2010/09/25 - 2010/09/25
6220位(同エリア12021件中)
熱帯魚さん
前日の夜もひとりでここまで散歩に来ましたが、
ゆっくり散歩できなかったので、
この日は黄浦路、大名路、蘇州路をゆっくり散歩しました。
散歩の数日前、中国語のサイトで上海大厦とロシア領事館
について読んでいて、ぜひ見てみたいなと思っていたので
サイトの中の建物が目の前に出てきてちょっぴり感動。
どちらも異なる存在感のある建物でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
-
外灘散歩を終えて、今度は蘇州河の向こう側にある、上海大厦、浦江飯店、ロシア領事館を見に行きます。
写真は外灘33号の前から見た上海大厦です。 -
○ 外白渡橋
外白渡橋(Garden Bridge of Shanghai)は、蘇州河下流の黄浦江との合流地点に位置する鉄橋。中国で最初にできた全鋼構造の橋であり、中国に唯一現存する不等高桁橋。
初代外白渡橋は1856年に建設された、「威爾斯橋」という木造の橋でした。威爾斯橋は、怡和洋行の英国人威爾斯と宝順洋行の韋丈}、霍梅ら20名(そのほとんどが洋行経理もしくはアヘン販売の元締め)が共同出資して設立した「蘇州河橋梁公司」(中国初の橋梁建設をメインにした会社)が投資して建てられました。橋の長さは137.25m、幅7.015m。真ん中は可動式で、船が通る時に吊りあげて使用していました。威爾斯は、上海道台から「橋の通過税」の徴収を許可された、と主張。中国人のみから通行税を徴収し、外国車両や傭人の通行税を免除したことから、上海住民の怒りを買いました。その後、広東人の勝且瘠・ェ現在の山西路の交差点に、船着き場をつくったことから、中国人も無料で行き来できるようになりました。中国人も「ただで渡れる」ようになっため、白渡(ここでいう「白」は「無料」の意味)と呼ばれるようになったといわれています。
それでも租界工部局は民衆の怒りをおさえきれず、1876年威爾斯橋の近くに通行税が無料の木製の浮橋を建設しました。この橋は外灘公園の近くにあったため、「公園橋」と名付けられました。そしてこのときから、橋を渡るのが無料になったため、「外白渡橋」と呼ばれるようになりました。その後、威爾斯橋は工部局に買収され、解体されました。光緒年間になると、何度も修復作業を受けた木造の橋は、交通の需要にそぐわないという理由で、工部局により鉄橋に建て替えられました。鉄橋が完成してから40年以上もの間、一度も大きな改修工事は行われていませんでしたが、1945年戦争に勝利すると、橋の台の下部分に亀裂が入っているのが発見され、コンクリートで修理がなされました。戦後は、何度か点検が行われ、大がかりな修理作業が9度行われています。
(以上、中国語の資料から翻訳・編集しました) -
外白渡橋の間から、浦東のビル群が見えます。
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橋の上より…こちらは蘇州河の上流方向。中央奥に郵便局が見えます。
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こちらは黄浦江側、浦東のビル群が見えます。
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○ 礼査飯店(現:浦江飯店)
黄浦路1号
礼査飯店は、英国商人Richard(阿斯脱豪夫・礼査)が、1846年に英国租界と上海県城の中間、ちょうど現在の金陵東路外灘付近に建てた、Richard's Hotel and Restaurantが始まりです。上海で最初に出来た現代化旅館でした。
1856年、外白渡橋の前身である「威爾斯橋」が落成すると、この地が経済的に発展すると目をつけたRichardは、廉価で橋の北側の荒地を購入し、木造レンガ造りの建物を建設、礼査飯店をこの地に移しました。しかし、辺鄙な場所で交通が不便なことから、経営には非常に苦労していました。
1860年、英国人Henry Smich(史密斯)が礼査飯店の経営を受け継ぎ、Astor Houseと改名。Henryの管理のもと、礼査飯店は客室のほかに、バー、ボールルーム、カードゲーム室などを開設、ロビーではダンスや劇の演出があり、多くの外国人客をひきつけました。
19世紀後半になると、礼査飯店は中国で最初に現代設備を備え、注目を集めました。1867年上海初のガス使用が開始、1882年7月には中国初の電灯が備え付けられ、1883年には全上海初の水道がこのホテルに通りました。
