2011/08/01 - 2011/08/09
926位(同エリア3873件中)
ねいちゃさん
8月5日(金)、私の誕生日。
夏しか海外に行けないので、バースディは海外で迎えることがたまにあります。
2006年はエジプト・アブシンベル神殿。
2007年はフランス・モンサンミシェル。
そうして2011年はイタリア・フィレンツェで
ウフィッツイ美術館でボッティチェリを見ます。
思えば、大変贅沢な誕生日を過ごしてますよねー、わたし。
今日は午前中にフィレンツェも主要な所を見て、
午後からはシエナへ。
今日もヴェネツィアに続いて、むっちゃハードな一日の予感。
ドライバーの12時間拘束条件もあって、スピードとの勝負。
8時15分、いざ決戦の始まりです。
<旅程>
☆8月1日 関空→アムステルダム→ミラノ
☆8月2日 ミラノ
☆8月3日 ミラノ→ヴェローナ→ヴェネツィア
☆8月4日 ヴェネツィア→ピサ→フィレンツェ
★8月5日 フィレンツェ→シエナ→フィレンツェ
☆8月6日 フィレンツェ→ローマ
☆8月7日 ローマ
☆8月8日 ローマ→アムステルダム
☆8月9日 アムステルダム→関空
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 近畿日本ツーリスト
-
8月5日日の出、お誕生日おめでとう。。。
忙しくなる一日なので、添乗員さんはドライバーに隠してある作戦を。
早めに客が集まっちゃえば、ドライバーも車を出さざるを得ないのでは?と。
結論から言うと5分だけ早く出発、
添乗員さんはドライバーさんに叱られてしまいました。 -
ものの20分程度でミケランジェロ広場に到着。
ここがフィレンツェを一望できる絶景ポイント。
TV番組でもここからのショットが一番多い、
フィレンツェと言えばこの風景って感じ。
ところでなぜ添乗員さんが焦っていたかというと、
イタリアでは勤務時間が明確に定められておりドライバーの拘束は
12時間を超えてはならないと決まってる。違反は罰金。
朝8時半に出れば夜8時半までにホテルに戻ること。
厳しいドライバーなら、どこであろうと規定時間がきた時点で
客を降ろすこともあるそうだ。
これもツアーの過密スケジュールが原因なんだとは思うけど。 -
これがドゥオーモ。フィレンツェで最も有名なもの。
巨大なクーポラ(円蓋)はブルネレスキの建築、1436年完成。 -
こちらはヴェッキオ宮殿。
94mの高さをもつ塔が前の方に偏って建っているのがここからだとよくわかる。
その隣が今回入場するウフィッツイ美術館。 -
そしてこれが、アルノ川にかかるヴェッキオ橋。
1階は宝石店が並び、2階は暗殺を恐れたメディチ家の当主が
下に降りないでピッティ宮に行けるための抜け道、
ヴァザーリの回廊がよく見えます。 -
イチオシ
これがミケランジェロ広場の眺望。
言葉が出ません、やっとここまで来ました。
「花の都」フィレンツェ、
オレンジ色の屋根がイタリア随一の美しさを物語ってくれています。
しばし、見とれてあげてください、これがフィレンツェ!! -
対岸に見えたサン=ニッコロ門[Porta San Niccolo]
ミケランジェロ広場から降りてフィレンツェ市内に入場。
アルノ川の向こう岸、丁度ミケランジェロ広場の真下にある城門。
この奥の方にベルヴェデーレ要塞やピッティ宮があります。 -
ゼッカ塔[Torre della Zecca]
テンピオ通りとジョーヴィネ=イタリア通りの交差点にある目印になる塔。
観光バスが入れるのはここまでで、ここから徒歩観光になります。
さぁフィレンツェ市街に入りましょうか、
なんかワクワクしてきましたっ! -
国立図書館[Biblioteca Nazionale Centrale]
アルノ川沿いにある図書館、今は閉館のようです。
ここから川から離れて細い街路に入っていきました。
この図書館の裏手には、サンタ=クローチェ教会があります。 -
旧市街の街並み
そこかしこに歴史がある建物群の間を抜けて・・・300mほど歩きます。 -
突然目に飛び込んでくるのがヴェッキオ宮の塔。
今日のメインとなるウフィッツイ美術館界隈に到達します。
フィレンツェの観光スポットの一つです。 -
右手がヴェッキオ宮、左手がウフィッツイ美術館、その間を結ぶ回廊。
ここから美術館に中に入りますが、警備はかなり厳重。
