2010/11/06 - 2010/11/13
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mas98765さん
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近代闘牛発祥の地、ロンダの町を観光します。その後、セビリアに行きます。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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次はロンダに向かいます。再びミハスの山を下りて、海岸を左に見て進み、
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12時25分頃、高級別荘地のマルベイヤを過ぎて暫く走り、山の方に右折します。
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虹が出ています。
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ゴルフ場が左手に見えます。
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後はひたすら上ります。前方に遅いトラックがいて、長い列が出来てしまいました。暫く走ったところで、ようやく右に避けてくれました。
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ひたすら上ります。振り返ると、こんな感じです。
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がけ崩れが起きそうなところを通ります。向こうからトラックなども来て、ビュンビュンすれ違います。ぶつかったり運転を誤ったりしたら、転がり落ちます。おまけに激しい雨が降ってきました。風もありそうです(写真では全く伝わらないのですが)。窓ガラスに水滴がたくさんついています。バスの前方には常に気温が表示されているのですが、ミハスで20度を超えていた気温がぐんぐん下がり、10度前後になっていました。
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山を越えて、13時30分頃ロンダのバスターミナルに到着です。
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バスが並んでいます(今回乗ったバスは写真に写っていません)。
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昼食を食べます。バスを降りて暫く歩いたところにある、ソコロ(Socorro)広場に面した「Dona Pena」というレストランです。
(周辺の地図はこちら)
http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,1&source=embed&ll=36.742912,-5.165908&spn=0.003013,0.004823&z=18
※ロンダ付近のGoogle Mapはピンボケです。 -
店内はそれほど広くなく、ツアーのみなさんが座っていたので上を見上げて写真を撮ります。
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インテリアに凝っているようです。写真左上には蓄音機が見えます。
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テーブルの脇の壁を見ると、アルハンブラ宮殿の壁を思わせるアラビア風のデザインです。
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天井はこんな感じです。雨漏りがしていました。
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これがパンです。
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スープはこんな感じです。この写真では分からないのですが、米が入っていました。わざとなのでしょうか、米には芯がありました。
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これがメインのビーフシチューでです。ここで、ロンダが闘牛発祥の地であることを思い出します。闘牛の牛なのでしょうか。
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デザートは、アイスクリームとフルーツです。15時05分、食事を終えて観光開始です。
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昼食を終えてもまだ、ひどい暴風雨でした。でも、ツアーですから予定を変える訳にはいきません。現地ガイドさんがついて観光します。レストラン前のこの広場を、ソコロ(Socorro)広場といいます。
(ロンダ周辺の地図はこちら)
http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,1&source=embed&ll=36.740965,-5.166214&spn=0.012054,0.01929&z=16 -
中心には噴水があって、このような像があるのですが、ガイドさんが説明を始めようとしたとたん突風が吹いて、みんなに水が降りかかりました。
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ある店の前にきて、パエリアの鍋ですと説明されました。こんな感じで、店に売っている物を色々説明してくれたのですが、雨と風がひどくて写真を撮る気になれませんでした。
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闘牛場です。1785年に造られた、スペイン最古の闘牛場です。現在スペイン中で行われている闘牛のスタイルは、18世紀にここロンダで生まれたフランシスコ・ロメロという人が考え出したものです。ロンダは近代闘牛発祥の地です。
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南の方に歩きます。これはスペイン広場で、右手に見えているのはパラドール(国営ホテル)です。この先に橋があります。この橋をプエンテ・ヌエボ(Puente Nuevo;新橋)と言って、ロンダを代表する観光名所です。この橋を渡る際、強い風が吹いて傘がおちょこになりました。
