2010/09/25 - 2010/09/25
4900位(同エリア12057件中)
熱帯魚さん
さて、蘇州河にかかる橋を越えて、
再び外灘側に戻ってきました。
適当に歩いていたら、洋風の町並みが突然目の前に。
なんとここが外灘の始まりといわれる場所。
まるで西洋のどこかの町並みを歩いているような
外灘歴史散歩となりました。
★★ 外灘源について ★★
約260年前、現在外灘と言われているエリアは「李家荘」という小さな漁村でした。上海老城の城壁外にあり、蘇州河と黄浦江の合流地点であるこの地に目をつけた英国商人が、この地に欧風建築の英国領事館を建設しました。
領事館の建物は1849年に建設され、1870年に火災に遭い、1873年再建されました。外灘建築の中で保存状態の良い最古の建築と言われています。ここから上海の租界史がスタートしたともいえ、外灘のはじまり、「外灘源」と呼ばれています。
★★ 圓明園路について ★★
外灘源「英国領事館」のちょうど裏側の通りで、古い洋風建築が立ち並ぶ通り。万博にあわせ、道が整備され、歩行者天国になりました。
(説明は中国語の資料を基に、翻訳・編集しています)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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郵政総局から、蘇州河にかかる橋(四川路橋)を越えて、南蘇州路にやってきました。
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さてどっちに行こうかな?と考えて、南蘇州路を外灘方向に歩くことにしました。郵政総局の屋上から外灘側を見た時に、この方向に沢山美しい歴史建築があるのが見えたから。
早速、とってくっつけたような建物を発見。実は地下室とかもありそう。 -
○ 南蘇州路185号
これも歴史建築っぽかったのですが、調べてみても、資料が見つかりませんでした。ほかの番地で登録されているのかもしれません。 -
地方政府の事務所(出張所?)が沢山入っていました。
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○ Yi中大楼(南蘇州路161-175号)
もともとはYi中大楼(英美Yi中煙草有限公司、Yee Tsoong Tobacco Co.)と呼ばれていました。1920年に建てられた木造レンガ造りの建築です。
Yi中煙草有限公司は、1919年から1934年にかけて、中国での特権をもとに、中国での巻煙草の生産、供給、販売などを牛耳り、膨大な利益を得、中国人煙草工場に大きな打撃を与えました。
1925年、英美煙草公司の資産総額は17804万元を超え、従業員総数は2万人余となりました。この資産総額は当初の投資総額の848倍、従業員数は開業当時の118倍です。英美煙草公司は中国各地に、10の巻煙草工場、5つの印刷工場、6つの大型焼煙草工場と378の倉庫及び事務所機関を持ち、上海に材料包装工場、機械工場、アルミ製品工場、鋳造工場、タイプライター工場などを有していました。このほかに、華旗煙公司、老巴奪父子煙公司、販売部門では、永泰和煙草公司、大美煙公司、そしてその他業務関連で宏安、昌業地産公司、儲金管理公司、中国包装品公司、紅印影片公司、村井兄弟公司、老晉隆洋行など10の関連会社を有していました。1932年から1934年の間に、英美煙草公司の巻煙草販売量は、中国全体の巻煙草販売量の60%を超え、上海そして中国各地の巻煙草市場を独占しました。
(以上、中国語資料より、翻訳・編集) -
○ 乍浦路橋
乍浦路橋は東面が外白渡橋から248m、西面が郵政局橋(現:四川路橋)から195mの場所に位置しています。
明嘉靖元年(1522年)、李充嗣が蘇州河下流に「関橋閘」と呼ばれる水門を建設しました。その水門が廃れると、清康熙18年(1670年)その地に「頭Ba義渡」という船着場が設置されました。上海開港後になると、米国宣教師William Jones Boone(蓮恩、文恵廉)が船着き場の西に浮橋を設置しました。1873年、この浮橋は木造の橋にかわり、外国人はこの橋を「蓮恩橋」、中国人は「頭Ba渡橋」と呼びました。橋は「白渡橋」とも呼ばれましたが、東側にある外白渡橋と区別するため、「二白渡橋」と呼ぶようになりました。1927年、木造の橋は現在の鉄筋コンクリートの橋にかわり、名前も「乍浦路橋」と呼ばれるようになりました。
(以上、中国語資料より、翻訳・編集) -
バイクや自転車が多いです。バス(公共機関)はこの橋は通れないのだとか。
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○ 新天安堂(南蘇州路x圓明園路)
新天安堂(Union Church)は上海で最初期に作られた教会のひとつで、1886年に作られた木造レンガ造りのゴシック式教会。非聖公会教徒の在上海英国人のための礼拝堂で、社交場としての機能も果たしていました。蘇州河と黄浦江の合流地点である三角地帯に位置しています。2007年初めに火災に遭いました。
(以上、中国語資料より、翻訳・編集) -
○ Hua船倶楽部(南蘇州路76号)