ベルトまで外されてチェックされますので、ぼちぼち用意をした方がいいでしょうね。
館内はもちろん撮影不可ですが、垂涎ものの絵画群で圧倒されます。
ルネサンス好きなら外せない美術館です。 -
ここで名画が何もないと、ちょっと興ざめなので、
ウフィッツィ美術館で買った絵葉書をスキャンしたもので、
有名なものをご紹介。雰囲気だけでもお感じください。
レオナルド=ダ=ヴィンチ「受胎告知」1472-1473年頃
神の子イエスを宿す聖なる器として父なる神より選定され、聖胎したことを告げる大天使ガブリエルと、それを静粛に受けとめる聖母マリアの厳粛な場面。
宗教的主題としてよく描かれる場面であるが、多くの画家はマリアに驚きの表情をつけたが、ダ=ヴィンチのマリアは実に気品に満ちた穏やかな表情を見せている。
写実的な野草や床面、空気遠近法を用いた遠景表現など、二十代とは思えぬ豊かな才能が散見できる。
ピエロ=デラ=フランチェスカ「ウルビーノ公夫妻の肖像」1472-1474年
ウルビーノ公(フェデリコ=ダ=モンテフェルトロの肖像)とその妻(バッティスタ=スフォルツァの肖像)の対画肖像。
イタリアルネサンス肖像画の傑作のひとつ、戦闘で片眼を失った部分を隠すためとも言われているが、横顔のみの肖像画は斬新。
また背景には空気遠近法を用いるなど、ネーデルランド絵画の特徴も示している。 -
ボッティチェリ「春(ラ・プリマヴェーラ)」1482年頃
ボッティチェリ随一の代表作。愛と美の女神ヴィーナスを中心に、左にヘルメス・三美神、右に春の女神プリマヴェーラ・花の女神フローラ・西風ゼフェロスを配する本作の解説は諸説あり難解とされる。
一般的には、冬が過ぎ去った森に西風の神ゼフェロスが現われ、土の中に眠っていた花の神フローラを呼び起こし、春の風を吹き込む。
フローラはやがて春の花を生み出し、春の女神プリマヴェーラへと変身する。
花々に囲まれた森には、女王ヴィーナスが現われ、そのそばで三人の侍女、美・貞潔・愛の三美神が舞い踊り、ヴィーナスの子供のキューピッドは目隠しされたまま貞潔の女神に愛の矢の的を絞っている。
左側には旅人の守護神ヘルメスが魔法の杖で冬の再来を防いでいる、といった解釈で「春」の寓意を示すものが主題とされる。
地面に描かれた草花は500余で写実的に描かれているのも特徴。
ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」1485年頃
この絵の主題は古代アペレスの失われた名画「海から上がるヴィーナス」を復元したもので、本作は「春」の対画として、メディチ家より発注され、制作された作品とされている。
画面中央で貝殻に乗り海から誕生した裸体の美の女神ヴィーナスは、一般的に「天上のヴィーナス」を表現したものとされている。
画面左には風に乗り、花を蒔きながら美の女神ヴィーナスの誕生を祝福する西風の神ゼフェロスとその妻花の女神フローラが配され、画面右には産まれたばかりのヴィーナスに絹の布を掛けようとする、時の女神ホーラが配された。
なお本作は1987年に修復作業がおこなわれた。 -
数ある聖母子像の中で、個人的に最もすきな絵画2作。
聖母が余りにも美しくずっと見とれてしまう作品たち。
特にリッピの聖母は綺麗すぎて、リッピが駆け落ちするのも無理はないなーと納得してしまいます。
フィリッポ=リッピ「聖母子と二人の天使」1465年頃
フィレンツェ派の巨匠フィリッポ・リッピが晩年に手がけた聖母子像の最高傑作。
立体を感じさせる背景描写やだまし絵的に配された枠縁など高度な技術が用いられる。
また聖母マリアのあまりにも甘美で官能的な表現は、子への慈愛とその子が歩む未来への不安を心配する気持ちを見事に表現している。
この聖母のモデルは駆け落ちして結ばれた修道女ルクレツィア=ブーティで、イエスは息子フィリッピーノ=リッピをモデルとして描いたと言われている。
ラファエロ「ひわの聖母」1505〜06年頃
ラファエロが友達ロレンツォ=ナージへの結婚の贈り物として制作。
人物は三角の形に配され安定した調和を保ち、その中心にいる聖母は慈愛を持った眼差しをイエスに向けている。
ヒワはイエスの将来の非業の死を暗示し、ヨハネは注意喚起すべくヒワを手渡している。
この絵のあったナージの館は大地震で倒壊し、この絵も17片に分解されたが後に修復。
