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今回の5日間の旅行では、揚州で2泊後蘇州に入り、今日は蘇州の二日目です。<br />今日のテーマは、同里古鎮に行き、水郷古鎮の街歩きを楽しむとともに、素晴らしい庭園との評価が高い退思園を見学することにあります。<br /><br />初めて行った退思園、期待を大きく上回る素晴らしさで、感動しました。今回の旅行の一番の収穫は、この退思園を見学できたことだと思います。拙政園や留園のような大庭園とはまた異なる魅力で一杯の庭園でした。

蘇州、同里と揚州、古典園林を巡る旅(その8、同里と退思園)

8いいね!

2011/05/04 - 2011/05/08

363位(同エリア954件中)

0

37

そんざー

そんざーさん

今回の5日間の旅行では、揚州で2泊後蘇州に入り、今日は蘇州の二日目です。
今日のテーマは、同里古鎮に行き、水郷古鎮の街歩きを楽しむとともに、素晴らしい庭園との評価が高い退思園を見学することにあります。

初めて行った退思園、期待を大きく上回る素晴らしさで、感動しました。今回の旅行の一番の収穫は、この退思園を見学できたことだと思います。拙政園や留園のような大庭園とはまた異なる魅力で一杯の庭園でした。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
3.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 飛行機
航空会社
ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  •  退思園のある同里の街は、蘇州から18km離れた江蘇省呉江市にあります。いわゆる水郷古鎮といって、かつて中国江南地域に数多く誕生した水郷の古い街並みが残る「同里古鎮」にあります。<br /> 同里の交通の玄関は左の写真の「同里汽車客運駅(同里自動車乗客輸送駅)」です。このバス駅から退思園がある同里古鎮までは歩いて10分くらいです。上海からもバスはありますが、最も便利なのは蘇州から同里行きの乗合バスで行くことです。<br />

     退思園のある同里の街は、蘇州から18km離れた江蘇省呉江市にあります。いわゆる水郷古鎮といって、かつて中国江南地域に数多く誕生した水郷の古い街並みが残る「同里古鎮」にあります。
     同里の交通の玄関は左の写真の「同里汽車客運駅(同里自動車乗客輸送駅)」です。このバス駅から退思園がある同里古鎮までは歩いて10分くらいです。上海からもバスはありますが、最も便利なのは蘇州から同里行きの乗合バスで行くことです。

  •  同里まで行くバスは、蘇州からですと蘇州駅(蘇州火車站)と蘇州南站から出ていますが、上の写真にあるようにわずか8元で行くことができます。蘇州駅(蘇州火車站)からの方が15分おきに出ているので圧倒的に便利です。<br /> 蘇州市内は再開発でどんどん変化し、バスのルートやターミナルもそれに伴いよく変更されますので、必ず最新の情報をインターネット等で調査したうえで計画を立てたほうが無難です。<br />

     同里まで行くバスは、蘇州からですと蘇州駅(蘇州火車站)と蘇州南站から出ていますが、上の写真にあるようにわずか8元で行くことができます。蘇州駅(蘇州火車站)からの方が15分おきに出ているので圧倒的に便利です。
     蘇州市内は再開発でどんどん変化し、バスのルートやターミナルもそれに伴いよく変更されますので、必ず最新の情報をインターネット等で調査したうえで計画を立てたほうが無難です。

  •  同里古鎮はかつては「富土」(「ふじ」ではなく「富む土」です)と呼ばれていましたが、宋代に「富土」という字を上下に重ね、上の点を消して二文字に分解することで「同里」と改名し、今日に至っています。太湖と京杭大運河に近く、水運の便に恵まれていたことから発展しまさに富む街でしたので、名前を変えてその富が目立たないようにしようという試み(税金から逃れるための試み)だったといわれています。<br /> 水郷古鎮、同里の特徴は、やはり運河と橋のある景色でしょう。

     同里古鎮はかつては「富土」(「ふじ」ではなく「富む土」です)と呼ばれていましたが、宋代に「富土」という字を上下に重ね、上の点を消して二文字に分解することで「同里」と改名し、今日に至っています。太湖と京杭大運河に近く、水運の便に恵まれていたことから発展しまさに富む街でしたので、名前を変えてその富が目立たないようにしようという試み(税金から逃れるための試み)だったといわれています。
     水郷古鎮、同里の特徴は、やはり運河と橋のある景色でしょう。

  •  同里に数ある橋の中でも、最も人気が高いのが「三橋」で、太平橋、吉利橋、長慶橋を指します。同里には「走三橋」(三橋を歩く)といって、三橋を渡ると幸せになれるという言い伝えがあり、婚礼などの慶事には一族郎党で三橋を渡る習慣があるそうです。「太平橋を渡れば1年を健康に過ごすことができ、吉利橋を渡れば商売繁盛し、長慶橋を渡れば長生きできる」といわれ、太平橋、吉利橋、長慶橋の順に回って初めてご利益があると言い伝えられています。<br /> 左の写真は太平橋です。<br /> 三橋自体はそんなに立派なものではないのですが、「太平、吉利、長慶」のめでたい名前が素晴らしいです。当然私も「太平、吉利、長慶」の順に歩きました。<br /><br />