Hua船倶楽部(Shanghai Rowing Club)は、1904年に建てられたヨットクラブ。
建物の隣にある緑地は、黄浦遊泳地であった場所です。Hua船倶楽部の一部分でしたが、すでに取り壊され、芝生の上にはプールを模した白い線がついています。
(以上、中国語資料より、翻訳・編集) -
上海の下の文字が消されています。Hua船倶楽部と書かれていたのでしょうか。
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これは新天安堂の隣の建物です。この建物についても調べたのですが、資料が見つかりませんでした。
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英国大使館に関係しているのでしょうか。裏側は英国大使館の敷地に面しているはず。
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イチオシ
手前が何の建物かわからなかった建物で、その奥が新天安堂です。写真には写っていませんが、道(南蘇州路)をはさんだ向かい側がHua船倶楽部です。
何だかエレガントですね、このあたりは。空き家になっているせいでしょうか、ごちゃごちゃした感がありません。 -
さあやってきました、圓明園路!
ここはロックフェラーグループが開発を行い、ロックバンド(洛克・外灘源)というおしゃれストリートに生まれ変わる予定です。このときはまだ少し工事中でした。 -
○ 英国領事館(外灘33号、中山東路33号)
約260年前、現在外灘と言われているエリアは「李家荘」という小さな漁村でした。上海老城の城壁外にあり、蘇州河と黄浦江の合流地点であるこの地に目をつけた英国商George Balfourは、1842年11月、上海道台宮慕久と上海開港について協議、1845年11月李家荘から呉淞江(蘇州河)間の土地126ムールを領事館建設用に当てることが決定されました。
英国領事館の敷地面積は38559平方メートル、平面はH型。英国人設計士によって設計されました。建物は全体的にビクトリア女王時代の建築スタイルでありながら、上海の気候の特徴も考慮し、「東インド式」建築に近いスタイルになっています。
領事館の建物は1849年に建設され、1870年に火災に遭い、1873年再建されました。外灘建築の中で保存状態の良い最古の建築と言われています。ここから上海の租界史がスタートしたともいえ、外灘のはじまり、「外灘源」と呼ばれています。 -
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○ 浸信会大楼(圓明園路209号)
1930年竣工の鉄筋コンクリート建築。L.E.Hudecの設計。もとは浸信会大楼と呼ばれていましたが、その後真光大楼と改名されました。アールデコ調。
かつては学術の重鎮。Hu江大学は教会総合大学で、その創設者が真光大楼内部にHu江商学院を設立しました。そのため、1930年代には大學教授や学生らが道を行き交っていたそうです。 -
屋根のとげとげが特徴あります。
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○ 蘭心大楼(圓明園路185号)
蘭心大楼は上海初期の劇場であった蘭心劇院があった場所に建てられました。蘭心劇院は近代初期に外国人が中国で開設した劇場のひとつでした。蘭心劇院は、1866年上海運動事業基金董事会が香港路と圓明園路の角(現:圓明園路185号)に建てられ、「大英愛美劇社」の演出に使われました。しかし建物は1871年3月2日の火災で焼失、1872年その跡地に豪華な木造レンガ造りの蘭心劇院が建設されました。1930年、劇場は建物の老朽化により取り壊され、1931年蘭心劇院は蒲石路X邁爾西愛路(現:長樂路X茂名南路)交差点に移動しました。
1930年もとの蘭心劇院の跡地に、蘭心大楼の建設が始まり、1931年に7階建ての鉄筋コンクリートのビルが竣工しました。当時は国民政府外交部在上海事務所の所在地でした。
1956年3月からは、ビルは上海市房屋管理局に接収され、黄浦区房管局の管理下に置かれました。香港上海銀行上海分行、英国商麦加利銀行上海分行に使用され、現在は久和商務処の所在地となっています。
(以上、中国語の資料を、翻訳・編集しました) -
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ほとんど人が歩いていなくて、いつもはごちゃごちゃしている中国っぽくない感じです。ヨーロッパの街角みたい。
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○ 協進大楼(圓明園路169号)
協進大楼は1920年代に修復作業を終えた最初の建築といわれています。中国基督教と中国市民の統一の象徴として、Charles A. Gunnが監督を、聯合建築局が建設を請け負い、1924年に落成しました。しかしながら、最初は国民基督委員会が1階から3階までを占領し、その他はそれぞれ異なる教派の各組織(米国聖経学会、スコットランド聖経学会、ロンドン聯合学会、中国長老会、米国赤十字会)が使用していました。当時は教会大厦と呼ばれていました。 -
