったようです。 -
繍綺亭から北を見てみます。
中園の池や梧竹幽居方面が見えます。この辺りが西陽に紅く染まり、あるいは、月の光に照らされて幻想的に見えるのでしょうね。 -
繍綺亭の左に円洞門があって、この中は枇杷園と言われています。枇杷園は雲牆(うんしょう。雲の様にうねっている牆壁)に囲まれた人工的な空間で、自然の山水を楽しむ拙政園、特に中園の中にあって、異質な存在です。枇杷園という名は、この円洞門を入ってすぐにある枇杷の木から命名されたそうです。
この円洞門からを入って、枇杷園の中から外を見ると、すなわち枇杷園から池の方を見ると、自然の明るさ、自然の生き生きとした姿が楽園のように見えてきます。
蘇州の庭園には、内庭(建物や壁に囲まれた庭)というものが必ずあるのですが、これだけ広い拙政園でも、内庭として造られているのは枇杷園だけだと言っても良いと思います。枇杷園には、拙政園の特長である「自然の山水」を引き立たせる役割を持たせているのではないか、などと設計者の意図を想像してしまいます。 -
枇杷園にある海棠春塢の前庭です。中央にオブジェがあります。太湖石の左に竹が植えてありますが、右は何の木でしょうか。海棠の一品種なのでしょうか。海棠春塢の前庭は回廊と壁に囲まれた狭い空間なのですが、鋪地(日本でいう敷石)が敷き詰められ、このオブジェが中央に据えられています。簡素ですけれども、凛とした美しさが感じられます。
ここで、枇杷園の位置づけについて、設計者の心、所有者としてのもてなしの心で考えてみます。遠香堂では孤高の精神を示しながら自分の立場を威勢を張って見せていたものが、枇杷園では、建物、装飾、内庭、どれをとっても質素になっていています。これは、自分の置かれた境遇というものを示したかったのに違いありません。こうして客人に、自分の立場、自分の境遇を理解・共有化してもらうことが、この枇杷園の設計趣旨ではないでしょうか。
枇杷園を出ると、いよいよ拙政園の自然景観が始まります。 -
枇杷園を抜けて、中園に戻ってきました。中園の東半亭付近になります。拙政園の中園の池は東西に長く伸びていて、東の端に東半亭が、西の端に西半亭があります。
左の短い石橋は倚虹橋という明代に作られた石橋です。正面に見える円洞門を持った建物が梧竹幽居です。 -
イチオシ
東半亭から見西半亭方面を見たところです。天気が良いと、上の写真のように、九層の北寺塔が見えます。これが「借景」といわれる技法で、庭の外にあるものを庭の景色の中に借りるという技法です。王献臣は拙政園を設計する際に、この北寺塔を「借景」として使うことを考え、その間を池にして木々で覆われないようにしたわけです。
北寺塔といえば、明の時代から、蘇州では最も賑わっていたエリアです。設計者である王献臣は、客人に対して北寺塔を見せることでその賑わいを想像させ、北寺塔との対比のなかで拙政園の静かさをより強調したかったのかも知れません。言い換えれば、世俗と仙境(別世界)という風に、対比をさせたかったのかも知れません。
この「借景」は日本でも有名ですが、枇杷園を出てすぐの所から見るからこそ、特別な意味が出てくるのです。
枇杷園で自分の置かれた立場・境遇を見せた王献臣が、この北寺塔の借景を見せた後には、仙境としての拙政園を見せることになるのです。 -
イチオシ
拙政園、中園の池の東側に建つ梧竹幽居と回廊です。
この梧竹幽居という建物は、四方に丸い開口部があるユニークな建物ですが、伝統的な中国庭園のパーツである回廊や池との調和が美しく、拙政園のなかでも私が最も気に入っている建造物です。 -
梧竹幽居です。四方に円洞門があります。円洞門は梧竹幽居にとって、採光面でも必要ですが、むしろ庭を見るときの額縁効果が高いのではないでしょうか。正面に池、左に枇杷園、右に橋と回廊を、それぞれ見ることができます。
枇杷園から歩いてきて、北寺搭の借景を見て、中園の池の風情を楽しむために、梧竹幽居で一休みといった歩き方が想像されます。
当然私も、ここで一休みして、円洞門の額縁から見える拙政園を楽しみました。座る席が変わると、額縁の中の景色も変わりますから、結構飽きないんです。 -