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ようやく橋を渡って、振り返ります。何とかこの橋の写真だけはと、正面から激しく雨風が吹きつける中、カメラが壊れるのを覚悟で撮りました。橋の向こう側に見えるのが先ほど通りかかったパラドールです。橋をはさんで、向こう側(北側)がロンダの新市街で、こちら側(南側)が旧市街です。写真では分かりませんが、ここはかなり深い峡谷になっています。グアダレビン川という川が下に流れていて、その侵食で峡谷が出来ました。こんな場所に18世紀、石造りの橋が完成しました。橋の高さは100mもあります。ここで反対側に視線を向けると、
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遠くにやはり、この峡谷にかかる橋が見えます。この橋を、プエンテ・ビエホ(Puente Viejo;旧橋)といいます。
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この後、旧市街を色々歩いて案内していただきました。こんな扉がありましたが、何だったか覚えていません。イスラム色のある建築だという説明だったでしょうか。
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これはロンダの市役所です。
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横から見るとこのように薄くて、多分左側は店だと思います。
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これは、サンタ・マリア・ラ・マジョール教会(Iglesia de Santa Maria la Mayor)です。モスクの跡地に建設された教会だそうです。イスラム色のあるムデハル様式になっています。
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16時頃から50分間ほど、自由時間となりました。ロンダでも、N社の社員の方が趣味か何かで作ってくれた分かりやすい地図がありましたから、晴れていたらもっと楽しめたでしょう。わたしは初めから行くつもりでいましたが、雨が降っていて歩き回るのもつらいので、大部分の人が闘牛場に行きました。入場料は個人だと6ユーロですが、団体では5ユーロになるとのことで、結局ガイドさんが案内してくださいました。でも、ここで大部分の時間を費やしてしまったので、自由時間はほとんどありませんでした。闘牛場の入口付近には、このような牛の像があります。
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このような改札機にチケットを通して入ります。
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店もあって、何やら売っています。
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闘牛場の入口を入ると、展示コーナーがあります。まず、パネルが並んでいます。雨宿りということがあったのでしょう、ガイドさんはかなり丁寧に説明してくださいました。でも、先回りして写真を撮るのに夢中で、何も聞いていませんでした。最初のパネルは「牛の神話的起源」というタイトルです。一番上の絵は、ギリシャのクレタ島にミノス文明が栄えた頃の牛を使った競技のようです。
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これは洞窟の壁画のようです。
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これは、ギリシャのアンフォラ型容器に描かれたテセウスとミノタウロスのようです。
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これは、エジプトで王様(神様でしょうか)と考えられていた牛です。
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上の説明は、このようなスペイン語の説明を訳したものです。自己流の訳ですから、間違っているかもしれません。ご自身で解釈願います。
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間にこのような牛の頭蓋骨があって、
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その左にこのようなパネルがあります。ここはツアーの皆さんが集まってしまったので細かく写真を撮っていません。
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その次は、「Toreo caballeresco(騎士の闘牛)」というパネルです。この絵は、マドリッドのマジョール広場で17世紀、カルロス2世の前で、闘牛ショーが行われた様子らしいです。
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次は、このようなパネルです。ここまでのパネルの説明だけで15分も経過しました。
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次から、パネルでなく実物が並びます。
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牛を突き刺す銛や剣が並んでいます。
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上の右側と
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左側には2頭ずつ、牛の頭があります。これらの牛をよく見ると、耳があるのとないのがあります。優れた仕留め方をした闘牛士(マタドール)には1枚、最高の仕留め方をした闘牛士には2枚の耳が勲章として与えられ、この耳の数の累計で闘牛士のランキングが決まるのだそうです。優れているかどうかは、観客の振る白いハンカチの数を見て、主催者が決めるのだそうです。
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これは衣装です。
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これも衣装です。
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これも衣装です(今のところ知識がないので、違いが説明できません)。
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最後に、闘牛のポスターが並んでいました。
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こちらはかなりピンボケですが、確かピカソが描いたポスターがあると言っていました。左から2つ目のものは、きっとそうですね。