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このベランダ、丈夫かなあ…ベランダに出たらぱっきーんって折れたりしないかな、と心配になりました。
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○ 哈密大楼 (圓明園路149号)
1927年建築士MooreheadとHalseによって建設されました。建物は竣工当初から多くの企業家が入居し、中国房地産公司、共和国投資公司、Ba Someck有限公司などが土地と不動産の売買に参加してきました。 -
何だろう、何かのお花をモチーフにしているみたいです。
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こちらも何かの花?葉っぱ?
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誰も歩いていないのに、おばちゃんが一生懸命お掃除してました。だからこんなに道が綺麗なんですね。
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○ 女青年会大楼(圓明園路133号)
米国出身建築士Poy Gum Leeが設計した中洋折衷の建物。Poy Gum Leeは、南京の中山陵墓の設計にも関わった人物です。9階建ての鉄筋コンクリート構造で、敷地面積は890平方メートル、建築面積は5834平方メートル。外観はアールデコ調でありながら、装飾文様は中国伝統の特徴を持っています。
中華基督教女青年会(YMCA)は、清光緒16年(1890年)に創設されました。13年後、世界女青年会が耙子路に女青年会事務所を設置しました。光緒34年(1908年)、上海に中国初の都市女青年会(市会)である「上海基督教女青年会」が成立しました。これに続いて、広州、天津、北京、福州、香港、杭州、南京、瀋陽、済南、長沙などに女青年会が相次いで成立しました。
1923年に第一全国大会が行われた後、女青年会全国協会の月刊「女青年」が創刊されました。1958年になると、中華基督教青年会、女青年会全国協会、上海基督教青年会、女青年会が西蔵路123号(現:西蔵南路123号青年会賓館)で合同で業務を行うようになりました。しかしながら、文革時代には、各地の女青年会は活動の停止に追い込まれました。活動が再開されたのは、1980年のことでした。 -
装飾をよーく見ると、中国っぽいんです。不思議な建物です。ちゃんと中国語で中華基督教女青年会とかかれています。
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○ 圓明園公寓
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修復のあとがところどころに見られるものの、素敵な建物でした。
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中央の入り口。中は改装中でした。
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○ 安培大楼(圓明園路97号)
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○ 益豊大楼(北京東路31-91号)
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○ 圓明園路43号
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船と関係ある会社だったのか???
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○ 圓明園路34号
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イチオシ
いいなぁ、この感じ。ガラス割れてましたが、人が住んでいるような感じがしてました。
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ついでにここの通りも少し見てみます。
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○ 仁記洋行(滇池路100号)
通和洋行の設計で1908年に建てられた木造レンガ造りの建物。典型的な英国アン女王時代の建築スタイル。 -
イチオシ
古い建物と高層ビル。まさに上海。
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中はこんな感じでした。カフェもあって素敵な感じでしたよ。
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○ 中国銀行上海分行裏門
外灘23号の中国銀行の裏門。 -
ついつい裏通りを撮ってしまいます。
次の散歩記に続きます!
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