梧竹幽居のすぐ横には石橋があって、中園の池に浮かぶ島と結んでいます。北寺搭借景で世俗と仙境(別世界)を対比させたうえで、この島に渡ることで、仙境としての拙政園の素晴らしさを印象付けるという設計者の心憎い意図が感じられます。
梧竹幽居でしばし休みをとったので、軽快に橋を渡ります。
写真で雰囲気を感じていただけると嬉しいのですが、橋から続く道は池の小島の自然の中をすすんでいきます。左側に建物が並ぶ対岸が見えますが、何故かこれが遠く感じるのです。対岸といっても20mくらいしか離れていないのに、何故か遠く感じます。また、時間的にも随分前にあの建物群の中の遠香堂にいたなあなどと感じてしまいます。これは、枇杷園でうねうねと回廊などを巡ってきたせいでしょうか。
拙政園の見学は、「遠香堂を起点として時計と反対回りに」という私の考えは、この橋を渡るときの感動の違いを産むのです。もし、入口のある東園から歩いてきて、借景を見て、この橋を渡って池の小島に渡ったとしても、「中国庭園らしくて綺麗だな」とは感じますが、拙政園の心は理解できないということです。 -
島の中はまさに自然そのままで、遠香堂から梧竹幽居まで、歴史や風格を感じさせるとはいえ、人工的な建築空間を歩いてきた人にとっては、まさに自然の静寂の中に身を置く感じです。何かすがすがしい気持ちになって写真を撮りたくなる、そんな気分にさせてくれる場所です。
これが、山水の景を主題とする拙政園の一つの特長です。 -
二つ目の島の山頂にある雪香雲尉亭です。「雪香」とは梅の花を意味し、「雲尉」は霞を意味します。名前から推測すると、霞の中に梅の花が咲いているそんな情景が目に浮かびます。静寂の中の静寂といいますか、世俗から逃れたような気持ちになれる場所ということなのでしょうか。
柱に詩が刻まれていて、「蝉噪林宜静 鳥鳴山更幽」と書いてあります。「蝉が騒いで林はまさに静かである。鳥が鳴いて山はますますひっそりとしている」という意味です。この詩は拙政園建設のときから変わっていないのでしょうから、この詩には拙政園の設計者である王献臣の気持ちが表されているといえます。別の言い方をすれば、拙政園に来た人には、ここ雪香雲尉亭でこの詩のような気持ちになってほしいということだろうと思います。 -
雪香雲尉亭から遠香堂を見たところです。池を挟み、眼下に遠香堂を見下ろすことができます。
私は、遠香堂を起点として、枇杷園、東半亭や梧竹幽居を通り、橋を渡ってここ雪香雲尉亭までやってきました。遠香堂で王献臣の孤高の心を感じ、枇杷園で不毛の時代における王献臣の置かれた境遇を知らされ、東半亭で北寺の借景の中に世俗と仙境(別世界)の相違を教えられ、島の中で仙境(別世界)を感じ取ったような気分になってきました。
ここ雪香雲尉亭では、隠者として生きていく力、言い換えれば、中央から距離を置きつつも心と目は社会を向き、時節が来ればまた再起をしようという熱い志が湧いてくるような気がします。「蝉が騒ぎ林はまさに静かである。鳥が鳴いて山はますますひっそりとしている」という詩にあるような達観した心構えが生まれてくるような気がします。
拙政園の名の由来を考えると、拙政とは「愚かな者が政治をしている」という意味です。限られた人生のエネルギーを、そうした不毛の時代に消耗させるのではなく、むしろ時節の到来を待とうという気持ちが、まさに自分にとっても望ましい生き方のではないかと悟ったわけです。 -
雪香雲尉亭から山を下ると、遠香堂方面からの橋と見山楼へ向かう橋の間に荷風四面亭があります。この建物は中園見学で歩く通路の要衝のような場所に建っていますが、島の端に建っているので、山から荷風四面亭に下りてくると視界が一気に開けてきます。荷風四面亭から見る拙政園の風景は素晴らしいものがあります。
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スケッチをしているおじさんがいました。とても綺麗なスケッチです。彼はよく拙政園にスケッチに来ているとのことでしたので、広い拙政園の中でおすすめの場所を聞いてみました。私も一緒に教えてもらいました。