1906年、外白渡橋の改修のため、ホテルの土地の一部を明け渡さなければならなくなり、さらに6階建ての外資ホテル匯中飯店(Palace Hotel)がすでに南京路外灘という繁華街で営業を開始していたことから、礼査飯店はもとの建物を解体し、5階建てのビルに立て直しました。しかしそれでも匯中飯店には勝てず、礼査飯店は再び建て直しを行い、6階建てのビルになりました。
礼査飯店は当時アジアで最も現代設備の整った豪華ホテルのひとつでした。24時間お湯の供給があり、どの部屋にも電話が設置され、中国で最初のエレベーターのひとつがあり、上海で最初に半有声映画(1908年)と有声映画(1913年)が上映されました。
礼査飯店の最上階にあった孔雀大庁は非常に豪華で、500名を収納可能な大規模なレストランでした。夜になると、交響楽団がここで演奏を行い、多くの有名人が食事に訪れたそうです。
19世紀から20世紀上葉には、イギリスのエディンバラ公、科学者アインシュタイン、喜劇役者チャップリンなど、世界各地の有名人が滞在しました。 -
(つづき)
礼査飯店が衰退の道をたどるきっかけとなったのは、1937年8月13日に起こった上海事変でした。戦争期間、礼査飯店のあった虹口地区は日本の戦力範囲内で、上海公共租界のそのほかの地区とは引き離され、中立地区に選ばれませんでした。虹口の西洋人顧客は安全な共同疎開中区、西区、フランス租界などに逃れ、礼査飯店は多くの顧客を失いました。その後、礼査飯店は日本人の経営に変わりましたが、戦争が終結すると、英国人が再び礼査飯店を取り戻し、建華地産公司のもとホテル経営が再開されました。1階のロビーは23部屋にわけられ、道沿いにはカフェやバーが設けられ、上階は米軍クラブなどが使用するようになりました。
1949年以降しばらくは、礼査飯店は英国人によって管理されていましたが、1950年に賃借期間が終了すると、建華地産公司は英国商に建物を明け渡しました。このとき、中国政府と英国商は修繕費の問題でもめ、結局1954年4月19日、建物は上海市人民政府に移管されました。1958年6月25日には、上海市機関事務管理局のものとなり、1950年5月27日になると礼査飯店は浦江飯店として正式に営業を開始しました。
浦江飯店は文革時代にかなりの破損をうけ、最上階のレストランは完全に破壊されてしまいました。1988年、浦江飯店は上海大厦とともに、上海衡山集団のものとなりました。1995年礼査飯店は解体の危機に遭いましたが、衡山集団の呉懐祥総裁がホテルの歴史を知り、ホテルの修復を計画し、2002年修復終了、浦江飯店は3つ星ホテルとして経営を再スタートさせました。
(以上、中国語の資料から翻訳・編集しました) -
結婚披露宴があるのか、新婚カップルが車に乗ってやってきました。その写真は撮り損ねたので、建物の写真のみ。
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○ ロシア帝国領事館、ソ連領事館(黄浦路20号)
現:ロシア総領事館
1914年7月、ロシア外交部は上海蘇州河口の外白渡橋北側の公共租界の黄浦路南側に土地を購入し、新しい総領事館官舎の建設を開始しました。1916年12月、総領事館新館が竣工、翌年1月14日開館式が盛大に行われました。
領事館は政情の変化でこれまで閉館開館を繰り返してきました。1917年十月革命後、帝政ロシア在外公館は全て閉鎖されました。1924年になり、ソ連政府と中国政府が国交樹立を宣言し、ソ連総領事館が以前の帝政ロシア領事館の建物で領事業務を開始しました。1927年、国民革命軍が上海防衛をとりしきるようになると、政局が不安定になったことを理由に、ソ連領事館は再び閉館。1932年国民政府とソ連政府の外交関係が回復すると、総領事館は数年間の修復作業のあと、再オープンしました。しかし、1941年、太平洋戦争が勃発し、日本軍が上海を占領すると、ソ連領事館は再び閉館に追い込まれました。
1949年中華人民共和国中央人民政府が北京で成立すると、中国とソ連の大使級の外交が始まりました。その結果、8年ぶりに領事館が開館することとなりました。その後、1953年3月5日スターリンが逝去した際には、上海総領事館には1600余りの団体の約4万人が弔問に訪れました。 -
(つづき)
中ソ両国の関係は1950年代末から悪化し、1962年ソ連政府は上海とハルビンにあった総領事館の閉鎖を決定しました。
その後、中ソの関係は次第に正常化に向かい、1985年6月、中ソ双方が上海市とレニングラードにそれぞれ総領事館を開設することを決定しました。このとき、ソ連は1962年の協定に元づき、中国に管理されていた元領事館官舎を取り戻しました。その結果、1986年12月15日、ソ連駐上海総領事館は黄浦路に再び開館しました。