美術館では時間経過とともに変色した絵を10年かけて修復し、2008年往時の色彩に戻して公開された。 -
ラファエロ「自画像」
ルネサンスの三大巨匠の一人。
聖母の画家としての異名を持ち多くの有名な聖母子画を描く。
他の二人の巨匠らと歳がはなれ、その従順な性格からこの二人や師ペルジーノから多くを学んで、ルネサンスの集大成とも呼べる絵画を残した。
多くのパトロンにも恵まれ芸術の都フィレンツェでは有意義な滞在を送ったという。
25歳から死去する37歳まで、教皇ユリウス2世によってローマに招かれ、ヴァチカンの宮廷画家として栄華を極めたが、自画像からも伺える端正なマスクと豊かな富のせいか、性的には放蕩だったらしく、若くして亡くなったのも性感染症が原因とも言われる。
彼の希望によりその遺体は今もパンテオンに眠っている。
ヴェロッキオ「キリストの洗礼」1473-78年
師ヴェロッキオの工房で働いていたダ=ヴィンチはこの絵の左の天使と背景を描いたが、師の描くキリストを完全に凌駕した。
ヴェロッキオはこの弟子には遠く及ばないと感じ、以後筆を絶ったと言われる有名な絵画。
確かに一瞥しただけで天使が作品から浮いているように見え、あきらかに他を上回る出来映え。
天才というものはこういう存在なのだということを示す有名すぎるエピソードである。 -
ウフィッツィ美術館は写真撮影厳禁ですが、窓から見える風景はOK!
美術館からみた対岸の美しい風景。
色とりどりの小さな車とバイクが行儀よく並んでいるのが見えてます。 -
反対側の窓からは目線の高さでクーポラと塔が・・・
絶好の撮影ポイントなんですが
修復作業中のクレーンが実に惜しいです。 -
美術館2階からヴェッキオ橋を撮影。
ヴァザーリの回廊を眼下にみながら・・・ホント綺麗な街だわ〜。
どことっても絵になるね。
その後美術館のショップで絵葉書8枚と解説本を買って退出。
その後ツアーセットのお隣の皮製品の土産物屋さんでトイレ休憩。
ここでチョーオシャレなカバンを発見!
フィレンツェといえば皮が有名、とっても欲しかったけど高いんで(231ユーロもしたんだよ)ためらっていたら、連れ合いが「誕生日だから買ってあげるー」ってポーンと払ってくれたぁ−、むっちゃ嬉しいぃぃぃ。
余りにも格好いい鞄なので、どこで使おうか思案中・・・。 -
歓喜の余りその後モタモタしてたら、いつの間にやらツアーメンバーとはぐれ、耳からはイヤホンガイドの声だけは聞こえるのに姿が見えない。
「やばー、迷子やー」と焦りまくり。
幸いすぐに見つかったんだけど、以後ガイドさんは何度も何度も「人多いですから、迷子にならないように」って注意を促されることとなって、ええ大人が大変格好悪いっす。申し訳ない。
写真はヴェッキオ橋を下から撮影、まだちょっと動揺しております。
レイアウトとってる余裕がありませなんだ。 -
ウフィッツイ美術館前の野外彫刻群
左上−フランチェスコ=レディ(イタリアの医学者)
右上−ニッコロ=マキャヴェリ(フィレンツェの外交官、「君主論」の作者)
左下−ダンテ=アリギエーリ(フィレンツェ生まれの詩人、「神曲」の作者)
右下−ドナテッロ(フィレンツェの彫刻家) -
ミケランジェロ=ヴオナローティ[Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni]像
ルネサンス三大巨匠の一人、
絵画では「天地創造」「最後の審判」、
彫刻では「ピエタ」「ダヴィデ像」、
建築では「サンピエトロ大聖堂」の設計を行う。
名前の由来はミカエル[Michael]と天使[angelo]を併せたもの。
彼は男色家で女性への性的関心はなかったが、
ヴィットリア=コロンナという未亡人とは親しく
「最後の審判」のマリアは彼女がモデルだと言われている。
システィナ礼拝堂の天井画の制作の際には、上を向くため首の骨が曲がり、滴る絵具が目に落ちて視力を損なってしまった。
彼は自らを画家ではなく彫刻家であると明言しているが、
ある人から彫刻の題材をどうやって決めるかをたずねられた時
「考えたこともない。素材が命じるままに彫るだけだ」
と答えたほどの天才であった。 -
レオナルド=ダ=ヴィンチ[Leonardo di ser Piero da Vinci]像
ルネサンスの芸術家というよりも万能人という評価が定着している。
絵画では「最後の晩餐」「モナリザ」がつとに有名であるが、
