2011/05/04 - 2011/05/08
19位(同エリア137件中)
そんざーさん
今回は、旅行二日目、揚州の何園という古典園林と昼食に食べたエビワンタンメンを中心に紹介します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 2.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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第一回では、揚州への行き方と揚州初日の夕食、さらには揚州二日目朝の富春茶社での揚州点心、そして、世界文化遺産の古典園林である个園の見学まで紹介しました。
写真は富春茶社の蟹粉湯包です、ストローでチュルチュルとスープを飲む点心です。 -
揚州の庭園といえば个園(個園)の右に出るものはありませんが、ここ何園も清代末期に作られた名園として知られています。まさに「晩清第一園」として高い評価を得ている庭園です。
何園ができたのは1858年です。孫文らの辛亥革命により中華民国が建国されたのが1912年ですから晩清というには早すぎると思われる方もいるかもしれませんが、歴史をひも解くと、アヘン戦争が勃発したのが1840年、不平等条約の南京条約がイギリスとの間で締結されたのが1842年、そして、第二次アヘン戦争が1857年に勃発し1859年には英仏連合軍が北京に迫り円明園での略奪も行われ、翌1860年に北京条約でさらに不平等な国際関係を強いられた時期にあたります。国内に目を移せば、太平天国の建国が1853年(1860年に南京陥落により消滅)ですから、清がまさに崩壊に向かって坂を転げ落ちているような、そんな時代にこの何園は造られたわけで、清滅亡の半世紀前ではありますが「晩清」という表現はなるほどという観があります。 -
何園は揚州に数多く存在するいわゆる私家園林で、その中は庭園部分と居宅部分とに分けられています。庭園部分は「寄嘯山荘」と名づけられています。
この「寄嘯山荘」の「寄嘯」は、陶淵明の「帰去来辞」の句からとったものだとされています。陶淵明の「帰去来辞」は、陶淵明が41歳ですべての官職を退けて田舎に隠棲する決意を語った詩です。陶淵明の人生の転機を語る詩で、全体はもっと長いのですが「寄嘯」に関する部分を取り出して紹介します。
倚南窗以寄傲 南窓によりて以て詩を吟じ(寄傲)
審容膝之易安 狭い家の心安さを知る
………
懷良辰以孤往 天気のいい日は一人で出かけ、
或植杖而耘シ ある時は、杖を立てておいて、畑いじりをする。
登東皋以舒嘯 東の丘(皋)に登り、おもむろに口笛を吹き(舒嘯)
臨流而賦詩 清流に臨んで詩を詠む
41歳で官職を退き郷里の田舎に隠棲する際に、むしろ、この田園生活を桃源郷のようにしたい、伸び伸びとした人間らしい生活にしたいという決意が感じられる部分です。 -
何園は、1858年に揚州の監察官だった何氏という高級官僚が造った庭園付きの自宅でしたが、残念ながら彼はこの何園の完成前になくなってしまい、庭園部分に「寄嘯山荘」という名はつけたものの、ここを桃源郷として楽しむことはありませんでした。
何園は「晩清第一園」といわれ、最後の古典庭園として位置づけられていますが、私の印象としては、庭主である何氏のフランス滞在経験(かつてはパリの清国公使館員でした)から、ヨーロッパへの憧れも感じられる中国庭園という印象があります。この何園を造成しているときは、まさに第二次アヘン戦争の最中で、英仏連合軍が最終的に北京まで迫った時代なのですが、そういう意味では微妙な時代に中洋折衷の庭園が造られたものです。 -
写真中央が水心亭で、それを取り囲む回廊の景です。回廊の一部は複道廊(「道廊」とは一階と二階に二層ある回廊を指し、「複廊」とは中央を壁で仕切られた回廊でその両側を歩くことができる回廊を言います。)になっていて、中央の池や水心亭を様々な角度から楽しめるようになっています。
池の中に建つこの亭では、ヨーロッパの管弦楽の演奏などが行われることも想定して造られたものだという説があります。すなわち、庭主の何氏はパリ滞在中にヨーロッパの音楽に強く引かれていたため、自宅にそうした音楽家を招き演奏会をしたいという思いがあって、音響効果等も考えて、周りを総二階の建物で覆った。そして、二階の回廊はそうした音楽が演奏されるときの観覧席にもなるのだという説です。そもそもこの正方形の形をした空間は、ヨーロッパのコートヤード的な発想だとも言われています。なるほど、言われてみると、確かにそんな風にも見える池周りの景です。