1991年ソ連が崩壊すると、上海総領事館は同年12月28日にロシア総領事館に名前を変更し、現在に至っています。
(以上、中国語の資料から翻訳・編集しました) -
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○ 日本領事館(赤色)、連合国救済総署(灰色)(黄浦路106号)
現:黄浦飯店
赤:もと日本領事館。平野勇造設計、協盛営造厰が建築を請け負い建てられました。1911年竣工。古典主義スタイル。
灰:もと連合国救済総署。早期現代派スタイルの建築。
(以上、中国語の資料から翻訳・編集しました) -
赤い建物の方は奥にありました。隣の建物との間から見えるのですが、そこがちょうど軍事区域になっており、写真は撮れませんでした。
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突然軍人さんが沢山登場して、さらにドキドキ。この写真は軍人さんがいなくなってから撮ったものですが、ちょうど反日報道が盛んに行われている頃で、かなり緊張しました。
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さらに黄浦路を歩いていきます。
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黄浦路はここまで。
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さらに大名路を歩きました。
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仲のよさそうな家族?ご近所さん?が歓談していました。
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大名路X黄浦路X北蘇州路のT字路までやってきました。
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○ 百老匯大厦(北蘇州路20号)
現:上海大厦
東側は百老匯路(現:大名路)に接し、南側には蘇州河河口の外白渡橋があり、上海外灘建築群の中で早期に建設された高層建築3つのうちのひとつ。地上21階建てで、高さ77m。1930〜1934年、英資業広地産公司が500万両を投資して建てられました。建築面積kは24596平方メートル。
当初はマンションとして使用されていました。しかし、1937年8月、上海事変が勃発すると、建物は日本軍に占領されました。1939年3月、業広地参公司は建物を日資恆産株式会社に売却しました。1945年になって国民政府がビルを移管すると、建物は招待所として生まれ変わり巻いた。1951年建物は上海大厦と改名され、1980年代にホテルとして対外的に開放されました。
(以上、中国語の資料から翻訳・編集しました) -
とにかくすごい存在感の建物でした。
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○ 新華大酒店
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○ 瑞康公寓(四川北路18号)
もと瑞康公寓(Asia Apartment)。1930年頃建てられた鉄筋コンクリート建築。モダンスタイル。
さて、北蘇州路と四川北路の交差点までやってきました。次の散歩記に続きます。
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この旅行記へのコメント (4)
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- ryuさんさん 2011/01/26 20:27:40
- 浦江飯店での朝食
- はじめまして熱帯魚さん
ryuさんと申します。
私は昨年6月に、浦江飯店に宿泊できず、海鴎鴎飯店に宿泊しましたが、せめてもと朝食だけ浦江飯店でいただきました。
予想通りのすてきなクラシックホテルでした。
この旅行記で、昨年の上海旅行を思い出し、また上海に行きたくなりました。
その時の旅行記です。
http://4travel.jp/traveler/ryu-yossy/album/10475924/
熱帯魚さんの「ぶらり街歩き・建物探訪」的な旅行記をとても楽しく拝見しております。
- 熱帯魚さん からの返信 2011/01/27 10:37:23
- RE: 浦江飯店での朝食
- Ryuさんさん
お早うございます。
いいですね〜浦江飯店で朝ごはん!