現存する絵画は17点しかなくその多くが未完成でもある。
彫刻は1点もなくミラノ騎馬像は設計の段階のみで幻となっている。
彼の名を不動にしているのは精巧な図解が残された13000ページにも及ぶ手稿で、
医学・科学・建築・土木から飛行機・軍事兵器に至るまで多岐にわたっているが、
その手稿も3分の2は散逸しているといわれている。
彼の父は公証人であり裕福であったが、
母はいわゆる「おてつき」の使用人であり、
父と母は結婚をしておらず「私生児」である。
そのためか教育を受けず読み書きが不十分であったが、
彼が左手で書く鏡文字はそのために生まれたとも言われている。 -
シニョリーア広場[Piazza della Signoria]
自治都市フィレンツェのかつての政治の中心地。
ローマ時代よりフォルムが置かれ古代から現代に至るまで長く都市の中心であり続けています。
広場にはヴェッキオ宮をはじめ、ロッジア=ディ=ランツィ・ウフィツィ美術館・商業裁判所・ウグッチョーニ宮などもあり、
数多くの彫刻群が置かれていてまるで野外彫刻美術館という感じ、
多くの観光客と多くの言語に満ちあふれていて度を超した活気のある広場でした。 -
ロッジア=ディ=ランツィ[Loggia dei Lanzi]
1376年から1382年にベンチ=ディ=チョーネとフランチェスコ=タレンティが建設したもので、公式行事や市民集会所として用いられたそうです。
重い感じのヴェッキオ宮とはまた違った趣きで、コリント様式の列柱が支える大きな開口部に彫刻が並んでいる様子は美術館の中庭のように思えます。
また、屋根のテラス部分は、ウフィッツィ美術館ができた後、メディチ家の一族が広場の式典を見るための特等席。
いいですね〜、お金持ちは。。。 -
ロッジア=ディ=ランツィとヴェッキオ宮にある彫刻群
左上−ベンヴェヌート=チェッリーニ「メデューサの頭を掲げるペルセウス」1545-54年
右上−ジャン=ボローニャ「サビニの女たちの略奪」
左下−ピオ=フェンディ「ポリュクセネーの陵辱」1865年
右下−バルトロメオ=アンマナーティ「ネプチューンの噴水」1575年
(ヴェッキオ宮前) -
「ダヴィデ[David]像レプリカ」1910年設置
サンピエトロ大聖堂の「ピエタ」と並ぶミケランジェロの代表作で、ルネサンス期の最も卓越した作品の一つが本物の「ダヴィデ像」。
力強さと若き人間の美しさを表すこの作品は芸術史に画期的な1ページを開きました。
高さ5.17mもある巨像は、今まさにダヴィデが巨人ゴリアテに岩石を投げつけようと狙いを定めている一場面を切り取ったもので、
元々ここに実際に飾られていましたが、経年劣化が進むこともあり、
現在はアカデミア美術館に置かれています。
美術館では1991年に不埒な観光客がこの像に金槌を振り下ろしたという事件が起こりました。
行いは許されない暴挙なのですが、破片から大理石の出土地が割り出され、
保存上必要な詳細なデータが得られたというのも事実としてあります。
写真の彫像はレプリカとはいえ、歴史のあるもので日本の大正時代からここに置かれています。
もちろんこのおかげで往時の様子の一端をうかがい知ることはできますが、
やっぱり本物は見なきゃダメだと勝手に思ってるんで、
もう一度フィレンツェに戻ってくるつもりでいます、必ず近いうちに。 -
ヴェッキオ宮[Palazzo Vecchio]
1299年から1314年にかけてアルノルフォ=ディ=カンビオによって建設され、
当初フィレンツェ共和国の政庁舎として使われており、
一時メディチ家もピッティ宮へ移るまでここを住居としていたそうです。
1550年から1565年の間に、ジョルジョ=ヴァザーリによって部分的に改築がなされて、
今も一部はフィレンツェ市庁舎として使われています。
2007年5月イタリア文化庁が、ダ=ヴィンチの幻の壁画「アンギアーリの戦い」を
「500人大広間」のヴァザーリの壁画の裏側から見つけ大変話題となりました。
こんな話を聞くと「見てぇ!」と思う性分なので、
今旅入れなかった所はやっぱりもう一度来なきゃと・・・と思いますです、ハイ。 -
さぁモタモタしてないで、ドゥオーモに向かいましょう。
ドゥオーモに入場して、昼ご飯食べて、午後からシエナ行くという、
AKB48も真っ青な過密なスケジュールですからねー、
急げ急げ、ただし迷子にならないように!