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胡蝶庁の二階回廊から見た水心亭方面です。水心亭の手前の池が建物側に入り込んでいるため、池に広がりを感じさせます。これは、胡蝶亭の前の庭を池に食い込ませる形で前方に広げているために起こる錯覚ですが、色々考えて造られた庭園だと感心してしまいます。
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イチオシ
この二階建ての回廊というのは、清の時代の中国庭園によく見られる形式で、揚州では庭園の造成が清代に行われたものが多いため、个園をはじめ多くの庭園で見られる建築様式です。一方、蘇州の古典園林は明代以前に建てられたものが多いため、この二階建ての回廊はあまり見られません。ただ蘇州でも耦園のように清代に造られた庭園ではやはり立体的な庭園づくりがなされています。
要は、清代に立てられた庭園は敷地面積にそれほどゆとりがない中で、変化を付けるために立体的な視覚から庭園を楽しむ様式が普及し、その中の一つとして二階建て回廊も登場してきたのだと思います。 -
二階の回廊から、回廊部分を見たところです。一定間隔で空窓が口を開けています。揚州のように夏暑く、また湿気が高い地域では空窓の通風孔としての機能は本当に大切です。
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何園は私家庭園ですから、他の中国庭園と同様に、招待した客人に庭園を楽しんでもらい、また、料理を提供する接待場所です。ここ何園で客人と食事を楽しんだのが、上の写真にある大庁です。この建物も他の建物と同様に名前を付けられるより前に庭主が亡くなってしまいましたので、大庁という一般的な名前が正式名称です。しかし、屋根が跳ね上がりその様が蝶が羽を広げたように見えるため、胡蝶庁という俗称が付けられていて、その名前の方が今では一般的です。
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水心亭に向かい合うように、大きな太湖石の築山が造られています。
この築山も登れるようになっていますので登ってみましょう。石組みの中に細くて急ではありますが、小道が作られています。途中から石組みの下を見ると、よくよくうまく組み合わせたものだと感心してしまいます。 -
イチオシ
築山の上から水心亭の方向を見ます。
なるほど、これが何園の最も良い景色なのです。何園の主人が客人を案内し、最後に連れて行くビューポイントがここ築山山頂なのだったのではないでしょうか。水心亭、太湖石の橋、そして、二階建ての回廊、これらが一度に目に入ってくるばかりか、見事に調和していることに感動します。 -
さきほどお話しした花窓から見える邸宅部分の景です。花窓には遠くから見た構造(切り口の形)としての景と、空窓の形(切り口)を額縁として見た空窓からの景、という二つの景を楽しむものです。また、空窓には窓ガラスがないわけで、これは通風孔としての機能も担っているといっても良いと思います。そんなこんなで、色々なことを考えて空窓というのは造られているのです。
それでは、窓の向こうに見える何園の邸宅部分を見てみましょう。 -
何園の邸宅部分です。何園ができた頃の時代背景(第二次アヘン戦争の時代)を考えれば、欧州風の邸宅を建てるなどというのは非国民のようにも見えますが、清は満州人政権であり、庭主の何氏は漢人であることを考えれば、そんなことは気にもならないのかもしれません。
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この邸宅は芝の植えられたコートヤードを囲むように建物が建てられていて、庭園部分も西洋のコートヤードを模したものだとする説も、なるほどうなづけます。何園の案内板を見ると、「120年前としては新しいコンセプトの邸宅で中洋折衷の新しい建築様式です」などと紹介されていますが、殆どヨーロッパ調の邸宅だと私は思います。
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お嬢様の部屋です。ピアノが置かれ、カーテンや電気スタンドもお洒落です。120年前にこんな生活をしていた中国人もいたのだと、認識を新たにしました。