     同里に数ある橋の中でも、最も人気が高いのが「三橋」で、太平橋、吉利橋、長慶橋を指します。同里には「走三橋」(三橋を歩く)といって、三橋を渡ると幸せになれるという言い伝えがあり、婚礼などの慶事には一族郎党で三橋を渡る習慣があるそうです。「太平橋を渡れば1年を健康に過ごすことができ、吉利橋を渡れば商売繁盛し、長慶橋を渡れば長生きできる」といわれ、太平橋、吉利橋、長慶橋の順に回って初めてご利益があると言い伝えられています。
     左の写真は太平橋です。
     三橋自体はそんなに立派なものではないのですが、「太平、吉利、長慶」のめでたい名前が素晴らしいです。当然私も「太平、吉利、長慶」の順に歩きました。

  •  この三橋の真ん中で、地元のおじさんが魚を取らせています。長良川の鵜飼みたいなものです。<br /> 写真奥に見えるのが吉利橋ですが、ちょうどこの舟のあたりでもう一本の運河が左からT字型に交わり、その交わってくる運河に長慶橋が架かっています。そして、手前に太平橋があるという位置関係です。<br /><br />

     この三橋の真ん中で、地元のおじさんが魚を取らせています。長良川の鵜飼みたいなものです。
     写真奥に見えるのが吉利橋ですが、ちょうどこの舟のあたりでもう一本の運河が左からT字型に交わり、その交わってくる運河に長慶橋が架かっています。そして、手前に太平橋があるという位置関係です。

  •  同里古鎮の目抜き通り、ということはお土産さんの通りなんですが、明清街です。中国キッチュな土産が大物から小物まで色々揃っていて、こうした店を冷やかすのも楽しいものです。

     同里古鎮の目抜き通り、ということはお土産さんの通りなんですが、明清街です。中国キッチュな土産が大物から小物まで色々揃っていて、こうした店を冷やかすのも楽しいものです。

  •  同里は観光地化されてしまっていて、生活観が感じられるエリアが少なくなってきたのですが、それでも明清街のはずれには、左の写真のような点心店があったりして、何となく明か清の時代にタイムスリップしたような気分になります。<br /> 包子や小龍包、ワンタンなどに加え、牛肉麺などのラーメン類やチャーハンなども食べられます。どうせ同里で食べるなら、こんな店で食べたいものですね。<br />

     同里は観光地化されてしまっていて、生活観が感じられるエリアが少なくなってきたのですが、それでも明清街のはずれには、左の写真のような点心店があったりして、何となく明か清の時代にタイムスリップしたような気分になります。
     包子や小龍包、ワンタンなどに加え、牛肉麺などのラーメン類やチャーハンなども食べられます。どうせ同里で食べるなら、こんな店で食べたいものですね。

  •  同里古鎮も、その中の名所ばかり歩いていると観光客だらけのテーマパークみたいなのですが、ちょっと道を外れると、左の写真や下の写真のような生活感ある古い街が顔を出してくれます。<br /> 同里古鎮に来たら、三橋を歩き、退思園を堪能し、明清街を闊歩した上で、少し周りの生活感ある昔の街並みを歩くと、思い出に残る街になります。<br />

     同里古鎮も、その中の名所ばかり歩いていると観光客だらけのテーマパークみたいなのですが、ちょっと道を外れると、左の写真や下の写真のような生活感ある古い街が顔を出してくれます。
     同里古鎮に来たら、三橋を歩き、退思園を堪能し、明清街を闊歩した上で、少し周りの生活感ある昔の街並みを歩くと、思い出に残る街になります。

  •  かつての中国の主たる交通手段であった水上交通の要衝に栄えた同里の街は、必要だからこそ無数の運河が走り、そして無数の橋が架かっているのです。そんな水郷古鎮の風情をぜひ楽しんでもらいたいと思います。<br /> 最近は、中国の水郷古鎮が日本でも少し人気が出てきたようですけど、ゆっくりと水郷古鎮を楽しむなら、西塘か周荘で一泊して、提灯でライトアップされた夜の風情と朝靄の中の静寂を楽しんでもらいたいと思います。(烏鎮はちょっと観光地化されすぎていて私はおすすめしません。)逆に、西塘や周荘は一泊してこそ、本当の良さが分かる水郷古鎮です。<br /> 一方同里は、夜や朝はそれなりに良いかもしれませんが、何と言っても最大の見所は次のページから紹介する退思園です。日帰りでも良いですから退思園にたっぷり時間を避けるくらいの余裕を持って訪れたい古鎮なのです。