このカルツァイウォーリ通り[Via del Calzaiuoli]は、
観光客のメインストリート、オシャレなお店も歴史のありそうな建物もいっぱいでした、
人混みも半端なかったですけど。
一個一個時間かけて見てられないのが残念です。 -
ドゥオーモのクーポラ[Cupola]
クーポラを建てるための仮枠組みは、すでに身廊部分が完成していたため非常に困難な作業となり、
そこで独立した二重構造で仮枠を組まないというブルネレスキの斬新なアイデアが採用されました。
二重だったら重すぎるという懸念もあったらしいのですが、
1434年何とか完成したと言います。
その後ランターン(明かりとり)も設置され今日の姿になりました。
ちなみに最上部の球体の設置にはダ=ヴィンチも関与したそうです。 -
サンタ=マリア=デル=フィオーレ教会[Cattedrale di Santa Maria del Fiore]のファザード
1294年のアルノルフォ=ディ=カンビオの設計によるファザードは、
途中何度も改変取り壊しなどがあってなかなか完成しませんでしたが、
1887年、エミリオ=デ=ファブリスによって漸く完成したと言われています。
赤・緑・白の異なる大理石による色調は、
イタリア・ゴシックの代表建築と呼ぶに相応しい豪華さで、
他に例を見ない美しさを見せてくれます。 -
ドゥオーモに面した洗礼堂東側の「天国への門[Porta del Paradiso]」
ロレンツォ=ギベルティによる東側の扉。
これは後にミケランジェロが「天国への門」と呼んで賞賛したことからこの名で呼ばれるようになりました。
今ある扉はレプリカで、本物はドゥオーモ付属博物館に所蔵されています。レプリカ製作には日本人が寄付したそうですよ。
すごいな、日本人。 -
何度見上げても溜息しかでません、美しすぎます。
すごいな、イタリア人。 -
ドゥオーモ後陣部分。
入場待ちの行列はここまで続いていました、約40分待ちなそうな。
今は車両禁止だけど、昔はOKだったので、排気ガスや経年劣化で大理石はご覧にように汚れています。
それを修復と並行してかつての白さに戻していっています。足場が組んであったり覆いがあったりすると、
写真的にはがっかりなのですが、とても大切な作業なんですよねー。 -
入場待ちの行列は2列あって、一方はクーポラに上る列、
あっちも相当長い列でした。
ツアーなのでそちらは当然パスされましたが、
500段近くあるクーポラへの階段、でも上りたい!
待っててくれよー、I shall return.(マッカーサー談) -
イチオシ
大聖堂天蓋の「最後の審判」ジョルジョ=ヴァザーリおよびフェデリコ=ツッカリ
ランターン部の柵から乗り出してきて足をかけている、だまし絵が面白いです。
しかしあの高さ(91m)であの大きさの人物だから
間近で見たらどんだけ大きいのでしょうねー。
クーポラ上れば近くで見られるんだが・・・まだ言ってる。 -
主祭壇にはベネデット=ダ=マイアーノが1490年製作した「十字架像」。
光が当たって荘厳さが漂っています。 -
天井部分はゴシック様式の尖塔アーチ模様ですが、フレスコ画などはなく意外とあっさりしていました。
奥に見えているのは、1443年作られたパオロ=ウッチェロ作「24時間時計の文字盤」。
よく見ると上の回廊部分に人がいます、クーポラに上れば歩けるのかも・・・
いいかげん、ひつこい? -
北側にはドメニコ=ディ=ミケリーノによる「『神曲』をもつダンテ」。
これは世界史の図説かなんかで見たことのある絵。
ここでもダンテは気難しい顔をなさってます。 -
イチオシ
ジョットの鐘楼[Campanile di Giotto]
ゴシック様式のこの鐘楼は、1334年にジョットとアンドレア=ピサーノによって教会と同時に建設が開始されました。
ジョットは途中で死んでしまうのですが、複数の建築家が引き継ぎ、
大聖堂よりも100年も早く完成。
ドゥオーモとは対照的な軽快さが見られる優雅な塔です。
高さ85m、最上階へは414段の階段を上るわけですが、
さてクーポラと鐘楼、どっちを上るか思案のしどころですね〜、
次来たときの話ですけど。
日を変えてどっちも行っちゃいます? -
