2010/09/25 - 2010/09/25
4885位(同エリア12041件中)
熱帯魚さん
さあ外灘散歩の続きです。
外灘13号から19号は凝ったつくりのビルが多く、
むきむきマンや芸術的な彫刻など面白い発見いっぱいでした。
これまでただ通り過ぎるだけでしたが、
今回のゆっくり散歩したことで発見が多く、
外灘の奥深さを知りました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 船
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○ 外灘13号
税関大楼、江海北関
現:上海海関大楼
1927年、430万両銀を費やし建てられた、ギリシャ式新古典主義建築。建物は異なる建築様式で2度改築されています。
現在の海関大楼は、1925年に香港上海銀行を設計したウイルソンによって設計され、1927年12月9日に落成したもの。時計塔はアメリカ国会ビルの大時計を模して作られたもので、アメリカで製造し上海で組み立てられました。白銀2千両余を費やして作られたともいわれ、アジア一の大時計、世界で最も有名な大時計のひとつとも称されています。
同じくウイルソンによって設計された香港上海銀行大楼とは、高さや長さなどのバランスがとれていることから、外灘の「姉妹ビル」ともいわれています。 -
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○ 外灘14号
交通銀行大楼、上海総工会大楼
現:上海市総工会
上海開港後、英国大アヘン商ランスロット・デントが外灘に多くの土地を購入しました。そのうちのひとつが外灘14号所在地です。デントはこの地に「東インド洋式」の4階建ての建物を建てましたが、経営に失敗し、土地と建物を手放す羽目になってしまいました。1880年、13のドイツの銀行が聨合して結成した徳華銀行がこの土地と建物を購入し、1902年ドイツの建築家ハインリヒ・べックによって改装されました。
1914年、第一次世界大戦が勃発すると、ドイツは英国、フランスなどとは敵国となり、徳華銀行は中国での業務を終了、建物は1903年に設立した中国交通銀行に賃貸されました。その後、1948年10月、鴻達洋行の設計で新館が竣工しました。
建物が完成するとまもなく、終戦を迎え、ビルは外灘で最後に建てられたビルとなりました。 -
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○ 外灘15号
華俄道勝銀行大楼、華勝大楼、中国銀行大楼
現:中国外匯交易中心
1896年、華俄道勝銀行は上海分行を設立しましたが、フランスパリ手形銀行の営業所の一部を借りて業務を行っていました。1899年頃、英国商人デントが開設した宝順洋行が破産に瀕すると、所有異していた不動産の一部を売りに出しました。華俄道勝銀行は、売りに出された外灘15号の土地を購入し、道勝大楼を建設しました。ビルの設計はハイリンス・べック、建設は上海項記営造工場が請け負いました。
1926年、華俄道勝銀行が倒産すると、1928年11月南京政府中央銀行が建物の権利を受け継ぎ、建物は中央銀行総行として使われるようになりました。戦後は民主党派機関、機電二局、航天局などが借用していました。1994年4月からは中国外匯交易中心として使われています。 -
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○ 外灘16号
台湾銀行大楼
現:招商銀行
1911年4月、台湾銀行(日本が台湾で設立した植民地銀行)上海分行が外灘16号ビルを購入、正式に営業を開始しました。
もともとの外灘16号は、瑪利遜洋行が建てた木造3階建て(3階建てだが外から見ると4階建てに見える)の東インド式ビルでした。しかしながら、建物には多くのオープンスペースがあり、銀行の建物としては安全性に欠けたため、1924年台湾銀行によって取り壊され再築されました。
ビルは敷地面積904平方メートル、4階建ての日本近代西洋式ビルに建て替えられました。1945年、台湾銀行が中国から撤退すると、ビルは中国政府に移管され、旧中国農業銀行上海分行が使用するようになりました。戦後は旧中国農業銀行が人民政府に移管され、ビルも人民政府の房管部門に移管されました。1990年代後期からは、招商銀行がこの場所で業務を行っています。 -
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○ 外灘17号
字林西報大楼、桂林大楼、
現:米国友邦保険有限公司(AIA)上海分公司
1850年8月に創刊された北華捷報(North-China Herald)を前身にもつ、字林西報(North China Daily News)は、当時の上海で大きな影響力を持つ英語新聞でした。もともとの新聞社は花園弄(現:南京東路江西路東)にありましたが、その後、漢口路、九江路と移転し、1901年外灘17号に事務所を構えました。この土地は競馬で財をなしたヘンリー・モーリスが所有し、新聞社の株47%を所有していたことから、長い間新聞社の董事長を務めていた、といわれています。
1921年、モーリスは建物の建て替えを決定、徳和洋行が設計を担当、米商茂生洋行が建設を請け負い、1923年6月に落成しました。ビルの敷地面積は1043平方メートル、建物面積は9043平方メートル。建物は前後2つにわかれており、前方部分は8階建て、後方部分は9階建てで、それぞれ地下室があります。ルネサンス後期様式の鉄筋コンクリート建築です。
「字林西報」は創刊から1951年3月末に廃刊となるまで、101年間出版されてきました。「字林西報」が廃刊になると、ビルは市の房管部門が引き継ぎ、「桂林大楼」と名付けられました。1998年と友邦保険有限公司(AIA)がビルの使用権を獲得し、「友邦大厦」と改名し、現在に至っています。 -
ん???何かいますよ?