     かつての中国の主たる交通手段であった水上交通の要衝に栄えた同里の街は、必要だからこそ無数の運河が走り、そして無数の橋が架かっているのです。そんな水郷古鎮の風情をぜひ楽しんでもらいたいと思います。
     最近は、中国の水郷古鎮が日本でも少し人気が出てきたようですけど、ゆっくりと水郷古鎮を楽しむなら、西塘か周荘で一泊して、提灯でライトアップされた夜の風情と朝靄の中の静寂を楽しんでもらいたいと思います。(烏鎮はちょっと観光地化されすぎていて私はおすすめしません。)逆に、西塘や周荘は一泊してこそ、本当の良さが分かる水郷古鎮です。
     一方同里は、夜や朝はそれなりに良いかもしれませんが、何と言っても最大の見所は次のページから紹介する退思園です。日帰りでも良いですから退思園にたっぷり時間を避けるくらいの余裕を持って訪れたい古鎮なのです。

  •  古鎮でのこんな日常生活の風景には、懐かしさや驚きがあります。古鎮は決して観光地だけの古鎮ではなく、地元の人たちにとっては生活の場でもあるのです。<br /> 同里に来たら、名所ばかり目指して歩くのではなく、足の向くまま、気の向くまま、無計画に歩いてみましょう。何でもない街の日常風景に時々感動したりするものです。<br />

     古鎮でのこんな日常生活の風景には、懐かしさや驚きがあります。古鎮は決して観光地だけの古鎮ではなく、地元の人たちにとっては生活の場でもあるのです。
     同里に来たら、名所ばかり目指して歩くのではなく、足の向くまま、気の向くまま、無計画に歩いてみましょう。何でもない街の日常風景に時々感動したりするものです。

  •  そうこうしているうちに、退思園が近づいてきました。退思園近くの戯台のあたりの様子です。退思園が近づくと、観光地化された同里古鎮が顔を出します。中国の楽器を持ったおじさんが観光地気分を盛り上げてくれます。

     そうこうしているうちに、退思園が近づいてきました。退思園近くの戯台のあたりの様子です。退思園が近づくと、観光地化された同里古鎮が顔を出します。中国の楽器を持ったおじさんが観光地気分を盛り上げてくれます。

  •  退思園の隣にある戯台です。戯台はもともと地元の人たちが集い歌を歌ったり劇を見たりして交流する場です。ここまで来れば、退思園はすぐ隣です。<br /><br />

     退思園の隣にある戯台です。戯台はもともと地元の人たちが集い歌を歌ったり劇を見たりして交流する場です。ここまで来れば、退思園はすぐ隣です。

  • 戯台の上では、観光に来た少女たちが記念写真を撮っているところでした。戯台の背景にあるのは、退思園の池の景です。

    戯台の上では、観光に来た少女たちが記念写真を撮っているところでした。戯台の背景にあるのは、退思園の池の景です。

  •  退思園は、西暦1885-1887年、清の光緒時代に造られた庭園です。<br /> 退思園を造った任蘭生は清朝に勤めた役人で、園名の「退思」は『春秋左氏伝』(中国の春秋時代<紀元前750年から500年頃>の歴史を解説した書で、春秋学も生まれた)にある「進思尽忠,退思補過」に(官として仕える場合は誠心誠意を尽くして皇帝に奉仕し、また官から退く場合は過去を反省し過ちを補う)に由来しているとされています。<br /> 同僚の讒言により官を追われた任蘭生が、隠者の道を選び、故郷の同里に庭園を造ったのが退思園です。隠者とは、決して世捨て人になるのではなく、中央の政治から身を隠しつつも、心と目を今の社会に向け、時節が来ればまた再起をしようという熱い志を胸に秘めている人のことです。実際に、任蘭生は退思園完成後の2年後に、また、役人に復職したそうです。<br />

     退思園は、西暦1885-1887年、清の光緒時代に造られた庭園です。
     退思園を造った任蘭生は清朝に勤めた役人で、園名の「退思」は『春秋左氏伝』(中国の春秋時代<紀元前750年から500年頃>の歴史を解説した書で、春秋学も生まれた)にある「進思尽忠,退思補過」に(官として仕える場合は誠心誠意を尽くして皇帝に奉仕し、また官から退く場合は過去を反省し過ちを補う)に由来しているとされています。
     同僚の讒言により官を追われた任蘭生が、隠者の道を選び、故郷の同里に庭園を造ったのが退思園です。隠者とは、決して世捨て人になるのではなく、中央の政治から身を隠しつつも、心と目を今の社会に向け、時節が来ればまた再起をしようという熱い志を胸に秘めている人のことです。実際に、任蘭生は退思園完成後の2年後に、また、役人に復職したそうです。