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ポスターを過ぎると、アレーナの入口がありました。でも、雨で下がぬかるんでいそうなので出られません。
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観客席のところから、左側と
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右側を見渡します。今回のツアーでは、闘牛を見ません。闘牛は一般に、夏の間の日曜日の日没1時間前あたりに行われます。動物愛護の観点から、むごいということで、闘牛を見るツアーは少ないようです。闘牛というと、1人の人が赤い布を振りながら牛を突進させて刃物で突き刺す、という位のイメージしかなかったのですが、実際はもっと複雑なようです。地球の歩き方などのガイドブックには闘牛について説明するページがあります。これをもとに流れをまとめると、次のようになります。
1.闘牛士たちが入場します。
2.牛が登場します。助手たちがカポーテ(表がピンクで裏が黄色の襟のあるマント)を振り、牛を誘います。この間に闘牛士は、牛のコンディションを観察します。
3.馬に乗ったピカドール(槍方)という人が牛の首根を槍で突きます。適度に牛の力をなくすのが目的です。
4.バンデリーリョ(銛旗士)という人が短い銛を牛の背中に6本刺します。
5.マタドール(闘牛士)がムレータ(赤い布)を使ってしばらく牛と演技をした後、牛の肩甲骨の間5cmの急所に剣を突き刺して一気に仕留めます。 -
ここが多分、主催者長(Presidente)の席です。この人が、観客のハンカチを見ながら結果を判定します。
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ここが多分、牛が登場するところです。
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左手の観客席の部分を眺めます。
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右手の観客席の部分も、角度を変えて眺めます。
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集合は16時50分、スペイン広場に面したパラドールの前にということでした。闘牛場で時間をかなり費やしてしまったので、自由時間は殆どありません。さりげなくパラドールの地下のトイレを利用し(闘牛場にもトイレがありました)、その後でパラドールの横からもう一度、プエンテ・ヌエボ(新橋)を眺めます
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下の部分を眺めますが、これが限界です。もっと下まで続いています。どこからか、下に降りられるらしいのですが、この天気ですし時間もありませんのでやめておきます。
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橋から少し離れたところも眺めてみます。川は見えず、もっと下まで続いているはずです。
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パラドールの前の軒下に戻りました。前方にスペイン広場が見えます。ここのスペイン広場は小さくてシンプルです。
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バスに戻ります。途中、また闘牛場の脇を通ります。ここに親子の闘牛士の像が並んでいます。手前のマントを広げたようなのがCayetano Ordonezという名前の父で、向こう側がAntonio Ordonezという名前の子供です。子供の方は、ヘミングウエイやオーソン・ウエルズと仲良しだったそうです。また、もう少し先に行ったところの左側には、近代闘牛の父と呼ばれるペドロ・ロメロの像があるはずなのですが、前を通らなかったか見落としたかで、写真がありません。
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バスに乗って出発。ロンダからセビリアに向かう道はなだらかで、雨も上がり、牧草地のような風景が広がっていました。何故か途中、あまり写真を撮りませんでした。18時頃、左手に夕日が見えました。
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19時過ぎ、セビリアの中心に到着しました。「L」のマークをつけた車が通りかかりました。自動車学校の訓練用の車だそうです。
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19時25分、夕食のレストラン(バルかもしれません)に到着しました。スマートフォンで位置を確認していたのですが、すっかり忘れてしまいました。店の名前も写真に撮っていなかったので、特定できません。
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雰囲気のあるレストランでした。下の階と上の階で2つのテーブルに分かれて食事をしました。下の階でしたが、担当したウエイターさんがとてもユニークな方でした。
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パンはこんな感じです。
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まずは、このような前菜が出ました。みなさん手前の黄色っぽいものが何か気になって、どなたかが名前を尋ねたら「サルモネホ」という名前で、材料を色々話されましたが忘れてしまったので、改めてインターネットで調べてみると、生トマト、ニンニク、アーモンド、オリーブオイルといった類が材料です。
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日程表で夕食はタパスだと書かれていました。タパスとは、バルなどで出される小皿料理です。実際、この店にはバルの部分もありました。タパスとしては、この写真にあるのと、
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こんな料理の2品でした。
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デザートはチーズケーキに蜜をかけたようなものです。
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ホテルに向かいます。向こう側にヒラルダの塔が見えます。夕食のレストランに向かう際、この塔を見て通ったのですが、再び戻りました。ホテルはレストランよりもっと北のはずなのですが、スピードの出せる道を通るため遠回りをしたようです。
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