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スケッチおじさんの場所から見た見山楼です。白い花と石橋もアクセントになって、ますます美しい見山楼です。見山楼はその独特なデザインから、どこから見ても美しい建物だとは思いますが、ここ荷風四面亭付近からの見山楼は、とりわけ美しいと私は感じています。
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荷風四面亭から見山楼や西半亭(別有洞天)などをつなぐ五曲橋です。この橋を渡って、回廊を右側に進めば見山楼です。
五曲橋から回廊、見山楼や香洲の一帯は、拙政園の中でも最も明るいイメージがあります。広々とした空間もさることながら、建物をはじめとした建造物のデザインが洗練されていることも明るく感じさせる原因なのかもしれません。 -
イチオシ
自然と建造物が違和感なくまさに調和しているのも、この一帯の特長です。写真は五曲橋越しに見山楼を見たところです。右の木の裏に荷風四面亭も見えます。池にせり出している黄石の岬も自然です。太湖石を多用し建物や装飾も豪華絢爛な留園とは異なり、まさに自然な山水の景を楽しむ庭園が拙政園です。
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イチオシ
北西に向かう橋から見た見山楼です。こちらから見た見山楼も良いデザインです。
見山楼は中園の北の方にあるのですが、三方を池に囲まれていることもあって、どこからでもよく見えます。遠香堂からも、雪香雲尉亭からも、荷風四面亭からも、五曲橋からも、香洲からも、中園の至る所から見ることができます。その逆に、見山楼も拙政園のあちこちを見渡せる位置にあります。かつては見山楼の二階から蘇州の街が見渡せたとも言われています。
見山楼という名前は、晋の詩人、陶淵明の飲酒詩二十首之五の「采菊東籬下 悠然見南山」から採ったとされています。
結廬在人境 盧(いおり)を結んで人境に在り
而無車馬喧 而(しかも)車馬の喧(かまびす)しき無し
問君何能爾 君に問う 何ぞ能く爾(しか)るやと
心遠地自偏 心 遠ければ 地 自(おのず)から偏たり
採菊東籬下 菊を東籬(東の垣根)の下に採り
悠然見南山 悠然として 南山を見る
山氣日夕佳 山気 日夕(にっせき)佳なり
飛鳥相與還 飛ぶ鳥 相與(ともに)に 還る
此中有眞意 此の中に 真意有り
欲辨已忘言 弁ぜんと欲して 已に言を忘る
陶淵明の飲酒詩は、酒をテーマに書いた詩ということではなく、むしろ酒を飲みながら人生を語るといった内容の詩です。この内容は、日本語では次のように解されています。
いおりを構えているのは、人里の中。
しかもうるさい役人どもの車馬の音はきこえて来ない。
よくそんなことがありうるものだね、と人がいう。
こせこせした気持ちでいないから、土地も自然とへんぴになるのさ。
東の垣根に菊を折り取っていると、ふと目に入ったのは南の山、
廬山の悠揚せまらぬ姿、それをわたしはゆったりと眺めている。
山のたたずまいは夕暮の空気の中にこの上なく素晴らしく、
鳥たちがうちつれてあの山の塒(ねぐら)へと帰ってゆく。
ここにこそ、何ものにもまとわれない人間の真実、
それをねがうものの姿が、私にはよみとれる。
が、それを言いあらわそうとしたその時には、もう言葉を忘れてしまっていた。
見山楼を作った王献臣の心と合い通じるものをこの詩に読むことができます。王献臣が「見山楼」と名づけた理由がよく分かりますね。 -
見山楼を北東から見たところです。
この角度から見ないと分からないのですが、見山楼の二階に柳隠路曲から来る回廊がつながっていて、なだらかな勾配の回廊が続きます。見山楼の二階は眺めが良いと書きましたが、見山楼は建物の中に階段のない特殊な構造になっていて、二階へはこの回廊からしか行けません。私も行ったのですが、今は、二階に入れなくなっていました。 -
見山楼の二階から伸びる回廊を柳隠路曲と呼びます。上の写真で奥に見山楼の二階が見えて、そこから回廊が軽い勾配で下っているのが分かると思います。花窓から柳隠路曲を見たところです。