  •  退思園は、庭園兼邸宅です。いわゆる私家庭園と言われるものです。その敷地面積は約6500?と庭園としてはさほど広くはないのですが、閑静で簡素で、そして池を中心に建築物が無駄なく配置されているのが印象的です。<br /> 中国の庭園専門家は、退思園を「貼水園」(水に貼りつく庭園)と呼んでいますが、上の写真などを見ると、確かに池の水面が高く、建物が池の水に貼りつくように建てられていることが分かります。池周辺の景は、他の蘇州古典園林のどの庭園であっても、この退思園の景に勝るものはないと、私は思います。<br /> 退思園は2001年に世界文化遺産に選定されていますが、特に「貼水園」としての池の景が高く評価されたそうです。<br /><br />

     退思園は、庭園兼邸宅です。いわゆる私家庭園と言われるものです。その敷地面積は約6500?と庭園としてはさほど広くはないのですが、閑静で簡素で、そして池を中心に建築物が無駄なく配置されているのが印象的です。
     中国の庭園専門家は、退思園を「貼水園」(水に貼りつく庭園)と呼んでいますが、上の写真などを見ると、確かに池の水面が高く、建物が池の水に貼りつくように建てられていることが分かります。池周辺の景は、他の蘇州古典園林のどの庭園であっても、この退思園の景に勝るものはないと、私は思います。
     退思園は2001年に世界文化遺産に選定されていますが、特に「貼水園」としての池の景が高く評価されたそうです。

  •  退思園は、邸宅と庭園が同一の敷地内にある、いわゆる私家庭園です。退思園に入るとまず邸宅部分になります。外来の一般客を通す「茶庁」と重要な客の接待や結婚式などに使用される「正庁」があり、その先にえんきょう楼と名づけられた邸宅部分があります。左の写真はえんきょう楼です。<br /> えんきょう楼は二階が主人や家族の居宅部分で一階が使用人の居室になっています。湿気を考えれば二階の方が快適だからです。えんきょう楼では、南北に向かいあった建物が屋根つきの廊下で結ばれていますので、4つの建物がカタカナの「ロ」の字型に並ぶような感じで、建物に囲まれた部分が西洋のコートヤードのような感じです。南北にある二つの建物は季節によって使い分けられていたようで、暑いときには北側の部屋を使用し、逆に陽射しが欲しい季節には南側の建物を使ったようです。<br />

     退思園は、邸宅と庭園が同一の敷地内にある、いわゆる私家庭園です。退思園に入るとまず邸宅部分になります。外来の一般客を通す「茶庁」と重要な客の接待や結婚式などに使用される「正庁」があり、その先にえんきょう楼と名づけられた邸宅部分があります。左の写真はえんきょう楼です。
     えんきょう楼は二階が主人や家族の居宅部分で一階が使用人の居室になっています。湿気を考えれば二階の方が快適だからです。えんきょう楼では、南北に向かいあった建物が屋根つきの廊下で結ばれていますので、4つの建物がカタカナの「ロ」の字型に並ぶような感じで、建物に囲まれた部分が西洋のコートヤードのような感じです。南北にある二つの建物は季節によって使い分けられていたようで、暑いときには北側の部屋を使用し、逆に陽射しが欲しい季節には南側の建物を使ったようです。

  •  えんきょう楼から円洞門を抜けると、そこには退思園ご自慢の池の景が広がります。それほど広い池ではないのですが、見所がたくさんあります。池の周りをゆっくりと歩き、時には立ち止まって見渡せば、お気に入りの景色が幾つも見つかるはずです。<br /> 拙政園のように広い庭園ですと、こんな風に止まっては周囲を見て、また止まっては周囲を見て、という鑑賞の仕方はできません。と言うよりも、そんなことをしていたら時間がいくらあっても足りませんし、立ち止まったところで何が発見されるわけでもありません。拙政園のように広い庭園では、むしろ、歩きながら、動きながら、景を楽しむ庭園なのだと思います。<br /> 一方、この退思園では、拙政園のようにぐるっと回ってくるだけなら、すぐに観光は終わってしまい、庭主が用意した様々な工夫を見落としてしまうというもったいない観光になってしまうのです。

     えんきょう楼から円洞門を抜けると、そこには退思園ご自慢の池の景が広がります。それほど広い池ではないのですが、見所がたくさんあります。池の周りをゆっくりと歩き、時には立ち止まって見渡せば、お気に入りの景色が幾つも見つかるはずです。
     拙政園のように広い庭園ですと、こんな風に止まっては周囲を見て、また止まっては周囲を見て、という鑑賞の仕方はできません。と言うよりも、そんなことをしていたら時間がいくらあっても足りませんし、立ち止まったところで何が発見されるわけでもありません。拙政園のように広い庭園では、むしろ、歩きながら、動きながら、景を楽しむ庭園なのだと思います。
     一方、この退思園では、拙政園のようにぐるっと回ってくるだけなら、すぐに観光は終わってしまい、庭主が用意した様々な工夫を見落としてしまうというもったいない観光になってしまうのです。