早速先ほど旅行記を拝見させていただきました。
朝、出勤前に浦江飯店で朝ごはん…なんて
かっこいいことをやってみたいですが、
この冬そんなに早起きできる自信はありません。
春ぐらいになれば頑張ってできるかなぁ…
ほかにもお勧めあればぜひ教えて下さい。
それでは!
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- 井上@打浦橋@上海さん 2011/01/25 16:51:17
- 浦江飯店&上海大厦
- 熱帯魚さん、どうも。
あなたは、やはり相当な勉強家のようですね。
イロイロ調べてるようで・・・
浦江飯店は、やはり、中に入ってもらいたかったなぁ・・・
エエですよ、あのホテルの中は・・・
浦江飯店は、もう、日本の映画やテレビドラマに何度も使われています。
最近ではキムタクの「月の恋人」
チョッと前ですと、「上海タイフーン」に上戸彩の「李香蘭」
本木君と趙なんとか(ヴィッキー・チャオっていうのかな)の「夜の上海」
などに使われています。
次回は、是非、中を見学してみてください。
上海大厦は17階のバルコニーからの眺めが最高なのです。
上海歴史散歩の食事会で2回、17階を利用しまして、その時に
そこからの眺めを堪能しました。
それ以外にも、ブラッとホテルに入り込み、すっとぼけて17階まで行き、
チョイと失礼と言う感じでバルコニーに行ったのが、3・4回あります。
今は、どうも、その方法難しいようですが・・・
でも、熱帯魚さんでしたら大丈夫かも。
いつか挑戦してみてください。
- 熱帯魚さん からの返信 2011/01/27 10:29:39
- RE: 浦江飯店&上海大厦
- 井上さん
お早うございます!
お返事遅れました。
もうそろそろ旅行に出発でしたっけ?
浦江飯店は今度通りかかったらさりげなく入ってみようと
思います。
> 浦江飯店は、もう、日本の映画やテレビドラマに何度も使われています。
> 最近ではキムタクの「月の恋人」
> チョッと前ですと、「上海タイフーン」に上戸彩の「李香蘭」
> 本木君と趙なんとか(ヴィッキー・チャオっていうのかな)の「夜の上海」
> などに使われています。
> 次回は、是非、中を見学してみてください。
そういわれてみれば、以前上海の情報誌に載ってましたね。
映画やドラマの撮影地めぐりみたいな特集で。
残念ながら、「月の恋人」も「上海タイフーン」も見たことが
ないんですが、そんなに良いホテルなら見てみたいです。
> 上海大厦は17階のバルコニーからの眺めが最高なのです。
> 上海歴史散歩の食事会で2回、17階を利用しまして、その時に
> そこからの眺めを堪能しました。
> それ以外にも、ブラッとホテルに入り込み、すっとぼけて17階まで行き、
> チョイと失礼と言う感じでバルコニーに行ったのが、3・4回あります。
> 今は、どうも、その方法難しいようですが・・・
> でも、熱帯魚さんでしたら大丈夫かも。
ははは…笑
すっとぼけて17階まで…
さすが井上さんですね。
17階はレストランですか?
眺めが良いと聞くと値段が高そうですが。
外灘&その周辺は奥が深いですね〜
また色々教えて下さい。
それでは〜
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