見山楼の二階から続く回廊は、最初は西に直線的に進み地表部分まで下ると、そこから左に曲がって西園の入口である西半亭まで続きます。柳隠路曲の回廊は、途中でいくつも枝分かれしていて迷路のような構成です。 -
香洲です。正しくは、一階を香洲と呼び、二階部分を澂観楼(ちょうかんろう)と呼びますが、建物全体を呼ぶ際にも香洲とするのが一般的です。拙政園〔3〕でも記載した通り、香洲は、画舫(がぼう=屋形船)をイメージした建物で、不繋舟とか石舫とか呼ばれることもあります。
画舫というのは、神仙蓬莱思想の中の「始皇帝と徐福の不老不死の薬」の話から来ているということを何かの本で読んだことがあります。すなわち、秦の始皇帝の政治が厳格すぎたため、これから逃れようとする山東の学者、徐福が始皇帝に取り入り仙人探し、不老不死の薬探しのため、大きな船を建造させ、秦の国から逃げたという話です。
要は、画舫というのは、仙人たちが住む島へ旅立つための舟をイメージしているわけで、世俗から逃れ隠遁することを現しています。 -
香洲から遠香堂に行く途中に、小さな建物が集落のように軒を連ねているエリアがあります。ここには、小飛虹という美しい橋や得真堂、松風水閣といった建物が軒を連ね、また、狭い空間から見える池が大海原を想像させることから、あたかも港の集落のようなイメージです。香洲が舟を模っていることはすでに述べたとおりで、その仮想船着場近くの港町という感じです。
-
イチオシ
上の写真が小飛虹という有名な橋です。ご覧の通り、珍しい屋根つきの橋で緩やかな傾斜がとても美しい橋です。屋根の緩やかな傾斜も芸術的ですし、橋の欄干、特に水に写る欄干の傾斜も見事と言うしかありません。設計者のセンスの良さを感じないわけにはいきません。
また、この写真では分からないのですが、小飛虹から見る池と見山楼の美しさも印象的です。この写真では、小飛虹の奥に見山楼の一部が見えます。 -
上の写真は松風水閣です。池に流れ込む川の上に建っています。松風水閣や回廊が、川岸の石や緑と調和していて、独特の景観を見せています。このエリアの回廊でたたずんだり、池を眺めたりしていると、何故か心が和む気がします。
この回廊は池畔にある倚玉軒まで続いています。倚玉軒まで来れば、中園一周コースのスタート地点である遠香堂はすぐ隣です。 -
中園を一周したら、慌しく西園を見に行くのもいいですが、むしろ茶室でゆったりとした気持ちで今歩いてきた拙政園の中園を振り返るのが良いと思います。茶室は倚玉軒から今来た回廊を小滄浪の方へ戻り、そこからさらに南に回廊が続いていますので、そのまま歩くと矢印の看板が出ています。
茶室では、若い男女が演奏中です。この二人は蘇州評弾を聞かせてくれます。蘇州評弾は中国琵琶と三弦(中国三味線)を演奏しながら、故事を歌い奏でるというものです。しかし、今日は白人の外人さんのリクエストで一般の流行歌も歌ってました。ちょっとイメージが壊れてしまいますね。
さて、茶楼でお茶を飲みながら、落ち着いた気持ちで今後の計画を立ててみましょう。
中園を一周してきたわけですが、この後時間があれば、より細部に気を配りながら、さらに中園をもう一周するのが良いと思います。一周目では通らなかった橋、道、回廊を通ったり、立ち止まらなかったところで立ち止まったり、振り返らなかったところで振り返ったりしてみると、一周目では見えなかった拙政園が見えてきます。ただ、この日は時間があまりなかったので、お茶を三杯くらいゆったりと飲んだ後、西園に向かいました。 -
茶室近くの鋪地(敷石)です。珍しい鶴の絵です。鋪地まで気にして拙政園を見学したら、どんなに時間があっても足りません。たまに鋪地を見ているだけでも、驚かされることがしばしばです。
では、拙政園の中園の紹介はこれくらいにして、次は西園に行きます。 -
西園のうち、回廊と扇亭、そして倒影楼に囲まれた一帯は、中園と同じような風格です。すなわち、山水の景を生かした庭園ということです。上の写真は中園と西園を区切る回廊沿いに広がる西園の池です。回廊が上下左右にくねくねしていることから波状回廊などとも呼ばれることがあります。