  •  退思園の池周辺の景で見逃せないのは回廊の美しさです。回廊の美しい庭園というと、私は蘇州の滄浪亭を思い出すのですが、滄浪亭の回廊の曲線美に劣らない美しさを、ここ退思園の回廊は感じさせてくれます。

     退思園の池周辺の景で見逃せないのは回廊の美しさです。回廊の美しい庭園というと、私は蘇州の滄浪亭を思い出すのですが、滄浪亭の回廊の曲線美に劣らない美しさを、ここ退思園の回廊は感じさせてくれます。

  •  退思園の中で、最も目立つのは池に突き出るように建てられている建物です。この建物は閙紅一舸と名づけられ、いわゆる不繋舟といわれる建物です。<br /> 不繋舟は、画舫(がぼう=屋形船)とか石舫とか呼ばれることもありますが、舟をイメージした建物で、中国庭園には欠かせないものです。神仙蓬莱思想の中の「始皇帝と徐福の不老不死の薬」の話から来ているようです。すなわち、秦の始皇帝の政治が厳格すぎたため、これから逃れようとする山東の学者である徐福が始皇帝に取り入り、仙人探し、不老不死の薬探しのため、始皇帝に大きな船を建造させ、秦の国から逃げたという徐福伝説に端を発し、桃源郷への航海をイメージさせるものなのです。

    イチオシ

     退思園の中で、最も目立つのは池に突き出るように建てられている建物です。この建物は閙紅一舸と名づけられ、いわゆる不繋舟といわれる建物です。
     不繋舟は、画舫(がぼう=屋形船)とか石舫とか呼ばれることもありますが、舟をイメージした建物で、中国庭園には欠かせないものです。神仙蓬莱思想の中の「始皇帝と徐福の不老不死の薬」の話から来ているようです。すなわち、秦の始皇帝の政治が厳格すぎたため、これから逃れようとする山東の学者である徐福が始皇帝に取り入り、仙人探し、不老不死の薬探しのため、始皇帝に大きな船を建造させ、秦の国から逃げたという徐福伝説に端を発し、桃源郷への航海をイメージさせるものなのです。

  •  閙紅一舸と左手前に退思草堂、そして、その間の奥に攬勝閣が見えます。これもまた、風情ある景色です。<br /> さきほど、閙紅一舸については不繋舟と呼ばれるもので、神仙蓬莱思想から来ている旨の話を書きましたが、庭園に客人を案内したときには、不繋舟(画舫)がまさに桃源郷へと主人と客人を運んでくれる船ですので、その建物内で接待ができるように建物を造ることが多いようなのですが、ここ退思園の閙紅一舸は、そうした立派な建物ではありません。<br /> しかしながら、池周辺のどこから見ても池に突き出すように、また、池の上に建てられた閙紅一舸は池周辺の景のアクセントになっています。そういう意味では、閙紅一舸の平台から見る景色よりは、閙紅一舸を入れた退思園の池の景の方が風情を感じさせると私は思います。

    イチオシ

     閙紅一舸と左手前に退思草堂、そして、その間の奥に攬勝閣が見えます。これもまた、風情ある景色です。
     さきほど、閙紅一舸については不繋舟と呼ばれるもので、神仙蓬莱思想から来ている旨の話を書きましたが、庭園に客人を案内したときには、不繋舟(画舫)がまさに桃源郷へと主人と客人を運んでくれる船ですので、その建物内で接待ができるように建物を造ることが多いようなのですが、ここ退思園の閙紅一舸は、そうした立派な建物ではありません。
     しかしながら、池周辺のどこから見ても池に突き出すように、また、池の上に建てられた閙紅一舸は池周辺の景のアクセントになっています。そういう意味では、閙紅一舸の平台から見る景色よりは、閙紅一舸を入れた退思園の池の景の方が風情を感じさせると私は思います。

  •  閙紅一舸の平台から見た退思草堂です。目の前に退思草堂があるという位置関係です。<br /> 退思草堂は退思園の庭園部分の中心的な建物ですから、いわゆる応接室みたいなところかと思っていましたが、むしろ主人の書斎的な建物です。平台がついていて、池全体を見渡すことができますが、まさに主人がリラックスする場所として造られたのだと思います。この平台では時々歌や演劇が催されたようで、その時は、池の向かいの閙紅一舸や回廊、さらには天橋からステージを見ていたのだと想像されます。(因みに、平台は英語では「stage」と訳されることもあります。)<br /> 退思草堂の平台で歌や戯曲を演じたときは、閙紅一舸が特等席になるわけです。<br />

     閙紅一舸の平台から見た退思草堂です。目の前に退思草堂があるという位置関係です。
     退思草堂は退思園の庭園部分の中心的な建物ですから、いわゆる応接室みたいなところかと思っていましたが、むしろ主人の書斎的な建物です。平台がついていて、池全体を見渡すことができますが、まさに主人がリラックスする場所として造られたのだと思います。この平台では時々歌や演劇が催されたようで、その時は、池の向かいの閙紅一舸や回廊、さらには天橋からステージを見ていたのだと想像されます。(因みに、平台は英語では「stage」と訳されることもあります。)
     退思草堂の平台で歌や戯曲を演じたときは、閙紅一舸が特等席になるわけです。

