2011/06/24 - 2011/06/26
243位(同エリア418件中)
熱帯魚さん
今回は2度目のハルピンなので、前回時間が足りなくて
回れなかったところを中心に歩きました。
まずは、バスに乗って傅家甸へ。
以前の区画整理で租借地外となり、華人居住区だった場所です。
ここは1900年代、商業の町として栄え、
人、馬車、物が忙しく行きかう場所でした。
当時建てられた中華バロック建築は現在も残っています。
まずは、ずらっと並ぶ中華バロック建築に感動!
そして、100年の老舗のお店でアイスキャンディを食べたり、
地元の人で賑わう市場をぶらぶらしたり。
以前は商業で発展したということは建築から見てとれますが、
現在の町の雰囲気は地元の人が行きかう下町。
そのギャップが面白く感じました。
★★ 傅家甸について ★★
1900年前後、傅氏がハルピンで車屋と薬局を開いたことが傅家甸の始まりと言われています。傅家甸の東側は最初に、楊、韓、劉、辛の四氏が定住したことから、「四家子」と呼ばれていました。
傅氏がハルピンにやってくるまで、道外は水草の生い茂る草むらで、「馬家場甸子」とも呼ばれていました。この一帯に伝染病が流行した際、傅宝善が医師として治療にあたりました。傅宝善の評判は非常に良かったため、この地に引き続きとどまることとなりました。傅宝善は、現:道外南頭道街1号(天豊涌雑貨店舗跡)に建物を建て、小さな薬局を開業しました。これからまもなく、傅宝善の兄弟である傅宝山もここに車屋(日本でいう旅籠やのような存在)を開き、車の修理や食料品、雑貨の販売を行いました。そして店の名前を「傅家店」と名づけました。1890年前後のことです。
1903年7月14日、中東鉄路が正式に全線開通すると、「松花江鎮」は「ハルピン市」と改名されました。当時、傅家店は中東鉄路の付属地とされていませんでしたが、中東鉄路付属地の近隣であったことから、多くの中国国内外の商人が商売を行っていました。それにともない、傅家店周辺は華人労働者の居住区が形成され、各種の商業店舗が出現しました。
1904年、日露戦争期間、傅家店はすでに商業の中心としてにぎわいを見せ始めます。特に、1905年、「東三省事宜条約」でハルピンが国際的商港となると、1905年10月31日清政府は傅家店に濱江関道を設立することを承認しました。1907年、傅家店の治安維持のため、
「濱江庁」が設立されました。同年末、濱江庁知事は傅家店の「店」の意味が狭すぎると、「傅家店」を「傅家甸」と改名、このときから、傅家甸が行政区画の名称として使われるようになりました。
1913年1月8日、濱江庁は濱江県として改名され、傅家甸は商業の中心として栄え、人口が増大しました。傅家甸だけでは土地が足らなくなり、1916年4月、四家子が新市場として承認されました。
1917年夏、濱江公園(現:靖宇公園)が建設され、翌年の秋、阜成房産公司が「薈芳里」が落成すると、ホテルや遊技場が次々と建てられました。そして、数10軒の皮革、布、染物などの工場がたつようになりました。その後、「濱安市場」「華楽舞台」「新世界飯店」が前後して開業し、この数年間で、傅家甸は人と馬車でひしめく、商業エリアとなりました。と同時に、濱江県公署、警察庁、地方審検庁、鎮守使署などが新市街(現:道外靖宇街)に移動し、1918年濱江公園付近に「東華中学」が建てられると、新市街は傅家甸の行政、司法、軍事、文化教育の中心となりました。
1929年5月、濱江市が成立すると、傅家甸は濱江市の管轄となりました。1932年、日本軍がハルピンを占領し、翌年、濱江市は松浦市とともに、ハルピン市に合併されました。1956年10月15日、ハルピン政府によって、傅家甸区は道外区と改称されました。
(中国語の資料を翻訳しました)
★★ 初夏のハルピン旅行記6/24-26 ★★
初夏のハルピン1★まずはソフィスカヤ寺院へ!
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10579921/
初夏のハルピン2★中華バロック建築に感動!の「傅家甸」
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10580218/
初夏のハルピン3★夕暮れの天主堂、秋林公司でのお買い物、夜の中央大街散歩
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10580300/
初夏のハルピン4★日本軍「731部隊」跡を訪ねる
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10580482/
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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イチオシ
バスを降りたら、中華バロック建築群が!!
感動です。
○ 同義慶百貨商店址
竣工:1920年 -
○ 泰来仁革靴帽店址
竣工:1927年 -
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すごい!今回は来られて良かったです。
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イチオシ
こんな感じで、以前も商品や人を運ぶ苦力たちが行きかっていたのでしょうか。
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ガラクタ市みたいなものを発見。
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よくよく見てみると、結構面白いです。
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せっかくだからこの通りから町歩き。
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○ 義順成・義順源商店址
竣工:1922年 -
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イチオシ
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そして…
○ 老鼎豊
1911年創業ということで、今年は創業100周年!! -
こちらは焼き菓子も売っていますが、やはり人気はアイスキャンディ!このあと、ハルピンのいたるところでこのお店のアイスキャンディを売っているのを見ました。とても有名のようです。
こちらで再びアイスキャンディ購入。 -
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お!めちゃくちゃにぎわっています。
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市場だ!!
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中華バロック建築の前で野菜を売る人々…非常に面白い対比。
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上の建物の上部に虎発見。
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マントウ。
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食用?
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かっこいい!以前の映画館です。
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さらに路地裏をのぞいてみました。
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それほど広い道ではないのに、とても賑わっていました。
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スイカは上海で売っているのと種類が違う感じ。
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イチオシ
さらにお散歩を続けます。
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暑さで犬もつらそうでした。
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日陰になっていたので、近所の人たちとおしゃべりする老人や子供たちが見られました。
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イチオシ
映画館。逆側から。
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なんだろう、この生活感!!
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崩れそうで崩れない微妙なバランス。
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○ 交通銀行ハルピン分行
竣工:1930年
こちらは中華バロック建築ではなくて、折衷主義建築。他の建物と明らかに風格が異なりました。
ちなみに、昔は交通銀行でしたが、今は農業銀行です。 -
もう少し靖宇街を歩いてみます。
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イチオシ
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もうすでに削られてしまって良く見えませんが、上に「亨得利」の文字が薄く残っています。
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上の部分が面白い作り。
4時になったので、バスに乗って移動することに。
次の旅行記に続きます。
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