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ここはいくつかある家族の居間の一つです。テーブルクロスやテーブルの上の燭台が高級官僚の邸宅らしい雰囲気を漂わせます。ティーカップがあるからといって英国茶を飲んでいたのではなく、恐らくは中国茶を飲んでいたのだろうと思いますが、いずれにしても内装や家具は中国調のものは少なく、限りなくヨーロッパの香りがする邸宅です。
何園は「晩清第一園」という性格もありますが、庭園部分も含め私は「中洋折衷の庭園」という印象を受けました。 -
个園と何園を見て回ると、さすがにお腹が空きました、昼飯を食いましょう。実は、旅行前から目をつけていたB級グルメがあるのです。
揚州の街を散歩しながら、少し街並みも紹介しましょう。
揚州の街中には上の写真のように昔ながらの中国の地方都市らしい風景も残っていて、鄧小平さんの社会主義資本経済が始まる以前の中国を知る者にとってはとても懐かしいものがあります。揚州の街中は殆ど再開発されていて近代都市に生まれ変わってしまったのですが、なぜかここだけ取り残されたように昔の揚州の町が残っています。
この通りは、国慶路、右側に進んでいけば揚州点心の老舗、隋の時代から営業していると言われている富春茶社があります。 -
富春茶社に朝の点心を食べに行ったとき、こんな昔ながらの道を歩いていて、後でこのあたりの店も冷やかしてみたいな、などと思ってしまうのは私だけではないでしょう。富春茶社は左奥の三輪車の停まっているところを左に折れたところにあるのですが、ここに行き着くまでに、私としては今日の昼飯のお店の場所を確認していたいたのです。
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それが写真の共和春で、ここも小吃(軽食)の老舗として、揚州を紹介する各種ホームページ(勿論、中国語です。)で紹介されている食堂です。「百年老店」という文字が見えるとおり、隋代から続いている富春茶社に比べれば「ひよこ」のような存在ですが、立派な老舗食堂です。
中国語のグルメサイトなどを見てみると、海老餃子入りラーメンというか、むしろ海老ワンタンメンというか、とにかくその手のラーメンがおすすめの料理のようです。 -
この日の朝飯は、富春茶社でしっかり食べたものですから海老ワンタンメンだけでも良かったのですが、海老ワンタンメンがあまりにも安かったものですから、もう一品頼んでしまいました。蒸し餃子です。日本で食べる蒸し餃子と何ら変わりありません。むしろ、具がたっぷり入っていてお得感があります。
この蒸し餃子と海老ワンタンメンで合計8元(2011年5月現在)ですから、日本円で120円しないというのは激安です。 -
イチオシ
そして、こちらがおすすめ料理の海老ワンタンメンです。
ラーメンの類については、まずスープから味わうのが私の流儀です。鶏がらのスープの味がちょっと濃い目で、私としては嫌いではないスープです。麺はゴムのような弾力が感じられて、香港の麺にちょっと似ているかなという感じです。旨いです。 -
そして、9個も入っている海老ワンタンですが、これがまた意外に旨いのです。日本で食べる海老ワンタンメンよりずっと海老のうまみが生かされています。そして、この海老の香りがだんだんスープに馴染んできて、食べ終わる頃には海老の出汁の効いたスープになるのです。
このスープ、この麺、そしてこの海老ワンタン。どれもが旨いですし、組み合わさった味がまた素晴らしい! 流石にインターネットのグルメサイトで高い評価を得ている店、そしてそのおすすめ料理です。
ここ共和春のメニューはまさにB級グルメばかりです。揚州にはおいしい湯包や包子を食べさせてくれる富春茶社や冶春茶社のような茶楼や冶春花園のようなレストラン、揚州炒飯や蟹粉獅子頭といった揚州名物のグルメもあります。そんなグルメの街、揚州なのですから、「せっかく揚州に来てまでB級グルメを食べることはない」などと思う方もいるかもしれませんが、ここの海老ワンタンメンはそんな方にも後悔させない私の超おすすめ料理です。とにかく、一回食べてみてください。
いよいよ、この日の午後は揚州のハイライト、痩西湖の見学になります。次の旅行記を楽しみにしてください。
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