  •  同じく閙紅一舸の平台から見る天橋とその左の菰雨生涼軒です。<br /> 清代の中国庭園は、明代とは異なり敷地が狭くなる分、立体的な視点から庭園を楽しむという設計思想があって、天橋などはその典型です。<br /> このページでは地表レベル(一階部分)からの退思園の池の景を紹介してきましたが、そろそろ清代の庭の特徴である二階からの景を見るために、のちほど天橋に向かってみましょう。<br /><br />

     同じく閙紅一舸の平台から見る天橋とその左の菰雨生涼軒です。
     清代の中国庭園は、明代とは異なり敷地が狭くなる分、立体的な視点から庭園を楽しむという設計思想があって、天橋などはその典型です。
     このページでは地表レベル(一階部分)からの退思園の池の景を紹介してきましたが、そろそろ清代の庭の特徴である二階からの景を見るために、のちほど天橋に向かってみましょう。

  •  閙紅一舸から見た眠雲亭です。位置関係からすると、右から天橋、菰雨生涼軒と続いて、眠雲亭から退思草堂という並びになります。眠雲亭は太湖石の築山の上に建てられていて、この場所も立体的な視点から庭園を楽しむスポットです。<br />

     閙紅一舸から見た眠雲亭です。位置関係からすると、右から天橋、菰雨生涼軒と続いて、眠雲亭から退思草堂という並びになります。眠雲亭は太湖石の築山の上に建てられていて、この場所も立体的な視点から庭園を楽しむスポットです。

  •  退思園の立体的な美を確かめるために、まず、眠雲亭から行ってみましょう。<br /> 左の写真は池の向かい側の回廊から見る眠雲亭です。閙紅一舸が正面にあることがこの写真から分かると思います。<br />

     退思園の立体的な美を確かめるために、まず、眠雲亭から行ってみましょう。
     左の写真は池の向かい側の回廊から見る眠雲亭です。閙紅一舸が正面にあることがこの写真から分かると思います。

  •  眠雲亭が建つ築山の前から見た閙紅一舸、回廊と水香&#27053;が見えます。一階部分から見る眺めを頭に入れて、では、築山の上の眠雲亭に登ってみましょう。

     眠雲亭が建つ築山の前から見た閙紅一舸、回廊と水香榭が見えます。一階部分から見る眺めを頭に入れて、では、築山の上の眠雲亭に登ってみましょう。

  •  眠雲亭から見る閙紅一舸から天橋方面です。雰囲気が随分と違うことが分かるはずです。<br /> 太湖石で最も高さがある石は老人峰と言われています。この角度ですと、天橋のなだらかな微妙な曲線がよく分かると思います。

     眠雲亭から見る閙紅一舸から天橋方面です。雰囲気が随分と違うことが分かるはずです。
     太湖石で最も高さがある石は老人峰と言われています。この角度ですと、天橋のなだらかな微妙な曲線がよく分かると思います。

  •  天橋に来ました。左の写真は天橋からの眺めです。<br /> 老人峰にちょっと視界を遮られますが、ここからの眺めは絶景です。左下に閙紅一舸、右下に退思草堂が見え、奥に攬勝閣が見えます。貼水園(水に貼りつく庭園)と呼ばれる退思園らしく、閙紅一舸と退思草堂が池の上に建てられ、水と建物が一体化していることと、池の周りの木々の緑が濃いことが、退思園の風景の特徴です。<br />

     天橋に来ました。左の写真は天橋からの眺めです。
     老人峰にちょっと視界を遮られますが、ここからの眺めは絶景です。左下に閙紅一舸、右下に退思草堂が見え、奥に攬勝閣が見えます。貼水園(水に貼りつく庭園)と呼ばれる退思園らしく、閙紅一舸と退思草堂が池の上に建てられ、水と建物が一体化していることと、池の周りの木々の緑が濃いことが、退思園の風景の特徴です。

  •  退思園草堂の天橋では、貸衣装に身を包んだ若い女性がカメラの前でポーズをとっています。西塘や烏鎮のような水郷古鎮等では、明や清の時代の貸衣装を時間貸しして、古鎮のあちこちで写真を撮ってこれるようになっています。日本の女性だと人前でポーズをとるのは苦手な人が多いような感じがしますが、中国の女性は人目を気にせず、かなり大胆にポーズをとります。国民性の違いでしょうか?

     退思園草堂の天橋では、貸衣装に身を包んだ若い女性がカメラの前でポーズをとっています。西塘や烏鎮のような水郷古鎮等では、明や清の時代の貸衣装を時間貸しして、古鎮のあちこちで写真を撮ってこれるようになっています。日本の女性だと人前でポーズをとるのは苦手な人が多いような感じがしますが、中国の女性は人目を気にせず、かなり大胆にポーズをとります。国民性の違いでしょうか?

