2010/08/23 - 2010/09/01
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etretatさん
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ダヴィッド(1748−1825)と、ジェリコー(1791−1824)は同時代の
対照的な画家だ。
ダヴィッドは形式的な美や写実性を重視する新古典主義の画家で、アングル(1780−1867)がその伝統を引き継ぐ。
ジェリコーの影響を最も受けたのは、ロマン主義を代表するドラクロア
(1798−1863)だ。ドラクロアの時代には、主観と自由と個性を重んじる
ロマン主義はまだ新古典主義に圧倒されていた。
ダヴィッドの「ナポレオン1世の戴冠式」(1806−7年)とジェリコーの
「メデュース号の筏」(1819年)はルーヴルのドゥノン翼2階にある。
「モナリザ」もすぐそばだ。
- 旅行の満足度
- 4.5
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「ナポレオン1世の戴冠式」は縦621cmX横979cmと巨大だが、「カナの婚礼」(ヴェロネーゼ、1562−3年)の666cmX990cmにはわずかに及ばない。
1804年、56歳でフランス皇帝ナポレオンの首席画家となったダヴィッドは、パリのノートルダム寺院での戴冠式の様子を描くように命じられた。 -
冠を掲げるナポレオンの背後に座っているのは、ローマから呼ばれた教皇ピウス7世。
ナポレオンが教皇の祝福を受けつつ、妃に冠を授ける瞬間を描くことで、皇帝の威厳や権力を象徴づけた。
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ルーヴルにあるダヴィッドが描いた肖像画。
ナポレオンは1815年に復位したが百日天下に終わり、南太平洋のセントヘレナ島に幽閉された。
ダヴィッドはナポレオンの首席画家に任命されていたが、ナポレオンの失脚でブリュッセルに亡命した。
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しばし休憩
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ジェリコーの「メデュース号の筏」(1819年)の隣の隣にドラクロアの「民衆を導く自由の女神」(1830年)がある。
前者が491cmX716cm、後者が260cmX325cmの絵だ。
400人を乗せた戦艦メデュース号が1816年に難破し、救命ボートに乗りきれなかった150人余りの下級船員は急ごしらえの筏で漂流した。筏は食糧なしで12日間漂流、殺人、食人など想像を超える事件が起きた。
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ジェリコーが描いた 「メデュース号の筏」の習作が展示されていた.
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これら3枚の絵に共通しているのは、救いを求めて右方の船に向かって遭難者が手を振っている点。
上の大作では船は微細な点になっている。
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ジェリコーが描いた絵が3点,、いずれも動物が描かれている
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ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」(1830年)。
フランスロマン主義の巨匠、ウジェーヌ・ドラクロワははこの絵を描くことで、
1830年の7月革命に応えた。
自由の女神の左側、シルクハットをかぶっている男はドラクロア自身である。
「自由」「平等」「博愛」の意味を持つ、後にフランス国旗となる青・白・赤色(トリコロールカラー)の旗を持つ女神が描かれている。
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1841年のサロンに出品されたドラクロアの絵。
師であったジェリコーの「メデュース号の筏」を連想させる。
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