2011/06/07 - 2011/06/09
1869位(同エリア4073件中)
悠太郎さん
出島を訪れたくなったのは、放送大学院の「地域文化研究?〜ヨーロッパの歴史と文化」で幾度となく登場していたからです。特に出島3学者に興味を持っていました。ケンペル、ツュンベリー、シーボルトの三人です。この3人はオランダ商館付きの医務官として赴任してきたのです。ケンペルは、1690年に赴任しました。ケンペルはドイツ人で、ドイツに帰ってから「日本誌」を著しました。これはヨーロッパに日本を正しく紹介した最初の本で、出版された当時大きな反響を呼び、後に日本にも輸入され蘭学者や知識人に影響を与えたそうです。ツュンベリーは、1775年に赴任しました。彼はスウェーデン人です。植物学と医学が専門で、わずか1年の滞在にも関わらず約800種類の植物を採取し、師匠であるカルル・リンネ(体型的植物分類学の創始者)へ送っていたとのことです。この植物が大いにリンネの研究に役立ったそうです。「日本植物誌」という本を残しています。シーボルトは、1823年に赴任しています。ドイツ人。シーボルトは、来日にあたって、バタビアの総督から日本の総合的研究を依頼され、またシーボルト自身も個人的に日本への強い関心を抱いていたので、門人等からもかなりの情報を入手していたそうです。シーボルトは、日本人患者にも治療を施し、また医学や植物学の講義も行なったので、多くの日本人が彼のもとに集まってきたのです。著作として、「日本」「日本植物誌」「日本動物誌」があります。シーボルトも植物標本260種をヨーロッパへ持ち返っています。彼ら3学者はいずれもオランダ人ではないのですが、オランダは優れた人物は、例えオランダ人でなくとも登用するという柔軟さがあったのです。
出島の展示では、彼らのことは多くは語られていません。主として貿易に関する展示が中心です。また建物は、復元されたものであるため、遊園地に近いノリがあります。修学旅行生も数多く来ていました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- スカイマーク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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南護岸石垣
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南護岸石垣
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神学校。明治11年建築。
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旧長崎内外クラブ
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教会跡の記念碑
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不思議な彫刻
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ミニ出島の解説。このミニ出島は、後にシーボルトのお抱え絵師になる川原慶賀が、1820年代に書いた「長崎出島之図」から復元したもの。現在実際に復元されている建物とは異なる部分もあります。
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ミニ出島
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ミニ出島
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ミニ出島
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ミニ出島
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ミニ出島
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ミニ出島
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ミニ出島
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日時計
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中島川。この川の半分近くまでが出島の範囲だったそうです(中島川の流域変更工事のため、出島部分を削った)。
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シーボルト里帰り植物。
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薬草園にある橋
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薬草園にかかる橋。
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出島先学顕彰薬草園碑
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シーボルトが置いた、ケンペル・ツュンベリー顕彰碑
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カピタン部屋
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料理部屋
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水貯め
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クリスマスディナー。当時は、禁教令の時代なので表立ってクリスマスとは言えなかった。オランダ冬至という言葉を使っていた。
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カピタン部屋の内部
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涼所
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図書室
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カピタン部屋から奥の建物へのパースペクティブ。
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へトル(商館次長)部屋。屋上へ登れるのが特徴。
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発掘現場。発掘が終了すると6棟の建物が建つそうです。
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陶器の門。出島メインストリートから薬草園へ入る門。
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旧長崎内外クラブから神学校を臨む。
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表門
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拝礼筆者蘭人部屋(蘭学部屋)
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オランダ船
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オランダ船
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オランダ船
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禁教令と出島の築造
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遺跡
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貿易の証
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輸出に使われた棹銅
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VOCのマークの入った銀貨
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荷物の重さを計っている。
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天秤の模型
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オランダが日本へ運んだ植物
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オランダが日本へ運んだ植物
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重要な輸入品、砂糖。ひと袋60kg。
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