クーポラの圧倒的な存在感は、ここがフィレンツェの中心だということを雄弁に物語ってくれます。
イタリアには何度見上げても飽きないっていう建物がホントに多いですよね。 -
サン=ジョバンニ洗礼堂[Battistero San Giovanni]
1355年からの改修工事によって今日みられるような洗礼堂となりました。
かつてはフィレンツェ中の人がここで洗礼を受けたと聞いたのですが、
寅さんの「帝釈天で産湯を使い・・・」みたいなものだったのでしょうかねぇ。
その産湯、じゃなくて洗礼を受けた人の中にダンテもいます。
彼は「神曲」地獄篇の中で「わが美しき聖ジョヴァンニ」と言っています。
内部はモザイクで飾られ大変美しいとのことですが、
ここも次回のお楽しみ〜。 -
メディチ=リッカルディ宮[Palazzo Medici-Riccardi]
マッテッリ通りがカヴール通りに変わる交差点にあります。
1444年コジモ=デ=メディチの依頼でミケランジェロが設計、
のちにリッカルディ家所有となる。
外観ははっきり言って無骨、ミケランジェロらしくはないのですが、
角にあるメディチ家の紋章のおかげで私的にはテンションが上がった建物でした。
この通りはこういった貴族の邸宅が軒を連ねて見ているだけでも楽しいです。 -
サン=マルコ教会とサン=マルコ美術館[Museo di San Marco]
リッカルディ宮を過ぎてそのままカヴール通りを進むと、サン=マルコ広場に出てきます。
青い空・白い雲を背景にバロック式のファザードがよく映える、
とっても可愛らしいサン=マルコ教会があります。
教会の右隣は美術館で、「受胎告知」で有名なフラ=アンジェリコの作品が多くあって、
ここも見逃せない所、ココも次回は必ず・・・ですね。 -
サン=マルコ広場を左に折れ、アラッツィエリ通りを、インディペンデンツィア広場方面へ。
その広場前のリストランテ(L'Abbondanza=李慶餘飯店)の中華料理が今日の昼食。
添乗員さんは予定が押しているので運転手と交渉するといって退出され結局この日は昼食抜きになられたようです。
お仕事とはいえご苦労様です。
料理は懐かしい味でしたが、ボリュームが半端なくて食べきれず、
また中華なんで写真もパス。
午後からシエナへ行くので、ここは1時40分きっちりに出るとのこと、
バタバタした昼食タイムでした。 -
昼食後バス停まで急ぐ・・・という指令。
真夏の太陽のもと一生懸命歩いています。
右手に見えるのはパッソ要塞の城壁ですね、
もちろん今は立ち止まっての撮影は御法度。 -
フィレンツェ・サンタ=マリア=ノヴェッラ駅[Firenze S.M.N.]
イタリアの駅には改札がありません、だから自由に入れます。
駅構内をつっきってバス停に行く方が早いという添乗員さんの判断で駅のホームを駆け抜けます。
ツアーではなじみのない駅や列車を見られるのはナンカ面白かったです。 -
フィレンツェとローマ間はユーロスターで1時間半程度。
十分行き来できる時間内にあります、フィレンツェを拠点にちょっとローマへなんてことも可能かも。
個人旅行をするとして、フィレンツェからローマへとか、ヴェネツィアへとか、
列車で移動なんてことも選択肢にできそうですね。
うまく切符が購入できればなんだけど、また考えようっと。 -
この長いホームを抜ければパッソ要塞西側のバス停に出られます。
改札がない分通り抜けにはいいですが、自由に入れるという点でスリの温床にもなっているのでしょうねぇ、
重いスーツケース抱えた旅行者は格好の餌食にしか見えないでしょうから。 -
パッソ要塞の城壁、ここでバスに無事乗車、ここからシエナに向かうことになります。
あっという間のフィレンツェで、この街はやっぱりもっと時間をかけて見ないといけない所だということが十分わかりました。
次来る時は3日滞在くらいを計画しましょう。さて、そろそろ出発です。
「ルネサンス・イタリア街物語・・・⑥(シエナ編)」につづきます
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ねいちゃさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
50