  •  さて、天橋の先の方に建つと、老人峰が視界を邪魔しなくなります。こちらに立つと、随分と広々とした池に見えるものです。この角度からですと、退思草堂の左と言うか、攬勝閣の手前と言うか、そのあたりに水香亭も見えます。<br /> しばらく、この風景を前に、退思園の雰囲気に浸っていた私ですが、よくよく見てみると、遠くに見える攬勝閣二階からの風景はどんなものなのでしょうか。そんな気持ちになって、攬勝閣に行ってみようという気になったのです。実は、攬勝閣からは、私の一番お気に入りの風景が広がっていたのです。

    イチオシ

     さて、天橋の先の方に建つと、老人峰が視界を邪魔しなくなります。こちらに立つと、随分と広々とした池に見えるものです。この角度からですと、退思草堂の左と言うか、攬勝閣の手前と言うか、そのあたりに水香亭も見えます。
     しばらく、この風景を前に、退思園の雰囲気に浸っていた私ですが、よくよく見てみると、遠くに見える攬勝閣二階からの風景はどんなものなのでしょうか。そんな気持ちになって、攬勝閣に行ってみようという気になったのです。実は、攬勝閣からは、私の一番お気に入りの風景が広がっていたのです。

  •  上の写真の中央が攬勝閣です。退思園の池の奥にちょこっとだけ顔を出しています。池の景というと、一般的には、左に亭のように突き出している水香亭や、右側にある平台からの眺めが最も良いような気がするのですが、ここ退思園に限っては攬勝閣の二階からの景色に勝るものはありません。<br /> 攬勝閣の「攬」の字には「取り集めて持つ。手中に収める。」といった意味がありますから、攬勝閣という名前には「退思園の素晴らしい景色を一手に集めて見れる建物」という意味合いがあったのではないでしょうか。庭の設計段階から、この攬勝閣が建つ場所から、しかも二階から絶景が見れるように、池全体が設計されていたのではないか、というような気さえします。<br /> 庭主は、建物に名前をつけるときに自分の思いを込めることがよくあります。「攬勝閣」という名前には、よくよく考えれば眺めが良い建物という庭主の自慢に近い思いが込められているのでしょう。<br /><br />

     上の写真の中央が攬勝閣です。退思園の池の奥にちょこっとだけ顔を出しています。池の景というと、一般的には、左に亭のように突き出している水香亭や、右側にある平台からの眺めが最も良いような気がするのですが、ここ退思園に限っては攬勝閣の二階からの景色に勝るものはありません。
     攬勝閣の「攬」の字には「取り集めて持つ。手中に収める。」といった意味がありますから、攬勝閣という名前には「退思園の素晴らしい景色を一手に集めて見れる建物」という意味合いがあったのではないでしょうか。庭の設計段階から、この攬勝閣が建つ場所から、しかも二階から絶景が見れるように、池全体が設計されていたのではないか、というような気さえします。
     庭主は、建物に名前をつけるときに自分の思いを込めることがよくあります。「攬勝閣」という名前には、よくよく考えれば眺めが良い建物という庭主の自慢に近い思いが込められているのでしょう。

  •  池から突き出している水香亭から見る攬勝閣です。<br /> 開いている窓はわずか3つしかありません。ですから、攬勝閣の二階からの眺めは、誰が見ても同じ見え方をします。それだけに設計し尽くされた眺めが用意できるのです。<br />

     池から突き出している水香亭から見る攬勝閣です。
     開いている窓はわずか3つしかありません。ですから、攬勝閣の二階からの眺めは、誰が見ても同じ見え方をします。それだけに設計し尽くされた眺めが用意できるのです。

  •  退思園の回廊には、花窓(彫刻などが入った飾り窓)があって、それぞれの窓に一字ずつ字が入っています。これはつなげると、「清風明月不須一銭買」(すがすがしい風と美しい月を買うのにお金は要らない」という句になるそうで、退思園の名前の由来である「進思尽忠,退思補過」(官として仕える場合は誠心誠意を尽くして皇帝に奉仕し、また官から退く場合は過去を反省し過ちを補う)の胸中、すなわち、退官し社会や世間のわずらわしい関係から逃れ、風や月といった自然の中に生きる庭主の心が見えるような気がします。

     退思園の回廊には、花窓(彫刻などが入った飾り窓)があって、それぞれの窓に一字ずつ字が入っています。これはつなげると、「清風明月不須一銭買」(すがすがしい風と美しい月を買うのにお金は要らない」という句になるそうで、退思園の名前の由来である「進思尽忠,退思補過」(官として仕える場合は誠心誠意を尽くして皇帝に奉仕し、また官から退く場合は過去を反省し過ちを補う)の胸中、すなわち、退官し社会や世間のわずらわしい関係から逃れ、風や月といった自然の中に生きる庭主の心が見えるような気がします。