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きょえ〜むきむきのお兄ちゃんが建物を支えてます。
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こっちも。
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真ん中にはART、SCIENCE、LITERATURE、COMMERCE、TRUTHとほられています。
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印刷物を運ぶ男性とPRINTINGの文字がほられています。
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右側には、JOURNARISMの文字と熱心に記事を書く男性がほられています。
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○ 外灘18号
麦加利銀行大楼、春江大楼
1892年、外灘18号の産業主-英国商新東方銀行(元:「麗如銀行」)が倒産し、不動産は麦加利銀行(英国商チャーター銀行)に買収されました。
外灘18号はもともと3階建の木造レンガ造りの英国式建築物で、屋上の中心には楼閣がありました。しかしながら1914年、建物の北面にあった匯中飯店で火災が発生し、この建物も火災に遭ってしまいました。麦加利銀行は建物の取り壊しと建て替えの準備をしていましたが、第一次世界大戦の影響で、実際に工事が行われたのは1923年のことでした。
ビルは5階建ての鉄筋コンクリート構造で、敷地面積は1755平方メートル、建物面積は10256平方メートル。公和洋行が設計を、特羅甫・柯爾公司が建設を請け負いました。
戦後、麦加利銀行上海分行は香港分行に併合され、圓明園路185号に事務所を構えました。外灘18号は1955年、上海市房管部門に移管され、「春江大楼」と改名されました。この間、上海家用紡織品公司、中波輪船公司、上海水産局、水産協会がこのビルを使用していました。2002年、上海珩意公司と上海久事公司の協議の末、珩意公司が外灘18号の20年間の経営権、使用権を獲得しました。ビルの修繕は、歴史建築物の修復の経験豊かなイタリアベニスの建設事務所が請け負っています。 -
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南国っぽい彫刻がほられていました。
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CHARTERED BANK OF INDIA AUSTRALIAと書かれていました。
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○ 外灘19号
匯中飯店
現:和平飯店南楼
匯中飯店は瑪礼遜洋行(Morrison & Gratton Design Office)の建築士Walter Scottの設計で、建設は王發記営造廠が請け負いました。敷地面積は2125平方メートル、建築面積は11697平方メートル、木造レンガ造りの6階建ての、ルネッサンス時期建築様式の外観を持つビルです。
ビルの1階の外壁は花崗岩がはられており、床は白地に黒のストライプ模様の大理石で、内壁はチークで作られています。ロビーにはエレベーターが2台あり、上海で一番最初にできたエレベーターといわれています。ビルの屋上はルーフトップガーデンとなっており、こちらも上海で最初にできたルーフトップガーデン。屋上の外灘側には、バロック式の涼亭が二つあります。
1911年、上海各界の著名人が匯中飯店で孫中山の臨時大総統への就任を祝いました。戦時中は、日本軍に占領されたこともありました。1947年、華人商大慶公司が建物の所有権を買収したあとも、ホテルとして使われていました。1952年ホテルは休業し、上海市建工局によって使用されましたが、1965年に和平飯店南楼となり再びホテルとして使われるようになりました。 -
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