-
扇亭です。正しくは、扇亭と傘亭です。
扇亭は、扇の形をモチーフにした建物で、建物も扇型ですし、空窓も扇型です。波状回廊とは池を挟んで対峙していますが、扇亭が上の写真のように見えるのは、そのうち、ある地点だけです。 -
実は、前の写真で屋根のてっぺんにある扇の要のように見えるものは、扇亭の背後にある傘亭の屋根部分なのです。したがって、扇亭の屋根と傘亭の屋根が一直線になるところから見ないと、前の写真のような扇亭にならないということです。
なかなか凝ったつくりですし、遊び心を感じさせます。 -
鴛鴦館は西園の中心的な建物です。宴会などにも使われた建物で、豪華なつくりとなっています。建物が一部池の上にかかって建てられているのも一つの特徴です。
鴛鴦館(えんおうかん)は、いわゆる鴛鴦式の構造、すなわち、上の写真のように室内が南北に仕切られている構造になっています。北側を三十六鴛鴦館、南側を十八曼陀羅花館と呼びます。
拙政園のホームページを見ますと、北側の部屋が夏用として、南側の部屋が冬用として使われた旨の説明が記載されていますが、私の理解では、鴛鴦式の構造というのは、部屋が男女によって使い分けられていたとばかり思っていました。そもそも鴛鴦の「鴛(えん)」はオスのおしどりのことで、「鴦(おう)」はメスのおしどりのことです。ですから、鴛鴦館というのは室内が二つに仕切られていて、一方は男性に、もう一方は女性という使い分けをするものだとばかり考えていました。もっとも鴛鴦式の鍋といえば、鍋の中が仕切られていて二種類のスープ(例えば辛いスープと辛くないスープ)が楽しめる鍋をいうので、オス、メスという区別はなくなっていますが。 -
北側の三十六鴛鴦館です。この曇りガラスが建物を南北に仕切る衝立の役割を果たしています。曇りガラス越しに、反対側の十八曼陀羅花館の置物や窓が少し見えます。
この鴛鴦館は、建物外部はそれほど豪華に見えませんが、中の調度品はなかなか見事なもので、ある意味、拙政園らしくない、こってりした内装です。
拙政園は王献臣が建てた後に、分割して譲渡されながら所有者が転々とし、西園の部分は清の時代に葉氏という豪商の手にわたったとされていますが、鴛鴦館などはこの葉氏の時代の修復により、この成り金趣味の建物に変身したのではないでしょうか。 -
鴛鴦館を見下ろす丘の上に建つ、八角形の二階建て建物が浮翠閣です。適度に小ぶりで瀟洒なフォルムをしています。木々に覆われるとともに草が生い茂る中に建てられ、緑の中に浮かぶように見えることから、浮翠閣と名づけられたようです。
浮翠閣の造り方からすると、おそらくは書房として使われたのではないかと思われます。山の上で静かに書物に読みふけることができたことでしょう。 -
西園をぐるっとまわって、中園経由で出口のある東園へと向かいます。
写真は、西園から中園に入る北側の円洞門です。円洞門の先に、左側に竹林、右側に池が広がり、その先が見山楼になります。見山楼を北側から眺めながらさらに直進すれば、やがて中園から東園へと入ります。 -
東園は、中園と西園をあわせた面積より広くて、広々とした緑の公園といった雰囲気です。
上述の通り王献臣の死後、拙政園は分割されて譲渡されていますが、東園は真っ先に分割されて、中園や西園とは異なる歴史を辿りました。戦後に拙政園が蘇州市によって整備されたときも、まず、中園と西園が1956年に整備され公開されましたが、相当に荒廃していた東園については1959年の公開となっていて、しかも、当時の建物はいくつか残しているものの、現代風の公園にしてしまいました。
したがって、中国庭園としてはあまり見るべきものはありません。
こんな風に拙政園を効率よく回ったものの、二時間かかりました。これから、さらに留園へと向かいます。拙政園については、私のHP「蘇州古典園林の魅力」で詳細に紹介しています。興味があれば、そちらをご覧ください。
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