  • とかく今の日本では左遷されたり退官したりしてしまうと世捨て人みたいになってしまう人が多いようですが、退思園の庭主の任蘭生は世捨て人ではなく、隠者になったのです。すなわち隠者と は、中央の政治から身を隠しつつも心と目は今の社会に向けられ、時節が来ればまた再起をしようという熱い志を胸に秘めている人のことです。<br /> 実際に、任蘭生は、他の官吏の讒言により退官していたのですが、退思園完成後二年後に、また復職したそうです。

    とかく今の日本では左遷されたり退官したりしてしまうと世捨て人みたいになってしまう人が多いようですが、退思園の庭主の任蘭生は世捨て人ではなく、隠者になったのです。すなわち隠者と は、中央の政治から身を隠しつつも心と目は今の社会に向けられ、時節が来ればまた再起をしようという熱い志を胸に秘めている人のことです。
     実際に、任蘭生は、他の官吏の讒言により退官していたのですが、退思園完成後二年後に、また復職したそうです。

  •  回廊を通っていよいよ攬勝閣に来ました。狭い階段を上がって窓のある部屋に急ぎます。<br /> そこに広がる退思園の池の景はまさに絶景です。正面に天橋、その手前に不繋舟の閙紅一舸、そして一番手前に退思草堂と水香亭の反りあがった屋根が重なります。<br /> 池自体はほぼ円形をしているのですが、水面を見れば、不繋舟の閙紅一舸、退思草堂と水香亭が水にせり出し、まさに「貼水園」としての退思園の特徴を見ることができますし、周りの木々の濃い緑も印象的です。

     回廊を通っていよいよ攬勝閣に来ました。狭い階段を上がって窓のある部屋に急ぎます。
     そこに広がる退思園の池の景はまさに絶景です。正面に天橋、その手前に不繋舟の閙紅一舸、そして一番手前に退思草堂と水香亭の反りあがった屋根が重なります。
     池自体はほぼ円形をしているのですが、水面を見れば、不繋舟の閙紅一舸、退思草堂と水香亭が水にせり出し、まさに「貼水園」としての退思園の特徴を見ることができますし、周りの木々の濃い緑も印象的です。

  •  もう少し視界を広げてみてみると、その印象はさらに強くなります。この写真の方が、水香&#27053;まで見えていて良いですね。<br /> 退思園は、同里観光に来た人なら必ず立ち寄る庭園ですから大変込んでいるのですが、不思議にもこの攬勝閣の二階まで登ってくる人はあまりいないようです。この日も退思園の園内は観光客で賑わっていたのですが、攬勝閣の二階ではゆっくりと退思園の絶景を楽しむことができました。退思園に来たら、この攬勝閣の二階に上がること、それが退思園観光での私の最大のアドバイスです。<br />

    イチオシ

     もう少し視界を広げてみてみると、その印象はさらに強くなります。この写真の方が、水香榭まで見えていて良いですね。
     退思園は、同里観光に来た人なら必ず立ち寄る庭園ですから大変込んでいるのですが、不思議にもこの攬勝閣の二階まで登ってくる人はあまりいないようです。この日も退思園の園内は観光客で賑わっていたのですが、攬勝閣の二階ではゆっくりと退思園の絶景を楽しむことができました。退思園に来たら、この攬勝閣の二階に上がること、それが退思園観光での私の最大のアドバイスです。

  •  退思園について、水辺の景を中心に紹介しましたが、池周辺以外にも見所は沢山あります。時間をかけてゆっくりと見学してもらいたい庭園です。<br /> 例えば、瓦でけ見ても、さすがに歴史を感じさせる瓦です。また、樋は一つひとつ異なるデザインでした。<br /><br />

     退思園について、水辺の景を中心に紹介しましたが、池周辺以外にも見所は沢山あります。時間をかけてゆっくりと見学してもらいたい庭園です。
     例えば、瓦でけ見ても、さすがに歴史を感じさせる瓦です。また、樋は一つひとつ異なるデザインでした。

  •  同里の退思園、如何だったでしょうか。<br /> 詳しくは、「蘇州古典園林の魅力」という私のホームページで紹介していますので、興味があれば見てください。<br /><br /> 同里古鎮は、古鎮としての趣は、コマーシャリズムで薄れてきていますが、この退思園を見るだけでも来る価値は十分です。上海観光や蘇州観光の時間を割いて、ちょっと足を伸ばす価値のあるスポットだと私は思います。

     同里の退思園、如何だったでしょうか。
     詳しくは、「蘇州古典園林の魅力」という私のホームページで紹介していますので、興味があれば見てください。

     同里古鎮は、古鎮としての趣は、コマーシャリズムで薄れてきていますが、この退思園を見るだけでも来る価値は十分です。上海観光や蘇州観光の時間を割いて、ちょっと足を伸ばす価値のあるスポットだと私は思います。

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